インプレッション

ホンダ「S660 (高知 横波黒潮ライン編)」

思いっきり踏んで楽しめる

 のちのち振り返っても、2015年はクルマ好きにとって記憶に残る年になることに違いない。その中でもとりわけ印象深い1台となるであろう本田技研工業の「S660」を、公道で初めてドライブする機会がやってきた。舞台は、「S660を楽しむのに最適」と開発陣が判断したという高知県の海岸線を走るワインディングロード「横波黒潮ライン」だ。

ホンダ「S660」の試乗を行ったのは高知県の横波黒潮ライン。漫画「シャコタン☆ブギ」の舞台としても知られている

 それにしても最近はワクワクする試乗会が多いのだが、今回もまさしくそう。これからどんな楽しい時間を過ごせるのだろうかと、はやる気持ちを抑えながら、まずMTの「α」から試乗した。発着地点である市街地のホテルのクルマ寄せで、実車をゆっくり眺める時間もそこそこにドアを開けて、いかにも剛性に注力したことをうかがわせる太いサイドシルを越えて運転席に収まる。仕立のよいインテリアは、足下の空間には比較的余裕があって、狭苦しい印象もない。

 いよいよ走りだすと、エンジン音が後ろから聞こえてフロントが軽く、自分を中心に曲がる感覚が新鮮だった、20数年前に初めてビートに乗ったときのことを思い出す。市街地を過ぎて海沿いのワインディングへ。ここからが本番だ。

 専用にチューニングされたエンジンが本領を発揮するのは3000rpmから上で、MT車であれば7700rpmを少し超えるあたりまでスムーズに吹け上がる。シフトフィールも小気味よく、かなりこだわって味付けしたことがうかがえる。

 3気筒ゆえ音質がそれなりであることはやむをえないが、アクセルオフ時のブローオフバルブの音が聞こえるのも楽しい。電動で開閉できるリアウインドーを下げると、その音をよりダイレクトに味わえる。惜しいのはアクセルオフにしたときの回転落ちがあまり早くないことだ。もう少し早いほうが、よりMTの楽しさを味わえることと思う。

ミッドシップの恩恵

ホンダ S660の開発責任者 であるLPL(ラージプロジェクトリーダー)椋本陵氏と

 筆者が試乗した日は、青空こそ見えなかったものの雨は降らなかったので、S660をオープンにして走行できたのは幸いだった。折り返し地点までの道のりは、左手に海を見ながら、ゆるやかなカーブが折り重なる。ルーフの開閉にやや手間がかかるのは否めないが、オープンにすると、フロントスクリーンの上端が乗員の頭よりもかなり前方となっているため視野が開けているおかげで、わずかに風を感じつつ、海岸線の開放感満点の景色を楽しむことができた。一方で、アイポイントは低く、ベルトラインは高めで、付け根の部分が太いフロントピラーや後方のロールバーなどにより包まれ感もある。そして、ときおり訪れるコーナーでミッドシップであることを実感する。

 フロントに重量物がないぶん慣性モーメントが小さいので、ステアリング操作に対して応答遅れを感じさせることなく自分を中心に俊敏に向きを変える。この感覚こそフロントエンジン車との最大の違いであり、S660がミッドシップにこだわった理由でもある。回頭性のよさを積極的に伝えようと、ややクイックに味付けされたステアリングも、ただ切ること自体に楽しさがある。

 折り返し地点の辺りまで来ると、まるでヨーロッパの海沿いのような、日本とは思えない景色が広がっている。この辺りの道はアップダウンとタイトなコーナーの連なる本格的なワインディングとなるのだが、S660はリアのスタビリティが高く、少々攻めた走りをしても破綻する気配を感じさせない。逆に、ミッドシップの弱点であるフロントの荷重が安定しない印象もない。だから、どんな道を走っても安心して走りを楽しめる。

