こだわりが詰まったもの作り「THE MADE IN JAPAN」
こだわりが詰まったもの作り「THE MADE IN JAPAN」
【第1回】谷川油化興業
(2015/5/11 10:40)
言うまでもなく、日本のクルマは世界中で高い評価を受けているが、それと同様にクルマに使われている日本製のパーツやケミカル製品、各種用品も世界でいち目置かれる存在だ。その理由は簡単。クルマと同じく高性能で高品質だからである。でも、パーツ、ケミカル製品などは、言うなれば縁の下の力持ち。クルマ本体のように目立つ存在ではないので、いいと認識されていても、その優れた部分について大きく取り上げられることはあまりなかった。
その例として挙げるのが、日本国内で生産され、東南アジア地域のみで販売されている「NIPPON」という名前のブレーキフルード。日本製であることを全面に出したネーミングだが、この存在を知っている日本人はほとんどいないだろう。ところが、東南アジア地域では認知度も使用率も非常に高いブレーキフルードなのである。
しかし、「NIPPON」はレース用などのハイスペック品ではなく、現地工場を構えて地元の産業として認知度があるというわけでもない。普通に輸入品として出まわっているだけの存在である。それでは、どこに人気の理由があるかと言えば、純粋に日本製としての品質のよさと信頼度の高さが評価され、受け入れられているのだ。
わざわざ「ここが優れている」といったことを大げさにアピールすることは不要。「日本製」とあるだけで世界中から信頼してもらえて、使っても変わらずいいという評価を継続的に使ってもらえるというこの状況、日本人としてはそういう流れ自体、当たり前というか慣れてしまっているので、それに特別な気持ちは持たなくなっているかもしれないが、とんでもない、やはりこれはすごいことなのだ。
そこでこの連載では、クルマ作りにおける名脇役的な存在と言えるメーカーにスポットをあて、そこで作られる製品や技術、そして日本製、「MADE IN JAPAN」ならではこだわりについて紹介していこう。
自社で蒸留塔を持つ老舗オートケミカル品メーカー
第1回目に登場するのは、神奈川県横浜市鶴見区にある「谷川油化興業」という会社。谷川油化の主な製造品目は、ブレーキフルードやロングライフクーラント(LLC)、シャシー塗装剤、ウインドーウォッシャーといったオートケミカル製品で、製造を行う施設や設備も自社で所有している。そして、前出の「NIPPON」という名前のブレーキフルードも谷川油化が製造、販売している製品だ。
谷川油化の知名度はそれほど高くないが、会社の歴史は長く、前身となった「谷川油化研究所」は1949年に設立されている。この年代は第2次世界大戦後の混乱期で、日本にはアメリカ軍が駐留していた時代。そして谷川油化研究所は、駐留アメリカ軍の軍用車に使うブレーキフルードを納入していたのだ。
ただし、当時の日本にはアメリカ軍が定める「ミル(MIL)規格」に適応するブレーキフルードなどのケミカル製品を作る技術も原料もない時代。そんななかでも「これからは化学製品が求められる時代が来る」と確信していた谷川油化研究所は、困難を承知でミル規格に適合する製品の開発を進め、蒸留塔を含む設備も整えてミル規格に合格するブレーキフルードを作りあげた。これがアメリカ軍に採用されることになったのだ。その谷川研究所の創立から10年後の1959年に谷川油化興業となっており、現代では自衛隊にもケミカル製品を納入している。
さて、その谷川油化の本社は神奈川県横浜市鶴見区にあるが、もう1個所、横浜市金沢区に金沢工場を持っている。その金沢工場内に、谷川油化を特徴づける設備である蒸留塔がある。この蒸留塔とは、石油化学工場から仕入れる原料液を蒸発させて、その蒸気から原料液内に混じるブレーキフルードの原料に適した液体を取り出す装置である。
このブレーキフルードは「ブレーキオイル」と呼ばれることもあるが、実際はオイルではない。主成分はアルコールの一種であるグリコール系溶剤だ。この液体は水のように粘度が低いので、細いブレーキ配管のなかでもスムーズに移動することができ、なおかつ圧力が掛かっても液体自体の体積変化が少ない。繊細な動きが求められるブレーキキャリパーを動作させる油圧を作るのに適した特性を持っているのだ。
ただし、グリコール系の液体は空気中の水分を吸いやすい特性もあるので、ブレーキフルードには水分を吸っても性能の劣化を抑制する添加剤が加えられているが、添加剤の効果には限度があるため、車検時などに「吸湿しすぎたブレーキフルードを交換する」という作業が必要になる。
