【連載】橋本洋平の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」奮闘記
第47回:総合4位で6シーズン目が終了。44歳にして今なお成長できている自分がいた
2018年11月2日 22:39
己の間のわるさに辟易
レースウイークの月曜日、神保町フリーミーティングが開催された。詳しくはそのレポートをご覧いただきたいが、そこで今年の波乱万丈を振り返り、最終戦へ向けてのモチベーションも復活した。チャンピオンが決定してしまってからというもの、どうしても気分は沈みがちだったが、そんなことは言っていられない。シリーズランキングは前回3位から4位に下落したが、あれだけ応援していただいているのだから頑張らねば……。最後の最後まで諦めずに走ること、応援していただいた方々へせめてものお返しだと信じて鈴鹿へ向かった。
今回はいつもお借りしているトラックがすでに先約アリだったため、久々の自走での移動。これ幸いと水曜日朝に自宅を出発し、山中湖で1件仕事を済ませ、その足で鈴鹿へと走ることにした。トラックでは置き場に困ってしまい、仕事先に迷惑がかかってしまうが、自走ならこんな展開も可能なのだ。これぞナンバー付きレースカーのメリットだ。最近じゃトラック移動が板についてきたが、86の移動もわるくはない。というより、むしろトラックに比べれば乗り心地がよく、身体をセーブできた感覚がある。86は疲れさせてしまったかもだが、高速巡行だけならネガはない、と思いたい。
さて、そんな流れで鈴鹿入りした木曜日。早朝から練習走行を開始した。鈴鹿は今年の開幕戦で走行しているからそれほど不安には思っていなかったのだが、走ってみるとオーバーステアがどのコーナーでも強く、かなり手こずってしまう。おかげでタイムもわるく、首を傾げてしまうばかり。走り方が違うのか? それともセッティングが間違っているのか? 試行錯誤が続くことに。同チームのプロクラスドライバーであるおなじみ佐々木雅弘選手もまた、同様のことを口にしていた。オーバーステア対策をしなければ……。そこで車高を変えてみたり、プリロードを変更してみたりと、考えられるさまざまなアプローチを繰り返す。
そんな時、ちょっとした事件が起きた。プロクラスもクラブマンも混在するフリー走行中、こちらがアタックラップに入った時、プロクラスのクルマがコースインしてきたのだ。そのクルマは僕の後方に入り、多少の差があったのだが、みるみるうちに迫ってきた。はじめはインラップのクルマだからがっつり譲る必要もないと考えていたのだが、背後まで迫ってきたところで仕方なくインをあけて譲ることに。その後はそのクルマの背後につき、アタックを続けた。こちらとしては満足にアタックできずに不本意だった。けれども、この1件が問題視された。佐々木選手がそのプロドライバーからチクリと言われてしまったらしい。めぐり合わせがわるいようなところが僕にはあるが、この時もまた、己の間のわるさには落ち込むばかり。そんな星のもとに生まれてしまった自分を恨む。
一体何がいけなかったのか? 冷静になって佐々木選手とともに事の経緯を振り返ると、「それはハッシーがわるいね」というのだ。疑問符ばかりが頭に浮かんだのだが、例えインラップのクルマであっても、空気圧を調整した直後でフィーリングを確かめている場合もあるし、区間タイムを真剣に計測している場合もある。サーキットは速いクルマこそ正義。だからこそ譲る必要があるそうだ。ハッキリ言ってそんなことは知らなかった。インラップは全開で走らなくて当たり前とは、素人考えだったわけだ。その時のプロドライバーさま、本当に申し訳ありませんでした。まだまだ勉強することばかりである。サーキット走行をする皆さま、この“しくじり先生”を教訓に気を付けて走行してくださいませ。
こうして初日の走行を終えてしまったわけだが、いじくり倒したセッティングが果たして正解なのか否か? 確認できるのは金曜日に行なわれるたった30分の占有走行時間しかない。この走行枠は予選の組分け通りのメンツで走るために、本番さながらの真剣さなのだが、そこでもタイムは振るわずで終了。どうもセッティング変更がキマっている感覚はない。僕が属する1組で7番手。もしもこれが本当の予選なら、総合で13位か14位という位置になってしまう。どうしたらよいやら。
後にプロクラスの占有走行も始まったのだが、佐々木選手もまたタイムが出ずに悩んでいた。同様のセッティング変更+LSDの仕様変更まで行なったにも関わらず、ベストセッティングが見つけられずにいる。そこで、データロガーをもう一度解析し、さまざまな検討を重ねた上で、佐々木選手のクルマにトラブルが発覚した。なんと、ABSがトラブルを起こしていたらしく、きちんと止まれていないことが分かったのだ。前日までに行なったセッティング変更はすべて間違いだとここで判断。同様の方向でイジりはじめた僕のクルマも、イニシャルのセットに戻そうという話になったのだ。
実は僕のオーバーステア問題は、路面や乗り方に起因しており、佐々木選手のようにABSがトラブルを起こしていたわけではない。だが、お互いに同じようなことを発言していたから話がややこしくなり、セッティングの迷路に入ってしまったということのようだ。自分できちんと判断しきれていないところに問題アリ。佐々木選手まかせな部分がありすぎたこともまた反省点。だからこそ、佐々木選手がトラブルなどでハマれば、僕も引きずられてハマるという悪循環が起きるのだ。
決勝は周回を重ねるごとに順位が上がる展開。しかし……
とはいえ、色々と理解できたところでスッキリしたことも事実。翌日の予選、決勝は万全な体制で迎えることができそうだ。けれども、天気予報は明け方まで雨。クラブマンクラス1組目の走行は朝イチであり、他のクルマが1台も走っていない状況でのアタックとなるから、フルウエットでの走行となった。こうなればタイヤが温まって、さらに路面が乾き始めてくる後半勝負! そう信じて周回を重ねる。
すると予想どおり、ラップを重ねるごとにグリップ感が増し、みるみるタイムアップしてくることが確認できる。予選時間の後半で、このラップは上手く纏められていると体感できている時、手元のラップモニターではコース中盤で1秒以上のタイム短縮ができていることを確認できていた。これならコントロールラインを切るころに2秒近くはアップするはずだ!
