【特別企画】東日本大震災から1年 世界が驚愕した日本の高速道路(後編) わずか6日で応急復旧した水戸の崩落。そして今後の震災に向けた防災拠点化計画とは |
東日本大震災で崩落した常磐道水戸IC~那珂IC付近 |
2011年3月11日、14時46分頃、東日本を襲ったマグニチュード9.0の大地震。誰もが経験したこともない大災害の下にあって、わずか6日で崩落現場を復旧させた日本の高速道路会社に世界中が驚いた。
後編では、そんな常磐自動車道の復旧現場と、これからの本復旧の必要性。そして、NEXCO東日本(東日本高速道路)が考えるこれからの防災対策について、本田雅一氏が取材する。
前編では、地震と津波の両方に襲われた仙台東部道路の当時の様子、および災害からの復旧について話を進めた。その中でもっとも印象に残ったのは、災害を経験として取り込み、よりよい高速道路へと発展させる“前向きな復旧”への意識を、現場を担当するひとりひとりが持っていることだった。
後編では、盛り土崩落で1車線分がまるまる崩れていた常磐自動車道・水戸IC~那珂IC付近を、わずか6日間で開通させたNEXCO東日本 関東支社 水戸管理事務所への取材、それに、本復旧に向けての取り組み、SA(サービスエリア)の設備を災害対策に活用するため計画案についてリポートする。
■6日間崩落復旧の舞台裏
仙台管理事務所から南に下って常磐道に入る。水戸IC(インターチェンジ)を降りたところにあるNEXCO東日本 関東支社 水戸管理事務所の管区内では、高速道路に設置された地震計における最大震度である6強を記録していた。
水戸管理事務所 総務担当課長 渡部武照氏 |
総務担当課長の渡部武照氏は「地震後すぐに設置された災害対策本部でも、段差や多少のひび割れなどはある程度予想していました。ですが、まさか150mに渡って盛り土の崩落があるとは想像していませんでした。3月11日の19時になって、管内全域の被害状況を把握できましたが、写真を見て“これはすぐにでも手を打たねば”と、崩落現場の復旧計画が練られました」と振り返った。
この崩落現場は国内外で引用され、復旧の早さに世界中から称賛の声が挙がった現場である。まだ震災から6日後、被害状況の詳細や原子力発電所の事故状況を刻々と伝えるニュースに、多くの人が心を痛めつけられていた中、復興への希望を奮い起こさせるニュースだった。
震災から3日後の3月14日の様子 | 震災から5日後の3月16日の様子 | 震災から6日後の3月17日の様子 |
“日本の道路屋は、どんな魔法を使ったんだ”といったコメントが寄せられたが、現場では黙々と正攻法での復旧が行われていたという。
水戸管理事務所 工務担当 中澤康雄氏 |
工務担当の中澤康雄氏は「高速道路の基礎となる盛り土が崩落していますから、とにかく正攻法で、下地からやり直さなければなりません。本復旧時に、また盛り土から始めるわけにもいきませんから、応急復旧の段階から基礎部分に関しては本来の建設基準に沿ったものにする必要があります」と解説する。
150mと長い区間が一気に崩落したのは、このあたりだけ。大きな余震が続くことを考えれば、この区間だけが大きく崩れた理由を把握した上で、その対策も盛り込んでおく必要がある。中澤氏によると「何らかの原因で、この部分だけ土の水分量が多くなる原因があったのではと推察しました。盛り土に含まれる水分が多いと、地震によって崩落が発生しやすくなります」。
そこで、工事当初から本復旧を意識し、また余震対策も十分に考えられた復旧プランを立てた。まずは重機で崩落した部分の土を取り除き、そこに砕石を積み上げて土のうで土留めを行う。その上に通常のアスファルト舗装(高速道路用の高機能舗装ではない)を行うというプランを選択した。
砕石は土に比べコストがかかるが、崩落原因が水分であるとの推測から、水はけがよく地盤がゆるみにくい砕石を使用。また、高機能舗装ではなく、通常のアスファルト舗装を選んだのは、その当時材料が入手可能であったことと、崩落した前後の区間も含めて沈下している可能性があったため、本復旧でかさ上げすることが容易になるようにとの考えから選択したものだ。
