【インタビュー】WTCCという世界のフィールドで活躍する日本のタイヤメーカー 「大事なことはエントラントとの信頼を作ること」 |
WTCC(世界ツーリングカー選手権)は2005年よりスタートしたFIA(世界自動車連盟、JAFの上部団体)公認の世界選手権で、文字どおり箱車(乗用車)乗り世界一を決定する自動車レースだ。来年からはホンダがワークス体制で参戦することが決定していることもあり、日本のファンからの認知度も向上し、注目度も上昇傾向にある。
横浜ゴム PC製品企画部 Wプロジェクトリーダー 渡辺晋氏 |
そのWTCCにシリーズ開始2年目からタイヤをワンメイクで供給しているのが、日本のヨコハマタイヤ(横浜ゴム)だ。“ADVAN(アドバン)”のレーシングブランドでモータースポーツに積極的に取り組んでいる同社だが、SUPER GTなどの日本でのモータースポーツ活動だけでなく、こうした世界のフィールドにも積極的に取り組んでいるのだ。今や4輪の世界選手権にタイヤを供給する唯一の日本のタイヤメーカーとなったヨコハマタイヤのWTCCへのタイヤ供給について、横浜ゴム PC製品企画部 Wプロジェクトリーダー 渡辺晋氏にお話しをうかがってきた。
■選手権とともに歩むことで、結果としてヨコハマのブランドイメージを高めるWTCCへの供給
すでに述べたとおりヨコハマタイヤはWTCCにタイヤをワンメイク供給しており、それと同時にワークスチームではない独立系のチームの選手権であるヨコハマトロフィーにも協賛するなど、まさにシリーズの屋台骨を支える存在とも言ってよいほどWTCCに貢献している。しかも、現在のタイヤ供給の契約は今年で期限切れを迎えるのだが、すでにヨコハマタイヤはワンメイク供給を3年間延長する契約にサインしており、2015年までWTCCにタイヤを供給することが決まっている。この契約が予定どおり履行されると、実に10年にわたりWTCCの足下をヨコハマタイヤが支えることになる。
長期の契約になっていることについて、渡辺氏はWTCCのシリーズオーガナイザーがヨーロッパのスポーツ専門放送局であるユーロスポーツであることを要因としてあげる。「マニファクチャラーにとっても、弊社にとってもTV放送が担保されていることは非常に大きい。具体的にはユーロ圏における広告効果が高いことを評価している」(渡辺氏)と、TV放送が確実に約束されていることでその広告効果を期待できることがマニファクチャラーやサプライヤーにとってのWTCCの魅力であるというのだ。
レースについてあまりご存じない方には、若干の説明が必要だと思うが、オーガナイザーとは日本語にすれば興行主のことで、シリーズを主催し、レースを執り行い、かつそれをプロモーションするための存在だ。F1ならバーニー・エクレストン氏率いるFOM(Formula One Management)/FOA(Formula One Administration)などがそれに相当し、日本のSUPER GTならGTA(GTアソシエイション)がそれに相当する。FIAはレギュレーションやスポーティングルールといったレースの審判のような存在で、日本ではそれがJAFに相当する。WTCCではユーロスポーツがオーガナイザーを努めており、レースの運営(どこでレースをするのかを決定したりすることなど)やシリーズの価値を高めるプロモーションを担当している。
ユーロスポーツというのはヨーロッパのスポーツ専門放送局で、日本で言えばJ-SPORTSやGAORAなどに相当し、ヨーロッパ全域や東南アジアなどで放送を行っている。WTCCのレースは、このユーロスポーツを通じて世界中に配信されており、それによる広告効果が高いことを評価しているのだ。
