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「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」に展示された名車たち(後編:コスモスポーツ/R360)

“チーム広島”で作りあげたクルマについて、マツダ社内のレストアプロジェクトメンバーに聞く

2017年4月8日~9日 開催

「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」で、マツダ社内の有志によるレストアプロジェクトが仕上げた「コスモスポーツ」「R360」の展示が行なわれた
レストアプロジェクトの予定。2017年にルーチェロータリークーペ、2018年にBDファミリア、2019年に3輪トラックの予定になっている。レストアプロジェクトは年ごとに手がけるクルマがあるので、1台のクルマあたり1年で完成させるというのが基本。作業自体は1週間に1日、この活動に充ててよいことになっているので、勤務時間内にも行なうことができるとのこと

 4月8日~9日にスポーツランドSUGOで開催された「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」で、メンバー14名で構成されるマツダ社内の有志によるレストアプロジェクトが仕上げた車両展示が行なわれた。

 この活動は歴代名車のレストア作業を通じて、創立以来受け継がれているマツダのDNAを体験・体感することを目的としているもので、2020年のマツダ100周年をプロジェクトのゴールとしている。

 活動の第1弾として2015年に「コスモスポーツ」(前期型)、2016年に「R360」のレストアを完成させている。今回のイベントにはこの2台が持ち込まれ、ピットエリアでの展示だけでなくパレードランの先導車も務めた。

 今後のレストア予定も公開されていたので紹介すると、第3弾となる2017年に「ルーチェロータリークーペ」(予定)、2018年にBD型の5代目「ファミリア」(予定)、そして2019年には3輪トラックを予定している。

コスモスポーツのレストアで苦労した点

活動について語ってくれたマツダ ASEAN事業部 アシスタントマネージャーの山口晃(ひかる)氏

 さて、それではレストアプロジェクトが手がけた車両を紹介しよう。最初は1967年式のコスモスポーツ(LA10A/前期型)だ。解説したのはレストアプロジェクトのメンバーで、マツダ ASEAN事業部 アシスタントマネージャーの山口晃氏。

 当時の社名はマツダではなく東洋工業で、その東洋工業は1963年~1966年の約3年かけてロータリーエンジンの実用化のネックになっていた問題点を解消。そして1967年に2ローターロータリーエンジンを量産化。そのエンジンを搭載したのがコスモスポーツだった。

 山口氏いわく、プロジェクトで手がけるクルマを選ぶ基準は、マツダの歴史を振り返ったときに「これしかない」というクルマや「こんな目玉ポイントがあった」というクルマを順番に取り上げているとのこと。

1967年式の前期型コスモスポーツ。車両はマツダミュージアムに保管・展示されていたもの

 今回レストアしたコスモスポーツは、もともとマツダミュージアムに保管されていた車両なので外観はとてもキレイ。しかし、エンジンやサスペンションという構造の部分はかなりガタがきている状態だったという。そこでレストアではエンジンやサスペンションなどを中心に、キチンと走行できる状態に戻すことが行なわれた。

 レストアをするにあたっては直すためのパーツが必要になるが、当然手に入らないものばかり。そこでどういう活動をしたかというと、活用できるものは活用し、ないものは当時のサプライヤーに協力を仰いだのだ。

 とはいえ、クルマの部品なので製作するために設計図が必要になるのだが、ここがまず苦労した点。当時の設計図はマツダの社内やサプライヤーのところに保管されていたものもあるが、見つからないものもある。そのときは付いていた部品をバラし、そこからパーツの形状を紙に転写するカタチで図面のベースを作ったりしたということだった。

 ちなみに、レストアの際に声を掛けたサプライヤーは30~40社ほどあったというが、なかには今はあまり付き合いのない会社もあったようだ。しかし、このレストアを通じてまた違った交流ができたり、当時、担当していた方が出世して偉くなっていたりと、人との交流に関してもメリットが多い活動だったという。

