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ホンダ元最高顧問 藤澤武夫氏の米国自動車殿堂入り授賞式典開催

2023年7月20日(現地時間) 開催

本田技研工業 取締役会長 倉石誠司氏が授賞式典でスピーチを行なった

 本田技研工業の創業者の一人であり最高顧問を務めた藤澤武夫氏が、米国自動車殿堂に選出され、殿堂入りしたことを受け、7月20日(現地時間)に米国自動車殿堂による授賞式典が米国ミシガン州デトロイト市にて開催された。

 藤澤武夫氏は、1949年8月に本田宗一郎氏と出会い、ビジネスに対する考えや将来の夢で意気投合し、同年10月に常務取締役としてホンダに入社。本田宗一郎氏が、研究開発や生産といった技術領域に集中する一方、藤澤武夫氏は営業や財務、マーケティングといった事業領域を一手に担い、本田宗一郎氏と二人三脚でホンダを率いた。その後、2人のパートナーシップは、1973年3月に2人が揃って引退するまで、約25年間続いた。

 ホンダの公式Webサイトでは、「ホンダ初の海外現地法人 アメリカン・ホンダモーターの設立」「米国での二輪車販売開始時における自前のディーラー網の構築」「研究開発部門の分離・独立」 といった藤澤武夫氏の功績を紹介するとともに、授賞式典に登壇した倉石誠司氏のスピーチ概要を掲載している。

本田技研工業株式会社 取締役会長 倉石誠司氏のスピーチ概要

「1959年にホンダがアメリカン・ホンダモーターを設立した際、藤澤武夫は独立した販売ネットワークを構築することにこだわりました。当時、ほとんどの日本企業は代理店を通じて製品を販売していました。しかし藤澤武夫は、お客様と独自の関係を築きたいと考えていました。これが私たちホンダの成功の鍵でした。米国でビジネスを始めると決めて以来、ホンダは顧客、ビジネスパートナー、ホンダの従業員、そして彼らが住み、働いている多くのコミュニティーと特別な関係を築いてきました。ホンダを受け入れてくださった米国の皆様に感謝いたします。藤澤武夫は自動車大国である米国で成功することを夢見ていました。彼は今回の米国自動車殿堂入りをとても喜んでいると思います。そして私たちホンダ全てのメンバーが大変光栄に思っています。藤澤武夫の精神とビジョンはホンダを導き続けています。米国でのホンダのビジネスはホンダ50から始まりましたが、彼のビジョンにより、その活動はHondaJetを含むさまざまな新たなモビリティへと続いています」。

藤澤武夫氏の略歴

1910年11月10日:東京都生まれ
1949年10月:本田技研工業株式会社 常務取締役として入社
1952年4月:同社 専務取締役
1964年4月:同社 取締役副社長
1973年10月:同社 取締役副社長を退任、取締役最高顧問 就任
1983年10月:同社 取締役を退任、最高顧問
1988年12月30日:死去(享年78歳)