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神戸マツダ創業75周年、「787B」も展示した「神戸マツダファンフェスタ2016」
「323 1000湖ラリー仕様」「LM55 ビジョン グランツーリスモ」も登場
2016年6月7日 17:57
- 2016年6月4日~5日 開催
神戸マツダは6月4日~5日、同社の創業75周年を記念する「神戸マツダファンフェスタ2016」を神戸ファッションマートで開催した。
神戸マツダは兵庫県におけるマツダの特約販売会社。イベントでは「ロードスター」や「CX-3」などの新世代商品はもちろん、「マツダ LM55 ビジョン グランツーリスモ」や「マツダ 787B」、世界ラリー選手権(WRC)で活躍した「マツダ 323(ファミリア)1000湖ラリー仕様(レプリカ)」など、マツダが主催するイベントでも目にする機会の限られる特別な車両を多数展示。さらに新型ロードスター開発主査である山本修弘氏や、レーシングドライバーで「Mazda Women in Motorsport」を主催する井原慶子氏によるトークショーも行なわれ、マツダファンはもちろん、モータースポーツ好きも楽しめるイベントとなっていた。
さらに、ロードスターの開発主査・山本氏へのインタビューも行なえたので、その模様もレポートする。
「モータースポーツに対する取り組み」「ものづくりに対する考え」を感じてほしい
「神戸マツダファンフェスタ2016」は、展示内容からも分かるようにマツダの販売会社が単独で実施するファンイベントとしては過去最大級の規模。2015年12月6日に開催された「マツダファンフェスタ 2015 イン岡山」で国内初公開された「グランツーリスモ6」向けのバーチャルスポーツカー「マツダ LM55 ビジョン グランツーリスモ」のフルスケールモデルや、1991年にル・マン24時間スポーツカーレースで優勝した「マツダ 787B」の同型車両、マツダUSA・モータースポーツがIMSAに参戦している「マツダプロトタイプ」などもマツダのバックアップによって展示され、モータースポーツファンにも嬉しいものとなった。
神戸マツダの代表取締役社長である橋本覚氏は「神戸マツダファンフェスタは5回目。ちょうど5年ほど前から『創新』というかたちで5つの幸せの追求をテーマとして掲げています。お客様の幸せ、パートナーの幸せ、最大のパートナーはマツダですが。そして地域の幸せ、社会、環境の幸せ、社員と家族の幸せの5つですが、お客様の幸せのための顧客感謝祭といっても販売色の強いイベントが多いのですが、我々はそういう色を出さずに、とにかく楽しんでいただこうと考えて第1回を開催しました。最初はともかく楽しんでいただくためだけのイベントでしたが、3回目からはマツダのブランドイメージの発信を川下のディーラーとしてもやっていこうと考えて、昨年は淡路のイベント会場で開催させていただいた。今年は神戸マツダの創立75周年なので、盛大に行なうことにしました」と語った。
神戸マツダのマーケティング・広報室長である中込繁利氏は「このイベントは、単にマツダ車を販売する目的だけではなく、ユーザーに楽しんでもらいながら、マツダ車を購入した後も、もっとマツダを好きになってもらい、ユーザーが離れないための取り組みです。なので設立75周年といっても、神戸マツダに関する展示は9階で会社の歴史のパネル展示とスライドショーがある程度です」と、イベントもアフターサービスの1つであると話した。
新型車や懐かしいクルマにワークスマシン、「ものづくり」に対する考えの展示など
会場の1階・アトリウムプラザは「マツダブランドゾーン」とされており、ロードスターやCX-3のほか「アテンザ」「アクセラスポーツ」「CX-5」「デミオ」などの新世代商品が展示されていたが、全車ともに「ソウルレッド」と呼ばれる赤いボディカラーで揃えられていた。もちろん、販売店の展示車と同様にドアを開けて乗り込んだり、ロードスターでは幌を開閉することも可能。小学校低学年と思われる男の子を連れて来場していた男性に来場した理由を聞いたところ「子供が街中でロードスターを見ると喜ぶのです。デミオに乗っているので神戸マツダからのDMが届いたのですが、子供がロードスターに触ってみたいと言うので来ました」との回答で、運転席にはお子さんが嬉しそうな笑顔で座っていた。
