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F1 中国グランプリで逆転優勝を遂げたレッドブル・レーシングの戦略を支える意外な武器とは

AT&Tがレッドブル・レーシングに提供している通信インフラに関して説明

 F1に参戦し、2018年は中国グランプリ、モナコグランプリ、オーストリアグランプリで勝利を挙げて、現在コンストラクターズ選手権で3位につけているレッドブル・レーシングと、そのテクニカルパートナーとなるグローバルに通信事業を展開しているAT&T(日本法人はAT&Tジャパン、以下併せてAT&T)は、10月5日~7日に三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリの会場内で記者説明会を開催し、AT&Tがレッドブル・レーシングに提供している通信インフラに関する説明を行なった。

 今シーズンのレッドブル・レーシングは、チームがパワーユニットの劣勢を訴えつつも3レースで優勝を挙げているが、いずれのレースでもレース展開を上手く利用して勝ったという印象が強い。特に第3戦 中国グランプリでは、予選5位、6位と純粋なパフォーマンスではメルセデスとフェラーリに負けている状況から、セーフティーカーが出るというタイミングを上手く活用して勝ったレースとして印象に残っている。レッドブル・レーシング テクニカルパートナーシップ責任者 ゾイ・チルトン氏によれば、その中国グランプリで勝てた理由の1つは、AT&Tが提供しているICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)インフラを上手く活用できたからだという。

鈴鹿サーキットで行なわれている日本グランプリのフリー走行を走るレッドブル・レーシングの「RB14(Aston Martin Red Bull Racing TAG-Heuer RB14 )」

走る研究室を支えるICT、1レースでデータは400GBにもなる

 モータースポーツは「走る研究室」と呼ばれることも多く、レースという厳しいフィールドで何らかの技術を開発する場として利用されてきた歴史がある。自動車メーカーがモータースポーツにワークス参戦する理由は、一般消費者へのプロモーションという側面と、そうした「走る研究室」という両面から語られることも多く、実際にモータースポーツで開発が行なわれ、それが市販車にフィードバックされた例は枚挙にいとまがない。

 一般の消費者にもなじみが深いモノでいうと、最近ではスポーツカーだけでなく、それこそ普及価格帯のクルマでも見られるようになった、ハンドルの裏側に装着してギヤシフトが行なえる「パドルシフト」は、1989年にフェラーリが「640」でセミオートマチック・トランスミッションと一緒に導入した機構で、その後F1のようなフォーミュラカーだけでなく、WECのようなプロトタイプ・レーシングカー、さらにはフェラーリなどのスーパーカーなどの市販車にも広がっていった。その後は、普及価格帯の市販車でもスポーツグレードに採用されるなど、一般の自動車ユーザーにもなじみ深いモノとなっているだろう。

F1カーを走らせるのはドライバーだけではなく、多くのチーム関係者が関わっている、まさに「走る研究室」だ(提供:レッドブル・レーシング)

 そうした「走る研究室」は、なにもレーシングカーそのものだけでなく、さまざまな領域に広がっている。というのも、現代のレーシングカーを走らすためには、さまざまな技術が必要になっているからだ。例えば、ICTはその端的な例と言える。F1チームに限らず、現代のレーシングカーには非常に多くのセンサーが取り付けられており、そのセンサーからのデータを元にさまざまな解析を行ない、レースの戦略に活かされるなどするからだ。チルトン氏によれば「われわれのF1カーには100を超えるセンサーがついており、気温、温度、気圧などさまざまなデータを数値化している。それを元に新しい空力パーツなどの開発を行なうが、1シーズンでそのパーツは3万点を超えるほどだ」と述べ、そうしたセンサーからの情報がチームの開発にとって非常に重要なものであることを強調した。

F1日本グランプリでのレッドブル・レーシングのピットガレージの様子

 F1を熱心に見ている人なら、各チームのF1カーをよく見てみると、毎戦少しずつ違っているところを見つけることができる。大きなところでいえば、前後のウィングの大きさやその角度などがサーキットによってまったく異なっていることに気が付くだろう。コーナーが2~3か所しかなくて、ほとんどアクセル全開で走ることになるイタリアグランプリのモンツァ・サーキットでは、ウィングは小さめでフラップ(羽)はほとんど寝ているセッティングになっていることに気が付くだろう。

