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富士24時間をBMW「M2 CS Racing」で走りきって感じた“レースの純粋な楽しさ”

堂々たるドライバーラインアップのBMW Team Studieの一員としてレースに参戦

 5月21日~22日にかけて開催された「富士 SUPER TECH 24時間レース」に、筆者はBMW Team Studieの一員として、M2 CS Racingで出場するという機会に恵まれた。

 アジアで唯一のBMWワークスチームが、このレースに狙いを定めた理由は2つあった。1つは20号車 SS/YZ Racing With Studie M4 GT4(山口智英/荒 聖治/坂本祐也 組)でST-Zクラスを戦い、クラス優勝すること。

 そしてもう1つはこの8号車 BMW M2 CS Racingを、日本のモータースポーツシーンにデビューさせることだった。

 そんな大舞台に選ばれたのは木下隆之/大井貴之/砂子塾長/東風谷高史という堂々たるメンツ。そしてどういうわけか、筆者のようなアマチュアドライバーがここに加えられたのであった。

 最初、その理由は皆目見当がつなかった。

 しかしそれこそMシリーズやレーシングパーツの開発などを行なっているM社とBMWが、このM2 CS RACING(以下、M2 CSR)に込めたコンセプトだった。M2 CSRはBMWが次世代に提案するクラブレーサー。それをスタディは、実際に体現しようとしたのである。

 世の中が急激なEVシフトへと舵を切り、一般公道でのモラルが厳格化されている昨今。それでもなおクルマを走らせる喜びを問い続けるBMWは、表現の場所としてサーキットを選んだ。

 そこでM社はM2 クーペの中でも最もハイパワーな仕様である「CS」(2020年に限定車として60台を発売)をベースにレーシングトリムを施し、M4 GT3、M4 GT4の下位に位置する入門用マシンを制作したのである。

 そして今後は日本でも、BMWディーラーからカスタマーへと、これをリリースする予定なのである。

 ちなみにBMWはM2 CSRの前身となるM235iやM240iでもニュルブルクリンク24時間やニュルブルクリンク耐久レース(NLS)でワンメイククラスを創設しており、M2 CSRでもこれを継続している。さらに今年からはDTMのサポートレースとして、若手ドライバーの登竜門カテゴリー「M2 CS RACING CUP」を開催している。さらに言うとSIMレーシングの世界では、すでに戦いの幕が切って落とされている。

 こうして若手からジェントルマンドライバー、果てはeスポーツレーサーまでまるっとアマチュアドライバーを面倒見ながら、モータースポーツの魅力を伝えていこうとしているのである。

参戦テーマは“生まれたままの姿”で、24時間を戦い抜く

 さてそんなM2 CSRの概要を少し説明すると、ひとことずばりそれは、M2 CSRのN1仕様と言えるレーシングカーである。

 搭載されるエンジンは3.0リッターの排気量を持つ直列6気筒ツインターボ「S55」。その出力値は世界中で開催されるレースの規則に合わせ、「パワースティック」と呼ばれるECUプログラミングの入ったメモリースティックで、360~450PSの範囲で調整される。

 そしてTeam Studieの8号車は、今回最もパワフルな450PS仕様を選択したことと、その排気量からST-1クラスに編入された。

 とはいえM2 CSRのキャラクターを考えるとST-1クラスへの編入は、正直適切なものとは言えなかった。なぜならその車重はおよそ1500kgもあり、ライバルとなるKTM クロスボウ GTXや、GRスープラと比べてパワー・ウェイト・レシオが極端に劣るからである。

 M2 CSRは、前述した通りアマチュアドライバーたちのためのレーシングカーだ。よってベースモデルであるM2 CSに組み込まれたカーボン製のパーツたちは、全てスチールや樹脂製パーツに置き換えられていた。それは万が一のクラッシュやアクシデントでパーツを破損しても、交換コストを抑えるためである。

 またその足まわりも、コストや調整のシンプルさを狙って、ダンパーが伸び/縮み同時調整式の1wayタイプとなっている。ウイングだって5段調整式にはなっているが、小ぶりなサイズゆえに大きなダウンフォースは期待できない。

 ST-1は市販車をベースに改造が許されるクラスであり、もともと戦闘力の高いKTMは別にしても、mutaracing GRスープラなどは独自の車両開発を行なっている。かたやTeam StudieはM2 CSRが“生まれたままの姿”で、24時間を戦い抜くことをテーマとしていたから、例えばそこにカーボン製のボンネットやドアなどを組み込むことは、可能でも行なわなかった。