また、「マツダ LM55 ビジョン グランツーリスモ」と「マツダ 787B」の前では、プロカメラマンに記念撮影をしてもらえるイベントも実施され、子供連れの来場者に人気となっていた。国内仕様のBG8Z型ファミリアをベースに製作された「マツダ 323 1000湖ラリー仕様」や、マツダ社内で完全レストアされた「コスモスポーツ」を年配の来場者が懐かしそうに眺め、IMSA参戦仕様の「マツダプロトタイプ」や2015年度のMazda Women in Motersports参戦車両の「ロードスター」「デミオ 15MB Racing Spec.」のラリー仕様や「ロードスター NR-A Racing Spec.」などのモータースポーツ参戦車両を見て目を輝かせている子供が多かったのも印象的だった。
9階のイベントホールは「アミューズメントゾーン」とされ、LM55と787Bを選択してプレイできるデモ機を4台設置した「グランツーリスモ6」体験コーナーや、トミカやプラレールのジオラマ展示やプレゼント、ペーパークラフトの製作など、場所によっては子供連れの行列ができるほどの賑わいとなっていた。
さらに驚いたのは「マツダデザインラボ」の設置。ロードスターの1/4クレイモデルの実物の展示や、ロードスターとCX-3のカラーデザインモデル、トリムデザインや革巻きステアリングなどのクラフトマンシップ展示が行なわれた。照明なども凝った演出となっており、まるでモーターショーのマツダブースにいるような錯覚に陥るほどだった。隣に目をやると「モノ造り革新パネル&現物体験ゾーン」があり、滅多に見ることのないエンジンブロックや、その砂型、トランスミッションのハウジングやケースなども展示され、手に取って見ることができるようになっていたり、ND型とNC型ロードスターのフェンダーやフロントバンパーなどのパーツも単体で置かれ、来場者の中には実際に手で持ち上げて重さを比べている方も見かけた。
Mazda Women in Motorsport Project受講生も交えた井原慶子選手のトークショー
1階のステージでは、FIA(国際自動車連盟)とJAF(日本自動車連盟)が提唱する「Women in Motorsport」のプロジェクトリーダーであり、女性として唯一の国際A級ライセンス保有者の井原慶子選手によるトークショーも行なわれた。
井原選手は2014年に女性初の世界選手権連続表彰台獲得を果たすなどの活躍で知られている人物で、その井原選手が取り組んでいるWomen in Motorsportの主旨にマツダが賛同。練習車両や訓練場所を提供する女性レーサー育成プログラム「Mazda Women in Motorsport Project」を2015年からスタートさせている。
参加者は女性に限定しつつ、年齢や職業などを限定せずに一般から募ったところ、18歳から68歳まで300名の応募があったという。トークショーには一期生25名のエースである岩岡万梨恵さん、二期生の猪爪杏奈さんの2名も登壇した。
岩岡さんは「このプロジェクトのおかげで基礎から学ばさせていただいて、他メーカーですが電気自動車のレースに出場して優勝できました」と話し笑いを取った。好きなクルマについて問われると「旧車が好きなので、マツダのルーチェ ロータリークーペがかっこよくて好きです」と答え場内を沸かせた。猪爪さんは、「世界を目指す人」というコンセプトの、今年の応募300名から選ばれた二期生9名の中の1人で現役大学生。父親は全日本ジムカーナのチャンピオンだった猪爪俊之選手で、「好きなクルマは父が乗っていたRX-7ですが、父に反対されてRX-8に乗ってます。ロータリーの音が大好きなんです」と話していた。
マツダの美祢試験場での訓練で、岩岡さんは「荷重のかけ方が難しかったんですが、訓練でだいぶよくなったかなと思ってます。井原さんに言われている、目線を遠くに置く、スピードを怖がらない、胸から上の力を抜く、この3点は一般道でもよいことだと思います」と上達した点についてコメント。猪爪さんは「荷重移動のためには、ゆっくり丁寧なアクセル操作やブレーキ操作の必要さを知りました」と話していた。