このように説明すると、ブレーキフルードが吸湿することに対してマイナスのイメージを持たれるかもしれないが、じつはわるいことだけではない。ブレーキフルードが水分を取り込んでくれるので、水のまま残って熱で沸騰したり、凍結してトラブルになることを防いでくれるのだ。
そんなブレーキフルードだが、国内にあるオートケミカルメーカーのうち、自社で蒸留塔を持っているのは谷川油化のみ。つまり、ブレーキフルードの要であるエチレングリコールを自社で生産できる唯一のメーカーと言える。前に書いたように、ブレーキフルードは主原料であるエチレングリコールに添加剤を加えて作るものだが、その添加剤の種類や分量などは、すべて主原料の質に対して「どれくらい」と計算されるもの。それだけに主原料を自社生産できることは、品質管理の面でも非常に有利になる。谷川油化が自社で蒸留塔を持つことにはそういった理由も含まれているのだ。
JIS規格に対応する「TCLブランド」とは
次に紹介するのが鶴見区にある本社工場。ここは金沢工場で作られた原料が運び込まれ、それを地下タンクに貯蔵。その原料と各種添加剤を調合し、完成した液剤の容器詰め、出荷までを行うところだ。この本社工場はJIS規格の認定工場になっているので、ここで生産された商品には「JISマーク」を入れることができる。
JISは日本の工業規格であり、ブレーキフルードなどに限らず、日本の主要な工業製品で品質のベンチマークになっている。つまり、JISとは「日本の優れた工業製品である」という印なのだ。
そのJIS規格を満たす品質の要になっているのが、本社内にある研究、品質管理区画。ここには化学に長けた技術社員が配属されていて、液剤の成分配合の計算やその試験などを行っている。JISに準拠するかどうかの製品試験もここで行われており、「谷川油化の頭脳」とも言える部署だ。その試験はいくつもの項目があるが、そのなかで沸点の試験について紹介しよう。
ブレーキフルードはブレーキが発生する熱に影響を受けるので沸点の基準がある。また、ブレーキフルードはその特性上、水分を吸湿しやすいので、水分を吸っていない状態の「ドライ沸点」と水分が混じった状態の「ウエット沸点」の両方で沸点の計測を行うことになっている。ドライ沸点はストレートに加熱して計測するだけだが、それに対してウエット沸点は少し複雑だ。
というのも、ブレーキフルードは添加剤の配合率などによって吸湿性に差がある。そこで計測時には、JIS規格の基準用に作られている「MTG」と呼ばれるテスト用フルードと一緒に計測する決まりになっている。
このMTGと試験で計測するフルードを「デシケーター」という水を張った密閉容器に入れ、そのなかでMTGが3.7~3.8%の水分を吸湿したところでフルードを取り出し、ドライ沸点の試験同様にあぶって沸点を計測するのだ。この試験は平均を見るため、同じテストを2回行うことが義務付けられている。
このような試験をほかにもいくつもこなすことで、JISの基準に合うブレーキフルードの開発と製品の検査が行われていた。同社のこうしたクオリティで作られる製品には「TCL」というブランド名がパッケージに付けられ販売されている。これは「Tanikawa Chemical Laboratory」の3つの頭文字をあわせたもので、もちろん「JISマーク」も入れられる。
このTCLブランド製品は、主に修理工場向けのプロユース品として出荷されている。そのため、カー用品店や雑誌などで見ることはないが、日本国内で幅広く流通している製品なので、気がつかないうちに自分のクルマで使っているという人もいるだろう。また、本来とは違うカタチで谷川油化の製品を目にする機会もある。実は谷川油化は、いくつかのスポーツパーツメーカーのOEM製品も製造しているからだ。
ただ、勘違いしないでほしいところだが、同じ製品をパッケージだけ変えて使い回しているのではない。それぞれのメーカーから来るオーダーに合うように、添加剤の種類や配合比率などを変えてチューニングしており、それぞれの製品で用途に合った最高の品質を実現できるようにしている。
さらにこうした液剤製品では、一般的な工場だと1回の製造量(ロット)が大きな単位になりがちだが、谷川油化には比較的少量から生産できる設備や体制があるので、スポーツパーツのメーカーが、限定されたユーザーに向けてこだわって作る性能重視の製品といった個別のオーダーにも対応できるという。そういった小まわりが効く体制が取れるのも、自社で一貫して製造している強みでもある。
規格準拠ではなく臨機応変。「TCLアドバンス」始動!
