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勝田貴元選手、日本人として篠塚選手に次ぐ34年ぶりのWRC優勝に「2人目になれたこと。すごく光栄に思ってますし、誇りに思います」

ゴール直後の「パパ、1番になったよ」の真意も語る

WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニアを優勝した勝田貴元選手(左)とアーロン・ジョンストン選手(右)

 3月15日、WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニアがゴールを迎え、TOYOTA GAZOO Racing World Rally Teamの勝田貴元/アーロン・ジョンストン組(18号車)が優勝した。勝田貴元選手、アーロン・ジョンストン選手にとってもWRCトップカテゴリー初優勝となったこのレース、日本人がWRCを制するのも1991年、1992年のアイボリーコーストラリーにおける篠塚建次郎氏以来で、34年ぶりの快挙になる。

 1日おいた3月16日、ヨーロッパの自宅に戻った勝田貴元選手の日本向けメディアインタビューが行なわれた。勝田選手は篠塚選手以来という歴史の重み、WRC優勝の意味、そして家族や今後への思いを語ってくれた。

トップでゴールする勝田貴元/アーロン・ジョンストン組

 なお、インタビューの翌日となる3月17日は勝田選手の誕生日となり、家族でWRC初優勝と誕生日を祝い、その後は4月9日から始まるWRC第4戦クロアチア・ラリーへの準備を進めていくとのことだ。

勝田貴元選手 WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニア優勝後インタビュー

司会:みなさんオンラインでお集まりいただきありがとうございます。WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニアの報告会ということで、まずは勝田から今回優勝についてコメントをさせていただいて、それから質疑応答に移らせていただきます。勝田さん、聞こえますか?

勝田貴元選手:はい、聞こえます。

司会:おうちに着いたばっかりですよね、今。

勝田貴元選手:はい。さっき着きました。

司会:一晩経って、今の気持ちをみなさんに伝えていただければと思います。

勝田貴元選手:はい。WRC第3戦サファリ・ラリー・ケニアの報告会ということで、結果をご存じの方もいらっしゃるかと思うのですが、自身初の(WRC)総合優勝をすることができました。

 日本人としても34年ぶりと僕も聞いていて、その前は篠塚建次郎さんが34年前に優勝。それはサファリではなくて確かアイボリーコーストっていう違う国でのWRCイベントだったという記憶なのですが、そちらで優勝された篠塚さんから34年経って、2人目の日本人優勝ということで。僕は歴史とか何回目とかあまり気にするタイプではないのですが、やはり篠塚選手が34年前に築き上げたというか、優勝して1つの歴史を作ったその2人目になれたことはすごく光栄に思ってますし、誇りに思います。

 まずはそこが1番なのですが、自分としては一晩経っての気持ち的な部分で言うと、あんまりまだ実感がないというか。

 ホテルで寝てから帰ってきたわけではなくて、ラリーが終わって空港に直行して、飛行機の中で寝て今に至るので。今こちらはヨーロッパのお昼なのですが、そんな状況で今でもあまり実感がというか、夢だったのかなって思うぐらいの感覚です。

 でも本当に長い1週間だったので、いつものラリーウィークとはちょっと違ったような感覚も少しあって、それも1つの要因かなと思うんですけど。

 あとはいろいろな方からの祝福だったり、自分もそこをずっと目標に戦ってきて。11年前……2015年ですね。このTOYOTA GAZOO Racingが立ち上げた若手育成プログラムのチャレンジプログラムで、2015年からフィンランドに引っ越して、ラリーのキャリアが始まったのですが、そこから11年経って、ここでようやくWRCの舞台で表彰台の一番上に立つことができて、本当にそこは、関わってきてくださった一人ひとりのみなさんにまず感謝の気持ちというところと、最初から今も継続してですけど、ずっと力添えというか強い思いでサポートしてくれているモリゾウさん、豊田章男会長に本当に感謝の気持ちをすぐに伝えました。今もすごくそこは強く思っています。気持ちの部分ではそんな感じです。

ゴール直後の勝田貴元選手

 1週間、本当に長い1週間で、初日からトラブルがあって、インターコム、ペースノートというものが聞こえない状況から1番難しいステージが始まって。そこは4番手でなんとか抑えられたというか、コンディションの変化もあってロスも最小限に抑えられたのですが、その後、今度は金曜日にダブルパンクチャーがあって、あと1本でもパンクしたらリタイアになってしまうとか。

 土曜日も同じ状況でダブルパンクチャーがあって、あと1本でもタイヤに何かあったらリタイアっていう状況が2回ほどあったのですが、そこもなんとか乗り越えて。結果的に土曜日を終えたころにはトップに立てていたので、そこからはリスクマネジメント、1分20何秒あった貯金をうまく使いながら、プッシュしてタイムを競うっていうよりかは、チームからも「状況が状況だったので、本当に最後まで走り切ってほしい」っていうところで。