最終的には水が偏って流れることで土が浸食され、道路が崩れる可能性もあるため、きちんと直さなければならない。しかし、舗装だけなら後からでもやり直すことができる。まずは正常に通行できるよう復旧させ、砕石が崩れないよう周辺の工事を進める。しっかりと基礎部分の工事が完了すれば、その段階で平滑性などを見直した上で高機能舗装へと切り替えれば、基礎部分の土木工事は一度だけで済む。
と、このように復旧計画はまとまっていったが、当初の工期は9日ぐらいと見積もっていたそうだ。
「盛り土の状況がどうなっているかは、掘ってみなければ分かりません。少しずつ掘削しながら、地盤の状況を確認しつつ作業を続けました。とにかく重機を並べるだけ並べ、崩落した区間を階段状に掘削しました。我々だけでなく協力会社やグループ会社含め、昼夜を問わず24時間体制で復旧工事を行う予定で、最短の工期を目指しました(中澤氏)」
その9日間の見積もりが6日間に短縮できた理由について、渡部氏は「1つには、予想していたよりも崩壊した盛り土が少なかったことがあります。しかし、もっとも大きな理由は道路脇の農地を持っていた地元の方が、復旧工事のための取り除いた土を置く場所を提供してくれたからです。大変に感謝しています」と話した。
崩落現場の脇は田んぼ。通常の工事であれば、ダンプカーに土を積みながら運搬。資材(砕石)と交換しながら、繰り返し土を運ばなければならない。しかし、地権者の協力が得られたため、ダンプカーを待たずに作業をどんどん進めることができ、大幅な工期短縮を果たせた。
加えて「支社から現場での柔軟な対応を許可され、独自に判断できる部分は現場で決めていきました。まずは作業を進め、あとから書類を作成して承認を得るという運用を一時的に採用できました。また、道路工事に関連する様々な役割を持つ人間が、グループ会社の担当を含め我々の事務所に参集してくれたため、同じ場所で直接話し合いながら意思を疎通させ、どうすれば素早く復旧できるかというアイディアを詰められたことも大きかった」とも話す。
3月12日撮影、崩落現場の写真 | 植えられていた木などが崩れてきている | 3月12日の午後には草木を伐採し、崩落現場の全貌が分かる状態に |
3月13日には隣接する田んぼの使用許可が得られ、土を置くスペースとして活用。工期が大幅に短縮できた | 通常ではありえない台数の重機が集められ、24時間体制で工事が進められた | 応急復旧までのスケジュール |
また、このような大規模な震災下にあって、よく早急に施工業者が見つかったものだと思うが、現在は災害に備えて、あえて道路やSAなどの改修工事を分散、1年中どこかで工事をしている状態にしておくのだと言う。つまりいつでもどこかの業者と契約を結んだ状態にしておくことで、いつ災害が起きても対応できるようにしているのだ。震災にあったその時もまさにSAの工事の契約をしていたところで、その場で業務内容を変更し、即座に震災の復旧にあたってもらったそうだ。
■本復旧に向けて
上記の区間では現在、盛り土を留めるための本復旧に向けた準備が進んでいる。ワイヤで作ったカゴに大きめの砕石を敷き詰めた“ふとんカゴ”と呼ばれるものを階段状に積み上げ、最終的には応急復旧時に積んでいた土のうを取り除く。
実際にクルマで通行してみれば分かるが、どこが応急復旧区間なのか、走行中もうっかり見逃すほど“普通”に見える。見た目には普通ではあるものの、応急復旧時はアスファルトを“擦り付け”で盛るため、継ぎ目には若干の段差ができ、また平滑性も不十分である。
点検も、より深い場所の空洞を含めて確認し直しておかなければならない。そして、内部が空洞になっているのであれば、その中にセメントミルクを流し込むといった対策が必要になる。また、目に見えないものの、大きく波打つように歪みが出ている路面は、以前と同じ平滑性が高い状態に戻さなければならない。
一般乗用車が法定速度で走っているだけならば、ほとんど感じないような“うねり”も、積載重量いっぱいまで荷物を積んだトラックが走れば大きな影響が出る。加えて、応急措置で通常のアスファルト舗装になっている部分は、長期的には水はけがよい高機能舗装に舗装し直していかなければならない。
