インプレッション

トヨタ「86(ハチロク)」(2016年ビッグマイナーチェンジ)

 2012年に登場して以来、世界中のスポーツカーファンに迎え入れられたトヨタ自動車「86(ハチロク)」。毎年アップデートを続けてきているが、今年になって86として初めて大掛かりなマイナーチェンジを行なった。

 もちろん、86のコンセプトに則った上でのマイナーチェンジなので、これまで86をこよなく愛していたユーザーの期待に応えるに十分という内容だ。86のコンセプトはパワーに頼らずにドライビングを楽しめて、かつ手の届きやすいスポーツカーを提供することにあった。そこでこれまでの改良でも外観の変更は最小限にとどめ、基幹パーツも踏襲することが86オーナーにとっても安心材料になっている。そのように86の進化はオーナーを裏切らないポリシーが受け入れられていたが、今回のマイナーチェンジもその延長線上にある。

8月1日に発売されるトヨタ自動車「86(ハチロク)」マイナーチェンジモデル。価格は262万3320円~325万800円
試乗会の会場となった富士スピードウェイには、2009年の東京モーターショーに出展された「FT-86 Concept」をはじめ、限定車やコンプリートカー、レース参戦車などさまざまな86が並べられていた

 エクステリアではフロントノーズ先端を下げ、グリルもワイドになっている。同時にヘッドライト、リアコンビランプなどのLED化も行なわれ、オーナーなら違いがすぐに分かるだろう。さらにフロントフェンダーガーニッシュの“86エンブレム”から、水平対向エンジンをイメージしたピストンが外れて円形になったことも後期型の特徴だ。

 実は最近、マイナーチェンジ前の86に乗るチャンスがあり、初期型より確実に進化したハンドリングや乗り心地に改めていいクルマだなと思ったばかりだったので、今回のマイナーチェンジは大いに興味があった。当然ながら、同じタイミングで兄弟車であるスバル(富士重工業)の「BRZ」もマイナーチェンジしている。

86 GT“Limited”(6速AT)。ボディサイズは4240×1775×1320mm(全長×全幅×全高)、ホイールベースは2570mm。ボディカラーは「ダークグレーメタリック」
フロントグリルはこれまでの上下を絞ったスタイルから、ハの字型に下側を広げた形状に変更。空力性能を追求したほか、ワイド感と踏ん張り感を演出している
「Bi-Beam LEDヘッドランプ」を全車に標準装備。内側下のLEDがウインカーとなっており、「BRZ」と同じくウインカー内蔵タイプとなった
ヘッドライト側面に“86エンブレム”を設定
GTとGT“Limited”はLEDフロントフォグランプを標準装備。横フィンが空力性能を高めている
リアバンパー下部を形状変更してディフューザーの効果をアップ
GT“Limited”のみに標準装備するリアスポイラーは、従来のベタ付けタイプからアルミ製のウイング形状となった
リアコンビネーションランプもLED化され、外装の灯火類はすべてLEDとなった。側面にエアロスタビライジングフィンを設定
ボディ側面の“86エンブレム”も円形に変更

 変更されたのはエクステリア、インテリアだけではなく、大きなポイントは足まわりとボディ剛性だ。とくにボディ剛性はボディの後半側を中心に変えられており、板厚の変更(部分的にはこれまでの倍になっている)など、メーカーでなければ不可能な基本的なポイントを押さえており、このほかにもスポット溶接の打点を増して、剛性バランスの適正化を図っている。また、同時にフロント側でもトランスミッションのマウントブラケットで剛性アップを行なうなどの変更がなされた。

 今回のマイナーチェンジでもリプレースパーツで対応できるブレースやバーなどは入っていない。これによってアフターマーケットで各ショップがパーツなどを使って味付けを変え、オリジナリティを持たせられるようになっている。

16インチサイズのアルミホイールは従来どおりだが、17インチアルミホイールはデザインが変更された
リアフェンダー内のリアエプロンアウタ、エンジンルーム内のタワーバーブラケットなどもボディ剛性向上のために強化された

