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【SUPER GT 第4戦 SUGO】最終ラップのGT-Rとのバトル、レクサス1号車の平手選手「早くコースに戻った者勝ちだと思ってアクセルを踏んだ」

最終ラップの真相が明かされた優勝会見レポート

2017年7月23日 開催

SUPER GT 第4戦 SUGO GT 300km レースの優勝ドライバー。左からGT500クラスのヘイキ・コバライネン選手、平手晃平選手、GT300クラスの平中克幸選手、ビヨン・ビルドハイム選手

 SUPER GT 第4戦 SUGO GT 300km レースが、7月22日~7月23日の2日間にわたって宮城県のスポーツランドSUGOで開催された。

 7月23日には決勝レースが行なわれ、GT500は1号車 DENSO KOBELCO SARD LC500(ヘイキ・コバライネン/平手晃平組、BS)が、GT300は11号車 GAINER TANAX AMG GT3(平中克幸/ビヨン・ビルドハイム組、DL)がそれぞれ優勝した(その模様は別記事参照)。

 決勝レース終了後には、優勝クルーによる記者会見が行なわれたので、その時の模様をお伝えしていく。

 勝負の分かれ目になった3回目のセーフティカー導入時となる第2スティントを担当した両ドライバーによれば、どちらも自分の正確な位置がわかっておらず、自分がトップだとわかったのはかなり後だったという。

最終ラップの46号車とのバトルは「本山選手も飛び出していたので、早くコースに戻った者勝ちだと思った」と平手選手

司会:各ドライバーに自分の担当スティントを振り返って欲しい。

ビルドハイム選手:今日のレースは非常に難しいレースだった。雨が降ってきた時のコンディションはダンロップタイヤにあっていた。最初の10周ぐらいは抜いて抜いて抜きまくった、最高で6位まで上がったけど、最終的には少し下がって8位になっていた。最初の15周ぐらいは本当によくて、その後ちょっと乾いてくる状況の中ではちょっとつらかったが、自分のスティントの最後の10周はもう一度よくなった。そしてセーフティカーが出た時にチームがよい判断でピットに入れて、しかも本当に短いピットストップをしてくれたことが優勝につながったと思う。よいタイヤを作ってくれたダンロップにも感謝したい。

平中選手:僕らは17番手スタートから始めて、ビヨンが追い上げてくれてトップ10に入ってくれた。雨が強かったときにはBS勢がよくて話されたけど、セーフティカーでギャップが縮まったのはよかったけど、逆に後ろの人とも差が縮まってしまった。ベンツは給油時間が長くて、例えばGT-Rと比較すると5秒以上不利。それなのに、今回はチームが頑張ってくれて、同じようなタイミングで入った10号車よりも早いタイミングでスタートすることができた。

 その結果、25号車の真後ろ、4号車よりも前でピットアウトできたのがよかった。ダンロップタイヤは暖まりもよくて25号車をすぐに抜くことができ、65号車の前にでることができて、セーフティカーがでたことで丸々1周分得することになった。その結果フェラーリとの戦いになったが、セーフティカーがいなくなればすぐに抜けるだろうという感触はあった。今回は正直勝てるんじゃないかという感触で走るのが久しぶりで、いろいろ考えながら走ったが、最後は雨が落ちてきたがマージンをもって走ることができた。今回は本当にチームのおかげだと思う。

GT300クラスの11号車 GAINER TANAX AMG GT3をドライブした平中克幸選手(左)、ビヨン・ビルドハイム選手(右)

コバライネン選手:とんでもないレースだった。コースのコンディションはウェットとドライの両方があるような状況だったが、きっと雨が降ってくるだろうと考えていた。我々はブリヂストンのレインタイヤのハード目を選んだのだが、結果的にはそれもよくコンディションにあっていた。走っている間も天候の情報を逐一確認したり、ピットストップを何回もして損をするということがないように、自分たちが選んだタイヤに自信をもってレースに臨んだ。自分のスティント中盤ではウェイトハンデを積んでいないダンロップの64号車にスタックしてしまって抜けなくて苦労したが、晃平に交代した後、セーフティカーが出る前に入るタイミングは完璧で、ラッキーな面もあったが、タイヤもクルマも今日は完全に機能していた。

平手選手:スポーツランドSUGOのレースではよくこういうレースがある。今回は天候はどっちつかずでスタートを迎えることになったが、エンジニアとドライバーで話し合って決めて、結果的にはいいタイヤを選んだ。そしてピットに入ったタイミングも、あらかじめエンジニアと決めていたタイミングで、その後は46号車と2台でバトルする形になった。

 その後は46号車とのバトルになったが、ファイナルラップの1コーナーで本山選手とバトルして抑えきったと思ったのだが、馬の背に行ったら急に雨が強くなっていて、SPコーナーに向けてブレーキをかなり慎重に踏んでいったのだが、すべってしまった。このままクラッシュすると思ったんだけど、ミラーを見たら本山選手も飛び出していて、これは戻ったもん勝ちだと思って、アクセルを全力で踏んだら戻ってそのままゴールすることができた。