高速道路を走っていると、他にも凹凸の目立つ個所は多い | 右側のガードレールの高さを見ると、大きく路面がうねっているのが分かる | 震災直後の状況。コンクリートの足場の上にある橋梁部と、盛り土の上にある部分で段差が発生している |
中澤氏は「盛り土の崩落に関しては、2009年に東名高速道路・牧之原SA周辺で起きた地震による崩落がありました。今回の事例や経年変化も含めて、水対策が十分に施された工法を、新しい防災対策として考えていく必要もあるでしょう」と話す(牧之原の崩落も地下水位上昇により、盛り土に水が浸透していたのことが原因と言われている)。
水戸管理事務所管内でも、震度6強を計測した付近の新那珂川大橋では、仙台と同様に橋梁の支承部分へ大きなダメージを受けた。中には支承を固定する巨大なボルトが引きちぎれていたり、支承の揺れ幅を制限する鉄製のストッパーが破損していたりするところもあったと言う。
新那珂川大橋を支えるゴム支承。支承を橋脚に繋ぐボルトがすべて破断している個所もあった | ||
中澤氏が持つのが破断したボルト。いかに大きなボルトかが分かるだろう | 破断面が錆びているが、これは震災後1年で錆びたもの | 応急復旧として、借り受け材で支えている |
ボルトが折れなかった個所も、可動を制限するストッパー部が壊れたり、ゴムに亀裂が生じたりしている | 他の場所でもストッパー部の破損や落橋防止構造の破損など多数みられた |
現在、NEXCO東日本は通常期の5倍以上という規模で、本復旧に向けての作業を進めている。アスファルトを剥がして下地処理をやり直す部分も多く、夜間だけの作業で本復旧することは不可能だ。昼夜間連続した車線規制が必要であり、工事区域では激しい渋滞も予想される。
本復旧工事は今年12月までかかる予定で、原則土日連休は工事を休止するとのこと。だが、余震の状況や舗装の下の空洞など、今後検査が必要な個所も多く、また、天候にも左右されるため、工事個所や期間は随時変更されると言う。最新の情報はNEXCO東日本が運営するWebサイト「ドラぷら」内の特設ページ(http://www.driveplaza.com/info/fukkyu/)にて更新されているので、東北方面に出かける際は事前に確認しておくとよいだろう。
冬期の間、中断していた本復旧工事が再開されており、取材に向かう途中でも工事現場が見られた。場所や時間帯によっては大きな渋滞になるので、事前にドラぷらで情報を調べておこう |
■サービスエリアの防災拠点化計画
前編でもお伝えしたように、今回の震災は様々な教訓ももたらした。高速道路が最終的に堤防、避難所の役割を果たした経験などは、今後、新しい高速道路を建設する際の新たな知見となる。また、橋梁の支承部に関しても、新しい構造の考案が進むだろう。今回破断したゴム支承も、現在では低反発素材を用いた免震ゴム支承が開発されているし、揺れが大きい場合のストッパー部や落橋防止策の再検討なども必要になるだろう。
こうしたさらなる安全の追求に加えて、NEXCO東日本は今後の震災に向けた大きな取り組みを立ち上げている。すでにCar Watchでは取り上げているが、2月23日に行われた定例記者会見では、常磐道 守谷SAの防災拠点化計画を発表。災害時、被災地を支援する前線基地としてSAが持つ機能を活かすプランである。
守谷SAが選ばれた理由は、首都圏直下地震を想定した場合、都心部の支援にもっとも適した場所の1つだからだ。また、ヘリポートがすでに整備されてあり、中央防衛会議では消防の進出拠点に位置づけられているのもその理由だろう。さらに、老巧化した商業施設を改装する計画もされていた。この改装工事にあわせて、防災機能を整備していくもので、今後のSA改修工事に防災ノウハウを反映させていく。
NEXCO東日本 関東支社 谷和原管理事務所の工務担当課長 小高憲正氏によると、東日本大震災時、自衛隊、警察、消防隊などがSAを拠点として救助、復旧作業を進めた経験から、防災拠点化のために防災機能を強化するアイデアが生まれたという。
