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ダラーラ初の市販車「ストラダーレ」が鈴鹿サーキットを走行。マルコ・アピチェラ氏がドライブ

日本では2250万円(税別)でアトランティックカーズが販売予定

ダラーラ初の市販車「ストラダーレ」が鈴鹿サーキットを走行

 全日本スーパーフォーミュラ選手権 開幕戦「2019 NGKスパークプラグ鈴鹿2&4レース」が4月20日~21日の2日間にわたり、鈴鹿サーキットで開催された。2019年のスーパーフォーミュラでは5年ぶりに新型車となる「SF19」が投入され、新しいオーバーテイク・システムが導入されるなど、新時代にふさわしい、速くて追い抜きも可能なマシンに仕上がっている。

 そうしたSF19の開発、製造を担当したのがイタリアのレーシングコンストラクター「ダラーラアウトモビリ」。ダラーラはスーパーフォーミュラだけでなく、F1直下のF2、FIA-F3、アメリカのインディカー・シリーズなど多数のレースシリーズ向けのレーシングカーを製造しており、間違いなく世界一と言えるレーシングカーコンストラクターだ。

 そのダラーラの創業者であるジャンパオロ・ダラーラ氏は、26歳の時にランボルギーニで「ミウラ」の設計を行なったことでもよく知られており、以前から何度か市販車の製造に挑戦したが、その夢が叶うことはなかった。しかし、ついにその夢が実現し、発売されることになったのが「ストラダーレ」だ。ダラーラは日本でも発売する計画で、日本ではアトランティックカーズが販売する予定。

「SF19」を開発・製造しているダラーラが市販車を販売開始

 ダラーラは1960年代にランボルギーニでミウラなどの設計を担当したエンジニア ジャンパオロ・ダラーラ氏が1972年設立したレーシングコンストラクターだ。1980年代後半~1990年代に「マーチ」や「ラルト」「レイナード」といった他のコンストラクターを抑え、F3で寡占状態を実現。現在ではF3はもとより、F1直下のカテゴリーであるF2、インディカー・シリーズ、そして日本のスーパーフォーミュラなどでワンメイク車両を提供している。世界のフォーミュラカーレース、とくにF1を除くトップカテゴリーのほとんどはダラーラ製と言っても過言ではない。

 日本との関係でも、1999年にホンダが自社シャシーでのF1再参入を計画した時(後に第3期と呼ばれるF1参戦に向けて自社シャシー RA99を開発したが、結局はBARと組むことを選んでそのプランは破棄された)のテストシャシー製作を担当したのがダラーラだったりするなど、日本とダラーラの関係も深い。

 そのダラーラが日本でも販売を予定する市販車が、スーパーフォーミュラの開幕戦で日本で初披露されたストラダーレだ。ストラダーレは855kgという軽量のライトウェイトスポーツカーで、フォード「マスタング」に採用されている直列4気筒 2.3リッターのターボエンジンをミッドシップに配置するスタイルとなっている。

ストラダーレのテストドライバーを務めたマルコ・アピチェラ氏

 ダラーラアウトモビリ CEO アンドレア・ポントレモリ氏は「実はこの市販車というプロジェクトは7回もやっている。そのたびに日の目を見なかったのだ」とコメント。ダラーラの歴史の中で何度も自社ブランドの市販車にチャレンジしたそうだが、そのたびに自動車メーカーとの共同開発プロジェクトが始まってそちらにエンジニアが取られたり、新しいフォーミュラカーの開発が始まったりということが繰り返された結果、なかなか日の目を見なかったのだという。

 それでも、プロジェクトが何度も消滅し、復活するということを繰り返しながら続いてきた理由について、「ジャンパオロの情熱はすごかった。彼は26歳でランボルギーニ・ミウラを設計し、そこからいつの日か自分の名前が付いた市販車を公道で走らせたいという夢を持ってきた。このクルマにはそうしたジャンパオロの思いが反映されていて、シャシーはF1と同じ技術のカーボンファイバーで作られている。そのため855kgという軽量さを実現しており、かつ空力はダラーラの空力エンジニアによりハイダウンフォースが実現している。それにダブルウィッシュボーンのサスペンションを組み合わせることで、市販車としては考えられないほどコーナーリング時の性能が高まっている」とポントレモリ氏は語り、ダラーラが持つレーシングカーのノウハウが市販車のストラダーレにもふんだんに盛り込まれていると説明した。