 それに対して、ダウンフォースと呼ばれるクルマを下に押さえつける力が必要になるサーキット、例えば今回の日本グランプリが行なわれる鈴鹿サーキットのようなタイトなコーナーが多いサーキットでは、ウィングのフラップは立て気味になっているし、フロントウィングの付加物も多めになっている。言うまでもないことだが、サーキットではそうしたウィングを作ることができないので、鈴鹿のようなフライアウェイ(遠征)のサーキットでは事前にファクトリーで計算した結果を元にして持ってくるウィングなどを決める、場合によっては新しいモノを作って持ってくることになる。

 そうしたことを決定する重要なファクターがデータだ。例えば鈴鹿サーキットではチームには2017年のデータがあるし、2018年のサーキットでも鈴鹿と似たようなサーキット(例えばベルギーグランプリが行なわれたスパ・フランコルシャン)のデータなどが参考になるだろう。チルトン氏によれば、1つのグランプリでレッドブル・レーシングが生成するデータは400GBだという。そうした膨大なデータは、テレメタリー・エンジニアと呼ばれる、サーキットの現場でデータを解析するエンジニアだけではなく、イギリスのミルトン・キーンズにあるレッドブル・レーシングのファクトリーにいるエンジニアにも瞬時に共有される。なぜ全員連れてこないのかというと、別に航空券代金やホテル代がもったいないからではなくて、F1ではコスト削減の観点からもピットクルーの数が制限されているからだ。

サーキットとファクトリーを安定してセキュアに接続するため、AT&Tが提供するVPNを利用

 そうした、イギリス側のファクトリーで勤務するエンジニアは「AT&Tオペレーションセンター」というAT&Tの名前が冠されているオペレーションルームに詰めており、サーキットとリアルタイムに接続して、刻々と入ってくるテレメタリーからのデータを解析し、その解析した結果をサーキットの現場に対してフィードバックする役割を果たしている。それだけではなく、ミルトン・キーンズのエンジニアは別の役割もある。例えば最近イギリスで開始されたF1の4K放送を見て、ライバルチームのタイヤの状態をチェックしたり、ライバルチームの無線(放送などで公開されているもの)を聞いて、それをサーキットのピットウォールで全体を見ているチーム代表のクリスチャン・ホーナー氏や、CTOのエイドリアン・ニューウェイ氏、2台のクルマのエンジニア、ストラテジストなどに伝えるのも重要な役割になっている。

レッドブル・レーシングのチーム代表 クリスチャン・ホーナー氏などはピットウォールに座ってレース全体を見ている(提供:レッドブル・レーシング)

 つまり、そうした2つの拠点(サーキットとミルトン・キーンズ)を確実に結び、遅延なくコミュニケーションできるようにすることはF1チームにとってとても重要だということが理解していただけると思う。

レッドブル・レーシング テクニカルパートナーシップ責任者 ゾイ・チルトン氏(左)、AT&Tジャパン株式会社 代表取締役社長 岡学氏(右)

 その役割を担っているのがAT&Tだ。AT&Tは米国発祥の通信会社で、電球を発明したトーマス・エジソンと並ぶ19世紀を代表する発明家で、電話を発明したグラハム・ベルが創業した企業が前身になっており、現在では米国で子会社のAT&T Mobilityを通じて携帯電話ビジネスを行なっているほか、米国の長距離通信やブロードバンド事業、さらには子会社化したタイム・ワーナーを通じてのメディア事業など幅広く通信、メディア事業を行なっている。