 そんな苦労をして仕上げたコスモスポーツはセル1発でエンジンが始動し、当日は来場者が参加できるパレードランの先導車としてスポーツランドSUGOのコースを走行。不調な様子もトラブルもなくスムーズに走った。

エンジンやサスペンションまわりを中心に手を入れている。パーツの在庫がないものばかりなので、当時のサプライヤーに協力を依頼してパーツの再生、製作を行なった。この活動によって改めて設計図や資料が揃ったので、それも保存して今後に活用していくとのこと
コスモスポーツではフロントがダブルウィッシュボーン、リアにド・ディオンチューブ+リーフスプリングを採用。プロジェクトメンバーの説明によると、ド・ディオンチューブ式はアクスルとデフを別体にして、デフをシャシーにマウントする。そのためバネ下重量が軽くなるのがメリット。スプリングはリーフ式だが、バネ下が軽いド・ディオンチューブ式を使っているので、リーフ式ながらバネレートを落とすことができ、動きのよさと乗り心地のよさを両立。また、リーフ式はスプリングの左右の振れが起こらないので直進性にも優れる。軽量なスポーツカーであるコスモスポーツにマッチした機構とのことだった
ヘッドライトカバーの内側には、外気を入れて曇りが出ないようにするスリットがある。エンブレムは輸出用の110S。フェンダーにあるスリットはエンジンルームの熱気抜き
ボディ装飾の小物の造形も凝っている。細部までデザインを突き詰めたクルマだ。Bピラーにあるダクトは室内の換気用。バイザーの形状もきれいだ
ウィンドウウォッシャーのノズル形状も独特。水圧を高めるためか、パイプを横に出して側面にノズルが開いている。リアウィンドウはかなり大きめで、スタイルの特徴になっている。バンパーで分割されているが、ブレーキを踏むと上下ともにブレーキランプが点灯する
もともと展示車だったので室内もそれなりに程度がよかったが、痛んだ部分をこの機会に直した。ドアを開けるノブはアームレスト下にあるので分かりにくい。そのため、初めて乗った人だと降りるときにノブを探すケースが多い

マツダ(東洋工業)が初めて発売した乗用車、V型2気筒&AT仕様の「R360」

解説はレストアプロジェクトの2期メンバー、マツダ 防府第4車両製造部 2組立課 TCPクリエイティブの岩本源彦氏が行なった

 続いて紹介するのはマツダ(当時は東洋工業)が乗用車市場に初めて参入したR360だ。このクルマについては、レストアプロジェクトメンバーであるマツダの防府第4車両製造部 2組立課 TCPクリエイティブの岩本源彦氏が解説。ちなみに岩本氏は自身でもR360を所有しているとのこと。

 エンジンは強制空冷式90度V型2気筒OHV。排気量は356cc、最高出力は16PS/5300rpm、最大トルクは2.2kgm/4000rpm。トランスミッションは4速MTのほかにトルクコンバーター補助ミッション付き(AT)もあった。サスペンションはフロントがスイングアーム・トーションラバー式独立懸架。リアがオイルダンパーだ。

1961年式のR360。新車価格は4速MTが30万円、ATが32万円だった。レストア車はデラックスというグレード

 R360が発売されたのは1960年で、その15年前に東洋工業のあった広島に原子爆弾が投下され、終戦を迎えた。その後、東洋工業は復興に役立つ3輪トラックなどを中心に製造し、地元の立ち直りを支えてきた。

 しかし、自動車メーカーとして成長していくことや、ほかの自動車メーカーに吸収されては広島の復興に関われないといった理由から、トラックや3輪車だけでなく乗用車を製造することになったという。

 そこで計画されたのがR360。製造の号令をかけたのは3代目社長の松田恒次氏だが、恒次社長には「男性はもちろん、女性、戦争で傷ついた人、身体障害者など、すべての人に乗ってもらえるクルマを作りたい」という想いがあった。また「そのためには我々が努力せねばいかん」と社員に言ったという。その気持ちを受けて当時の社員が結束して作りあげたのがR360になる。可愛らしいスタイルだが、そんな熱い気持ちで作られたクルマなのだ。

