日下部保雄の悠悠閑閑

オートモビル カウンシルとモータースポーツジャパン

「オートモビル カウンシル 2019」に行ってきた

 幕張メッセで開催された「オートモビル カウンシル」に行ってきた。2019年で4回目となるこのイベントのテーマは「Classic meet Modern」。古い名車と新しいクルマが邂逅するというテーマで毎年開催されている。特徴は往年の名車を展示するだけでなく、クルマによっては購入することも可能なことで、新旧取り混ぜて120台ほどが展示されていた。さらに今年はクルマを中心として、そのライフスタイルを表現するような出品、展示が増えて面白い空間だった。年々クルマとの関係性など、イベントのおさまりがよくなっているように感じられる。

 古いクルマは現代のクルマとは違った意味で楽しい。少年時代に本で見たクルマ、そして少し大きくなってから実物を見た時の驚き、それも希少なクルマばかりだったから感激もひとしおだった。

「ジャガー Eタイプ」は「トヨタ 2000GT」のモチーフにもなったロングノーズ/ショートデッキの見本のようなデザインで、当時のイタリアン・カロッツェリアとは違ったダンディズムとジョンブルを体現したようなスーパースポーツカーだった。きれいにレストアされたEタイプはどこもピカピカで新車のようだ。前ヒンジで大きく開くボンネットの中には3.8リッターもしくは4.2リッター直列6気筒エンジン(確認しなかった)が収まる。キャブレターは3連のSU型で調整が大変そうだが、美しく独特な形状をして、ピッタリ合ったらきれいな音を出しそうだ。

ジャガー Eタイプのエンジン

 Eタイプといえば高校生のころ、自転車に乗って旗の台にあったジャガーのディーラー、新東洋企業を訪ねたことがある。ショールームの外から見ているだけでは我慢できず、とうとう勇気を振り絞って、中に踏み込んでしまった。そこには第3回日本グランプリに出場した安田銀二選手のジャガー Eタイプがそのまま展示されていたからだ。よほど飽きずに眺めていたのだろう、営業マンがつかつかとやってきた。怒られるのかと思ったら、わざわざドアを開けて、高校生だった私をコクピットに座らせてくれたのだ。そりゃあ天にも昇る心持ちで、精緻なメーターやステアリング、いろんなスイッチに触れ、ガソリンと汗とオイルの混じった独特の匂いがするコクピットは感動ものだった。あれから半世紀以上経っても未だに忘れられないし、モータースポーツを絶対やろうと思ったのは、この時の出会いがあったからだと思う。ヒヨッコでもきちんと扱ってくれた新東洋企業の営業マンに大変感謝している。

高校生のころを思い出すジャガー Eタイプのコクピット

 メルセデス・ベンツの「300SL」も完全にレストアされていた。300SLといえばガルウィングドアだ。写真でしか見ることができなかったスーパースポーツをしげしげと見ることができたのは何年ぶりだろう。

ガルウィングドアが特徴のメルセデス・ベンツ 300SLもきれいにレストアされていた

 1980年代の時代背景と共に展示されていた各メーカーの日本車も懐かしい。背景写真から当時を振り返ると、そうだったのかと今さらながら思いを馳せる。

 オートモビル カウンシルのような場があるからこそ、新しいクルマを見直すことができ、まさに温故知新である。ほかにも国内外を問わず多くの名車に囲まれて、時間を超越したひと時だった。

 翌日はお台場で開催された「モータースポーツジャパン」で、「Legend of HONDA」と銘打った展示を見た。歴代のGPレーサーやF1マシンが展示されていたが、中でも心に残ったのは、やはりホンダ創世記のF1マシン「RA272」だった。当時のF1はスポンサーカラーではなくナショナルカラーに塗られており、英国はグリーン、イタリアは赤、フランスはブルー、そして日本はアイボリーに日の丸だった。空力の思想もほぼ入っておらず、ウィングが付くのはこの後の葉巻型3.0リッターF1世代に入ってしばらく経ってからだ。

 RA272のエンジンは1.5リッターのV12を横置きにしたもので、フェラーリはV12を縦置きに、そしてロータスはコベントリー・クライマックスV8を縦置きに積んでいた。思い起こせば当時の1.5リッター時代は各メーカーとも多気筒が常識で、システムもすべてメカ。電子制御の入る前だった。ホンダも初期はケーヒンのCRキャブレターを使っていたと思うが、12個のキャブレターを同調させるのはきっと大変な苦労があったと思う。

本田技研工業のF1マシン「RA272」

 しかし、精緻なメカニズムは眺めているだけで楽しい。ホンダは動態保存しているので、以前このエンジンの回る音も聞くことができたのは幸いだ。

 RA272はよく知られているように、1965年、1.5リッターフォーミュラの最後となるメキシコグランプリで、アメリカ人のリッチー・ギンサーがアメリカのタイヤ、グッドイヤーで初勝利を飾ったことでも知られている。日下部少年がこの快挙に躍り上がって喜んだのは言うまでもない。

RA272のコクピット。今のF1マシンとはまったく異なるシンプルさ

 一方で珍しいマシンも展示された。「ダイハツ P-5」である。第5回日本グランプリに出場し、モンスターマシンが闊歩する中、クラス優勝を収め、総合でも10位に入った小さなレーシングカーだ。確か前年は準備不足で予選落ちしたと思うが、翌年は雪辱を果たしたことになる。ダイハツらしい小さな1.3リッターエンジンは4気筒の自然吸気で140PSを出したとされ、当時のレーシングカーのスタンダード、鋼管スペースフレームにミッドシップ搭載された。わずか510kgのボディを活かして富士や鈴鹿などの国内レースで活躍したが、その後、数奇な運命を経て最近ダイハツ有志の手でレストアされた。

ダイハツ P-5

 苦労してエンジンも回すことに成功し、モータースポーツジャパンでは実際に走らせたようだが、残念ながらその音は聞きそびれてしまった。

P-5の生のエンジン音は聞きそびれてしまったが、そのエンジンサウンドを動画に収めた関連記事もある

 1960年代のコンパクトで本格的な“Made in Japan”のレーシングカーの注目度は高く、マニアならずとも興味津々だった。P-5が走った日本グランプリは耐久色が強く、見ている方も何が何だか分からずただ夢中だったが、日本中がきっとそうだったんだと思う。

 この日のお台場はチューリップ展を開催しており、折から満開の桜とヒストリックカーのコラボレーションは春らしい色彩に満ちていた。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。