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ホンダの二足歩行ロボット「P2」がIEEEマイルストーン認定、三部敏宏社長が「失敗を恐れぬ挑戦が未来を作る」と決意を語る
2026年4月30日 10:07
- 2026年4月28日 開催
本田技研工業は4月28日、1996年に世界初の人間型自立二足歩行ロボットとして発表した「P2」が、世界最大の技術者組織であるIEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)より「IEEE マイルストーン」として認定されたことを受け、埼玉県和光市の「Honda和光ビル」にて記念式典を開催した。
式典はIEEE主催による「IEEE マイルストーン贈呈式」と、ホンダ主催で当時、開発を支えた大学やサプライヤー各社への「感謝プレート授与式」と、最後にP2開発を主導した本田技術研究所の竹中透氏らによる記念講演が行なわれた。
世界が驚愕した「P2」の功績とIEEE マイルストーン
「IEEE マイルストーン」とは、電気・電子・情報・通信分野において、開発から25年以上が経過し、社会や産業の発展に多大な貢献をした画期的なイノベーションを認定する世界的に権威のある制度。過去にはトーマス・エジソン氏やグラハム・ベル氏の業績も認定。日本からは指向性短波アンテナ(八木・宇田アンテナ)が最初に認定され、クルマ関係ではハイブリッド技術を搭載したトヨタ・プリウスが2024年に認定されるなど、歴史的業績が並んでいる。
ホンダにとって今回の認定は、2017年に認定された「世界初のマップマッチング車載ナビゲーションシステム(1981年)」に続くもの。認定された「P2」は、1986年から始まったホンダのロボット研究における第2世代のプロトタイプであり、その後の二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」の元になる。1996年12月に発表された際、世界中に「SFの世界が現実になった」と思わせるほどの衝撃を与えたモデルだとしている。
P2が世界を変えたとIEEEが絶賛
最初に行なわれた贈呈式では、まずIEEE名古屋支部長の上原秀幸氏が登壇。「P2が示した高度な運動制御は、それまでの夢であった『人間とロボットが共生する社会』の可能性を、世界に先駆けて具体的に示した」とその意義を強調した。
また、上原氏はホンダ創業の地である浜松が、IEEE名古屋支部の管内であることに触れ、本田宗一郎氏が掲げた「失敗を恐れぬ挑戦」の精神が、今日の発展の原動力であると祝辞を述べた。
続いて、2020年にIEEEプレジデントを務めた名古屋大学名誉教授の福田敏男氏が、IEEE マイルストーンの意義を説明。福田氏は、ノーベル賞受賞者の田中耕一氏が「IEEE マイルストーンはチーム全員の功績を称えるものだからより嬉しい」と語ったエピソードを紹介し、認定が組織やパートナーシップの勝利であることを称えた。
福田氏はまた、P2が国際会議で初めて発表された当時の様子を振り返り、「全世界にショックを与え、その後のロボット研究に大きな変化を与えた」と語った。当時の二足歩行ロボットは、外部の巨大なコンピュータと太いケーブルでつながれた「紐付き」が一般的だったが、全ての制御システムと動力源を内蔵して自律歩行を実現したP2の登場は、まさに「エポックメイキング」であったと称賛した。
技術者たちの意思が未来においても人類に貢献し続ける価値を持つと三部社長
続いて、認定の銘板をアンベール。IEEEから認定銘板を受け取ったホンダの三部敏宏社長は、今回の認定を「過去の賞賛ではなく、当時、暗闇の中でたいまつを掲げた技術者たちの意思が、未来においても人類に貢献し続ける価値を持っているという力強い証明である」と表現。
