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藤島知子のシビック TYPE R「スーパー耐久 2021 富士24時間レース」参戦レポート

2021年5月21日~23日 開催

シビック TYPE Rで「スーパー耐久 2021 富士24時間レース」に出場

ホンダ社員で構成する「Honda R&D Challenge」チームから参戦

 5月21日~23日、富士スピードウェイで「スーパー耐久シリーズ 2021 Powered by Hankook 第3戦 NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース」が開催された。

 スーパー耐久シリーズは、1991年から国内外の市販量産車をベースとした多種多様なマシンたちが競い合ってきた歴史をもつ日本最大級の耐久レース。世界で活躍した経歴をもつプロドライバーからアマチュアまでが同じフィールドでレースに挑む。マシンはレースカーの規格やエンジンの気筒容積、駆動方式などに応じて9クラスに分類され、2021年の富士24時間レースには52台のマシンがエントリーした。

 このところ、スーパー耐久シリーズはレースチームが速さを競うだけでなく、クルマや人を鍛える場として活用されてきている。中でも、今回の24時間レースで注目されていたのは、ST-Qクラスにエントリーしたルーキーレーシングのトヨタ カローラスポーツ。水素を燃料として走るエンジンを搭載した開発車両だ。クルマが地球環境と共存する上で、カーボンニュートラルの実現に向けて、世界の自動車メーカーがクルマの電動化に大きく舵を切る中、トヨタは過酷な耐久レースの場を通して、内燃機関を存続させる可能性を探ってみせていた。

 コロナウイルス感染予防対策として、レースウィークのパドックの入場者は、参加チームの関係者や報道陣に限られていた。スーパー耐久シリーズは、全国各地のコースで数時間のレースで開催されているが、24時間レースでは長時間の戦いに備えて、ドライバーの人数を4名から6名ほどに増やしているチームが多い。パドックでは、久しぶりにチームに復帰するドライバーがあいさつを交わしていたほか、初めてこのレースに参戦するドライバーも少なくない。そして、筆者である私も、実は20年ほど前からこの舞台で走ることに憧れを抱いていた1人。とあるチームの一員として、今回の富士24時間レースに参戦するシートを得たのだ。

 そのチーム名は「Honda R&D Challenge」。Car Watchではこのチームのレースレポートを度々掲載していたので、ご存知の方もいるかもしれないが、本田技研工業でシビック TYPE Rの開発に携わったメンバーや人材育成担当ら、有志のメンバーが集まって、おのおのが自費でレース活動に参加しているプライベートチーム。ホンダのDNAであるモータースポーツ活動を通じて、スポーツカー開発への知見を養い、人を育てる活動として、スーパー耐久には2019年からスポット参戦を続けてきた。2021年3月にツインリンクもてぎで開催された雨の開幕戦では、強豪のヤリス勢やWRX、ランエボの4WD勢と争いながら、唯一のFF車でST-2クラス第3位を獲得。徐々に実力を高めてきていることを見せつけた。

 シビック TYPE Rは2.0リッター直噴ターボエンジン×6速MTを搭載したモデルで、ニュルブルクリンク北コースでFF車最速タイムをメガーヌ ルノースポールと共に競い合うことでも知られる量産車だ。ちなみに、ゼッケンの「743」は北コースを7分43秒で駆け抜けたタイムに由来している。

 今回の24時間レースでは、私たちのチームは6名のドライバーでタスキを繋いだ。チーム代表でニュルブルクリンクのドライビングインストラクターを務める木立純一氏、パワーユニット戦略グループの石垣博基氏、シビック TYPE Rの開発責任者の柿沼秀樹氏、ホンダ車オーナーであり、プライベーターとして参加型のレース経験が豊富な山本謙悟氏、ニュルブルクリンクの24時間レースやスーパー耐久シリーズでクラス優勝経験をもつモータージャーナリストの桂伸一氏、そして、紅一点としてモータージャーナリストの藤島知子が参加した。

「MM思想」を突き詰めた究極の姿がシビック TYPE R

Honda R&D Challengeは6名のドライバーで構成

 私自身、普段は後輪駆動のレース車両で12周程度のスプリントレースに参戦しているが、耐久レースで数多くのドライバーとシートを共有して走るのは初めての経験。このチームが置かれた条件下で最善の結果を得るためには、情報共有が欠かせない。それぞれのドライバーが走って得た感想を聞いて、自分が得た印象と重ね合わせてクルマの特性を確認する。