井原選手は来場者からの「男性と比較して女性が負ける部分と勝てる部分について教えてほしい」との質問に対して、「負けてるのは体力、筋力では男性に絶対追いつけないです。セブリングに出るまでの1月から3月まで、朝20kmジョギングして、100kmサイクリングして、そのあと2時間半ほど筋トレして、最後に25mプールを50回くらい泳ぐのが1日のメニューで、週に3回から4回はしてないとレーシングカーを速く走らせることはできないんですけど、それだけトレーニングしても男性には追いつけないんです。だから女性ならではのコミュニケーション能力でチームをまとめて開発を早くするとか、体力を食べ物でコントロールするとか他人よりたくさん休むとか、危機感があるからこそ、さまざまなポイントで男性よりも気を付けて補っています。女性のほうがすぐれている点は周辺視野。女性は270度くらいまで見えますが男性はそれより狭いので、後ろから追い上げてこられてもライン取りで抑えたりすることもできます。あとは感情のコントロールが女性のほうが上手だと思いますので、後ろからプレッシャーを掛け続けて相手がミスした瞬間にスパっと抜けるのが女性の強みですね」とコメントしていた。
今年のレースや今後の抱負について質問された岩岡さんは「やっとNDロードスターに慣れてきたので、7月10日の菅生に向けていろいろ調整していきます。NCよりNDのほうが軽いので、コーナーリングスピードが保てるかなと思います。将来は井原先生のようなプロのレーシングドライバーになって、世界各地を回れるようなドライバーになりたいです」と話し、猪爪さんは「7月3日の岡山国際サーキットのパーティーレースがデビューになるんですけど、初めてだからと言わず予選1位、決勝1位を絶対取っていきたいと思います。将来は、国際A級ライセンスを持っている女性は世界でも井原さんだけなので、まずはそこの仲間入りをしてから、井原さんのようにル・マン24時間に出たいです」とコメントしていた。
ロードスター開発主査・山本修弘氏らによるトークショー「ロードスター トロフィーツアー」も盛況
日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員で、モータージャーナリストの石井昌道氏もゲストに迎え、マツダのロードスター開発主査である山本修弘氏のトークショー「ロードスター トロフィーツアー」も開催された。石井氏は「初めて買ったクルマがロードスター。それで初めてサーキットを走って、運転を憶えたりクルマの構造を憶えて今の仕事をしていますので、ロードスターは僕の育ての親。親というか先生です」と挨拶。昨年のカー・オブ・ザ・イヤー受賞時の、マツダ 常務執行役員の藤原清志氏の挨拶のビデオクリップが放映されたあと、「ホンダのS660と最後まで競ってたんですよね」と山本氏が言うと、石井氏が「選考委員が60人居て、1人づつ得点を読み上げていくのが集計されるんですが、最初の20名まではS660強いな、あれ、ホンダいっちゃうかなって現場で思ってたんですが、後半になったらロードスターがどんどん点を稼ぎましたがドキドキしました」と賞の集計現場での感想を語った。
山本氏は続けて「スカイアクティブテクノロジーが2006年、ロードスターの開発は2007年から始まり8年かかった。2008年にはリーマンショックがあり、2009年にはいったん、このクルマの開発を止めよう、遅らせようということになり、量産のタイミングが随分と遅れてしまった。僕たちのやりたいことに変わりはなかったけど、いったん遅らせようってなると社内のリソースが減るんですよ。今までいたメンバーがバラバラになって、少ないメンバーでもう1回やらないといけなくなる。でもやらなきゃいけないことは決まっていたので、メンバーみんなの心が統一できた」と、ロードスターは社会情勢に左右されながらも信念をもって造られたクルマであることを話した。また「“(これが)あったらいいな”はやめよう。“必要なモノ以外は全部削ぎ落とせ”って仕切り直しができたのはよかった。その時に持っている技術でクルマを造ってはだめ、今ない技術を目標設定することで新しい技術を生まなければいけない」とも山本氏はコメントしていた。
また、どこのメーカーでも新型車が出ると速くなっているのと同時に値段が上がっているが、そのことについて山本氏は「ロードスターは最新型が速い、そんなクルマを造ろうとしていない。僕たちの目的は運転して楽しいって思う、人が運転して楽しむ感覚こそが大事だから、馬力を上げて大きなタイヤを履いて加速タイムがいくつ、それは違うので徹底的な目標設定をしたんです。大きな馬力を与えるのは手段でしかないので、目指しているものに何が必要なのかを見失わないことが大切だと思ってます。世界のモータージャーナリズムも変わってきていて“Best Car”ではなく“Best Driver's Car”、やはり乗る人が大切なんだっていう方向に向いてきています」とも語っていた。そんな動向を反映した取り組みや開発姿勢も評価され、ロードスターはさまざまな賞を受賞し続けているのだろう。