 そうは言ってもM2 CSRのポテンシャルは、筆者にしてみれば驚くほどに高かった。

 その要となったのは、まずボディ剛性の高さだ。ドライバーの命を守るために張り巡らされたロールケージは、M2クーペのボディを別物と言えるほど堅牢に作り替えていた。そのおかげでスリックタイヤを履いた状態でも、シンプルなその足まわりを柔軟に伸縮させることができ、450PSのパワーでも安心してこれを操ることができた。

 特に関心したのは、Mダイナミックモード(MDM)のきめ細やかな制御だった。というのも筆者は最初のスティントで、今回レース中では唯一となったレインコンディションに遭遇。スリックタイヤのままこれを走りきるという恐怖の体験をしたのだが、ここでMDMが絶妙にスタビリティを確保してくれたのである。

 ドライバーがバランスさせる限りは後輪のスリップアングルを許容し、滑りすぎた段階でこれをうまく調整してくれたから、終始レースに集中することができたのだ。

 タイムを出すのは決して簡単ではないけれど、サーキット走行経験者であれば絶対に運転できる。その挙動にピーキーなそぶりは全くないから、思い切ってトライができる。だから筆者も、最初のスティントを終える頃には1分52秒台中盤をマークして、真の意味でチームメイトの仲間入りをすることができた。

 またそのストレートが、胸のすく速さだった。

 最終コーナーを立ち上がったM2 CSRは、ラップタイムで最大4秒近く速いGTZクラスのマシンたちをパスして行く。もちろんブレーキングでは逆転されるからターンインでは道を譲ることになるのだが、マシンをいたわらないでいいなら250km/hは楽勝。この速さと立ち上がり加速のよさは、耐久レースを走る上で大きな武器となった。

チームとドライバーが一体となり、24時間を走り抜いた先には……

 肝心なレースは、最高の結果となった。

 当初1時間しかもたないと予想していた燃費は、ドライバーとエンジニアの連携によって予想以上に伸びを見せた。1コーナーとBコーナー、最も負荷の大きな場所ではブレーキをいたわり、縁石は可能な限り乗らない。こうした走りを全員が根気よく続けた結果、想定通りのタイムを刻んだままタイヤをもたせることができ、1スティントあたりの周回数が増やせたのである。

 もちろんその陰には、ハラハラするような場面もあった。筆者の場合は雨のスリックがそうであったし、なおかつ2回目の出番となった翌朝のスティントでは、走り出しからエンジンが高回転まで吹け上がらなくなった。次のスティントでエンジンを切ると、その症状は2度と出なかったから、何らかの誤作動で制御がリタードされたのだろう。

 また終盤には駆動系に若干の違和感が感じられ、大事を取って筆者と東風谷選手のスティントが、ベテランドライバーである大井選手と砂子選手に託された。

 チームはこうした不安要素に万全のシフトを敷いて、最後のバトンを木下選手に渡した。そして695周を走りきり、8号車 BMW M2CS RACINGはクラス3位・総合12位でチェッカーを受けたのである。

 それは本当に、夢のようなレースウィークだった。

 SUPER GTを戦うチームの一員として、プロユースの体制を体験できたことは一生の記念だ。しかしそれと同じかそれ以上に、純粋にレースが楽しかった。Team Studieのスタッフは誰もがみんな一生懸命で、苦しいときも眠たいときも笑顔を絶やさず、心からレースを楽しんでいた。

 木下、大井、砂子選手はご存じの通り歴戦のプロフェッショナルであり、東風谷選手は昨年S耐でM4 GT4を1シーズン走らせたドライバーだ。そんな中で1人青ざめていた筆者に「楽しもうぜ!」と木下選手はウインクし、大井師匠は終始ドライビングの面倒を見てくれた。

 プロフェッショナルがその経験をもって、アマチュアを導いてくれるそのプロセスには、スーパー耐久というレースの本質が見て取れた。そしてレースにおいてその刺激的な速さを、駆け抜ける喜びにまで昇華してくれたM2 CS RACINGのポテンシャルにも、BMWのスピリッツを感じた。

 モータースポーツは速さやリザルトばかりが一人歩きするけれど、やっぱり“人”が行なうスポーツなのだ。そしてこの感動をより多くのクラブマンたちに知ってもらうために、BMWはM2 CS RACINGをデビューさせたのだと思う。

 僕たちはその大役を、見事に果たすことができたと思う。