渡辺氏はその効果について「例えばWEC(世界耐久選手権)でアストンマーチンをガルフ石油がサポートしているが、これによりガルフと言えばレースという認識が浸透している。それと同じように、WTCCでヨコハマタイヤの露出がありブランドが浸透していけば、同じようにモータースポーツのイメージで捉えてもらえる」と評価していると言う。なお、シリーズとの契約はプロモーターとの一括の契約になっており、各チームに対してはタイヤを有償で提供する契約になっている。このため「ワンメイクのレースなのでタイヤとしての性能の違いをアピールする必要はなく、車体やTV中継などでヨコハマタイヤやアドバンのロゴが露出することによるブランド認知度の向上を目指している」と、シリーズをともに育てていくことで、ブランド価値の向上を目指していると述べた。なお、独立系チームの選手権であるヨコハマトロフィーについては、世界を転戦するWTCCに参加する独立系のチームを少しでも支援したいとの思いで、協賛しているとのことだった。
■ワンメイクでは安定したタイヤ供給を行い、エントラントからの信頼を勝ち取ることが大事
ヨコハマタイヤはWTCCのプロモーターとワンメイク供給の契約を結んでおり、すべてのチームに対してタイヤを供給する。それだけを聞けば、他社との競合が発生するレースに比べて簡単な作業に聞こえるかもしれないが、実はそうではない。具体的に言えば、全エントラントに対して有利、不利がなくタイヤを安定して供給する必要があり、コンペティション(競争)とは違った難しさがあるのだ。
渡辺氏は「大事なことはエントラントとの信頼を作ること。レースをやっていくなかでトラブルが発生することもある。以前、輸送中の問題でタイヤにクラックが入ってしまったことがあったが、それも包み隠さずすべてチームに情報を公開した。WTCCではすべてのタイヤが(オーガナイザーから)マーキングされており変えられないため、製造や輸送工程でミスが出ればチームに迷惑がかかることもある。そのため、問題があった時にはきちんと原因を究明して説明するなどし、信頼を得てきた。それが長期間の契約につながっていると思う」と述べ、常にオープンかつフェアに対処してきたことが、長期契約につながっているのだと語った。
なお、WTCCには駆動方式の違いでFF(フロントエンジン、フロント駆動)とFR(フロントエンジン、リア駆動)の2種類の車両がある。具体的にはBMWがFRで、それ以外の車両はFFとなっている。言うまでもないことだが、駆動方式が違えば、タイヤへの負担はまったく違う。例えば、FFはハンドルも駆動もフロントにかかるので、フロントタイヤへの負荷が大きく、FRは分散しているので4輪すべてに負荷がかかる。このため、タイヤ特性の違いで当然有利不利が発生することになる。
この辺りをどうしているのか渡辺氏に聞いてみたところ「剛性を落とすとFF有利、逆に上げるとFRが有利になる。大事なことはそのチューニングのバランスをどこで取るか。もっと具体的に言うなら簡単にタレてしまうタイヤはFFに不利で、FRに有利。幸いなことに弊社のタイヤはタレが少ないという特性があり、その方向でタイヤを作り、FFとFRのバランスに関しては導入時に決定している。これまでエントラントからその点で文句を言われたことはない」と、2006年にWTCCに参入する時に、FFにもFRにも有利にならないバランスを見つけ出しそこに固定することで、どちらの陣営にも有利、不利がないようにしていると語ってくれた。
これまで、1つの例外(それに関しては後述する)を除いて、ヨコハマタイヤはWTCC用タイヤのスペックを変えていない。このため、チームとしては現状あるタイヤを利用して、内圧(空気圧のこと)を自分の車両にあわせて調整することで対処しているのだという。それだけヨコハマタイヤのタイヤがWTCCのオーガナイザーからもエントラントからも信頼されている証しと言うことができるだろう。
■ザルツブルグリンクで発生したタイヤバーストは内圧の閾値が鍵だった
レースである以上、予想を超えた事態というのは常に起こりうる。例えば、今年ザルツブルグリンクで行われたオーストリアラウンドのレース2では、トップを走るクルマに次々とタイヤがパンクするという問題が発生した。レース2の中盤でシボレーのアラン・メニューがパンクしてクラッシュした後、ゴールまで2ラップを残してトップに立っていたシボレーのイヴァン・ミューラーがやはりパンクで失速、また最終ラップにはミューラーに変わってトップに立っていたロブ・ハフがやはりパンクし失速、それを最終コーナーで交わしたBMWのステファノ・ダステが初優勝を遂げるという非常にドラマティックな展開を演出したのだ。