三部社長は開発の苦難の歴史にも言及し、1986年に着手した最初の実験機「E0」は、わずか一歩を踏み出すのに時間がかかる不器用な存在だったという。「しかし、技術者たちは『人間ができることが機械にできないはずがない』という根拠のない、しかし揺るぎのない確信を胸に、10年以上の歳月をかけて転倒の恐怖を克服し、ダイナミックバランス制御を確立した」と当時の執念を振り返った。
さらに三部社長は、「もし私たちが一度の失敗もせず、平坦な道を歩んでいたとしたら、今日のこの名誉ある認定を受ける資格はなかった」と述べ、失敗を糧にするホンダのDNAを改めて強調。
P2で培われた技術は、ASIMOを経て、現在は遠隔操作アバターや宇宙ロボット、さらには自動運転技術へと脈々と受け継がれていることを明かし、「未来の人々が、今の私たちの決断を振り返り、あの時こそが新たなマイルストーンの始まりだったと言っていただけるように、また前進していきたい」と締めくくった。
ホンダは技術で社会を変える会社と、経産省の伊吹局長
来賓として登壇した経済産業省 製造産業局長の伊吹英明氏は、「ホンダは技術で社会を変える会社だ」とし、現在、世界中で激化しているヒューマノイドロボットや「フィジカルAI」の開発競争において、その出発点は間違いなくP2であったと評価した。
伊吹氏は、日本が直面する労働力不足や災害対応といった課題に対し、ホンダが持つ「人を中心に据えた技術哲学」が極めて重要であるとし、ホンダが今後もAIとロボティクスの融合による新たな社会実装を切り開くことを期待すると述べた。
当時の開発パートナーへ感謝プレート授与
贈呈式に続いて行なわれたのは、ホンダ主催の「感謝プレート授与式」。三部社長は、「この成果はホンダだけで得たものではない。前例のない難しい要求に対し、共に悩み、最後までやり抜いてくださった皆様がいたからこそ、今日の評価がある」と、当時のパートナーへの貢献に対して謝意を述べ、銘板のレプリカである感謝プレートを5名に手渡した。
旭川医科大学名誉教授で東京大学大学院 特任研究員 高草木薫氏は、「人の行動をいかに工学的に実現するか」という問いに対し、生物学・医学的な知見を提供。ホンダが歩行制御系の基本コンセプトを構築する上で、多大な貢献を果たした。
神奈川リハビリテーション病院 病院長 杉山肇氏は、さまざまな歩行パターンにおける足の動き、床反力の計測、関節の解析など、当時のホンダが持っていなかった高度な計測技術とノウハウを提供。初期ロボットの関節仕様を定める上で不可欠な存在だった。
ハーモニック・ドライブ・システムズは、取締役の白澤直巳氏が受け取った。研究の初期段階から、ロボットの「小型化・薄型化・軽量化」という極めて高い技術課題に対し、同社の精密減速機技術をもって貢献。ハードウェア面での歩行ロボット実現に重要な役割を果たした。
昭和測器は代表取締役社長 森川章男氏が受け取った。ロボットの姿勢制御の要となる「6軸センサー」の開発に協力。研究の進捗に合わせ、小型化や性能向上に継続的に取り組み、歩行ロボットの基盤技術を支え続けた。
マイコン計測工業は技術部 部長 根本岳志氏に授与。多軸ロボット専用のコントローラボードを、高度な基盤設計技術により小型化。複雑な二足歩行制御をリアルタイムで実行する「頭脳」の実現に大きく寄与した。
記念講演では、P2発表時に世の中に与えた影響を振り返る
記念講演では3人が登壇。最初の登壇はIEEEプレジデントを務めた福田敏男氏で、P2が世界のロボティクス史において果たした役割をグローバルな視点から語った。
福田氏は、P2が1997年に国際会議で初めて発表された際の様子を、「全世界にショックを与え、その後の研究の流れを決定づけた」と振り返り、それが単なる機械を超えた「本物のイノベーション」であったと改めて高く評価した。
講演の中で福田氏は、自身の提唱する「フィジカルAI」という概念に触れ、情報処理だけでなく現実世界で物理的に作用するロボットの重要性を強調した。
P2はその先駆的な成功例であり、今回の認定は「失敗を恐れずに挑戦し続けたホンダの姿勢」が国際的に認められた結果であるとした。日本で59番目のマイルストーン認定となった今回の成果が、医療や災害対応、さらには宇宙開発といった広大なフィールドで社会を変革する「ゲームチェンジャー」として、次世代の技術者たちに新たな挑戦を促すことへの強い期待を寄せた。
