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ブリヂストン、モータースポーツ活動60周年 石橋秀一CEO「60周年を機にタイヤ-メーカーとしての原点に」

株式会社ブリヂストン 取締役 代表執行役 Global CEO 石橋秀一氏

モータースポーツ活動60周年を迎えたブリヂストン

 ブリヂストンは3月10日、富士スピードウェイホテルにおいてモータースポーツ活動60周年を祝うイベントを行ない、2023年のモータースポーツ活動概要などを発表した。登壇したブリヂストン 石橋秀一CEOは「弊社のモータースポーツ活動は、極限へ挑戦することを通じて、ビジネスパーソンやエンジニア、そして技術を育てるものだ。そうした挑戦を経て、グローバルブランドへと成長してきた歴史がある。弊社は20年代を第3の創業期と位置づけており、サステナブルな企業になることを目標として掲げており、この60周年を機にタイヤ-メーカーとしての原点に立ち返り、モータースポーツ文化の発展を支えるのと同時に、サステナブルなモータースポーツ活動を実現していく」と述べた。

 ブリヂストンは、会場にリサイクル率が70%に達するGT用のタイヤや、同じくリサイクル率が50%に達する2輪レース用タイヤなど、開発中のサステナブルタイヤの展示を行ない、注目を集めた。

再生可能素材70%のGT用試作タイヤ。従来のレーシングタイヤと遜色ない性能が実現されていると説明

ブリヂストンの歴史は日本のモータースポーツの歴史、1963年の第1回日本グランプリから60年

鈴鹿サーキットで行なわれた第1回日本グランプリからブリヂストンモータースポーツの歴史は始まっている
国内メーカーとして初めてのグランプリ制覇(第4回日本グランプリ)

 ブリヂストンが最初にモータースポーツに関わったのは、1963年と今から60年前。1962年に完成したばかりの鈴鹿サーキットで行なわれた「第1回日本グランプリ自動車レース」が最初のレースとなっている。日本最高峰のレースという意味で、「日本グランプリ」という名称がつけられていたレースになる。

 今回のイベントではモータースポーツ活動のビデオが流されたが、富士スピードウェイで行なわれた「第4回日本グランプリ自動車レース」でブリヂストンは国内メーカーとして初優勝を遂げたことが紹介されている。

F1世界選手権 in Japan
日本で初めてのF1で3位を走行

 1976年に初めて日本で行なわれた「F1世界選手権 in Japan」(当時、「グランプリ」の名称は、前述の流れを汲む日本グランプリに使われていたため)にも、ブリヂストンは参戦した。このレースは映画「RUSH」で取り上げられたように、豪雨の中でニキ・ラウダとジェームス・ハントが激しいチャンピオン争いをして、豪雨の中でラウダはレースを放棄し、最後にハントが3位に入ることで、逆転でチャンピオンを決めたレースとしてよく知られている。

 そのレースに星野一義氏(当時は選手)はティレル007という旧型車両とブリヂストンタイヤで参戦し、大雨の中でブリヂストンのレインタイヤを履いて一時3位に浮上する大活躍を見せたのだ(このことがブリヂストン=雨に強いというイメージを確立するのに貢献した)。

全日本F2で7度の制覇
欧州F2に参戦

 その後、ブリヂストンは国内レースの最高峰であるF2やF3000に参戦し多くの勝利やチャンピオンを得たほか、1980年代前半には欧州F2選手権に参戦して、ラルト・ホンダとともに競合のミシュランやエイボンといった欧州のメーカーを破ってチャンピオンを獲得した。

ル・マン24時間レースに挑戦
DTMに挑戦

 1980年代後半から1990年代にはさらにグローバルな活動を行なうようになった。ドイツのDTMに参戦したほか、ル・マン24時間レースのような耐久レースに参戦した。

インディカーへの挑戦
インディ500の優勝

 1997年からはF1世界選手権に参戦し、1998年にはその年限りで撤退を発表していたグッドイヤーとの壮絶なバトルを制してチャンピオンを獲得した(F1にはワンメイク時代になった2010年まで14年にわたって供給が続けられた)。