 もちろん1位という結果を持ち帰った上で走り切ってほしいということだったので、日曜日に残っていた4つのステージをうまくタイム計算しながら、かなりペースを落として走り切りました。

 ペースを落としてもやっぱリスクはあるので、何があってもおかしくない状況というのは間違いないんですけど、そのリスクを最小限に落とした中で走り切って、最終的に総合優勝という形で終えることができて、本当にチームのみんなに感謝してます。

 まずはそんな感じで、僕の方からは以上という形で。ごめんなさい、あんまり頭が回ってなくて今。(この会見は)質疑応答がメインと聞いていたので、あまり深く言うよりかは。途中のところでも何かあれば聞いてください。

──優勝おめでとうございます。FIAの公式SNSも告知していましたが、勝田さんは明日(3月17日)が誕生日とのことで、誕生日もおめでとうございます。勝田さんが話したように、最初トラブルがあり遅れた展開になり、2日目もトラブル。3日目もトラブルがありました。これまで速い走りは何度か見せていただいたのですが、強い走りをすごく見せてもらいました。この強い走りができるようになったきっかけとか、強い走りをつかんだ部分は何かありますか?

勝田貴元選手:この(ケニア)ラリーは、得意としているラリーと思っていたので、自分としては過去に3回表彰台に乗っているこのラリーで、今年ももちろん表彰台、もちろん優勝を狙っていくっていう思い。

 ただサファリ・ラリー・ケニアというのは、昔からかなりタフなラリーで、コンディションも非常に荒れますし、クルマにトラブルが頻繁に起こる、そんなラリーです。そこを考えたときに、アプローチとして、例えば前戦のスウェーデンのような、全コーナー、1個1個のコーナーを限界で走り切る、そこで0.1秒、0.05秒を削っていくアプローチではなくて、どちらかというと1週間を長く見たアプローチの仕方というか、マネジメントの仕方。スピードを多少犠牲にしてでも大きなロス、パンクだったりそういったロスをなくすという。そういうアプローチをしていこうと考えていました。

 だからこそ最初のトラブル、SS1は非常にコンディションが荒れて、スコールみたいな大雨が降ったので難しいコンディションだったんです。そこでスタートラインに立った瞬間に、コドライバーと無線……ヘルメットの中で無線がつながっているのですが、それがまったく機能しなくなってしまいました。クルマの中にエマージェンシー、緊急用のいろいろなスペアがあるので全部付け替えたのですが、スタートするまでの40秒ぐらいの間で、それも全部むなしく何も機能せず、もう時間もなかったのでそのまま何も聞こえない状態でスタートしました。

 ステージも今回のラリー・ケニアの中で最もツイスティ、狭くてコーナーが多くて、かつ岩もすごくたくさん出ているようなステージだったので、自分の中でどこまでできるかなっていう不安はありながらも、アーロンがペースノートの情報を指でハンドジェスチャーで指示してくれて、それを理解しながら20何kmのステージを走り切りました。結果的にそのステージは4番手タイムで。3分とか遅れてぶっちぎりの最下位かなって思っていたんですけど、なんとかうまくコンディションだったり対応できて。トップから1分差はあったんですけど、4番手で終えてロスは最小限に抑えられたかなと思っています。

 ダブルパンクチャーがその後の金曜日にあったのですが、そのときもパンクだけでなくブレーキラインだったりとかブレーキのホースですね、そこもダメージを受けてしまったので、直したりしながらの走行になり、あと1本でもパンクしたらリタイアっていう状況が2回ほどありました。

 いつものときだったらロスを最小限に抑えたいので、リスクを負ってプッシュしたりするのですが、今回は本当に長い1週間になるという予想をしていたので、無理せずに、パンクだけしないように、最小限のリスクでタイムロスを最小限に抑えようという、そこに徹したっていう感じです。

 土曜日もまったく同じで、そのアプローチで行った結果、残念ながらダブルパンクチャーをまたしてしまったのですが、うまく乗り越え、午前のループが終わるころにはライバル勢のトラブルだったりとか。

 僕のダブルパンクチャー以上に多くのトラブルが発生していました。その影響もあって7番手に落ちたところからトップに立って午後のループに入りました。

 午後のループに関しては、結構晴れて、乾燥してきて、濡れているところがなくなったところと、逆にスコールが向かってきているという情報も入ってたので、ドライでまだいけるところである程度タイムを稼いで、雨が降ってきたらちょっと抑えようという、そういうアプローチをしようと思っていました。

 運良くか悪くか雨が降らなかったので、最初の2つのステージは割とドライのコンディションで、そのコンディションだと自分もそんなにタイムも悪くなかったので、2番手の選手、ヒョンデのエサペッカ・ラッピ選手に対して18秒ぐらいの差をつけることができ、貯金を少し増やせたっていうような感じです。

 (3日目の)最後のステージに関してはキャンセルになってしまいましたが、そのステージは本当にすごいスコールが降って。ゼロカーという、僕たち競技者が走る前に走るクルマがコースのフィニッシュまでたどり着けないような状況になってしまいました。