ステージから降壇したあとの山本氏に、インタビューの時間をいただけた。山本氏はロードスターの開発主査ではあるが、マツダ独自と言っても過言ではないロータリーエンジンを搭載していたRX-7や、ル・マン24時間スポーツカーレースで優勝した787Bのエンジニアでもある。
EVやPHVに注目が集まる昨今、スポーツカーをどうしたいのかを聞いてみたところ、山本氏は「EVやPHVについて語れるほどの見分はないですが、1つ言えるのはクルマがあることによって自分たちの生活が楽しくなる、ここを外したくないなっていう考えは変わらなと思うんですよ。単なる移動だけだったら、東京ならクルマは要らない。でも田舎に行けばクルマは必要になってくる。単に移動するだけだったらクルマの形っていろいろ変わると思うんですよ。人がクルマと接して移動するだけじゃなくて、移動の過程を楽しんだり、目的地に行っていろんなものを見たり楽しんだりする過程で『クルマと一緒に生活してていいな』って思えるような雰囲気とか環境造りが大事だと思うんですよ。そうなったときに必要になるのは、公共交通機関に取って代えられてしまう単なる移動手段のセダンとかミニバンじゃなくて、運転自体を楽しめる、他に代替えできないスポーツカーだと思うんです。スポーツカーを無くすことなんて絶対にあってはいけない、でもどんどん利便性などから離れて行ってしまうんです。でも僕たちは喰い止めなくてはいけない。マツダが他のメーカーとも一緒になって『やらなければいけないこと』だと思うんですね。日本人の豊かな感性や感覚、日本だからできるスポーツカーは価値があるし、その時代の適応は技術と手段の組み合わせでしかないけれど、ガソリンが枯渇したらガソリン車は造れなくなるけれど、運転自体を楽しむ価値を忘れなければEVでもPHVでも楽しいクルマが手に入るはずなんです。次世代に繋げるためにも、子供たちに『クルマに乗って楽しい』という現体験をさせたい。クルマを好きになってもらえる経験を、子供たちにさせたい。クルマ好きの子供たちが増えない限り、クルマの需要は増えないんです。そのために、もっと大人がクルマを楽しんでいる姿を見せてあげることが必要だし、今日のイベントのように子供が運転席に座ってハンドルを握るような取り組みは素晴らしいことだと思う」と、ここには書ききれないほどスポーツカーの必然性について熱く語られた。
往年のマツダワークスドライバー・片山義美さんを送る会も開催
淋しい話ではあるが、今年の3月に往年のマツダワークスドライバーだった片山義美氏が他界された。片山氏は今もなお現役レーサーである寺田陽次郎選手や、弟である従野孝司氏とともに国内外を問わずマツダのレースシーンを盛り上げた方であり、カタヤマレーシングの代表として日本のモータースポーツの発展に寄与されていたので知っている方も多いだろう。その片山氏を送る会が、日本のモータースポーツの歴史や現在を語る上で重要な顔ぶれがそろい、神戸マツダファンフェスタの会場内で行なわれた。
神戸マツダの橋本社長は「3月26日に、マツダに多大な貢献をしたレーサーの片山義美さんが亡くなられ、ご子息の勝美さんから、マツダの人間やお客様も含めて父を送る場を提供していただけないかとのご提案をいただき、ちょうどファンフェスタがある、片山さんが他界される前から787BやLM55を持ってくる予定があったので、お祭りみたいな場所で恐縮ですが、と勝美さんにお話ししたところ、マツダのお客様に送っていただけるのは父も本望だろうとご賛同いただけたので、会場内で片山さんを送る会の場も設けさせていただきました」とコメントしている。
また、読み上げられた弔辞のなかでは「1991年のル・マンで、片山さんはオブザーバーとしての同行だったのですが、ピットバルコンからメルセデスのマシンの音を聴いて『大橋(当時のマツダスピードの監督)にペースを上げるなと伝えろ。向こうはツブれる』とおっしゃいました。大橋監督に伝えたあと、メルセデスチームはトラブルでピットイン。片山さんは競合チームの音まで聴いていたんです」と、当時を懐かしむエピソードも紹介されるなど、日本から世界のモータースポーツフィールドに飛び出していった片山さんを讃える言葉はもちろん、詳細は掲載しないが、黒沢元治氏の弔電が読みあげられた際には涙を拭う参列者の姿も見られた。