 なお、ポントレモリ氏によれば、ストラダーレとはイタリア語でロードカー、つまり市販車という意味の言葉だということだった。

1994年の全日本F3000王者 アピチェラ氏がテストし、サーキットから公道まで快適に走れるストラダーレ

 そんなストラダーレをテストドライバーとして煮詰めたのが、日本のオールドファンにはおなじみのマルコ・アピチェラ氏。1994年の全日本F3000選手権(1995年にフォーミュラ・ニッポンに改称し、2013年からは現在のスーパーフォーミュラになっている日本のトップフォーミュラ選手権)王者であるアピチェラ氏は、日本に来たことを「ホームに帰ってきたような感覚だ」と表現。1992年に来日し、1994年の全日本F3000で童夢のオリジナルシャシーマシンを使ってチャンピオンを獲得している。当時の全日本F3000は、エディ・アーバイン氏やハインツ・ハラルド・フィレンツェン氏といった後にF1ドライバーになる有望な外国人ドライバー、さらに現在はTEAM IMPULの監督である星野一義氏などの日本人ドライバーが覇を競っており、その中での1994年のチャンピオンは今でも印象に残る活躍だったと言っていい。

ストラダーレについて語るアピチェラ氏

 そのアピチェラ氏は、自らが開発の初期段階から関わってきたというストラダーレについて「コンセプトは山道を快適に走ることができ、サーキットでは他の人をみな負かしてしまうというもの。2つのモードがあって、1つはハイパフォーマンスモード、もう1つが通常モード。公道でもロングランを快適に走ることができる。電気制御はあるけど、それらは基本的には安全性に向けたもので、ドライバーのフィーリングがダイレクトにクルマに伝わるように設計してある」とストラダーレの仕上がりについて説明した。

 ポントレモリ氏によれば、パワートレーンはマスタングに搭載されているエンジンがベースになっており、ダラーラとボッシュが共同開発をしたエンジンになるという。アピチェラ氏の言うとおり、300馬力のモードと400馬力のモードの2つのモードがある。最大トルクは3000-5000rpm時に500Nmとなっており、0-100km/h加速をわずか3.5秒で確実に加速することができ、サーキットでも公道でも気持ちよく走れるクルマを目指したという。

 日本ではアトランティックカーズがディーラーシップを獲得して販売を行ない、4月23日には東京で記者会見を行なう計画で、日本での価格は2250万円(税別)を予定しているとのことだ。

ダラーラ氏の“50年来の夢”が叶ったストラダーレのお披露目会

ストラダーレのリアビュー

 最後にポントレモリ氏はとっておきの話を教えてくれた。「すでに述べたとおり、市販車のプロジェクトは浮かんでは消え、浮かんでは消えという形になっていた。ある時、ジャンパオロが私の部屋に来て『アンドレア、今日から君がCEOだ。私にはもうやり残したことは1つしない、死ぬまでに自分の名前がついた市販車に乗ることだ』と言ったのだ。そこで私は『オッケー、ジャンパオロ、会社を代表して約束しよう。あなたの80歳の誕生日になる2016年11月16日に必ずその夢を実現しよう』と答えた。それから私たちはそれこそ死ぬ気で働いて、ジャンパオロの80歳の誕生日に会社の外に特設会場を作り、そこにマルコがドライブするストラダーレをジャンパオロの目の前に停めたんだ。とても感動的な瞬間だった」。

 50年以上前にランボルギーニやフェラーリの名前が付いた市販車を世に送り出し、評価を得て独立したダラーラ氏が、それから50年以上経って、自分の名前が付いたクルマに乗る瞬間がやってくる。きっとダラーラ氏にとって、人生で最も忘れられない日になったことだろう。