ニュース
トヨタ「GRヤリス」がニュル4時間耐久レース完走、豊田章男会長は「もっといいクルマづくりはここで新たなスタートをする」と24時間への思いを語る
2025年4月29日 12:07
ニュルブルクリンク24時間レースへ向け、「もっといいクルマづくりはここで新たなスタートをする」
4月26日、ドイツ ニュルブルクリンクサーキットにおいて、ニュルブルクリンク耐久シリーズ(Nürburgring Langstrecken-Serie、以下NLS)の第2戦となるADAC Ruhrpott-Trophyが開催された。このレースは、ニュルブルクリンクの北コースとして知られるノルドシュライフェ(Nordschleife)を用いて開催。1周24.358kmのコースで4時間の戦いが行なわれた。
全10戦で戦われるNLSだが、この第2戦は6月19日~22日の4日間にわたって開催されるニュルブルクリンク24時間レースとの間隔がよく、約140台がエントリー。ニュル24時間レースへの参加を明らかにしているルーキーレーシングは、TOYOTA GAZOO ROOKIE Racingと一体になったTGRR(TOYOTA GAZOO ROOKIE Racing)として参戦。日本のスーパー耐久シリーズで鍛え上げたGR-DAT(8速AT)を搭載するGRヤリスと、GRスープラ(Toyota Supra Evo2 GT4)の2台(正確には、GRヤリスは予備車もあるため3台)をエントリーした。
ドライバーは、109号車 GRヤリスがチームオーナーでもあるモリゾウ選手ことトヨタ自動車 代表取締役会長 豊田章男氏、大嶋和也選手、石浦宏明選手、豊田大輔輔選手の4名。110号車 GRスープラが蒲生尚弥選手、片岡龍也選手、松井孝允選手、佐々木雅弘選手の4名。いずれもニュル24時間レースへ向けての布陣となる。
とくにGRヤリスは、当時社長だった豊田章男氏の「トヨタのスポーツカーを取り戻したい」「モータースポーツを起点としたもっといいクルマづくり」という思いから生まれたトヨタのスポーツカーとして知られ、スポーツカーを生産するために、トヨタ元町工場内に特別な生産エリアである「GRファクトリー」を設置。セル生産とAGV(Automatic Guided Vehicle、自動搬送機)を組み合わせた高精度生産を行なっている。
今回、ニュルブルクリンクに持ち込んだGRヤリスも量産車へのフィードバックを前提としたもので、ハードウェア的には量産車と同じエンジン、量産車と同じトランスミッション、量産車と同じ4WDシステムを用いている。もちろん、ボディまわりは空力的な付加物や安全のためのロールケージなどが組み込まれていたり、8速ATであるGR-DATのシフトパターンマッピングなどソフトウェア的な合わせ込みは行なわれているものの、量産車と同じパワートレーンを用いたクルマとなる。
ある意味、量産車スペックであるGRヤリスが、本当にニュル24時間レースに参戦できるものなのかを確認するレース参戦となっていた。
NLS4時間レースは12時にスタート。GRヤリス、GRスープラともに大きなトラブルがなく完走。109号車はSP2Tクラスで1位(とはいえ、ほかにエントリーしていたのは、381号車 ルノー クリオと、予備車の382号車 GRヤリスで、いずれもDNF)となり、最速9分23秒481を記録した。110号車はBMW M4 GT4などが走るSP8Tクラスで表彰台目前の4位となり、最速8分55秒047のタイムを記録した。
ここへ向けてしっかり準備してきたとはいうものの、2台とも大きなトラブルなく完走し、ニュルブルクリンク24時間レースへ向けてのデータを、クルマ、ドライバーともに得ることができた。チームオーナーとして、そしてモリゾウ選手というドライバーとして戦った豊田章男会長は、レース後のあいさつにおいて、マスターテストドライバーとしての師匠である故・成瀬弘氏への思いを語るとともに、ニュルブルクリンク24時間レース挑戦へ向けての意気込みを語った。
豊田章男会長あいさつ
2台続けての完走、本当にありがとうございました。
実は私、2007年にこのニュルを初めて成瀬さんと走ったとき、それから約20年近く経ってね、今回こうやって自分のチームを率いて、そしてその時は成瀬さんと私、凄腕のメンバーだけだったのが、これだけのプロ(大嶋和也選手や石浦宏明選手らルーキーレーシング所属ドライバー)もいる、プロのメカニックもいる、そしてこういう仲間ができて、ここにルーキーレーシングとしてKCMGさんの力も借りながら、こうやって参戦でき、無事2台とも24時間レースに向けての完走ができたこと、本当に改めましてみなさんに感謝申し上げたいと思います。
実は成瀬さんがこのニュルの土地で亡くなったのは68歳でした。私、成瀬さんの後を、自分自身マスタードライバーを引き継ぎましたけれども、この68歳という年に対して、実は自分自身、ここへ来るまでめちゃくちゃプレッシャーを感じておりました。
果たしてこのニュルが、私自身も68を過ごすまでね、もう1回受け入れてくれるのかどうか? ということで昨年から体も壊し、やっぱり68という壁は越すことができないのかなとも思っておりました。
そんな中、今日ね、4周(ニュルブルクリンク 4時間耐久レースでモリゾウ選手が走った周回数)という、前を石浦が走ってくれ、当時ニュルの活動を若手代表としてやってくれていた石浦、大嶋とともに、そこに息子、大輔(豊田大輔氏)も入って4人体制で走れ、まだ生きていると。本当にありがとうございます。
68からね、来週ぐらいに私69になります(豊田章男氏の誕生日は5月3日、7歳の誕生日に鈴鹿で第1回日本グランプリを観戦し、10歳の誕生日に富士初開催の第3回日本グランプリをパドックで見学。この日は富士GCの日となり、今はGTの日として知られている)けど、この1週間、このニュルを完走できるのかどうかというのは、本当に不安でした。
やっぱりみなさんが持ち場、持ち場で、いろいろ家庭的であり、プロフェッショナルであるルーキーレーシングの地を出してくれたこと、そのすべてが「モータースポーツを起点にしたもっといいクルマづくり」につながっているというのを私自身のみならず、みんなが実感してくれてること。
これがですね、今回無事に走らせてくれた1番の理由だったんじゃないのかなという風に思います。
改めまして本当に感謝申し上げたいですし、まだまだこれを機に我々の「もっといいクルマづくり」はここで新たなスタートをすると思います。
私のバックには、成瀬さんのレーシングスーツ、そしてここには成瀬さんという師匠をおきながら、今この新しいメンバーとともに新たにニュル活動をやっていきたいと宣言させていただいて、24時間レースを今後迎えるにあたり、最後、みなさんへ御礼を申し上げたいと思います。