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西村直人の障がい者の運転再開を支援するホンダ「自操運転復帰プログラム」を体験してみた
「技術は人を豊かにするものである」と確信
2017年8月10日 13:30
本田技研工業は、より豊かなモビリティ社会の実現のため、「ハードの安全」と「ソフトの安全」の両面からユーザーの安全を最優先に考えてきた2輪・4輪・汎用製品メーカーだ。また、「自由な移動の喜び」や「豊かで持続可能な社会」の実現にむけて、ヒト(安全教育)・コミュニケーション(安全情報)・テクノロジー(安全技術)の三位一体化により「事故ゼロ」モビリティ社会の実現を目指している。
その具体策の1つとして1970年に「安全運転普及本部」を設立し、その活動は2017年で47年目を迎えている。安全運転普及本部は安全アドバイスや安全運転教室の開催のほか、安全に対する啓発や普及活動、そして研修や講習を通じて、個人や法人に対する安全運転教育を行なっている。
今回はその一環である「福祉領域」で、ホンダの福祉安全運転への取り組みがメディア向けに披露された。ホンダでは福祉領域を「障がい者」と「高齢者」で分けて捉えており、それぞれの状況に適した福祉車両を開発してきた。また、障がい者に対しては、自らクルマを操る楽しさを応援するため「自操運転復帰プログラム」(運転再開)と題して、社会復帰に向けたシミュレーターによる運転評価サポートと、運転訓練による評価サポートを行なっている。これは主に、認知機能などの高次脳機能障がいを負った人が社会復帰する際にサポートを行なうプログラムだ。
高次脳機能障がいとは脳卒中や脳外傷による障がいで、主に認知/判断能力など目に見えない障がいのこと。ちなみに、国立身体障害者リハビリセンターによると、脳機能傷がい者による相談件数の約7割が「自動車などの運転再開」に関するものだという。
現在、日本人の死亡原因における第3位は脳卒中であり、その数は年々上昇中だ。また、交通事故による損傷部位の第2位は頭部である。こうした背景を受け、高次脳機能障がいを負った人は日本全国で50万人にのぼると推定されており、東京都だけでも約3000人が1年間に発症しているという。
日本を含めた世界の動きとしては、社会復帰に対するサポートを目的に、保護から自立支援へとここ数年で流れが大きく変化している。WHO(世界保健機構)による障害者権利条約に日本も批准したほか、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催、さらには障害者基本法の改正や次期障害者基本計画の策定、障害者差別防止法の施行など、全方位においてこうした自立支援に対する輪の広がりが見られるのだ。
一方、2014(平成26)年6月1日に施行された改正道路交通法では、「免許を受けようとする者等に対する質問等に関する規定」(原文まま)のほか、全部で4つの項目が追加された。ここでは一定の病気等に関する運転者は臨時適正検査を受けることが厳格化されたのだが、この一定の病気等には高次脳機能障がいに値する脳卒中が含まれている。
現在、運転可能かどうかを判断する運転能力評価は、運転を希望する患者自身が病院などで相談を行ない、医師などを含めた病院内での協議→検査→検査の結果の協議→面談という流れを経て診断書が患者に手渡され、その後、運転免許試験場で臨時適正相談と検査となる。しかし、病院での相談は治療ではなく、あくまでも運転能力の評価に留まっており、現在行なわれている検査で運転能力が正しく測れているかなどが不明確であるという課題も抱えている。
そこでホンダでは、病院で対応可能な運転評価に向け、(1)「シミュレーターによる運転評価サポート」(リハビリ向け運転能力サポートソフト)と、(2)「運転再開に向けた実車訓練」(自操安全運転プログラム)の両面から運転再開をサポートする取り組みを行なっている。(1)は2011年から、(2)は2014年からそれぞれスタートし、2017年6月末現在、(1)は延べ158名、(2)は178名が体験、および受講しており、(1)が受けられる病院やリハビリセンターはほぼ全国に点在している。また(2)の実車訓練も全国7カ所にあるホンダ交通教育センターのほか、協力教習所4カ所の計11カ所で受けられる。
今回の取材会では、まず(1)のシミュレーターによる運転評価サポートを体験した。3台の液晶モニターとステアリング、アクセル&ブレーキを結合させたドライビングシミュレーターで、認知、判断、操作など運転に関わる複合的動作が測定される。実際に「危険予測体験/上級コース1」を体験してみたが、最新版のシミュレーターゲームのような高精細な画像は期待できないものの、臨場感を味わうには十分にリアルな画面と運転操作時に発生する音響環境を発生させながら架空の市街地などを走行するため、疑似的な運転操作を体験することができた。設定によって変化するようだが、今回は注意場面が2つ、危険場面が6つほど用意されたコースを5分ほどかけて走行した。
結果はプリントアウトで示される。そこには自身の走行軌跡を印字したコース図とともに、注意/危険の体験場面ごとの状況とそこでの詳細なコメントが記されており、走行結果として事故発生回数や急ブレーキの回数、さらには制限速度を超過した区間の割合やその超過した速度の平均値なども同時に表組みとなって確認できる。シミュレーターは筆者が体験した危険予測体験のほか、「運転反応検査」と「総合学習体験」の計3パターンがあり、これらの測定データによって神経心理学的検査との比較や評価がサポートされる。
運転補助装置の装着車にもADASの標準装備化を!