 日本では子会社のAT&Tジャパンが事業を行なっており、エンタープライズ向けのモビリティサービスやネットワークサービスを提供している。AT&Tジャパン 代表取締役社長 岡学氏によれば「AT&Tとレッドブル・レーシングのパートナー関係は2011年からで7年におよんでいる。1000分の1秒を争うレースをしているチームに、グローバルなネットワークやモバイルデバイス管理などのソリューションを提供している」とのことで、レッドブル・レーシングの通信インフラは基本的にAT&Tが提供しているとのこと。チルトン氏は「AT&Tがレッドブル・レーシングに提供してくれているのはネットワークのインフラ、そしてVPN、さらにはモバイルデバイス管理(MDM)に加え、従業員同士がコミュニケーションに使うIM(インスタント・メッセンジャー、LINEのようなもの)だ」と言い、ICTのインフラはほとんどがAT&Tから提供されている。

 また、チルトン氏によれば、レッドブル・レーシングには2つのオンプレミス(クラウドではなくローカルにあるサーバーのこと)のデータセンターがあるという。1つは前出のミルトン・キーンズのレッドブル・レーシングのファクトリーにあり、もう1つがなんとサーキットに持ち込まれている移動式のデータセンターになる。撮影はできなかったものの、ガレージの中を見学させてもらった時に見ることができた移動式のデータセンターは、3つのサーバーラックから構成されており、その中にAT&Tと同じようにテクニカルパートナーとなっているHPE(HP Enterprise)のラックサーバーとネットワーク機器が稼働していた。

 チルトン氏の説明では、この移動式のサーバーはチームの他の機材と同じように世界中を転戦しており、サーキットに搬入されて電源が入れられ、レースが終わるとすべてシャットダウンして次のサーキットへ運ばれていくという。それで壊れないのかと心配になるが、基本的にはストレージをほぼ使っておらず、サーキットでの各種演算(例えばシミュレーションなど)に使うコンピューティングリソースとして使われているそうだ。

 そうしたサーキットでのデータセンター、そしてミルトン・キーンズにあるデータセンターを含めてデータのやりとりを行なうには、かなり安定した回線が必要になるし、データの漏洩にも注意を払う必要がある。回線はインターネットを利用しているが、セキュアにデータのやりとりができるように、サーキットの環境とミルトン・キーンズの間はAT&T Cloud VPNというAT&TのクラウドのVPN(インターネット上に仮想的にプライベートなネットワークを構築化する暗号化技術)を活用しているという。それにより、サーキットにいるエンジニアも、そしてミルトン・キーンズのAT&Tオペレーションセンターにいるエンジニアもほぼ遅延がなくリアルタイムかつ、セキュアにデータをシェアして、レース戦略に役立つ情報を相互にやりとりすることができるようになっているという。

 また、MDMにより、スマートフォンのようなコンシューマデバイスからもセキュアにアクセスすることができるようになっており、IMでメッセージのやりとりをしたり、データを見たりということも可能になっているとチルトン氏は説明した。

中国グランプリではミルトン・キーンズのエンジニアが大活躍。ICTが大逆転の原動力となった

 チルトン氏によれば、そうしたAT&Tやパートナーが提供しているICTのインフラは、同チームの戦略立案にとても役立っているという。その具体例として、2018年の第3戦 中国グランプリでその真価が発揮されたという。第3戦 中国グランプリでは、レッドブル・レーシングのダニエル・リカルド選手が6番手グリッドからスタートして、レース中に入ったセーフティーカーのタイミングを上手に利用して大逆転で優勝を飾るレースになった。

 このレースでは、レッドブル・レーシングはFP3(土曜日午前中のフリー走行)でパワーユニットにトラブルが発生し、FP3と予選1回目までのわずか2時間で通常は3~4時間はかかるパワーユニット交換をしなければならなかった。結局、予選1回目(Q1)の残り6分に完了してリカルド選手をコースに送り出すことに成功し、見事予選2回目(Q2)へと進めることになった。レッドブル・レーシングはその予選2回目で、AT&TのVPNで接続されているミルトン・キーンズ側のエンジニアの提案による、上位勢とは異なるタイヤ戦略をとることにしたという。