 また、1995年からは買収したファイアストンのブランドを活用して、インディカー(CARTに1994年から、IRLには1996年から参戦)。参戦初年度に2勝を挙げ、翌年にはCARTでシリーズチャンピオンを獲得し、IRLではインディ500で初優勝を実現するなど成果を残した。その後、競合が撤退したことでワンメイクタイヤとして、現在にわたるまでシリーズを支える存在になっている。

MotoGPへの挑戦
ホンダで初優勝
SUPER GT
ニュルブルクリンク24時間レースへの挑戦
ソーラーカーレース

 2輪レースでは1997年からMotoGPへの参戦を開始し、国内では現在のSUPER GT(当時は全日本GT選手権)にタイヤを供給し続けており、トップカテゴリのGT500では2016年から2022年まで7連覇を達成するなどの結果を残している。

モータースポーツ文化の発展とサステナブルな技術開発

 そうした輝かしい歴史を持つブリヂストンのモータースポーツ活動の60年だが、石橋CEOは「モータースポーツの歴史、常に技術的な優位を証明するために行なわれ、極限の競争の中で研ぎ澄まされた技術が、市販タイヤに反映されるという形で行なわれてきた。ブリヂストンの歴史もこれに重なっており、そうして開発してきた技術が日本やアジアのモータリゼーションを支え、そして1988年のファイアストンの買収によりグローバルブランドとして成長していった。当社の成長は日本モータースポーツの進化とともにある」と述べ、モータースポーツに参戦してきたのは、極限の中で技術を研ぎ澄ますためであり、その活動を通じてブランドを確立するためだったと説明した。

極限への挑戦
日本、アジア、グローバルへ安心安全な移動を支える
タイヤは生命を乗せている
極限の状況で安全安心を守り、クルマの動きを支える挑戦

 その上で「弊社の思いは“タイヤは命を乗せている”ということであり、極限の中でも安全安心を守り、タイヤの働きを支える挑戦をしてきたい」と述べ、安全安心こそが一番大事なことであり、それを実現した上での競争ということをブリヂストンは重視していると強調した。

1960年代
1970年代
1980年代以降
ポテンザ誕生
バトラックス誕生
1995年
1990年代
1990年代以降
ブリヂストンモータースポーツの歴史

 石橋CEOはブリヂストンのモータースポーツの歴史を振り返りながら自身がもっとも印象的だったシーンとしては「ブリヂストンの技術をファイアストンに注入し、1995年にインディ500に復帰して、低迷していたファイアストンブランドをインディに復帰させることができた。そのことがファイアストンとブリヂストンをつなぐ経営体制の基盤となっている」と述べた。

これからのモータースポーツ活動はサステナブルな技術開発に
サステナブルなソリューションカンパニーに
アジャイルでサステナブルなモータースポーツ活動により人や技術を育てる

 石橋CEOは「弊社のモータースポーツ活動は、極限へ挑戦することを通じて、ビジネスパーソンやエンジニア、そして技術を育てるものだ。そうした挑戦を経て、グローバルブランドへと成長してきた歴史がある。弊社は20年代を第3の創業期と位置づけており、サステナブルな企業になることを目標として掲げている。この60周年を機にタイヤメーカーとしての原点に立ち返り、モータースポーツ文化の発展を支えるのと同時に、サステナブルなモータースポーツ活動を実現していく」と述べ、持続的成長が可能なモータースポーツを実現すべく、技術を開発し、モータースポーツ活動に投入していく方針を明らかにした。

サステナビリティでも極限に挑戦
サステナブルなグローバルプレミアムブランドへ
23年の活動計画における2つの柱
感謝の言葉
「極限」へのジャーニーを加速

 具体例としては、すでにインディカーで投入ずみのグアユール由来のゴムを利用したタイヤの供給を挙げた。グアユールは砂漠など水が少ないところでも育つ作物で、天然ゴムの代替品としての役割も担っているという。このグアユール由来のゴムを利用したインディカー用タイヤは、2022年シーズンから緑のマークがついたソフトタイヤとして導入されている。