だがしかし、けれども……。スプーンコーナーを立ち上がってストレートを駆け上がった時、なんと赤旗が提示されてしまったのだ。2コーナーでグラベルにはまったクルマがあったらしく、それが危険だと判断されて赤旗となったようだ。予選残り時間は1分40秒だったということもあって、そのまま予選は終了。それまでに記録されたタイムが予選タイムとなり、1組の9番手、総合17番手というグリッドに決定してしまったのだった。この間のわるさ、やっぱりそういう星のもとに生まれたってことなのか!? あと30秒でも赤旗が遅れていたら話は変わっていたような気もする。だが、後続だって同じような状況の人もいただろうし、そこでもっと下位に沈んでいた可能性だってある。色々と考えるが、結果は結果。赤旗が出るまでにタイムを出せていなかった己がわるいのだ。
こうなれば決勝では抜きまくるしかない。17番グリッドから冷静にスタートダッシュをキメてやろうじゃないか! そう思い直し、諦めずにスタートしてみると、スタートから2コーナーまでに2台をかわして15番手へ。そしてヘアピンのブレーキングで1台かわして14番手へ。そしてそして、シケイン立ち上がりで13番手へと、順調にポジションアップ。2周目はスプーンコーナーで1台を抜き12番手。3周目は130Rで数台前のクルマがスピンして11番手へと、周回を重ねるごとに順位が上がるという気持ちいい展開に。だが、そこから先は前が離れてしまい、ちょっと心が折れそうだったが、そこでも諦めずに食らいついて行くと、前でバトルが始まる度にみるみる近づいてくる。すると、またまたチャンスが訪れてきた。
5周目を終えようとしたシケインにおいて、前を走るクルマが行き場を失って急接近し、ブレーキングで抜けそうなチャンスがきた。ブレーキングではコチラが鼻先を出しており、これは行けたか? そう思った瞬間、後ろからガツンと突かれてしまった。きっと僕の後ろを走るクルマもチャンスだと思ったのだろう。シケインを3台並びで進入した結果、僕は押されたためにテールが流れてフルカウンター状態でシケインへ進入。なんとかスピンは免れたが、結局はポジションを変えることなく、ただぶつかっただけという残念な結果に。その直前の隊列のままコントロールラインを切り、1~2コーナーへと入ると、そこで赤旗の提示が……。原因は後続車両が130Rで横転してしまったからである。結果としてあと3周を残してレース終了となった。それにしても、あと20秒速く赤旗だったら無傷で終えられたのに……。結果は11位という中途半端さ。横転したドライバーが無事だと聞いたことがせめてもの救いだが、今回の僕のタイミングのわるさといったら天下一品である。
思い返せば開幕戦の鈴鹿もセーフティカーの導入で、満足にレースができず4位で終わった。その前の年もフルにレースができた記憶がない。それだけクラブマンクラスにとっては難しいサーキットということなのだろう。予選にしても決勝にしても、前半勝負しておかなければ満足な結果には繋がらないということなのだろう。なんとも歯切れのわるい最終戦となってしまったが、これもまたレース。改めてさまざまなことを学ぶことができただけでも、よしとしておこう。
レース後は年間表彰式が行なわれた。今回のレース結果がわるかった割には、年間ランキングは4位をキープすることができた。今年もまた、1回は優勝あり、リタイヤあり、ガス欠ありの浮き沈みが激しい1年だった。その浮き沈みをできるだけ少なくしなければ、もっと上を目指すことは難しい。それを痛感した1年だった。まだ来シーズンのことは何も決定してはいないが、またこの場に戻ってくることができるなら、ミスをできるだけ少なくし、安定してもっと上を目指せるシーズンを送りたいものである。
2018シーズンも各方面にご協力いただき、この企画を運営することができたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。そして、このページを懲りずに読んでいただいている皆さまも、本当にありがとうございます。6シーズン目を終え、同じようなことをいつまでもやっていると思われることも正直言って多いです。しかし、手前味噌ではありますが、自分の中ではまだまだ進化できていると感じています。どんなに予選で沈んでも諦めずに最後まで戦えるようになったこと。そして、トップに立ったとしても冷静にドライビングできるようになったこともまた、少しは成長できているのではないかと。44歳のオッサンがまだまだ育つことができるなんて、やっぱりレースって面白いな、ドライビングって奥が深いな、なんて改めて感じます。間がわるく、冷静さもないオッサンがここまで来られたって、ちょっと凄いと思うんです。ですから少しでも気になった方々、ぜひトライしてみてください。86/BRZ Raceには、どんな人でも成長できるチャンスがあると思いますから。