インプレッション
スズキ「アルト ワークス(5速MT)」
Text by 岡本幸一郎(2016/3/4 12:45)
ワークス復活の声に応えるべく開発
大学進学のため上京したのは1987年のこと。ほどなく2輪免許を取得し、そこそこ高性能な当時人気のレーサーレプリカに乗っていたある日、筆者をブチ抜いていっためっぽう速い小さな赤いクルマがいた。それが同年誕生したばかりの「アルト ワークス」だった。あんなに速い軽自動車があるのかと衝撃を受けたものだ。以来、街でワークスを見かけるたびに「速いヤツだ」と思っていた。
やがてワークスはひっそりと姿を消すが、2015年1月の東京オートサロンで披露された「アルト ターボRS」が“ワークスの再来”として大いに盛り上がったのも記憶に新しい。
ところが、そのアルト ターボRSに触れて感じたのは「ワークスの再来と呼ぶにはちょっと違うかな」だった。それはけっしてわるい意味ではなく、手ごろな価格で本格的な走りを楽しんでほしいという、まさしくターボRSにもともと与えられたコンセプトどおりのことを感じたからだ。標準のアルトとは一線を画するターボならではの動力性能や、走りと乗り心地のバランスに優れたシャシーの味付けは、それはそれでなかなか妙味だと感じた一方で、あえてスズキがターボRSにワークスという名前をつけなかった理由もうかがい知れた。
ただし、トランスミッションの設定が5速AGS(オートギヤシフト)のみというのがよろしくなかった。それはAGSしかないからというより、AGSの出来が期待に応えていなかったから。これはわるい意味での話。かくして「3ペダルMTが欲しい」とか、「昔のワークスのようにもっと走りに振ってほしい」というファンの声が噴出した。ワークスの商品企画がスタートしたのはそれからのことで、スズキとしてはワークスの製品化をもともとまったく考えていなかったという。
3月のターボRS発売からワークス発売まで、実に9カ月あまり。ターボRSという優れたベースがあったおかげで、企画から市販化まで短期間でこぎつけることができたわけだが、かくして15年ぶりにターボエンジンと3ペダルMTを持つアルトワークスが復活する運びとなった。
ターボRSに対して異なるポイントを挙げると、専用開発の5速MTと5速AGS、最大トルクを向上したエンジン、専用チューニングのサスペンション、フロントの専用レカロ製シートなど。さらに内外装もいくつかの部分が差別化されている。
それにしても、レカロシートだけでもそれなりにコストがかかってしまいそうなところ、あれこれ手を加えながらもよくぞターボRSとの価格差を約20万円に収めたものだと思わずにいられない。
“絶品”のシフトフィール
軽量コンパクトな車体に強力なエンジンを搭載し、足まわりを締め上げたクルマをMTで操る。乗るまでもなく、このクルマの楽しさは容易に想像がつく。
まずは誰もが気になっているであろう、パワートレーンに関する印象からお伝えすると、シフトフィールがかなりよさそうなことは、シートに収まって止まったままシフトをいじっただけで明らか。そして実際に走らせても、ショートストロークでガシッとしたダイレクト感と、カチッとした節度感が心地よい。まさしく“絶品”の仕上がりで、体感したことのあるすべてのMT車の中でもシフトフィールはかなりよいほうだ。
クラッチもミートさせる感覚が掴みやすく、スムーズにつながる。エンジンは数値としてはターボRSに対して最大トルクが2Nmの向上と微々たる差ながら、十分に力強く、踏み込みに対するレスポンスもよく、MTを操る楽しさを引き立てている。また、ギヤ比がほどよくクロスしているおかげで、よりトルクバンドに上手く乗せて走ることができるし、テンポよくシフトチェンジしていける。
欲をいうと、現状でも十分ながらターボラグはまだ詰められるだろうし、アクセルOFF時の回転落ちがもっと早いとよりMTを操る楽しさが増すようにも思えたのだが、現状でも楽しさは十分。MTも6速あるとさらに楽しめるだろうが、あまり贅沢をいうのはやめておこう。
ドライビングを支えるシートの出来もなかなかのものだ。ホールド性は十分に高く、操作を妨げることもない。レカロらしい硬質な着座感は長時間のドライブでも疲労感が小さくて済みそうだ。
ただしシートの話ではないが、ドラポジに関して細かいところを指摘しておくと、身長172cmと標準的な成人男性の体格である筆者ですらステアリングをもっと手前にしたくなり、テレスコピックの必要性を感じた。また、もともと3ペダルを想定していなかったせいか、ややペダル配置が窮屈なのと、左足の置き場がないのはやむを得ないところか。
締まっていながらよく動く足まわり
足まわりもなかなかの仕上がりだ。ターボRSをベースに手が加えられているが、だいぶ印象が違う。あくまで万人向けのターボRSは乗り心地はよいものの、ワインディングを走るとそれなりに挙動が大きく表れた。標準のアルトよりも強化したとはいえ、トレッドに対する重心の高さが出るのは否めないように感じられた。
ところが、ワークスではそれが上手く抑えられていて、ロールは小さく、回頭性も高い。そのぶん乗り心地にはコツコツという感覚もあるのは否めないが、それが不快ではない。心地よい硬さだ。
初期はよく引き締まっていながらも、その先の微妙なところはよく動くので、姿勢変化は抑えられていながらもクルマの状況が掴みやすいし、しっかりとしたステアリングフィールも路面とタイヤの状況をよく伝えてくれる。また、タイヤサイズはターボRSと同じでも、ホイールのリム拡大によりタイヤの横剛性が増していて、応答性が向上しているところもワークスならではである。この足の味付けを単に「硬い」と評する向きもあるようだが、ワークスたるもの、むしろこれぐらいでないと買う人は納得してくれないだろう。
実のところ、エンジンについては往年のワークスのほうが刺激的で、速さを実感できたようにも思うのだが、シャシーに関しては現代的に洗練されていて、そこには昔と今で大きな違いがあるのはいうまでもない。
とにかくワークスは、クラッチをつなぎ、シフトを操り、アクセルを踏み込み、ステアリングを切る。そのすべての瞬間が楽しさに満ちていた。その楽しさは、ワークスの復活に心躍らせている多くのファンの期待をけっして裏切ることはない。