 また、FIA(世界自動車連盟)からはFIAの環境認証プログラム(FIA Environmental Accreditation Programme)のうち最上位となる三つ星(ベストプラクティス)を取得しており、サステナブルなグローバルモータースポーツ活動が、そうした評価につながっていると石橋CEOは説明。「そうしたサステナブルなモータースポーツ活動で得た技術を、弊社の市販タイヤ向け技術基盤であるエンライトンへと連動していく」と述べた。

坂野真人CTOが詳細について説明

株式会社ブリヂストン 執行役専務 技術・品質経営分掌 Global CTO(Global Chief Technology Officer)坂野真人氏

 ブリヂストン 坂野真人CTOは、同社のサステナブルなモータースポーツへの取り組みについて説明を行なった。

 坂野氏は「ブリヂストンにとってのモータースポーツは極限への挑戦だ。そこで培った技術をサステナブルなプレミアムタイヤの開発、サステナブルなソリューションカンパニーになることにつなげていく。モータースポーツ用のタイヤを作ることは人を育て、技術を育てることだ」と述べ、2つの柱でモータースポーツへの参戦を行なっていくと強調した。

「極限」への「挑戦」
モータースポーツタイヤをつくること
人を育てる
技術を極める

 勝つためのモータースポーツという意味では極限の環境でブリヂストンの人や技術に研きをかけていく、それにより競争に勝利するという仕組みを整えていくと強調した。シミュレーションや予測技術などのデジタル技術も投入して、競争に勝てるタイヤ作りをこれまで同様にやっていくと説明した。

新たな極限への挑戦
サステナビリティにいての極限
モータースポーツでサステナブル技術を実証

 サステナブルなモータースポーツでは、グアユールやもみ殻シリカなどの新しい素材を積極的に投入して、サステナブルタイヤの技術開発を目指していく。坂野CTOは「GTレーシングカー向けにMCN(再生可能素材率)が70%になっているコンセプトタイヤを開発し、すでに実際のツーリングカーでレース走行に十分なラップタイム、持続性能、耐久性能を実現できていることを確認している」と述べ、ソーラーカーレース向けにもMCNが60%を超えるタイヤを開発し、実際に本年のレースで使う予定であること、また2輪レース向けにもMCNが50%を超えるコンセプトタイヤを開発し、サステナブルな技術を鍛えて、エンライテンのような市販タイヤ向けの技術基盤へとフィードバックしていく、そうした構想をもっていると強調した。

GT向けとされる再生可能素材率70%のコンセプトタイヤ
インディカー向けグアユール由来の天然ゴムを利用したソフトタイヤ
再生可能素材率50%の2輪用コンセプトタイヤ
2023年のソーラーカーレースで利用される再生可能素材率60%のレーシングタイヤ

 ブリヂストンがそうしたことに取り組むのは、市販タイヤも含めて、環境に配慮した性能が競争の軸になりつつあるからだ。特に欧州はそうした傾向が強く、今後そのほかの地域も同様になっていく可能性が高いと考えているからだろう。以前はタイヤメーカーがモータースポーツに参戦するのは、高いグリップや高い耐久性、またレイン性能などを高めるために参戦し、勝利を得てブランドイメージを高めるのと同時に、モータースポーツで得た技術を市販タイヤにフィードバックする目的があった。

モータースポーツタイヤを作る理由

 ブリヂストンはモータースポーツ活動(例えばSUPER GTへのタイヤ供給)も引き続き行なっていくが、並行してサステナブルな技術をモータースポーツで開発し、市販タイヤにフィードバックしていく、開発の場として活用する意向を今回表明したと言えるだろう。

 実際、レースを統括する団体もその方向に動いており、例えばSUPER GTのプロモーターであるGTAは、カーボンニュートラルフューエル(植物由来の燃料)を本年から導入するし、レースの距離を伸ばしてタイヤの持ち込みセット数を減らす新しいレギュレーションを本年から導入し、タイヤメーカーに対してサステナブルなタイヤを設計することを促している。

