ニュース

2日かけてじっくり見たい!「スズキ歴史館」を見学 初の市販車「スズライト」や軽乗用車「フロンテ」に、2輪/4輪のレーシングカーも展示

静岡県浜松市のスズキ本社向かいにあるスズキ歴史館を見学してきた。入館は無料だが完全予約制となるため、事前にWeb、もしくは電話での予約が必要。開館時間は9時~16時30分で、休館日は月曜日、年末年始、夏期休暇など

スズキの歴史が詰まった博物館、その名も「スズキ歴史館」

 スズキ歴史館には面白いものがたくさんある。以前、まだ本社の隣にあった倉庫に並べられた展示品には織機や2輪車、4輪車があり、列の端の方にはエンジンが並んでいて、なんとF1用のエンジンだった。見学できたのはV10だったが本格参戦に向けてチームも決まっていたようだ。残念ながらバブルの崩壊と共に参戦意義が見いだせなくなり実際に走ることはなかったが、高い技術力のあるスズキが走らせたらと思うと惜しまれる。

 スズキの始まりはトヨタと同じく織機から始まった。創業者、鈴木道雄が生きた時代。大正から昭和にかけて繊維産業は日本の花形輸出産業だった。豊田自動織機から少し遅れて発明された鈴木自式動織機は構造が異なって使いやすかったと言われ、スズキ飛躍の原動力となった。

 大正から昭和にかけて世界不況の中で織機の販売も落ち、経営の多角化を目指して発動機にも手を広げた。織機で培った動力技術が活かせ、今後成長が見込まれる発動機の生産は理にかなっていた。

 スズキ歴史館は3階からなっており、フロアによってテーマごとになっているので見学しやすく興味深いものばかりだ。

 訪問すると広報部で歴史館担当の馬越さんが出迎えてくれた。馬越さんの名案内で各フロアを効率よく見学することができた。時間が限られての訪問だったので大変ありがたい。

前から興味のあったスズキ歴史館に訪問
スズキ歴史館の入り口では記念スタンプを押せる
1階にはスズキのグッズをそろえるコーナーがあり、歴史館限定のアイテムもある

スズキ歴史館

住所:静岡県浜松市中央区増楽町1301
電話番号:053-440-2020
開館時間:9時~16時30分(予約制
休館日:月曜日、年末年始、夏季休暇など
入館料:無料
駐車場:有り(50台)

自動織機から始まり、自転車にエンジンを搭載し、商用4輪車へ

 最初のフロアにはスズキのカーボンニュートラルのホープが展示されていた。これはスズキの主戦場でもあるインドの環境車だ。牛糞からバイオマス燃料を生成するプラントを作り、アルトサイズの4輪車を動かす。2023年のジャパンモビリティショーでも展示され、注目を集めた斬新で現実的なアイデアだ。少し前にインドのモディ首相は「インドのエネルギー対策は?」と聞かれ、人口より多い牛を指したという。最初は冗談かと思ったがこのクルマを見るとどうやら本気らしい。将来のスマートな環境対策だと思う。

インド市場向けのCBG車。ベースとなっているのはワゴンR
スズキは、人口よりも牛の数の方が多いというインドで、10頭の1日の牛糞からクルマ1台の1日分の圧縮バイオメタンガス(CBG)燃料を作り出すことで、大気中CO2を削減する地産地消型のCBG事業に取り組んでいる

 このフロアには貴重な2輪車/4輪車が置かれていたが、残念ながら2輪車はチンプンカンプンなのでどうしても奥に置いてあったJrWRCに参戦していたイグニスとスイフトが気になる。スズキスポーツにマネージメントされたイエロー旋風は心に残っている。特にラリージャパンではいたるところで黄色のフラッグが振られ、甲高いNAエンジンの音を響かせてコースをいっぱいに走る姿は心から応援したくなった。GrAの時代はまさに市販車ベースだったしコンパクトなFF車は身近な存在と感じられなおさらだ。

JrWRCに参戦していたイグニスとスイフト
特別にボンネットを開けていただき、エンジンルームを見せてもらった
許可を得てイグニスのドライビングシートに座らせていただくという特別な体験もできた