こうした文字に起こしてみると、タイヤが問題だったのではないかと考えてしまうところだろうが、実際にはそうではないのだ。渡辺氏によれば、問題の原因は「内圧の閾(しきい)値」であるのだという。
これには若干の説明が必要だろう。ご存じのとおり、自動車のタイヤの内圧(空気圧)には、正常に動作する値が自動車メーカーやタイヤメーカーにより規定されている。例えば、正常空気圧が240kPaだとされている場合、それを50kPaしか入れないで高速道路を走った場合には、おそらくタイヤが外れたりバーストしたりして壊れてしまうだろう。この場合、その責任は誰にあるかと言えば、言うまでもなくそうした無理な数値に設定したドライバーにある。
では、240kPaのところを200kPaで走った場合に、タイヤが壊れてしまった場合、これはタイヤメーカーの責任だろうか、ドライバーの責任だろうか? ここは微妙なところだ。もちろん既定値どおりに入れていなかったんだからドライバーがわるいということは可能だろうが、実際にはそうした状況で走ってしまうことも少なくないと考えられるだけに、メーカーもその程度なら大丈夫なように作っておくべきだ、とも考えることができる。つまり、どちらに責任があるとは一概に言えないのがこの状況だ。このように、メーカー側に責任があるのか、ユーザー側に責任があるのか、どちらとも言えないような数値が渡辺氏のいう閾値(境界となる値)だ。
レースの世界でも同じようなことが起こる。もちろんメーカー規定の内圧というのは存在し、実際ヨコハマタイヤでもユーザーとなるエントラントに対して通知は行っているという。しかし、レースの世界では内圧というのは低くすればするほどタイヤの接地面積が増え、より有利になるため、下げたいというチームも当然出てくる。そこをタイヤメーカーとエントラントで情報のやりとりをして、安全な範囲というのをタイヤメーカーから推薦する訳だが、レースが他チームとの競争である以上、エントラント側がリスクを負って推薦値以下にしてくる場合がある。それがレースにおける“内圧の閾値”だ。
ではザルツブルグリンクで何が起きたのかと言えば「サーキットのレイアウト上、コースの両端が非常に大きなバンクになっておりタイヤが痛むというのはある程度分かっていた。そこで、チームと相談してここまではいけるとという数字を出したが、それより攻めてきていたチームもあった。フリー走行や予選、途中にセーフティーカーも出たレース1では乗り切れたが、セーフティーカーが出なかったレース2では熱が上がりすぎて結果的に壊れてしまった」(渡辺氏)と、ヨコハマタイヤの予想もチームの予想を上回る負荷がタイヤにかかってしまい、“内圧の閾値”が安全ではなくなってしまったのだ。
こうした状況であったため、レース後にもエントラント側からクレームなども来なかったのだという。実際、フォードのようにヨコハマタイヤの推薦値を守ってレースをした結果問題が起こらず、それより攻めたチームがトラブルに巻き込まれる結果になったため、むしろ“競走上の問題”と判断されているのだという。また、英国で発行されているモータースポーツの業界紙でもタイヤメーカーを攻める論調などは全くなく、渡辺氏もほっと胸をなで下ろしたとのことだった。
■エコタイヤ向けに開発されたオレンジオイルを2010年にレーシングタイヤにも導入
なお、すでに述べたとおり、WTCCのタイヤは、2006年にヨコハマタイヤが供給を開始して以来、1つの例外を除いて全く変えていないのだという。そのたった1つの例外が、ヨコハマタイヤが近年力を入れているオレンジを配合したオイル(オレンジオイル)を入れることで、耐久性や性能を向上させるという変更だ。