次に、(2)運転再開に向けた実車訓練で使われている訓練車両にも試乗した。実際に行なわれている訓練プログラムでは、走行準備として運転姿勢や死角確認を行ないながら、ハンドル操作やバック走行、ブレーキの感覚などが確認されるが、そのうち筆者は訓練で使用される車両の試乗のみを行なった。試乗車両は、左手と左足だけで運転操作ができるように架装された「N-BOX+」と、両手だけで運転できる「フィット ハイブリッド」の2台だ。
N-BOX+は車両のアクセルペダルに「左足用アクセルペダル」がリンクを介して接続されている。これにより左足でのアクセル操作が可能だ。左足用アクセルペダルは車両のブレーキペダル左側に配置される。また、ステアリングには「ハンドル旋回ノブ」と呼ばれる回転するノブを装着することで、片手によるステアリング操作が可能だ。
左足用アクセルペダルの場合、慣れが必要なのはアクセルとブレーキの踏み分け操作だ。なぜなら車両のブレーキペダルと左足用アクセルペダルの位置が非常に接近(通常位置の3分の1程度)しており、さらに左側の足もと空間に制限があるため、アクセル操作を行なう左足のつま先がどうしても右側、つまりブレーキ側へ寄ってしまうことがある。筆者は足のサイズが26cmなのでそれほど大きくないが、それでも意識していないと左足用アクセルペダルと車両のブレーキペダルを一緒に踏んでしまうことがあった。取材日は、リハビリをされる方が履かれていることが多い脱ぎ履きはしやすい大きめ靴を想定して、靴底の大きなワークブーツを履いていた。詳細は後述するが、実父のリハビリに付き添っていたことから、リハビリをされる方の履き物に注目していたのだ。しかし、このワークブーツの影響もあり、2つのペダルを一緒に踏んでしまうことがあった。こうした、同時に踏み込んだ場合はブレーキオーバーライドが機能するのだが、じんわりとしたアクセルとブレーキの同時踏みの場合、車両の設計特性によっては機能しない領域があるため、なおのこと慣れるまでは注意が必要だ。しかし、ハンドル旋回ノブでのステアリング操作はすんなりと受け入れられたことから、こうした実車訓練は実に有意義であることが分かった。
フィット ハイブリッドには両手だけで運転する「手動運転補助装置(フロア式Dタイプ)」が装着されている。筆者は以前、こうして両手だけで運転する車両と短い期間だが共にしたことがあった。そこでは、交通事故で足が不自由になってしまったレーシングドライバーの方などとチームを組み、耐久レースに参戦したこともある。その際にも感じたことだが、右手によるノブを掴んだステアリング操作よりも、左手で行なうアクセル&ブレーキ操作が難しいと改めて痛感する。試乗したフィット ハイブリッドの場合、運転補助装置がステアリング左側、ちょうどシフトノブから30cmほど上部に位置するのだが、操作するには終始アクセル&ブレーキ操作を行なう「コントロールグリップ」を左手で掴んでいなければならないからだ。コントロールグリップは前方に倒すとブレーキ、後方に倒すとアクセルとそれぞれの操作ができるので分かりやすいのだが、左腕を支えるところがないため長時間の運転では左腕に疲れを感じてしまうことがある。
また、ハイブリッドモデルなどの電動駆動が可能な車両特有の課題として、電動駆動時のアクセルワークが難しいという点が挙げられる。力強く反応のよい電動駆動は走行性能にゆとりを感じる一方で、左手のコントロールグリップに対する微量な操作に対して駆動力が勝る場面があるからだ。とくにフィット ハイブリッドはDCT内蔵モーターという構造的な特徴から、後退時はギヤ比との関係もあり、前進1速ギヤよりも駆動力が強くなる。そのため、左手で操作したイメージよりも力強く車両が後退してしまうことがあった。