 そもそも、普段はさまざまなバックグラウンドをもつ立場のメンバーが集まっているから、同じクルマに触れていても着目しているポイントや話しぶりが異なるあたりが面白い。例えば、シビック TYPE Rの開発責任者の柿沼氏はサスペンション開発に携わってきた経歴の持ち主。実際に起こったクルマの挙動に対して仮説を立て、次のセットアップを提案してみせたり、時にはチームクルーと一緒に自らの手を動かして足まわりの交換作業を行なったりすることもあった。

 さまざまなレースカーで走ってきたS2000オーナーの1人である山本氏は、自分自身のドライビングを検証しながら、レベルアップを目指して取り組む努力家。「シビック TYPE Rは昔のクルマと比べてハンドルが軽く、トルクステアが出る感覚が分かりづらい」と率直な意見を投げかける。それに対して、若手のころから車両安定性能を研究してきた柿沼氏は、現代のFFのハイパフォーマンスモデルは、ハイパワー化によってバランスの限界に来ていた経緯について語ってくれた。

 路面から受けたトルクを1:1でステアリング側に伝えてしまえば、ドライバーは320馬力/400Nmもの力をとても受け止めきれない。そのため、不用意に外乱を伝えないようにステアリングのタフネス性を高め、ドライバーが自然に操作できるレベルに仕上げてきたという。FFの場合、舵取りと駆動力を路面に伝える役割を担うため、フロントタイヤの負荷が大きいはずだが、確かにこのシビック TYPE Rでサーキットを走ってみると、コーナリングの最中に激しいキックバックやトルクステアに振りまわされるそぶりを見せたりしない。こうしてストレスなく走り続けられることは、彼らの努力の積み重ねの上に成り立っているのだと気づかされる。

 私たちのマシンはST-2クラスに分類され、GRヤリスやスバル WRX STI、三菱自動車 ランサーエボリューションといった4WD勢と同じクラスで戦う。唯一のFF車として、耐久レースにおけるポテンシャルも気になるところだ。30年前の時代と比べて、シビック TYPE Rはずいぶん立派なクルマに進化した。スポーツカーの駆動方式はさまざまだが、柿沼氏によれば、ホンダにとってのFF車はホンダのフィロソフィに息づく「MM思想(メカは小さく、人のための空間は広くとる設計思想)」に基づいて進化してきたものであり、それを突き詰めた究極の姿、最大の進化形がシビック TYPE Rなのだという。

 また、FFのパッケージを前提に車両運動性能を突き詰めたクルマとしては、CセグメントのFF車が世界の頂点にあり、フォルクスワーゲン ゴルフやルノー メガーヌの走行性能がそれを実証している。例えば、クルマがもっと大きく重くなれば、フロントタイヤの負荷が大きくなり、ひとクラス小さいBセグメントのコンパクトカーではパワーが足らない。つまり、4WDの方がトラクションは優れていたとしても、ウエイトが増す。4WDモデルが「ニュル最速」と謳っていないのはそのためだ。

 そうした意味で捉えれば、FFのシビック TYPE Rは4WDと比べた時の車体の軽さと運動性能、パフォーマンスを磨き上げたパワーユニットである点を踏まえれば耐久レースで勝機が訪れる可能性はあるのだ。

 ちなみに、マシンの仕様はレース専用にガチガチに造り込むことはせず、あえて量産車に近い状態にとどめている。ベースとなるのはドイツ仕様の左ハンドルの6速MT車で、レースに必要な装備として、内装を取っ払ってロールケージを組み込み、バケットシート、6点ベルト、燃料の安全タンク、音量規制に適合するマフラー、ホイールサイズを18インチにサイズダウン。耐久レースに耐えるブレーキシステムや冷却効果が得られるスリット入りのボンネットに変更しているものの、エンジンルーム内は完全にノーマルの状態だ。速さを求めるなら、レースに適したパーツに交換するのが手っ取り早いが、基本的には量産車に近い状態でレースに臨むことで、このクルマのポテンシャルを探り、進化できる箇所や方向性を探ることができるという。