実際、2006年からタイヤを変えていないことからも分かるように、WTCC側からのニーズではなく、ヨコハマタイヤからのリクエストで変えようということになったのだと言う。「弊社から会社のポリシーとして環境技術に取り組んでいきたいという話をして、オーガナイザーやFIAにも納得していただくことができ2010年に導入した」(渡辺氏)と、FIAもオーガナイザーも環境技術の採用には前向きな姿勢だったのだと言う。
ただ、同じオレンジオイルでも、「ブルーアース」に代表される低燃費タイヤと、レーシングタイヤでは利用する方向性が違う。市販の低燃費タイヤでオレンジオイルを導入するメリットは転がり抵抗を減らせることで、それにより燃費を改善しようという目的で使用されている。これに対してレーシングタイヤでは「オレンジオイルはタレの少ないタイヤにするために利用している」(渡辺氏)と、グリップの向上や摩耗性の減少など耐久性を上げていく方向に利用しているのが大きな違いになる。
なお、渡辺氏によれば、WTCCのタイヤは日本の工場で生産された後、ヨーロッパに空輸されヨーロッパのサービスチームによりデリバリーされていると言う。すでに述べたとおり、WTCCのタイヤ供給は有償だが、その販売はヨーロッパのサービス企業により行われている。興味深いのは、ヨコハマタイヤの地元である日本ラウンドの場合でも、日本で生産したタイヤをヨーロッパに運んだ上で、もう一度日本へ持ちこむという形を取っている。こうした形を取っているのは、税金の関係とサービスチームのオペレーション上、変化のないほうが効率的であるという事情による。たかがタイヤ、されどタイヤ、何気なく見ているWTCCの裏側ではこんな大がかりなことが行われているのだ。
■盛り上がるWTCC最終戦はマカオで今週末に開催、チャンピオンシップの行方は?
11月に入り、F1中国GPの会場でもある上海国際サーキットにおいてWTCC中国ラウンドが行われた。鈴鹿で行われた日本ラウンド後であっても、1位のイヴァン・ミューラーと2位のロブ・ハフが同ポイントで並んでおり、3位のアラン・メニューまでドライバーズチャンピオンの可能性を残しており、実に混沌としている展開になっていたのだが、中国ラウンドでは新しい展開を見せることになった。
レース1では名手イヴァン・ミューラーが1周目に他車と接触してサスペンションを壊してリタイアするという波乱の展開になった。これにより、レース1で2位に入ったロブ・ハフがミューラーに大きな差をつけることになり、ドライバーズチャンピオンシップは一挙にハフ有利に傾くことになった。レース2では、シボレーの3台(メニュー、ミューラー、ハフ)が序盤で首位に立ち、そのままシボレーが1、2、3でゴールするのかと思われたのだが、第1レースをリタイアしたためにミューラーにも焦りがあったのか、メニューを無理に追い抜きにいき2台は接触。2台が接触している間に3位のハフが漁夫の利を得て首位に浮上しそのままゴールすることになった。ミューラーは2位、メニューは3位に入ったのだが、レース後の審議でミューラーにメニューとの接触により30秒加算のペナルティが科せられ、12位に後退することになってしまったのだ。
これによりミューラーは中国ラウンドはまさかのノーポイントに終わり、ドライバーズチャンピオンシップは1位ハフ(390ポイント)、2位メニュー(355ポイント)、3位ミューラー(349ポイント)となっており、1レース優勝に付き25ポイント、ポール獲得で5ポイントで、最大で55点とれることを考えると、依然として3人に権利があるものの、ハフが圧倒的に有利になったと言える。
WTCCの最終戦は、マカオGPと併催で行われるマカオラウンドで行われる予定で、今週末に行われる。なお、2010年にフォーミュラ・ニッポンに参戦していたケイ・コッツオリーノ選手(関連記事:http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20100715_380940.html)がROAL Motorsportsチーム(BMWワークス待遇)からスポット参戦することも明らかにされており、こちらも併せて活躍を期待したいところだ。
(笠原一輝/Photo:奥川浩彦)
2012年 11月 16日