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「僕の経験してきたことを若手に伝えたい」26年の現役活動を終えたトライアル藤波貴久“監督”の思い

藤波貴久監督が26年の選手生活を振り返った

 FIMトライアル世界選手権に長年フル参戦してきた唯一の日本人ライダーである藤波貴久選手が2021年、その現役生活に幕を下ろした。2004年にはシリーズチャンピオンを獲得するなど、トップライダーとして世界の第一線で活躍し続け、重ねた年月は26年。新型コロナウイルスの影響で日本でのレース開催がかなわず、最後の勇姿を国内で見ることはできなかったが、11月27日にモビリティリゾートもてぎで行なわれたイベント「Honda Racing THANKS DAY 2022」では、現役時代を彷彿とさせる力強い走りをファンの前で披露した。

 選手としての活動は終えたものの、2022年シーズンからは、自身が所属していたRepsol Hondaチームの監督に就任し、チームメイトだったトニー・ボウ選手と若手のガブリエル・マルセリ選手を率いるという新たなチャレンジに取り組んでいる。27日のイベントでは同氏の記者会見が開かれ、改めて26年間の振り返りと、チーム監督としてのこれからの活動について語った。

11月27日の「Honda Racing THANKS DAY 2022」で大ジャンプを見せる藤波氏

トニー・ボウ選手に「心底勝てないと思った」ことが引退のきっかけに

会見に臨む藤波貴久監督

――2021年に26年間の選手としての活動を終えた、その率直な感想を教えてください。

藤波監督:第一に、1996年から世界戦をホンダさんとともに戦うことができたこと。まさか僕も26年もの長い間、世界で戦うなんて思っていなかったんですけども、26年目、昨年(2021年)の引退のシーズンで優勝することもでき、僕にとっては悔いの残らないようにシーズンを終えることができたので、本当にすごく満足です。

 たくさんの思い出がありますが、今となっては2004年にホンダさんと一緒にチャンピオンを獲れたのが最高の思い出かなと思っています。日本グランプリが(初めて)開催されたのが2000年。僕はランキング2位で、チャンピオンをどうしても取りたいという思いがすごく強くて、それでもなかなか取れないシーズンが続いたんですけど、このもてぎで2004年に土曜日と日曜日、両日とも優勝して世界チャンピオンになれたのは思い出深いです。

――2022年は監督としてレプソルチームを率いてきました。この1年間を振り返ってみていかがですか。

藤波監督:おかげさまで僕がいたトライアルのチームでそのまま監督になることができました。メールや電話(のやりとり)だったり、スポンサーさんへの対応だったり、ライダーのときはすることのなかった仕事がすごく増えたので大変でしたが、チームが一丸となって、トニー・ボウがチャンピオンになり、新しく入ったマルセリ選手もランキング5位を獲得し、今シーズンは僕にとっても最高のシーズンだったのかなと思います。

2019年の日本グランプリ、もてぎで走る藤波選手

――26年間という長い期間、選手として続けてこられた秘訣があれば教えてください。

藤波監督:26年という数字を見るとすごく長い期間戦っていたなと思うんですが、毎年毎年、本当に1日1日を大事に走っていました。トータルで見ると26年ですけど、本当に日々楽しくバイクに乗れていたのが、長く続けられた秘訣かなと思っています。

――1996年にデビューし、2021年に引退というのはバレンティーノ・ロッシ選手と同じです。ロッシ選手の引退が自身の引退にも影響した、というようなことは?

藤波監督:僕は2020年のシーズンを終えた段階で、(2021年をもって)引退しますとホンダさんにもお伝えしていました。(直後の)2021年の開幕戦で優勝できて、ホンダさんからも「どうしますか?」と声をかけてもらったんですが、僕の中で決意は固まっていて、優勝して現役を終えるのも最高だなと思えた。バレンティーノとは(引退は)同じ時期になったんですけど、(最終年は)バレンティーノより上のランキングで終えられたのでよかったなと思っています(笑)。

2019年の日本グランプリは1日目、2日目ともに3位表彰台を獲得。優勝はチームメイトのトニー・ボウ選手(中央)だった

――引退のきっかけ、決め手は何だったのでしょうか。

藤波監督:チャンピオンを目指して世界選手権をずっと戦っていたんですね。ランキングも3位だったり5位だったりをずっと経験していて、でも僕の中ではまだまだ勝てるという気持ちがあったので続けてきたんですけど、2020年を終えて、僕の中で優勝から遠ざかっていたこともあるんですが、チャンピオンにはなれないのかなと(感じた)。レースではまだまだいけると思うところはあったんですけど、トニー・ボウと一緒に練習をしていて、彼にはかなわないなというのを実感したので、そこが引退の決め手になったのかなと。

 2021年に優勝できて、まだまだいけるなという気持ちもあったけれど、でもトレーニングで自分の実力が分かった。トニーのすごさは5年も10年も前から分かっていたんですが、まだまだ勝てる、彼には勝ちたいっていう気持ちがあったんですけど、2年くらい前に彼には本当に心底勝てないな、っていうふうに思ったので。

トニー・ボウ選手と同じレプソルカラーのユニフォームで肩を並べる風景も、見納め

若手選手のための環境作りをサポートしていきたい

――今後挑戦していきたいことはありますか。

藤波監督:ライダーからは退いて、そこは今年の段階で自分の中でもすごくいい切り替えができています。今は教える立場。MotoGPのマルク・マルケスも、他の(カテゴリーのトップ)ライダーも、考えていることは同じなんですよね。なので、僕が経験したことを、いろいろなカテゴリーのライダーにも共有できたらなと思っています。今はトニーとマルセリがワンツー(でシーズンを終えること)、それが僕にとっての一番最初の目標だと思っています。アスリートとして他のカテゴリーで走るようなことは全く考えていないです。

「Honda Racing THANKS DAY 2022」でマルク・マルケス選手とハイタッチする藤波氏

――藤波選手の後に続く、世界を戦っていける日本人のトライアルライダーがまだ出てきていないように思います。日本人の若手選手の育成について考えていることはありますか。

藤波監督:日本人選手も含め世界のライダーを、モンテッサ、ホンダ、HRCとともに育成していこうと僕も考えていて、来年(2023年)は「モンテッサ・タレントチーム」というものを作り、そこに若手のライダーを入れて世界選手権に参戦させる計画を今立てています。日本人ライダーが入る可能性もありますし、他の国のライダーが入る可能性もありますが、この先そういう育てていく環境(づくり)を助けていきたいなと思っています。

 自分はホンダさんに助けていただいたんですけど、ほとんど個人(での活動)だったんですね。ファミリーで世界を転戦して、すごく大変な思いをした。それ(厳しい環境)も力にはなるんですけれども、それ以上に練習面など、レースに集中できる環境を整えたい。自分の経験を活かすことができると思うので、来年からはタレントチームにも協力していきます。

「Honda Racing THANKS DAY 2022」でファンに「選手」として最後のあいさつをし、声援に応える藤波氏