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日産「名車再生クラブ」、1995年の「NISMO GT-R LM ルマン仕様」のレストア完了
2016年2月12日まで日産グローバル本社ギャラリーに展示
(2015/12/15 15:23)
- 2015年12月13日発表
日産自動車の歴史的車両を復元する「名車再生クラブ」は12月13日、日産グローバル本社ギャラリーで今年レストアを行なった「NISMO GT-R LM ルマン仕様」を公開した。同モデルは2016年2月12日まで同ギャラリーで展示される。
名車再生クラブは、日産テクニカルセンター内の開発部門に属する社員を中心に構成される有志のクラブ。「日産の財産である歴史的な車両を当時の状態で動態保存する」「再生する過程で、当時のモノ造りを体感し、技術的な工夫や設計の考え方を学ぶ」という活動目的のもと、今年は1995年のル・マン24時間レースで総合10位(クラス5位)に入賞した「NISMO GT-R LM ルマン仕様(GT-1クラス、22号車)」をレストア。今回の一般公開に先駆け、11月29日に富士スピードウェイで実施された「NISMO FESTIVAL 2015」では近藤真彦監督のドライブによって走行シーンの披露も行なわれている。
SUPER GT、ブランパン耐久シリーズ優勝など“GT-Rの年”を祝った「NISMO FESTIVAL 2015」リポート
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20151208_734146.html
今回の完成披露会では、クラブ代表の木賀新一氏、R33・R34商品主管を務めた渡邊衝三氏、NISMO(ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル)最高執行責任者の松村基宏氏、グローバルマーケティングコミュニケーション部でヘリテージ系を担当している中山竜二氏らが登壇してNISMO GT-R LM ルマン仕様の完成を祝うとともに、現場監督を務めた磯部雅彦氏から車両再生のポイントについて紹介が行なわれた。
磯部氏によると、外観では樹脂製リアバンパーの割れと塗装の剥がれを修復するとともに、「NISSAN」「BRIDGESTONE」「FMS(FOOD MARKETING SERVICE)」などのステッカー類を刷新。もっとも苦労したというヘッドライトでは、ICHIKOHの協力のもと新たに作り直しを行ない、オレンジのポジションランプが追加された当時の仕様を手加工で再現するとともに、HIDライトはサイズの近い当時の製品をもとに再現したという。
また、フロアはオイル漏れなどで錆がひどかったことから、再塗装して車体の腐食を食い止めたほか、ブレーキマスターシリンダーとクラッチマスターシリンダーは同タイプの新品に交換。ダクトやボルト類は航空機のものが使われていたそうで、非常に入手しにくかったそうだが、NISMOやサプライヤーの協力のもと新品に交換されている。
そのほか、サスペンションリンクは1995年の製作当時に表面処理がほとんどされていなかったそうで、錆がひどかったという。そのため防錆力が高いというカチオン塗装が今回行なわれている。また、前後ブレーキキャリパーのオーバーホールを実施したそうだが、フロントのピストンシールが特注品のため当時と同様のものを急遽作ったそうだ。
初めに登壇した木賀氏は名車再生クラブの紹介を行なうとともに、今年NISMO GT-R LM ルマン仕様のレストアを決めた理由について「2015年は日産自動車がル・マン24時間レースに復帰した記念すべき年ということと、このモデルが20年目の節目に当たるということで、当時の技術力と世界の強豪に果敢に挑んだ熱い想いを振り返りたいということから決定した」と紹介。また、「外観が通常の格好していたので(中身も)その延長線上にあるのかと思ったが、正直こんなにレーシングカーだったのかと驚いた」とコメント。NISMO FESTIVALでは1分54秒あたりで周回できたことも明かした。
また、松村氏は「木賀さんから1分54秒で周回できたと言っているが、今のGT3車両で1分42秒くらい。それからするとよく走るなと思った。クルマを再生する際、普通に走らせることはさほど難しくないと思うが、レーススピードに近いスピードで20年前のクルマを走らせるというのは、それ相応のメンテナンスに細心の注意が必要になる。NISMO FESTIVAL当日は私はサーキットサファリのバスガイドを務めていたが、外国人のメディアの方に解説しているときに“こんなに古いクルマがこんなスピードで走れるのか”と驚きと称賛をいただいた。名車再生クラブは普通のクルマに加えてレーシングカーもいじれるようになったのは素晴らしいし、日産・NISMOとして大切な1台がまた再生されたのは喜ばしいこと。今後もNISMOと密な連携を図り、技術的な経験と情報の交換を行なってくれればいいなと思っている」と述べた。
そして渡邊氏はNISMO GT-R LM ルマン仕様で参戦した当時を振り返り、「R32 GT-Rは非常によくできたクルマと評価されたが、R33 GT-Rは前評判からしてあまり望まれていなかったような感じがした。そのなかでとにかく成功しなければならないということで、R32 GT-RでやっていてR33 GT-Rでやっていないことを考えたときに、モノとしてよくなければならないのは当然だが、“ハク”を付ける必要があった。そこでル・マン24時間レースに挑戦することを決めた」という。
また、1995年のル・マン24時間レースでドライバーを務めた近藤監督が、今回のNISMO FESTIVALでドライブしたことにも触れ、「当時のル・マン24時間レースでのシーンを思い出し、グッとくるものがあった。それも一重に名車再生クラブの皆様方の努力のおかげということで心から御礼を申し上げるとともに、今の“技術の日産”とか技術のアイデンティティというものを確立しようとしているところで、名車再生クラブが下支えとなる活動だろうと私は思っている。いつまでもこの活動を続けていただいて、1台でも多くの名車を再生していただきたいと思っている」とエールを送った。