F1カメラマン熱田護の「気合いで撮る!」

番外編:角田選手と初めて出会った2019年から、レッドブル・レーシングのシートを獲得した2025年までを振り返ります

 初めて角田選手と会ったのは2019年のスペインGP、バルセロナ。

 7年前です。たった7年で雰囲気はここまで変わるものなのかとビックリです。

 F3初優勝のイタリアGP。このチームのマシンで勝てることを証明できたことが、翌年のF2へのステップアップに繋がったわけです。

 2020年のF2参戦。優勝3回、ポールポジション4回、表彰台7回、ランキング3位。

 F2初年度でこのパフォーマンスを示すことができて、レッドブル首脳陣に十分なアピールができたわけです!

 F1に初めて乗ったイモラテスト。サーキットに到着したときのカット。

 2020年11月5日。すでに世界はコロナ禍真っただ中。取材していた日本人は僕だけ。事前にチームに許可を取ってアルファタウリプライベートテストの撮影ができました。

 初走行が終わって、撮影させてもらったときの写真です。「初F1の感想は、Gがすごいです!」って話でした。「疲れた~~~」とも言ってたかな。

 でも、終始嬉しそうな表情が忘れられません。

 2020年シーズン終了後のアブダビテスト。初日に撮らせてもらった写真です。

 ゼッケンは38番でした。

 いよいよF1ドライバーとしてのデビューレース、2021年の開幕戦バーレーンGP。

 この年は、コロナが大流行し、世界中が混乱。僕はこの年、レッドブルが絶好調なテストの結果を見て、何がなんでも全戦取材をしたいと思いました。日本に帰国すると2週間の自主隔離でしたから、実質全てのレースに出かけることは不可能でした。徐々に飛行機の便数も減っていってました。

 ですから、ヨーロッパに5か月滞在して各地のサーキットに出かけました。各国の旅行者の受け入れ体制も日替わりで変更になっていきましたし、空路で移動すると到着空港で入国を拒否されるから、陸路で走って移動することも多々ありました。思い出すと本当に綱渡り的な日々の連続でしたね。

 PCR検査は渡航前、サーキットに着いてから、そして土曜日にも受けなければならず、通算100回くらいは鼻に綿棒を突っ込まれた感じです。その証明書を出してもらわないと次の移動ができないという不便極まる状況がシーズン中続いたのです。

 2021年シーズンは、本当に大変なシーズンでした。

 2021年シーズン。マシンは前年の白基調のカラーリングから紺基調のカラーリングになりました。

 最終戦のアブダビでは自己最高の4位入賞を果たしました。シリーズランキングは14位。

 2022年シーズンは、この年のマシンAT03のパフォーマンスが厳しく、ランキング17位となりました。

 2023シーズン。チームメイトはガスリー選手からニック・デ・フリース選手に交代。そのデ・フリース選手のパフォーマンスが悪く、第12戦のハンガリーGPからダニエル・リカルド選手に交代。しかし、角田選手は一貫した成績を収めてチームに貢献。評価が高まったシーズンとなりました。ランキングは14位。

 2024シーズン。アルファタウリからビザ・キャッシュアップRB F1チームにチーム名を変更。ガッツポーズはオーストラリアGPで7位入賞のとき。

 2024シーズンもシーズン途中でドライバー交代、第19戦アメリカGPからリカルド選手に代わってリアム・ローソン選手となりました。

 そして2025シーズンが始まって、レッドブルでの最終戦レース前の角田選手。

 2026シーズンはリザーブドライバー契約となりました。今年はレギュレーションの大幅な変更でどのようなシーズンになっていくのか不確定要素満載のオフシーズン。

 テストである程度の予想はできるかもしれませんが、どのようなことが起こるのか誰もわかりません。また、レースができる状況に戻れることを願います!

熱田 護

(あつた まもる)1963年、三重県鈴鹿市生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。1985年ヴェガ インターナショナルに入社。坪内隆直氏に師事し、2輪世界GPを転戦。1992年よりフリーランスとしてF1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行なう。 広告のほか、「デジタルカメラマガジン」などで作品を発表。2019年にF1取材500戦をまとめた写真集「500GP」を、2022年にF1写真集「Champion」をインプレスから発行。日本レース写真家協会(JRPA)会員、日本スポーツ写真協会(JSPA)会員。