 軽自動車規格のサイズで適度なパワーだからこそ、公道でそれほど高くない速度でもクルマの隅々まで神経が行き届き、思う存分に踏んで、曲げて、クルマを操っている感覚を楽しめるところが、S660の持ち味だ。

 あえてデチューンしたという専用開発の「アドバン ネオバ AD08」による乗り味も、クルマの性格によく合っている。あまりグリップが高いとベタッとした乗り味になってしまうかもしれないが、S660では安心して走れる十分なグリップ感と、ハンドリングの軽快感が上手くバランスしている。

S660専用に開発されたヨコハマタイヤ「アドバン ネオバ AD08」
エンジンのパワー感とマッチするようグリップを調整してあるという
64PSを発生する直列3気筒DOHC 0.66リッターターボエンジン

 S660の走りに効いていそうなのが「アジャイルハンドリングアシスト」だ。ステアリング切り増し時には内輪に、切り戻し時は外輪に軽いブレーキをかけることで車両の応答性と収束性を向上させるというもの。作動しても何も表示されないので、どこまでが素の実力で、どこからがシステムによるものか判別できないが、とにかく最終的に感じられるのは、本当に“意のまま”の走りを楽しめることだ。

 S660は、ミッドシップカーの醍醐味と、運転することの基本的な楽しさに満ちている。しかも世に出てきていきなり完成度が高いことにもインパクトを受けた。

ミッドシップカーの楽しさを味わえる

 加えてシートの出来もなかなかのもの。あまりきつく身体を押さえつけることはないながらも、横Gのかかるコーナリングでも適度に張り出したサイドサポートがしっかり身体を支えてくれる。乗り心地も予想よりずっと快適だった。路面のよろしくないところで、低速ではピッチ系の動きも見受けられるものの、速度を上げていくとフラットに収まる。イメージとは裏腹に長時間乗っていても疲労感は小さそうに感じられた。

左が「α」右が「β」

非日常的であることもS660の魅力

 折り返し地点で、CVTの「β」に乗り換え。

 CVTとしてはダイレクト感があるし、マニュアルシフト時のレスポンスもまずまず速いのが好印象。こちらのエンジンは高回転を苦手とするCVTに合わせて最高許容回転数が7000rpmとされており、実際には6700rpm程度で頭打ちとなるが、このクルマの楽しさを2ペダルで味わいたいなら、CVTという選択肢もわるくないと思う。

 途中、クルマから降りて眺めると、シャープなラインを多用したスタイリングには、小さいながらも大きな存在感を放っていることをあらためて実感する。「β」は見た目の印象が「α」に比べるとだいぶシンプルな感じになるのはご覧のとおり。自分好みにカスタマイズしたいのであればよいが、やはり本命は「α」のほうだろう。

カラーバリエーションも少なく、見た目の印象がシンプルな「β」

 荷物を積むスペースがかなり小さいことはそれなりに覚悟が必要だが、S660はそれでいいのでは? “非日常的”であることも、このクルマの場合は魅力のうちになっているように思えてきて許せてしまう。まさしく“小さなスーパーカー”のようなS660だが、同試乗会の時点ですでに受注台数は相当な数に登っているようで、納車まで時間を要する人も少なくないようだが、待つだけの価値のあるクルマである。

高知市内を走るS660
椋本LPLのクルマ作りをサポートした安積悟主任研究員

岡本幸一郎

1968年 富山県生まれ。学習院大学を卒業後、自動車情報ビデオマガジンの制作、自動車専門誌の記者を経てフリーランスのモータージャーナリストとして独立。国籍も大小もカテゴリーを問わず幅広く市販車の最新事情を網羅するとともに、これまでプライベートでもさまざまなタイプの25台の愛車を乗り継いできた。それらの経験とノウハウを活かし、またユーザー目線に立った視点を大切に、できるだけ読者の方々にとって参考になる有益な情報を提供することを身上としている。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

Photo:高橋 学