 2輪車も歴代のワークスレーサーが展示され、今にもスズキサウンドが聞こえてきそうだ。そしてホンダやヤマハが手掛けているようにスズキもさまざまな船外機を生産している。展示されていたDF350Aは本当に大きい。どんな船に装着されるのだろう。

2輪車の歴代ワークスマシンも多く展示
スズキ最大級の総排気量4390cm3を誇る4ストロークV型6気筒エンジンを搭載する船外機「DF350A」

 そのまま長い階段を上がって3階に進むと鈴木式自動織機を操る手ぬぐい掛けのマネキンさんが出迎えてくれる。今にもガチャン、ガチャンと音がしそうだ。使いやすい自動織機は世界に輸出されて今のスズキの礎を作った。

スズキの創業者である鈴木道雄氏の胸像も展示。その功績や人生の軌跡が知れる
階段の天井には自動織機まで続く織物が飾られる
2色の横糸を自動的に切り替え、柄入りの布を織れるようにしたのがスズキの織機の特徴

 戦後になって他社同様に自転車に2ストロークエンジンを積んだ2輪車で産業の足というイノベーションを起こした。スズキにとって「パワーフリー」が最初の量産2輪車となるが、今の電動自転車よりさらに商業に密接し、人々が渇望していた運搬や移動による産業の隆盛に貢献した。

2輪車メーカーとしての原点となったスズキ「パワーフリー」。写真は1952年の「E2」型

 4輪は1936年から研究を始めていたが戦争で中断。本格的に生産を始めたのは戦後10年を経過した1955年からだった。当時はリアエンジンかFRだったのにスズキは自社の生産工場の制約という理由もあったが横置きFFで挑戦した。いかにもチャレンジ精神旺盛なスズキらしい。等速ジョイントやブーツの耐久性に苦労したが軽自動車スズライトの誕生だった。

スズキが初めて生産した市販車となった「スズライト」

 もっとも需要のあったのは軽トラックで、まだまだ乗用車の隆盛は国民車構想まで待たなければならないが、商用車は360ccでも2ストロークで力があり、今でも名前の一部が引き継がれているスズライト・キャリイがホープだった。

 パッケージングの工夫で荷台を長くしたL20型キャリイはアサヒビールの斡旋車両として重いビール箱をたくさん詰んで街を走りまわっていたという。

アサヒビールの当時のデザインを復刻した「スズライト キャリイ L20」
働くクルマ「キャリイ」の歴史

 日本人がモータリゼーションという言葉を聞いたころ、第1回日本GPが鈴鹿サーキットで行なわれ、スズキはフロンテを持ち込んで軽自動車部門で圧勝した。コラムシフトの2ストロークFFは軽くパワフルでほかを寄せてつけなかった。自分がスズキの存在と技術を知ったのはこれが最初だった。ちょっとミニにも似ているゼッケンをつけた四角い軽自動車が展示されている。当時はワークスカーと言っても市販車とそれほど変わっていなかったから実力だ。

 時代をさらに下るといよいよ家庭にも自動車がやってきた。スズキは当時マスタングに端を発して流行の兆しを見せていたコークボトルラインを取り入れたリアエンジンのフロンテ 360を投入した。これまでのスズキ車と異なり曲面を使ったオシャレなデザインで人気だった。このころ思い出すのはフォーミュラJrといったフォーミュラカーで、360ccの2ストロークエンジンを搭載してめちゃくちゃ速かったことだ。ワークス参戦での実験だった。

 このスズキの4輪車の黎明期、スズライト、スズライト・キャリイ、フロンテはそれぞれジオラマが作られて時代背景も当時の雰囲気がよく分かる。

1階に展示されていた1969年式フロンテ 360(LC10型)。内装も当時のまま
3階に展示されているフロンテ 360は当時の日本の家を再現したジオラマと一緒に展示。1960年代の雰囲気に紛れ込んで撮影もできる
イタリア半島をミラノからナポリまで縦断したフロンテ 360

 名車、ジムニーの初代も展示されている。ジムニーが生まれたのは1970年。伝説は富士山登山で始まる。軽い車体と大径タイヤ、それにパワフルな2ストエンジンとパーマネント4WD。最初のころ、実力はあまり知られていなかったが、その真価が徐々に知られるようになると口コミでジムニーで行けないところはないと広がり、今では世界中で愛されている。

