自動車技術会シンポジウム「モータースポーツ技術と文化」 NASCAR、WTCCやル・マンに関する8つの議題とディスカッション |
3月2日、工学院大学(東京都新宿区)にて自動車技術会による「モータースポーツ技術と文化~レースビジネス~」と題したシンポジウムが開催された。シンポジウムでは7つの議題について講義が行われたほか、ル・マン24時間レースに参戦したドライバー3名を迎え、パネルディスカッションが行われた。
講演の内容は以下のとおり
トヨタ自動車 杉浦靖彦氏 |
■NASCARとアメリカ市場
トヨタ自動車の杉浦靖彦氏が壇上に上がり、2007年より開始したNASCARカップシリーズ参戦への経緯や、参戦による北米でのブランド力の向上と、宣伝効果について講義をした。
トヨタは、それまでアメリカ以外の自動車メーカーが参入した例がないNASCARへ本格参戦するために、2000年より地方選手権のダッシュシリーズから参戦。続いて2004年よりトラックシリーズに参戦し、2006年のタイトルを取得したことで、ついにトップカテゴリーのカップシリーズへの参戦が認められたと言う。
「NASCARカップシリーズは、年間400万人以上のファンが訪れる人気カテゴリーであり、この参戦によってNASCARファンのトヨタに対する好感度は向上している。また、2008年にはチャンピオン経験チームと契約を結び、36戦中10勝を上げるという好成績を残すことができた。これによりテレビ放送での露出効果も前年比の2倍近くにアップした」と言う。
さらに、参戦車両の開発は、チームに一任するのではなく、TRD USAが中心となって開発した。これにより、NASCARで得られる技術のフィードバックも大きな意味を持ったとも語った。
最後に、NASCARはファンがレースを楽しむことを最優先に運営されており、またチームはファクトリーを一般公開し、グッズの販売などを積極的に行っていること。これによりNASCARには多くのファンが訪れ、大きな宣伝効果が期待できることなどを語った。この困難な時代においても、継続的にNASCAR参戦を続け、レースの面白さや車の素晴らしさを感じてもらいたいと締めくくった。
横浜ゴム 小林勇一氏 |
■WTCCの紹介
横浜ゴムの小林勇一氏は、2006年より公式サプライヤーとして同社がタイヤをワンメイク供給しているWTCC(FIA World Touring Car Championship)の紹介と、そのタイヤについて講義を行った。
WTCCとは、F1、WRCに続いて2005年より始まったFIAで3つ目の世界選手権で、日本では2008年に岡山国際サーキットで初開催されている。参戦コストをF1やWRCより大幅に抑え、ベース車両を2000ccの市販車両とすることで、一般車のプロモーションに直結するものとしている。また、環境にも考慮され、開催日は土日の2日間、練習走行から予選、決勝まで含めても計3時間のコンパクトなレースになっている。さらに、触媒装着、騒音規制、2009年からは10%バイオフューエルの導入など、環境負荷低減を打ち出している。
タイヤに関しては、全戦通じてドライ用1種類とウェット用1種類の計2種類のみの供給となる。各1種類のタイヤですべてのサーキットに対応させるために、路面の温度や摩擦係数(μ)、コースレイアウトにも左右されないコンパウンドの開発が要求され、さらに、レギュレーションで中古タイヤ2セットを使用する必要があるため、新旧での性能差を抑える必要もあったと言う。
プロモーションに関しては、参加車両やコース内看板にブランドロゴを配置することで、横浜ゴムの世界戦略に貢献していると言う。
童夢 林みのる氏 |
■日本自動車レース工業会は日本の自動車レースを改革できるか?
童夢の代表取締役である林みのる氏は、自身が会長を務める日本自動車レース工業会(JMIA)が目指すモータリゼーションのあり方と、現在の活動について講義を行った。
林氏は、日本がサーキットの数やレースの数においては、他国にも負けない環境を持っていながら、レース自体の人気は低く、未だマイナーなスポーツであると指摘したうえで、その理由として、日本のモータースポーツがドライバーの育成ばかりに注力し、自動車技術開発を軽視してきた部分にあると述べた。そこで低価格なモノコックを開発し、そのモノコックとロールバーなどの安全装備、そして直径20mmという小径のリストリクター(吸気量制限装置)だけをレギュレーションとし、そのほかのエンジンやサスペンションなどは独自の開発を認める「フォーミュラ20」の構想を説明した。これにより国内のレース産業の技術向上を目指すとともに、東南アジアなどでのフォーミュラー入門者への販売といった可能性についても言及した。
東海大学の林義正教授 |
■東海大学ル・マンチャレンジ
昨年、ル・マン24時間レースに大学生チームとして初参戦した東海大学の教授の林義正氏は、学生チームでチャレンジすることの難しさや、その意義についての講義を行った。
林氏は、「学生は知的能力はあるが、実現能力が備わっていない」と前置きした上で、ル・マン挑戦によって課題突破力やチームワークに必要な人間性を養うことができ、さらに夢に挑戦することで得られる感動を経験することで、社会に出て即戦力となる人材の育成に繋がったと言う。また、毎年学生が入れ替わるという環境の中で、ル・マン挑戦という大きな目標を実現するために、ドキュメントやマンツーマン、ハードウェアによる伝承により、毎年技術がリセットされることなく、効果的に技術を向上することができたと言う。