 機構的な最大の特徴は「日本初の軽自動車でATを採用したところ」だ。これこそ「すべての人に乗ってもらいたい」という言葉の具現化だ。さらに価格の面でも1960年当時で32万円(AT。MTは30万円)という破格の安さで発売。ちなみに同世代の「スバル360」より安い設定となっていた。

 ただ、ATは高級装備なので30万円に設定するのは厳しかったそうだが、当時、産業用のトルクコンバーターを製造していたメーカーと技術提供して専用のトルクコンバーターを製造。ギヤはローとハイの切り替えで、ここはクラッチレスの手動切り替えとなり、通常はハイに入れっぱなし。スタートは現代のATと同様にアクセルを踏めばいいだけ。スピードコントロールはコンバーターのスリップを使っていたとのこと。

 このクルマは1959年4月に起案して、1960年5月に完成という短期間で製造されているのだが、これは当時の主力工場である「府中工場(F工場)」の生産力の高さがあったからということだった。ここは他メーカーも導入していなかったフルオートメーションの生産設備があったので、同一ラインに複数の車種を流すことができた。こうしたことも低価格化に結びついているという。また、クルマを作るには莫大な資金が必要になるが、これについても広島銀行の援助を受けたとのこと。広島銀行はロータリーエンジンの開発時にも大きな協力をしたとのこと。まさに“チーム広島”で作りあげたクルマだったのだ。

 さて、そんな逸話を持つクルマだが、これもマツダミュージアムにあったものなので、レストアはコスモスポーツ同様にエンジンやサスペンションなどが中心になった。そして「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」では、最終日のパレードランでロータリーからレシプロまで、すべてのマツダ車の先導車としてサーキットを走行した。

リアに搭載されるエンジンは強制空冷式90度V型2気筒OHV。排気量は356cc。最高出力は16PS/5300rpm、最大トルクは2.2kgm/4000rpm。エンジンの軽量化のためにオイルパン、タイミングカバー、プーリー、クーリングファンはマグネシウム合金だった。シリンダーヘッドはアルミ合金。フロントフード下には燃料タンクとスペアタイヤ、工具があった
トヨタ「クラウン」を意識したともいう豪華なシート。色使いやパイピングなどは軽自動車、それも安価なクルマとは思えない
メーターは形状も文字盤もデザインに優れている。助手席前にはラジオが付いているが、ダッシュパネルと一体化した取り付けは当時の日本車離れしたデザイン
軽自動車としては日本初のATを搭載。ギヤは2段切り替え式で、ここはシフトレバーで操作する(小さいレバーは直結用と聞いた)。通常はハイギヤから変えることはないという。トルクコンバーターはいわゆる流体クラッチでもあるので、スタートは現代のATと同じくアクセルを踏むだけだし、トルクコンバーターはそれ自体が無段階の変速機(トルク比内でのこと)なので、ギヤが2速でもスムーズに走れたのだ。もちろんペダルは2つ。コンバーターは珍しい分解可能なタイプ
外装小物のデザインもいい。ヘッドライトベゼルも形状、デザインともに個性的で、ミラーもステーとミラーの接合部の作りが凝っている。ナンバー灯の部分の造形も優れているし、テールランプも特徴的。コスモスポーツもそうだが、当時のマツダのデザインは個性が非常に強い
当時のMTは操作も難しかったので、女性や身障者には乗るのが厳しい面もあった。そこで「女性、戦争で傷ついた人、身障者など、すべての人に乗ってもらえるクルマを作りたい」という気持ちで作られたR360。当時のカタログからもそれが伝わってくる。また、戦争で辛い思いをした人が、平和な日常において笑顔でドライブしてくれることも願ったクルマだったとのことだ