 僕たちのチームは富士やオートポリスで不運な結果に終わってしまって結果につなげることができなかったが、今回の結果でチャンピオンシップに戻ってくることができた。

 また、私事だが自分の奥さんがスポーツランドSUGOのレースクィーンだったので、このサーキットは自分にとって第2の故郷みたいなところだと思っているので、そこで勝てたことはすごく嬉しい。

GT500クラスの1号車 DENSO KOBELCO SARD LC500をドライブしたヘイキ・コバライネン選手(左)と平手晃平選手(右)

Q:GT500の2人にお聞きする。この優勝で今年もチャンピオンを取れる道筋は見えたか?

コバライネン選手:晃平が言ったように、GT500の競争は激しく、僕たちは富士とオートポリスではトラブルを抱えてしまった。だが、今回は他のクルマが下がって、こちらが上がって……そういうのがSUPER GTのゲームであり、特に恐れてはいない。これからは重量が重くなるので、それに合わせたクルマを作り、戦略を合わせ込みとやっていきたい。今日は表彰台が目標だったので、勝てたことでチャンピオンシップに戻ってきたと考えている。

平手選手:ヘイキも言ったように、我々は富士とオートポリスでアンラッキーでポイントを獲得できなかった。去年はスポーツランドSUGOでのレースではポイントを取れればいいと思ってきたら表彰台に上れた。今年は表彰台でいいと思っていたら勝てたので、同じように言い流れ。これからは重くなるので、その中で夏の2連戦に向けてどうやって生き残っていくか、チームとしっかりとしたクルマ作りをしていきたい。

Q:GT300の2人に2014年に優勝して以来の優勝となるが、これまでの苦労について教えて欲しい。

ビルドハイム選手:SUPER GTは非常にタフなレース。今年は最初のレースでは運が無くてタイヤ選択に失敗したし、富士ではファイナルラップまで4位を走っていたけど、タイヤが外れてしまい不運だった。GT300はアップアンドダウンがある厳しい選手権だが、シリーズで3位になったのでチャンピオンへの挑戦権を得たと思う。

平中選手:長年ダンロップと一緒に開発しながらレースをやってきて、14年からSLSに、16年からAMG-GTになったのだけど、クルマ自体はヨーロッパで活躍していたし、他のチームはそれで勝っているクルマなのに、自分たちだけ勝てないという状況が続いていた。ビヨンがイギリスに住んでいることもあって、タイヤテストの80%は自分が担当していて、それが結果につながらないという状況はすごく苦しかった。

 しかし、今年はスポーツランドSUGOでのタイヤテストでもすごくいい感触はもっていたのだが、自分の体調などもあって2日間あるテストのうち1日しか走れずチームに迷惑をかけた。その中で、チームはやることをやってくれて、今回の優勝につなげることができた。これでチームも士気もあがるだろうし、次のレースもしっかり戦っていきたい。

勝負を分けた3回目のセーフティカー導入時、どちらのドライバーも自分のポジションがわかっていなかった

Q:第2スティントを担当したドライバー2人に、タイヤ交換をした直後にトップのクルマに周回遅れにされることなくセーフティカーを迎えられたのが勝因だと思うが、その状況を説明して欲しい

平手選手:とても難しい質問。僕の頭の中でも?だった。誰が1位で、自分たちはどこの順位にいるのかというのがわかっていなかった。

 ピットアウトしたタイミングでセーフティカーが自分の直前に入ったので、最悪のタイミングでピットアウトしたのかと思っていたのだけど、エンジニアと話したらピットに入っていないクルマが前にいるだけで、後ろにいる46号車だけが同一周回であとは周回遅れにしていると言われ、とにかくプッシュしろと言われた。

 自分の中では後ろの46号車に抜かれないように考えているだけで、自分が把握できていたかと言われば把握できていなかった。ただ、目の前に言われる車はバックマーカーだというので、プッシュした。

平中選手:同じように、ピットロードを出て行って順位を争っているクルマが近くにいることしか把握していなかった。セーフティカーの隊列が整いかけたところで、トップだった65号車の前にはいたので、よい方向に転がったのかなとは思っていた。全車がピットインして、順位が落ち着いたときに、まさか自分たちがトップだったというのは想像もつかなかった。

Q:平手選手、奥様に何かコメントを……

平手選手:先ほどスマートフォンに、奥さんのお母さんが泣くほど感動しているという写真は送られてきたのですが……まだ何も話してはいません。ここで勝ったのはRC Fの1年目だった14年、そして去年は表彰台、今年は優勝ですので、本当彼女は僕の女神だなと思っています。

 シーズン始まって、2戦目、3戦目と結果が残らないレースが続いていたのですが、LINEで自分を信じて戦ってこいと言ってくれて、僕の尻を蹴飛ばしてくれる存在なので本当に感謝したい。あ、”愛してる”って書いといてほしい(笑)。