エンジンの開発はもちろん、ボディーやシャーシーの開発のほかに、学問分野が多岐にわたる大学の特性を活かして、人間工学に基づいた操作系の開発も専門の班を作った。さらに全体を統括するマネージャー班も作り、学生といえどもプロと同様に組織化を行ったと言う。結果的には、製図からカーボンの貼り込みまですべて学生で行い、また当初はピットクルーはプロに頼むよう主催者側から指示があったが、その努力が認められ、本番ではピット作業も学生が行ったと言う。
童夢の奥明栄氏 |
■ル・マンプロトタイプの空力
童夢の奥明栄氏は、同社がル・マンに参戦している車両の空力について講義を行った。奥氏は、ル・マン用車両の空力特性が、F1やインディ、SUPER GTと比較しても優れていることを述べ、その理由としてタイヤまで覆われたカウルや、ボディーのデザインの自由度を挙げた。そして、同社では、以前のオープンタイプボディーのS101.5から、クローズドボディーのS102に変更することで、特にフロント側でダウンフォースが向上し、さらにドラッグ(空気抵抗)の低減を可能としたと述べた。これにより2008年のル・マンでは、プジョーの2台に次ぐ3位のトップスピードを記録したと言う。
さらに講義では、ボディー上面やフロア下の空気をどのように流すべきか、また、ここ数年多発している離陸事故(走行中に車両が浮かび上がってしまう現象)の原因と対策など、より具体的な空力デザインにも踏み込んだ内容が展開された。
エンジニアス 金田博行氏 |
■JUDD Le Mans 24時間レース用エンジン
かつてはF1のエンジンを手掛け、現在はル・マンのエンジンを開発している金田博行氏は、自身が英国のEngine Developments LtdでJohn Judd主宰のもと開発したJUDDエンジンについての講演を行った。
金田氏は、ル・マンのコースは長いストレートが多く、その70%がスロットル全開という過酷なレースであることを前置きした上で、ル・マンに求められるエンジンの性能は、メンテナンスコストが安く、かつ耐久性を確保する必要があること。さらにすべてのレースエンジンに求められる「軽さ」や「小ささ」も両立させる必要があり、その妥協点を見出す必要があると述べた。
そのために、クランクシャフトには窒化鋼を使い、応力が集中しやすい部分の半径(R)を大きくすることで耐久性を向上したり、コンロッドのブッシュを2分割タイプにすることで、メンテナンス性の向上を図ったりしたと言う。
西台整形外科 高橋規一氏 |
■GTドライバーの生理学
スーパーGT(以下S-GT)ではオフィシャルドクターを務める西台整形外科の高橋規一氏は、F1以上に過酷な状況が課せられているS-GTのドライバーの体の状態と、それに対する対策について講義を行った。
高橋氏の調査によると、S-GTでのドライバーの心拍数は200回/分程度で推移している。人間の生理的最高心拍数は220-年齢であり、この数値を超えた心拍数が20分以上続くS-GTは、非常に危険な状況であると言う。そこで、ドライバーに心電図を装着して計測した結果、心筋の酸素供給不足が認められ、テストした全員に不整脈が見られたと言う。
また、熱中症は、温度だけでなく湿度の管理が重要であり、通風式シートやヘルメット内強制換気、エアー導入式スーツが有効だと語った。さらにレース後の血液検査によると、筋組織のダメージの指標となるCK(クレアチン・キナーゼ)が3850程度まで上昇することが分かった(心筋梗塞でもその数値は1300程度)。この数値が正常に戻るまでに約3~4週間かかるため、レーススケジュールを調整し、ドライバーの体調が回復する時間を設けることも重要だと語った。
■パネルディスカッション「ル・マンの魅力」
最後に行われたパネルディスカッションでは、東洋工業(現マツダ)で初めてル・マン参戦した寺田陽次郎氏(ACO JAPAN)、ル・マンで日本人初優勝を遂げた関谷正徳氏(エムアール)、2008年のル・マンに参戦した伊藤大輔氏(プラスデー)、NISMOの監督としてル・マンに挑戦した柿元邦彦氏(東海大学)をパネリストとして迎え、自動車評論家の両角岳彦氏のコーディネートによって進行した。
ドライバーを務めた3人は、口をそろえてル・マンの怖さが直線にあると述べた。寺田氏は当時6kmもの直線は、日本では北海道くらいしかなかったと述べ、関谷氏は350km/hという速度は次第に慣れたが、強烈なダウンフォースがタイヤに負荷を与え、バーストするのが怖かったと語った。また、伊藤氏はサーキットコースと一般道のエリアとで路面のμが変わることもル・マンの怖さだと語った。寺田氏や関谷氏が走っていた当時は、食事や寝る場所を確保することも難しく、また、現在ではドーピング扱いとなるため使用できないが、当時は点滴を打ちながら走っていたと、その過酷さを語った。当時はマシンを壊さないよういたわりながら走れば勝てたが、現在のル・マンはスプリントレースであり、昔とは違った負荷がドライバーに要求されると言う。
マシンを製作する側である柿元氏は、ル・マンのマシン製作のポイントとして「ダメージコントロール」が重要と語った。特にアウディは非常によくできており、仮にバーストしてもピットに戻ってこられる設計が、アウディの強さを支えていると語った。
ACO JAPANの寺田陽次郎氏 | エムアールの関谷正徳氏 | プラスデーの伊藤大輔氏 |
東海大学の柿元邦彦氏 | 自動車評論家の両角岳彦氏 | サーキットの一部と一般道、ル・マン専用のコースなどをつなげたル・マンのコース。それだけに場所ごとに路面のμが異なると言う |
寺田氏が片山義美氏らと日本人トリオで挑んだマツダ767 | 関谷氏が日本人初優勝を遂げたマクラーレン F1 GTR | 柿元氏が率いた日産のR390 |
(編集部:瀬戸 学)
2009年 3月 6日