シビック TYPE Rはドイツ仕様の左ハンドルの6速MT車がベース。エンジンはノーマル

24時間レースで得たもの

 走行の合間の時間は、レース以外にも多岐にわたる話題に触れて語り合った。ニュル24時間やS耐で経験を積んできたモータージャーナリストの桂さんからは、「24時間レースは、ドライバーは走っていない時に眠るのも仕事のうち」など、体験談に基づく貴重なアドバイスをもらった。

 夜間のテストも終えて、あっという間に金曜の予選日がやってきた。しかし、梅雨入りするかどうかという不安定な天候に見舞われたことで予選は中止に。決勝レースは、今季のこれまでのランキング順で出走になることが告げられた。

 土曜日の昼下がり。グリッドにマシンを並べて撮影を終えると、15時にローリング形式でレースがスタートした。先の長い耐久戦ということもあって、各車は無理をせずまわりの様子をうかがいながら、マシンを前に進めていく。

 ここまでは問題なくスタートを切った私たちチームのマシン。スタートドライバーを務めた石垣氏は、クラス2番手までポジションを上げながら順調に走っていた。ところがそのさなかに、走行モードが「+R」に入らなくなり、エンジンのチェックランプが点灯しているという一報が無線で入ってきた。マシンは緊急ピットインを余儀なくされてしまう。

 ピットにマシンを入れると、ボンネットを開けて、プラグの状態をチェック。イグニッションコイル、バッテリーなど、パーツを換えてはエンジンを掛けてみたりしながら、トラブルシューティングを行なう。しばらくすると、エンジンハーネスの断線が疑われ、エンジンを降ろすことになった。ただし、必要とするハーネスはサーキットに持ち込んでおらず、栃木から運んでもらうことに。とはいえ、原因は完全に特定できているワケではなく、やってみないと分からない。

エンジンのチェックランプが点灯するトラブルで緊急ピットイン

 19時すぎになると、パーツを積んできてくれたスタッフが到着。止まった時間を少しでも取り戻すべく、皆が一斉に作業に取りかかる。

 ピットクルーはシビック TYPE Rの開発に携わるデータエンジニアやシャーシ開発の専門家のほかに、ホンダ社内のさまざまな部署に務めるメンバーが集まってきている。聞くところによれば、エンジンのバラシや組み上げは、普段の開発におけるプロセスでは専門部署が行なっているため、クルマ1台分に触れる機会はないそうだ。ただし、レースの現場では、個々の力やチームワークが試される。レースメカニックの目線から彼らをフォローするターマックプロの川口さんによるアドバイス、クルマづくりの専門的な知見を生かしながら作業を分担していく。

 深夜の1時2分。飲まず食わずで作業に没頭していたクルーたちの頑張りで、マシンはコース上に復帰。私たちの止まってしまっていた時計が再び動き出した。マシンの状況をチェックするため、最初のドライバーが再びハンドルを握ったが、同じクラスのライバルであるヤリスやWRXと比べても同等のラップタイムを刻んでいる。調子は上々だ。

クルーたちの頑張りでマシンはコース上に復帰することができた

 2時すぎに木立氏にドライバーチェンジ。給油とフロントタイヤの交換を行なう。夜間の走行は見通しがわるく、遅いマシンをパスしながら走ると同時に、速いマシンが背後に迫っていないかと、常に意識して走らなければならない。ニュルのドライビングインストラクターを務める木立氏は、ピットが指示したとおりのタイムを正確に刻み続ける。自動車メーカーの開発ドライバーは走行中に起こる事象を冷静に分析し、フィードバックする役割を担うが、そうした場で鍛えられた彼らのすごさを見せつけられた。

 3時すぎになると、3人目のドライバーである山本氏が乗り込んでコースに出ていった。突貫工事で載せ換えたエンジンは、いきなり全開走行となるだけに、途中で冷却水漏れが見つかる。インタークーラーのホースのズレが生じていたため、対処をしてコースに復帰。

 まもなく5時を迎えるタイミングで、柿沼氏にドライバーチェンジ。ナイトセッション終了が宣言され、朝日が昇り始めた。ここまで大きいトラブルはなく走っていたが、しばらくすると、エンジンが6000rpm以上まわると振動が出るという情報が入り、回転を抑えて走る。