初代ジムニー

 小型車で心に残るのはフロンテ800。800ccの3気筒2ストロークのFFで芸術的な美しいラインと曲面はピカイチだった。当時激戦区だった小型大衆車クラスでサービス網、販売力などで苦戦して振るわなかったが、今でも自分の中では幻のスズキ車だ。フロンテ800は1969年に終了し、軽自動車に専念して1983年のカルタスの登場まで小型車では空白の時間がある。

流麗なスタイリングが高い評価を得たというフロンテ800。スズキのロゴもオシャレ

 そして今に続くアルトの登場は1975年。商用車の枠組みの中で価格を抑え、クルマを身近なものにしようという画期的なものだった。47万円は衝撃的だった。2ドア+ハッチバック、リアウィンドウには荷物の横荷重を支える横バーが入っており、リアシートはバックレストが垂直だったが、たくさんのユーザーに支持された歴史に残る名車になった。

「さわやかアルト47万円」というキャッチフレーズで1979年に登場した「アルト」
アルトは愛され続け、1980年代後半には「アルトワークス」も人気を博した

 同様に1993年に登場したワゴンRもハイトワゴンと乗用車のメリットを活かした多目的車のパッケージングが受けた。プレゼンは鈴木修社長(現相談役)自ら行ない自信満々だったのが忘れられない。その自信どおりワゴンRも大ヒットした。スズキ相談役恐るべし!

トールワゴン人気の火付け役となった「ワゴンR」

 スズキらしいマイクロスポーツカー、カプチーノも忘れられない。コンセプトカーのデザインも秀逸だったが量産車もデザインスケッチに近かった。そしてFRレイアウトに重量配分51:49、スズキらしくよく回る3気筒DOHCインタークラーターボ、4輪ダブルウィッシュボーン、どれをとっても一級のスポーツカーだった。ウチのドラスクによく来てくれた人も毎回カプチーノで来てくれ、その度に「今度はここを改良しました」と見せてくれた。いずれも自作した導風板やブレ止めなどで存分に楽しんでいた。耐久性、サービス性は抜群だったようだ。

 もう1つ面白いものがあった。前回の日本万博(EXPO'70)で使われたキャリイだ。前後の傾斜が同じで、横から見ると6角形のようなデザインとなっている。確かジウジアーロのデザインだったと記憶しており、デザイン性の高いバンだった。EXPO70仕様は電気自動車に改造されており、鉛バッテリで航続距離は期待できないが、すでに今日を予測して排出ガスを出さないモビリティを研究していた痕跡だ。

日本万博博覧会(EXPO'70)で使用されたキャリイ バンをベースにしたEVを復元

開発から生産まで、クルマづくりを見学できる2階

 2階に下りるとクルマができるまでを追体験できるフロアになっている。クルマの企画、デザイン、設計、実験といった開発ゾーンから工場で活躍するロボットまで設置された生産ラインもあり、クルマ作りが実感できるようになっている。子供たちにも疑似体験できる素敵な企画だ。

2階はクルマの開発から生産まで体験できるフロアとなっており、工場で実際に稼働しているロボットを動かすこともできる
樹脂成形のブースではスズキ歴史館オリジナルの初代アルトのキーホルダーがもらえる
工場のラインを摸した展示もあり、どのようにクルマが生産されているかが分かる

 また、世界でスズキ車を使っている人々がどれだけ多いのか実感できるゾーンもある。民族衣装の立体像がそれぞれに国の言葉であいさつしてくれるので分かりやすい。これだけ多くの国で使われているのかと思うだろう。

 さらに遠州コーナーでは浜松を中心とした遠州地域の巨大な航空写真が床にあり、学校や住む地域まで分かる。これは誰でも楽しめるゾーンだ。遠州の人々にとっても地元への愛着が湧いてくるに違いない。

床一面に航空地図が掲示されている遠州コーナー。自分の家を探したり、通っている学校を探したりと、子供たちにも大人気とのこと

 このスズキ歴史館、飽きない施設になっている。2日必要だと言った人もいたようだがホントにそのとおりだと思った(残念ながらF1エンジンはなかったけど)。

 事前の予約が必要だが、浜松に行くことがあればぜひ見学をお勧めする。面白いから!