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ル・マン24時間優勝&トヨタ5連覇の立役者である平川亮選手と小林可夢偉選手へ、日本モータースポーツ記者会と日本レース写真家協会から花束贈呈

ル・マン24時間優勝を祝してJMSとJRPAから花束贈呈。左からJMS会長高橋二朗氏、平川亮選手、小林可夢偉選手兼チーム代表、JRPA会長小林稔氏

JMSとJRPAが主催して、ル・マン24時間優勝者の共同記者会意見

 6月17日、JMS(日本モータースポーツ記者会)とJRPA(日本レース写真家協会)は、スーパーフォーミュラ第5戦を開催中のスポーツランドSUGOで、ル・マン24時間レースを優勝した平川亮選手と、自身2位となりTOYOTA GAZOO Racing WECチーム代表でもある小林可夢偉選手への共同記者会見を開催した。

 会見では冒頭、JMS会長である高橋二朗氏が代表質問。ル・マン24時間を最高峰のハイパーカークラスで初出場・初優勝を成し遂げた平川選手へ、優勝後の表彰台から見た景色へのコメントを求めた。

 平川選手は、「自分が目標にしてきたことで、もちろん素晴らしい景色でした。実際、今でも実感がなくて、振り返ってみればもう少しよろこべばよかったかなと思っています。あのときはとくに、ゴールして優勝したというのが信じられてなくて」と、いまだにル・マン優勝の実感が得られないようだった。

平川亮選手

 小林可夢偉選手に対しては、チーム代表としての気持ちを質問。小林可夢偉選手は、「まずはたくさんの応援と視聴、たくさんのメッセージをありがとうございました」とファンの応援に感謝の言葉を述べる。「TOYOTA GAZOO Racingとして5連勝できて、プラスワンツーで5連勝を締めくくれたのはチームにとって非常に力になりました。とくに23年、(ル・マン24時間の)100周年に向けては、すごくポジティブにこの成績を受け止めています」と答えた。2022年のル・マン24時間において、小林可夢偉選手からは「100周年」と、来年の話が出ることが多い。これは、チーム代表としてさまざまなメーカーが参戦してくる100周年に向けてさまざまなことを行なっているのかもしれない。

 一方、残念ながら2位に終わったドライバーとしての気持ちを聞かれた小林可夢偉選手は、「全然ダメでしたね、簡単に言うと」とくやしさをにじませて語る。「個人としてはすごくいいレースを16時間、8号車との争いをやってきていたので。1周遅れになったことで、ほぼ勝負権がないような状態になって。個人としては最後までこのいいレースを、スプリントレースを16時間やっていたのですが、できれば24時間このスプリントをやって、その姿をファンの人に見せたかったなと個人的には思います」と、最後まで7号車と8号車の争いを見せられなかったのがドライバーとしての心残りになっていると小林可夢偉選手は語る。

小林可夢偉選手兼チーム代表

 ただ、小林可夢偉選手の乗る7号車はレース終盤に激しい追い上げを見せる。そこについては、「正直言うと、すごい調子がよかった。余力もある状態でクルマもマネジメントしながらあのペースで走れた。正直言うと、トラブルさえなければチャンスはあったなと思っています。それができなかったのは、相変わらずル・マンだなと感じている。3回目の僕が走るときにはほぼ1周遅れで勝負権がない状態なのですが、非常にクルマも速くて、すごい気持ちよくル・マンのサルトサーキットを走れた。(3回目は)勝負はしていないけど、非常に気持ちがよかった。僕の最後走りながら感じた気持ちです」と語り、ギリギリの戦いではなかったが楽しかったという。その中で、「相変わらずル・マンだな」という部分に小林可夢偉選手の経験が現われているようだった。

 会見後、JMS高橋二朗会長、JRPA小林稔会長から2人への花束贈呈を実施。日本モータースポーツ記者会として、日本レース写真家協会として平川選手と小林可夢偉選手の世界的な活躍をたたえた。

自身の20年以上にわたる長いル・マン取材経験をベースに質問する小林稔JRPA会長