やはり、こうした運転補助装置が装着された車両にも、ADAS(Advanced Driver Assistance Systems)の標準装備化を進めたい。ただ、ホンダ曰く、そこには課題があるという。試乗したフィット ハイブリッドは先ごろのマイナーチェンジで「Honda SENSING」が装備されることになったが、装備されるADASと運転補助装置のマッチングを図らなければならず、そのため時間と開発費がかさむからだ。しかし、「技術的なハードルは高くとも、越えられないものではない」(開発者談)ということなので、この先の展開にも期待したい。筆者の個人的な意見だが、運転補助装置が装着されたクルマは、この先、緩やかにカタログモデルにすべきではないかと考えている。それは長足の進歩を遂げる医療技術がもたらしてくれた超高齢社会への対応策にもつながっていくはずだ。
実は今回の取材会には、この(2)運転再開に向けた実車訓練を初めて受講される平松吉一さんに同席いただいていた。平松さんは病気の後遺症によって右手と右足が不自由になられたのだが、リハビリとして1年半ぶりに運転を行なうにあたり、このプログラムを受講されたのだ。受講時はインストラクターが助手席に座り、マンツーマンでアドバイスを受けながら運転操作を確認するのだが、担当の倉田インストラクター(交通教育センター レインボー埼玉)から「正しい運転操作ができます」とのうれしい判断がなされた。それを受けて平松さんは「運転免許試験場での臨時適正相談と検査では問題はありませんでしたが、改めてインストラクターの判断をいただいて自信が持てました。仕事も再開したいです!」と熱く語ってくれた。
また、筆者の話で恐縮だが、往年、実父も平松さんと同じ病を患い右手と右足に後遺症が残っていた。若い頃から乗り物が大好きで、「S600 クーペ」をはじめ大型バイクにも乗っていたことから、リハビリ生活を続けながら、運転免許証だけは可能な限り更新したいという意志を抱いていたようだ。
ある時、父の運転免許証の有効期限を更新するため試験場に付き添ったことがあった。今から20年ほど前の話だ。付き添いには階段の歩行が難しいという理由もあったが、後遺症からMT車の運転操作はできなかったため、当然のことながら試験場で「運転免許証を返納してください」と告げられると思ったことのほうが理由としては大きい。
しかし、結果は違った。受け付けを済ませるとすぐに別室に通された。その部屋にはいかにもベテランの風格を漂わす試験官が1人で座っている。何気ない会話を交わし和んだあと、歩いたり、手を挙げたりと簡単な身体機能の確認がなされた。そして試験官は一連の書類に目を通し、「ところでお伺いしますが、この先、運転される機会はないですよね」と声を発した。私は「あ、こうして返納を迫られるんだな……」と察したが、「運転なさらないということを条件に更新しましょう。ただ、AT車限定となりますが、いいですか?」と思いもよらないことを尋ねられた。てっきり「返納」しか選択の道がないと観念していた私は驚いたが、すぐに父は「はい、身分証明書として大切にします」と答えた。父はその後、約束を守り一度もステアリングを握ることはなく、更新が認められたのも1回限りだったが、このときに交付された運転免許証は亡くなる最後まで肌身離さず持っていた。
現在、こうした温情に満ちた対応は残念ながら見られないだろう。前述したように道路交通法でも厳格な基準が設けられている。しかし、運転免許証はときに心の栄養剤になるのではないか。運転操作ができなくとも、運転できるという状態を保つことがQOLの向上にもつながるからだ。
かつて、本田宗一郎氏は「われわれは人の命を預かるクルマをつくっている。お客さまの安全を守る活動は、一生懸命やるのが当たりまえ」と発言しているが、平松さんの笑顔の裏には、自立に向けた力強い決意を感じることができた。まさしく「技術は人を豊かにするものである」と確信を抱くことができた取材会であった。