 このレースで使用されたタイヤは、プライムと呼ばれる標準コンパウンドのソフトタイヤのほか、オプションと呼ばれる最も柔らかいタイヤはウルトラソフト、1番ハードなタイヤはミディアムだったのだが、他のチームが決勝チームを見据えてタイヤのデグラデーション(劣化)が少ないと考えられているソフトタイヤを選んだのに対して、レッドブルの2台はウルトラソフトを採用したのだ。

 チルトン氏によれば「予選までの3回のフリー走行で得られたデータをミルトン・キーンズのエンジニアが解析したところ、ウルトラソフトは走り始めはいいもののデグラデーションは大きい、それに対してソフトは暖まるまでは時間がかかるがデグラデーションは少ないということが分かっていた。そこで、上位チームと逆の戦略をとることにわれわれは決めた」とのことで、レッドブルの2台よりも上位のメルセデス、フェラーリがソフトタイヤを選択したのと逆の戦略をとったのだという。

 そうしてスタートしたレッドブル勢は、レースが18周目に入ったところでピットインして、タイヤをミディアムに交換してピットアウト。おそらくこの時点ではハードタイヤでゴールまで走りきる計画だったと思われるが、28周目の1コーナーで発生したトロロッソ勢の同士打ちにより1コーナーに破片が散らばったことで状況は大きく変わり、セーフティーカーの導入が予想される状況になった。この段階でミルトン・キーンズのエンジニアから「セーフティカーウインドウ」と呼ばれる、仮にセーフティカーが入ったときに、ミディアムからソフトタイヤに変えても最後まで走り続けられるという状況になったとサーキット側のエンジニアに伝えられたという。そして、セーフティカーが出たのは31周目の終わりに近付いてからで、この時トップを走っていたメルセデスのバルテリ・ボッタス選手以下の上位勢はすでにピットエントリーを過ぎており、ピットに入れない状況になっていた。対して、レッドブルの2台はバックストレートの終わりでピットの入り口まで10秒程度時間がある状況だった。このため、すぐに2台に対してピットインの指示が出され、2台はダブルピットインを行ない、2台ともソフトタイヤに付け換えた。

F1公式アプリで中国グランプリの31周目の終わりの位置情報を確認してみると、トップのメルセデスのボッタス選手などがピットの入り口を通過しているのに対して、レッドブルの2台はまだバックストレートの終わりにいることが分かる。ここでレッドブル陣営はタイヤ交換でピットインすることを決断し、ここがまさに勝負の分かれ目だった。F1 Live Timing アプリ(Android版iOS版)から。文字は筆者が追加

 これにより、メルセデスとフェラーリはレッドブルの2台よりも古く、より摩耗の進んだミディアムタイヤで走り続けなければいけない状況になったが、レッドブルの2台はより新しく、より柔らかいソフトタイヤで走ることができた。そして、ダニエル・リカルド選手が、前を走るメルセデスやフェラーリなどを新しく柔らかいタイヤのメリットを生かし、次々とオーバーテイクして優勝したのだ(なお、もう1台のマックス・フェルスタッペン選手は他の車両とクラッシュしてスピンするなどして後退し、最終的に5位でゴールした)。

2019年はホンダのパワーユニットを搭載して走る予定のレッドブル・レーシング。日本のファンにも身近な存在に

 F1チームにとっては、現地にいるエンジニアだけでなく、チームの本拠地にいるエンジニアとのやりとりこそが重要になってきているのはすでに常識になりつつあるが、1分1秒どころか、1000分の1秒を争ってレースをしているF1の世界では、数秒間ネットワークが停止したというだけで勝負に負けてしまう可能性は非常に高いと言える。今回の中国グランプリの例で言えば、ピットまでの10秒程度の中で決断を下さないといけない状況の中で、ネットワークが止まっていたらそれは敗北を意味することになる。そうした厳しい世界で、安定してかつセキュアなネットワークを構築するというは決して簡単ではなく、単なるファイナンシャルスポンサーでいる以上の価値がAT&Tのようなテクノロジーパートナーの側にも、そしてチーム側にもメリットがあるということができるのはないだろうか。