 さて、試乗は富士スピードウェイのショートコースで行なわれた。路面はほぼドライというコンディションで、短い周回ながら進化した86を楽しめた。

粘り腰のグリップし、コントロールしやすくなった標準ダンパー

アルカンターラを使用したシートは、身体にフィットしやすくなじみやすい

 コックピット感覚の室内は、グレード別装備ではあるがインパネやドアトリムなどの表面にスエード調加工を施して、質感が向上しているのと同時に日差しが強いときにガラスに対する映り込みを緩和する。また、アルカンターラを使用したシートは、身体にフィットしやすくなじみやすい。さらにステアリングホイールが握りやすくなったことに気づく。断面形状が掌になじむものになった。ちなみにφ362mmというサイズはトヨタ最小径のステアリングホイールだ。

 最初に試乗したのはAT仕様のGT“Limited”。オプションのSACHS(ザックス)製ダンパーを装着したモデルだ。VSC制御は「ノーマル」と「VDC/OFF」、そして新設された「TRACK」モードがあり、順次選択してトライした。VSCの制御も大きく進化して、より実践的になっているので、こちらもチューニングされたサスペンションと共に興味の焦点だ。

GT“Limited”のインテリア。内装色は専用の「タン&ブラック」
握ると自然と脇が締まるよう形状を最適化した3本スポークステアリング
メーターパネル中央のタコメーターは0rpm位置を真下に変更。最高出力が発生する7000rpmを真上にレイアウトして分かりやすさを追求
従来は燃料計や水温計を配置していた右側を、デジタル表示のマルチインフォメーションディスプレイに変更。Gモニターやアクセル、ブレーキの操作量などの情報が表示できるほか、エンジン始動時には“86エンブレム”が出現する
センターコンソールのシフトセレクター後方に、新設されたVSCの「TRACK」モードのスイッチが用意されている

 SACHSはZFグループに属するドイツの大手ダンパーメーカー。OE装着を主とする量産メーカーで、高い技術力を持ち、手堅いメカニズムながら信頼性は高い。走行後の感想としては、減衰力の伸び側を中心に高められ、ロールを少なくする方向でチューニングされているようで、標準のショーワ製ダンパーとはかなり特性を変えられている。SACHSはフリクション感はあるが腰のある減衰力で、スピードレンジの高いところで踏ん張り感がありそうだ。一方、ショーワ製ダンパーはしなやかな動きで、これまで頑張ってグリップしていたところが粘り腰のグリップでコントロールしやすくなっている。

 もちろんダンパーだけではなく、前後スプリングの設定変更、そしてボディ剛性に合わせたリアスタビライザー径のアップで、その抜群なコントロール性を向上させた。

写真上が新型86(GT“Limited” 6速MT車)で下が従来型(GT 6速MT車)

 今さら言うまでもなく、86は低重心の水平対向エンジンをフロントミッドシップに配置して、ドライバーも後方に座らせるというスポーツカースタンスのレイアウトを取っている。クルマの回転中心がドライバーを軸にして旋回するように設定されており、回頭性、スライド感覚など86ならではの味を持っている。

 まず、VSCをOFFにした状態で“素のハンドリング”を試したが、マイナーチェンジで電動パワーステアリングにチューニングが行なわれ、操舵時も適度な保舵感が好ましい。ハンドル操作に対してロールはごく自然で、応答遅れなどが感じられない素直なものだ。ハードなコーナリングをすると、これまでの86ではリアがグリップ限界に到達した時点でスライドする兆候を見せていて、直近のイヤーモデルではマイルドになる傾向になっていたが、新型ではスライドするポイントになっても余裕を残してリアが滑り出すという感触で、ドライバーにとってドライビングのコントロール幅がより広がった。SACHSのダンパーではコーナー後半でのトラクションが出せるような減衰力で、グイッと駆動力がかかりやすい。

 リア側の安定した動きはサスペンションのリセットもさることながら、スポット増しだけでなく板厚も変えたボディ剛性の向上が効果的で、土台がさらにしっかりした強い印象を受けた。

 VSCをノーマル状態で使うと、従来は強い制御が入って安定志向に振っていたが、今回のマイナーチェンジでは介入タイミングが遅めになっただけでなく、VSCの制御を状況に応じて細かく行なうので、スポーツカーらしいコントロール幅を持ったまま、危険な領域には近づかないという設定になっている。通常はぜひこのモードを使うことをお勧めする。