 5人目となる桂氏にドライバーチェンジして、マシンは再びコースへ。しばらくすると、エンジンがバラつく症状が段々と低い回転で起こるようになっていた。ペースを抑えて走行していたものの、途中で止まってしまってはマズいと、緊急ピットイン。診断機をかけたところ、失火の信号を拾っているという情報が。時刻は7時19分。またもやスタート直後の悪夢がデジャブのようにして蘇る。

 24時間は長い。耐久レースにおいては復帰するチャンスが与えられているものの、クラストップの周回数の70%をクリアしていないと完走扱いにはならない。このままトップのマシンが順調に周回を重ねれば、私たちに勝負権はないが、ここで諦めるワケにはいかない。ピットクルーの頑張る姿に願いを込めて、どうにか復帰することを願う。

 時間はすでにお昼前だったのだろうか。「もうダメかもしれない」という思いがよぎり始めたころ、突然エンジンが掛かった。ピット内で拍手が沸き起こった。

「藤島さん、準備をしておいてください」

 アイドリングを調整して、チェックを終えると6人目のドライバーとなる私がマシンに乗り込み、シートベルトと無線の装着をサポートしてもらう。夜通しで走り続けているマシンの波に紛れ込むのかと思うと、少し緊張を覚えたが、もはや余計なことを考えている場合ではない。コースインの際、問題なく走行モードが「+R」に入ったことを無線で伝え、水温計の温度を定期的に報告しながら走行を続けていく。

 コースサイドには、タイヤカスの塊が散らばっている。万が一、それらを自分のマシンのタイヤで拾ってしまうと、高い車速域からのブレーキングで途端に姿勢を崩すこともあるので、踏まないように用心しながら走行ラインをキープして走る。エンジンは高回転まで引っ張ると水温が上昇し始めるため、シフトは1つ上のギヤに早めに叩き込み、アクセルペダルに込める力を少し緩めて調整を行なう。24時間後のチェッカーまで走り続けることが最優先。私は47ラップのロングスティントを走りきって、山本氏にタスキを繋いだ。

 その後、マシンは順調に周回を重ねていき、最終ドライバーを務める桂氏にバトンタッチ。15時のチェッカーまであと少しだ。このあたりでは、気温が上昇してきたこともあり、アクセルペダルを踏み続けると水温が上昇し始める。桂氏はアタックしたい気持ちを抑えながら、ピットの指示に従う形で最後まで走り続けた。

 私たちのマシンは止まっていた時間が長かったことから、規定周回数を満たなかった。結果的にリザルトには順位が付かなかったが、チームにとっては初めてチャレンジした24時間レースとなった。どんなトラブルが待ち受けているのかという不安の中、根気強く故障の原因を探求し、再びマシンをコースに復帰させてみせたことは、クルーたちにとって自信に繋がっていったのではないだろうか。

 レース後、スタッフの1人から「顔に泥を塗ってしまって申し訳ない」という文面のメールをもらったが、私は微塵もそんな風に思わなかった。なぜなら、このチームのゴールはホンダの一員としてチャレンジング・スピリッツを養うこと。そこで得た経験を個々の立場で生かし、思いを受け継いでいくことだからだ。

 24時間に及ぶ耐久レースがチャレンジの場であったことは、全てのチームにとって同じだと思う。注目されていたルーキーレーシングの水素エンジンのマシンは、夜中にピットストップする事態に見舞われていたが、彼らも最後まで走り続けた。チャレンジすることにはリスクが伴い、エネルギーを要する。今回の挑戦では、トヨタ社長自らが責任を負うとしながら、今回のレースで将来の内燃機関の可能性にかけた挑戦を行なったことは、多くのファンの心を動かした。

 一方で、シビック TYPE Rのチームがおのおのの意思で集まり、彼らが休みの限られた時間を使って手弁当で挑む姿は、トヨタの取り組みとは対照的に映った。かつて「レースは走る実験室」として、クルマと人を鍛え、F1で栄光の時代を築いてみせたのは、ホンダ創業者である本田宗一郎氏。皮肉にも、いまやトヨタがそれを実証してみせようとしている。自動車文化は成熟し、クルマを取り巻く環境はものすごいスピードで変化している。こうした激動の時代に魅力的な何かを提供する強さを得るためには、こうした真剣勝負の場を通して、クルマや人が鍛えられる環境に身を置くことが求められると思う。会社の方針とは別のところで散らばっている小さな火が、いつか大きなエネルギーに変わっていくことを願っている。