 そうすると僕たちコンペティター、競技しているドライバーたちに何か緊急の事故があったときに緊急隊が現場に駆けつけられないとか、安全面の問題がたくさん出てくるので、そういった理由でキャンセルになったと聞いています。

 そこからはどちらかというと先ほどもお話ししたように日曜日は自分のタイム差を見ながらリスクマネジメントしてという感じで。本当に1週間通してサファリ・ラリーだからこそなアプローチではもちろんあったのですが、強さというか、大きな1個1個のステージというより、1週間を見越した上での戦いができて、それが結果にもつながったのかなと思います。

──ゴール後のインタビューで、「これが最初の勝利であって最後の勝利ではない」ということをおっしゃっていましたが、何かWRCで勝つコツみたいなのはつかまれたでしょうか。

勝田貴元選手:コツというか、やっぱり感覚的には1回目をどうしても取りたくて、本当に極限の、なんて言うんですかね。本当に行き過ぎてしまえば紙一重のところで戦っている部分ももちろんあるので。そんな紙一重のところで気持ちが少し行き過ぎて、行き過ぎた瞬間にミスにつながってしまったりとか。その少しのミスがクラッシュにつながってしまったりとか。それがこのWRCの難しさでもあるので。

 今までは初優勝をどうしても取りたいという思いが強いが故にミスしてしまった場面もあったり、ライバルと戦っていく中で、ここはまだ抑えればいいのにってところを、今のうちに貯金を作っておきたいとか、そう思う部分があったりしました。

 今回勝ったことによって、アプローチの仕方というか考え方、自分の頭の中では分かっていてもやはり心の中にあるどうしても勝ちたいとか、そういった気持ちが自分では理解していない部分で多分あると思うので、なんて言うんですかね。自分の感覚的にも分からない部分っていうのか。

 例えばセバスチャン・オジェ選手もそうですけど、みんな言うのは「1回勝つと本当に変わる」って。エルフィンも言ってたのですが、1回目を勝つまではどうしても勝ちたくて、みんながんばって行き過ぎてとかでミスが続いてなかなか勝てないって場面が多くて。1回勝つと、そこを行かなくてもあとからまたっていうか……。なんかこう心にすごい余裕が持てるって、みんな言っていました。それは今、少しだけ分かるような感じがしていて。

 やっぱりずっと何か重かったものが少し軽くなったっていう感覚は、今、この一晩明けた段階ですでにあるので、何かしらの違いがあるかなと思いますね、やっぱり。

──総合優勝本当におめでとうございます。お子さまたちに伝えた言葉などが非常に印象に残っているのですが、ずっと思い描いていた優勝の瞬間と、実際につかみ取った優勝の瞬間、違いとかギャップはありましたか?

勝田貴元選手:家族の感謝というところで、これはプライベートというか個人的な話なのですが、やっぱり今まで勝ったことがなかったので、ラリーに1週間以上出かけて、帰ってきたときに子供たちが「パパ何番だった?」って、「お帰り」って言いながら聞いてくるんですね、無邪気に。で、スウェーデンのときは2番だったので、「2番だったよ」とか。

 本人たちも見てるので知ってはいるのですが、やっぱり聞きたいから聞くんで。そういうときに「1番だったよ」と言えないのがすごい僕的にも悔しくて。

 早く「1番だったよ」って伝えたいなって思っていて。ようやくそれを達成できたので、あれはもう本当にふと出てきて。英語だと多分息子の方にまだ伝わらないなと思ったので、日本語で「(パパ)1番になったよ」っていうのはそういった意味で言いました。

1度勝利をつかんだドライバーとしての走りに期待

ライバルから祝福を受ける勝田貴元/アーロン・ジョンストン組

 勝田選手はこれまで2位、3位の表彰台は何度もあるものの、あと少しのところで勝利を逃すことがあったのは、WRCを見ている人であればよくご存じのことだろう。その裏には、初勝利を望むが故の焦りというものもあったと、今回とても明るく語ってくれた。

 モータースポーツの世界では、一度勝利すると別人のような走りとなり、その後何度も優勝するドライバーは数多くいる。勝田選手はラリー三河湾来日時のインタビューにおいてケニアでは「表彰台の一番高いところ」をと語っており、さまざまなプレッシャーに打ち勝ち、世界的なスポーツにおいてラリー・ケニアで最速かつ最強の結果を残した。

 シリーズランキングもポイント差を詰めて3位となり、第4戦クロアチア・ラリー(4月9日~12日)、第5戦ラリー・イスラス・カナリアス(4月23日~26日)、第6戦ラリー・ポルトガル(5月7日~10日)を戦い、5月28日からの第7戦ラリージャパンに挑むこととなる。

 そこまでの戦いも楽しみだし、シリーズランキングの変化も楽しみだ。篠塚選手も成し遂げられなかったのが、同一年での複数勝利。勝田選手は日本人ラリーストとしてさらなる高みに挑んでいく。