 一方、TRACKモードではドライバーはサーキットでも十分にコントロール幅を持たせて走れるように設定されており、ある程度のリアスライドも許容するので、ドライバーのスキルは十分に発揮される。感覚的にはギリギリの範囲までVSCが介入せず、しかも精密な制御感覚には変わりがないので、サーキットなどのスポーツ走行ではこのモードがお勧めだ。とくにウェットコンディションではTRACKモードは有効で、トラクションもある程度確保されるので実戦的なモードとなる。VSCのチューニングはかなり進化している。

 マニュアルトランスミッションは基本的に変わりないが、6速MT車はエンジンの最高出力が200PSから207PSにアップし、最大トルクも205Nmから212Nmに向上した。また、最大トルクの発生回転数が6400-6600rpmから6400-6800rpmに広くなっている。実際に走ったショートコースでは、7PS/7Nmの差はそれほど大きくないが、本格的なサーキット走行やレースではその違いが顕著になるだろう。また、レースになると空力特性の違いも大きくなるので、ワンメイクレースの場合は同じクラスで走るのは難しそうだ。

6速MT車のFA20型水平対向4気筒エンジンは、インテークマニホールドや吸気ブーツ、エアフロメーターなどの改良で吸気抵抗を低減し、最高出力は152kW(207PS)/7000rpm、最大トルクは212Nm(21.6kgm)/6400-6800rpmを発生

 オートマチックトランスミッションでも86のサーキットランは面白いが、やはりマニュアルシフトはダイレクトで楽しい! シートに座ったときはシフトレバーの位置が少し高く感じたが、走り出してしまえば身体になじむ。スッキリと入るシフトフィーリングはスポーツカーに相応しい。ギヤレシオは従来型と共通だが、実は6速MT車はもう1つ違いがある。それはファイナルドライブが従来の4.1から4.3(6速ATは変わらず4.1)に落とされており、相対的にクロスレシオ化が図られているということ。日常的な走行ではほとんど変わらないが、走りこんでくるとその差がドライビングに及ぼす効果は大きくなる。これまでシフトダウンしていたところが、そのままのギヤでも微妙にトルクバンドの端に乗ってくる可能性もあるのだ。

 今回の試乗では市販モデルのほかに、ブレンボブレーキ装着のプロトタイプ車両にも乗ることができた。こちらのダンパーは標準のショーワでブレーキのほかに大きなブレンボのブレーキキャリパーと干渉しないよう、通常は7Jサイズの17インチホイールが7.5Jとなっている。ブレンボが効果を発揮するのは耐久性などだと思うが、ブレーキペダルのカッチリ感は向上している。

市販化に向けて開発中の86 ブレンボブレーキ装着車(プロトタイプ)

 ボディ、サスペンションを進化させた効果は、新しい86を後期型と呼ぶのにふさわしい内容となっていた。それでも、毎年微修正しながら進んでいくのが86だ。

 さて、最後にもう1台。試乗会ではR3仕様の86に乗ることができた。この86は、欧州仕様の「GT86」をベースに、TMG(Toyota Motorsport GmbH)がWRCのR3カテゴリーに向けて製作したラリーカー。試乗順の1番手で、わずか3周のみということでタイヤを温めることぐらいしかできなかったが、ドグミッションとスピンターン用のサイドブレーキを持ったラリー仕様の車両はやっぱりワクワクする。

英国などのラリーに実戦投入されているという「GT86 CS-R3」

 カムを変えて高回転型になったエンジンは230PSを発生し、足下にはピレリのターマックタイヤを装着。クラッチミートの幅は意外と広く、トルクバンドもそれほど狭くないのでスタートには困らない。引いてシフトアップ、押してシフトダウンというドグミッションは、スタートでしかクラッチを使わない。ドグミッションは1回のシフトで0.2秒程度タイムを削れるといわれている。確かにつながりはトルクの落ち込みなどを考慮するとかなり早い。もっとも、わずかなラップの中でエンジン回転もそれほど上がっていたとは思えないので、恩恵に浴するには至らなかったし、「やっぱり競技車は楽しい! ずっと乗っていたい」という誘惑にかられたが、残念ながらあっという間に時間切れになってしまった。

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会長/12~13年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。

Photo:堤晋一