P2開発主導の竹中透氏が語る、P2誕生までの「闇研究」と執念の技術開発
続いて登壇したのは、P2の二足歩行制御開発を主導した本田技術研究所 社友の竹中透氏。竹中氏は1986年に発足した「和光基礎技術研究センター」での研究開始から、1996年のP2発表に至るまでの10年間にわたる苦闘の歴史を、当時の貴重な映像と共に振り返った。
ホンダが人間型ロボットの研究に乗り出した理由は、30年後の事業を見据え、既存の移動体を超えた「分身」としての4次元モビリティを目指したためとのこと。
当時、2足歩行の実現は20世紀中には不可能と言われていたが、それが逆にホンダの挑戦心に火をつけた。初期の実験機「E0」は1歩に30秒を要する状態だったが、神奈川リハビリテーションセンターでの歩行解析や旭川医科大学での生物学的知見を取り入れ、一歩ずつ理想に近づいていった。
竹中氏は、表向きの研究とは違った「闇研究(非公式な研究)」の存在を指摘。当初、歩行の安定には「足をガチガチに固める」という方針があったが、それに沿うとわずかな段差で転倒してしまう。そこで、独断(闇研究)で足裏にゴムブッシュやスポンジを入れたスニーカーのような足を試作し姿勢安定化技術を磨き上げた。なお、竹中氏は当時の室長も闇研究に気づいていて黙認していたとし、闇研究はホンダの文化だと表現した。
そして、1995年には、人間が倒れそうになった際に、足を踏み出して踏ん張る動作を工学的に再現した「大局的姿勢安定化制御」が完成。これにより、階段や傾斜地での歩行、外力への耐性を可能にした。
1998年にP2を学会で技術発表、そのときの論文は、IEEEから最も影響力があった論文として表彰され、国際的な学会で各先生方からも、インスパイアされたなどと聞いたことがあるという。その後はロボットキットの発売、大学でロボット学科の創設、子供向けのロボット教室ができるなどの変化があったという。
ASIMOの遺産と「人を超える」次世代ハンド
最後に登壇した本田技術研究所 エグゼクティブチーフエンジニアの吉池孝英氏。P2以降の進化の象徴である「ASIMO」の歩みと、その技術が現在の最先端研究にどうつながっているのかを解説。
2000年に発表されたASIMOは、単なる移動機能の進化にとどまらず、9km/hでの走行や正確に地面を蹴ってのジャンプ、自律的な回避行動を実現した。ASIMOは世界のどこかで毎日デモンストレーションをしていたが、その裏には耐久試験を繰り返し、東京~大阪間に匹敵する500kmもの走行耐久試験をトレッドミル(ランニングマシン)上で行なっていたという。
ASIMOで培われたバランス制御技術は、現在、倒れないバイク「ライディングアシスト」や、全方位移動体「UNI-CUB」などの製品にも脈々と受け継がれている。
講演のなかで吉池氏が、特に熱弁していたのが、手に相当する「多指ハンド」技術。ロボットの研究では歩行の足が注目されがちだが「多指ハンド」技術も並行して研究していた。
初期の研究では関節にモーターを内蔵していたが、ASIMOでは油圧式に進化。ところが油圧では油漏れの可能性があることと、実際の人間の指先の動きは繊細さとともに力強さも必要。
そこでワイヤー駆動方式とし、2021年のホンダのワイヤー駆動ハンドでは、独自の技術により指先に5kg、ハンド全体で12kgという「人の約2倍」の強力な出力を持ちながら、針に糸を通すような極めて繊細な作業も可能とし、システム全体で45万回以上の動作に耐える高い耐久性を実現、すでに工場の生産ラインへの実装を想定した研究が始まっているという。
さらに、吉池氏は今後、フィジカルAIを活用し、触覚反応を用いた汎用的な作業スキルの獲得を目指していると語り、講演を締めくくった。










