ただし、自衛隊、警察、消防隊がいっぺんに集まったことで一部混乱もあったため、防災拠点として利用する際に、それぞれがSAをどのように区切って利用するかのガイドラインを作成する必要があった。
また、改築する建物は、フードコートやお土産コーナーのエリアを、非常時には大きな対策本部として代用できるような設計とする。フードコートの大型ディスプレイやテレビには、外部入力を設けることで、対策本部のモニターとして活用しやすくする。
加えて救護用テントの常備、太陽光発電パネルの設置、自家発電設備の強化、ガソリンスタンドの貯蓄タンクの大型化なども盛り込む予定だ。断水に備え、井戸を掘って水も確保する予定だ。
守谷SA、防災拠点化のイメージ図 | フードコートやお土産コーナーを、非常時には対策本部として活用する | |
普段はテレビ放送などを映しているモニターを、対策本部のモニターとして活用できるようにする | 駐車スペースにはテントを立てて被災者の受け入れや救援物資の保管などに使う | |
ガソリンスタンドは貯蓄タンクを大型化。非常時の備蓄としても活用する | 断水時のために井戸を掘る計画も | 休憩スペースを炊きだしの場所として活用する |
また、物資輸送の拠点としても使えるようヘリポートの拡大も行う。すでに守谷SAにはヘリポートが存在し、ドクターヘリなど小型ヘリの発着に使われているが、現在20×20mのものを、自衛隊機が発着可能な30×30m以上のサイズに拡大。夜間発着も可能なように誘導灯を設置する。ヘリポートの傍らには防災用品の倉庫を設置するが、倉庫内にヘリ誘導用の無線機を設置し、非常時には防災用品庫をヘリポート事務室として利用できるようにする。
ただし、このサイズでは自衛隊が物資や隊員輸送に使っている双回転翼のチヌークというヘリコプターが離着陸できない(100×100mのスペースが必要)。守谷SAのケースでは、現在のSAの敷地を拡張させることができないため、これ以上大きなヘリポートを作ることが難しいためだ。そこで近隣に非常時に発着可能な場所を模索しているとのこと。しかし、チヌークの利用やディスプレーの活用といったアイデアは、自衛隊から直接要望として出ているものとのことで、今後のSA設計に活かされていくだろう。
現在20m四方のヘリポートを拡大。自衛隊のヘリが発着できるようにする | 外部へアクセスする通路も、自衛隊などの大型車両が通れるように拡大する予定 |
守谷SAのリニューアル完了は2013年末から2014年頭にかけて予定されている。
■取材を終えて
高速道路事業には、公団時代からの様々な批判もついて回る。過剰品質や高速道路料金の高さといった批判している一団の中には、災害復旧そのものをビジネス、利権だと批判する声も聞いた。しかし、一方で復旧の現場を支える人々が、自ら進んでやるべき仕事を淡々とこなしたからこそ、素早い復旧が行えたことも事実だ。
特に仙台管理事務所には、自らも被災者として避難所暮らしを余儀なくされている社員も少なくなかった。非常時の中に家族を残し、不眠不休で復旧作業に当たったからこそ、大災害に見舞われた東北三県の動脈が保たれた。
無論、すべてが完璧というわけではない。仙台東部道路の高架部ゴム支承の破断は、阪神大震災の経験を受け、性能面でも余裕のある設計を行ったにも関わらず発生した。現場の彼ら自身が「信じられない」と話すように、想定をはるかに超えた事態に対し、完璧に準備ができていたわけではない。
経年変化による水路の劣化など、盛り土部の崩落の原因も、見方によってはNEXCO東日本の見込み違いだったかもしれないし、実は全国に潜在的に崩れやすい場所が他にも多数存在している可能性も否定はできないだろう。
しかし、今回の取材を通して強く感じたのは、この経験を活かし、なんとか次の世代のよりよい高速道路のあり方を考えたいという意思だ。机上の空論ではなく、本当の大災害からの経験をどのように活かしていくのか。
引き続き、年内の本復旧に向けた取り組み、来年度末に向けた守谷SAの防災拠点化事業、それに新しい道路計画への災害ノウハウの注入などに注目していきたい。
(本田雅一)
2012年 4月 9日