そんな谷川油化のTCLブランドやOEM製品は優れた技術を持っているが、これまでは基本的に目立たないポジションで静かに活躍していた。しかし、多彩な自動車用アフターパーツを取り扱っている「SPK」のグループ企業になったことで新しい方向が生まれた。それはSPKが得意としているスポーツパーツ界への進出で、そのために新たに立ち上げるブランドが「TCLアドバンス」だ。
何回も書いているように、谷川油化は設備や技術、人材は揃っているが、JIS規格への準拠、OEM生産者ゆえの裏方的存在など、もの作りに対して縛りのようなものがあるため「持っていても使えない技術」というものがいくつもあったという。ところがカスタイマイズパーツ部門を持つSPKのグループ企業になったことで、そんな“眠っていた技術”が掘り起こされることになった。持っている技術を最大限に生かす道として「裏方ではなく表に出る」という方針が打ち出され、その路線からTCLアドバンスというブランドが生まれたのだ。
これまでの製品開発ではJIS規格を重視していたので、研究室でのデータ取りを重点的に行っていたが、TCLアドバンス製品ではスポーツ走行時の性能やフィーリングも重要になるので、実車でのテストにも力を入れている。テストは主にサーキットで行われるワンメイクレース車両で行われていて、そこでのデータ取りは非常に参考になったという。
このテストでは性能を重視するため、いつもどおりのJIS規格準拠から離れた配合のフルードを用いた。開発の狙いは、レースという過酷な条件でも安定した性能を出すこと。ドライ沸点の高さをとくに重視しているが、実際に使ってみたドライバーから高く評価されたのは、スタートからゴールまで走りきってもブレーキペダルを踏むタッチに変化が起きなかったことだという。
ブレーキのペダルタッチはパッドやローターの性能によっても変化することはあるが、ブレーキフルードの特性も影響を与える。テストに使われた車両は、いつもどおりの仕様から「ブレーキフルードだけを変えた」という状態で走っており、ここで起きたブレーキ特性の変化は、そのままブレーキフルードが要因であると判断できる。その状態でペダルタッチに変化が起きないというのは、それまで使っていたフルードより性能が高いということになる。
こういった性能は、これまでのJIS規格準拠のもの作りにはない部分だ。それだけに、実戦的な性能を重視する場合はこれまでとは違う面から製法を見直すことも必要になる。そこで生み出された製品は、JIS規格に適合しないケースも出てくるわけだが、そうした縛りを超えたところこそ、眠っていた技術を生かすチャンスが隠れている。TCLアドバンスは敢えて規格外を選び、“究極性能”の追求も行っていくという。ただし、JIS規格品を高く評価するユーザーも多いので、そういった人向けに、JIS規格に準拠しつつ、従来品より高いドライ沸点を持つ高性能ブレーキフルードを用意する予定だという。このTCLアドバンスのブランドを冠する製品はまだ発売されていないが、開発は順調に進んでいるとのことなので、市場投入されたときは改めて注目したいところだ。
谷川油化興業が持つ高い技術力と品質へのこだわりといったスタイルは、まさに“日本のもの作り”と言えるだけに、もしメンテナンスのときに、自分のクルマに谷川油化の製品を使う機会があったときは、リフレッシュと同時に誇らしさも追加されたという気持ちになっていいと思う。