 今回ブリヂストンが試作した再生可能素材率70%のGT用タイヤは、SUPER GTなどに投入されるようなタイヤではないが、将来その要素技術がSUPER GT用に反映されていくことはあり得るだろう。

2023年モータースポーツ参戦体制
SUPER GT500クラス
SUPER GT300クラス
インディカー
インディカー
インディカー
インディカー
インディカーの自動運転イベント
GR86/BRZカップ
GR86/BRZカップ
マツダグラスルーツ
全日本ジムカーナ選手権
全日本ジムカーナ選手権
FIM世界耐久選手権
EWC
MFJ全日本ロードレース選手権
MFJ全日本ロードレース選手権
MFJ全日本ロードレース選手権
MFJ全日本モトクロス選手権
MFJ全日本モトクロス選手権
MFJ全日本モトクロス選手権
MFJ全日本モトクロス選手権
ソーラーカーレース
ファン向けイベント

インディ500の3勝目を目指すと佐藤琢磨選手、ポテンザファンを増やす活動を行なうと佐々木雅弘選手

ゲストの星野総監督(中央)と佐藤琢磨選手(中央左)、佐々木雅弘選手(中央右)

 イベントの最後には、ブリヂストンの契約チーム監督、契約ドライバーが登壇して、ブリヂストンのモータースポーツ60周年を祝った。登壇したのは2022年のSUPER GT/GT500チャンピオンチームであるインパルの星野一義総監督、インディカーに参戦している佐藤琢磨選手、スポーツタイヤ「ポテンザ」の開発ドライバーでもある佐々木雅弘選手。また、2輪チームのTSRホンダ 藤井正和総監督はビデオで出演した。

TSRホンダ 藤井正和総監督
チームインパル 星野一義総監督

 インパルの星野総監督は「現役時代からずっとブリヂストン一筋で、浮気しない星野と呼ばれている(笑)。モータースポーツは人と人との闘いだが、昨年は一歩下がって自分は何もしないような形にしたらうまくいって成果がでた、でも賞金は自分のものにした(笑)。そうした結果がよかったのはタイヤがよかったからで、現役時代もエンジニアとはそれこそけんかしながら強いタイヤを作ってきた。80年代にGCをやっていたころには小平の工場で待機してもらい、朝4時にタイヤを作ってもらってそれを富士スピードウェイに持ってきてもらって勝ったこともあった」と会場を笑わせて盛り上げてくれた。

佐藤琢磨選手

 佐藤琢磨選手は「22年はリザルト的に振り返るに値しない年になってしまった。レースに勝てる環境が必要と再確認し、本年の体制(トップチームのチップ・ガナッシ・レーシングからオーバルレースのみ参戦)を作り上げた。インディカーシリーズではすでにグアユール由来のタイヤを使っており、将来はブリヂストンが100%再生可能なタイヤというのを作って投入してくれるのではないかと期待している。23年はインディ500の制覇が目標。ジュニアカテゴリの時代からブリヂストンのロゴをつけて走るのは誇りで、2001年のマルボロ・マスターズにおいてブリヂストンタイヤで完全制覇を成し遂げたのはいい思い出だ。それを本年インディ500で再現したい」と述べ、インディ500の3勝目をブリヂストン傘下のファイアストンと一緒に実現したいと述べた。

佐々木雅弘選手

 86/BRZレースに参戦しポテンザの開発ドライバーを務める佐々木雅弘選手は「22年のGR86/BRZレースではシーズン半ばに投入した新しいタイヤで同僚が2勝を挙げてくれた。参加型のモータースポーツでは、お客さまに買っていただけるタイヤを使っており、買っていただいたお客さまが笑顔になるように努力していきたい。23年シーズンは自分もGR86/BRZレースで優勝し、参加型のモータースポーツやファンイベントなどを通じてポテンザのファンを増やす活動を行なっていきたい」と述べ、地道な活動などを行なっていきたいと語った。