インタビュー

STIのニュル24時間参戦チーム総監督を務めた辰己英治氏ロングインタビュー ニュルだからこそ得られたものとは?

辰己英治監督に話を聞いた

 STI(スバルテクニカインターナショナル)のチーム総監督として、ニュルブルクリンク24時間レースに参戦を続けていた辰己英治氏。一時はSUPER GTのチーム総監督も兼任しつつ、ニュル24時間レースではクラス1位を7度獲得したほか、総合では最高18位に食い込むなどの戦績をおさめてきた。

 そして、2024年をもってニュル24時間レース総監督からの引退を発表。その最後のニュル24時間レースが終わったあと、東京・三鷹の「STIギャラリー」で辰己氏からお話をうかがう機会を得ることができた。

インタビュー会場は、歴代のニュルブルクリンク24時間レース参戦車両も展示される東京・三鷹のSTIギャラリー
STIギャラリー内にはノルドシュライフェのコース図があり、ドライバーたちの手書きコメントが加えられている
2024年はカルロ・ヴァン・ダム選手、佐々木孝太選手、ティム・シュリック選手、久保凜太郎選手の4名がステアリングを握り、SP4Tクラス1位(総合51位)を獲得した

 先に辰己氏のプロフィールをお伝えすると、1970年に富士重工業に入社し、1988年に初代「レガシィ」の操安性・乗り心地性能の開発を担当したのち、多くのスバル車の操安性・乗り心地の担当や、走りの先行開発を担当。STIには2006年に出向、2007年には役職定年で富士重工を退職し、転籍。「インプレッサ WRX STI spec C TYPE RA-R」「レガシィ tuned by STI」「S402」「エクシーガ tuned by STI」「フォレスター tS」など、多くのSTIコンプリートカーの開発に関わった。

 スバル/STIのクルマ作りやニュル24時間レース活動「STI NBR CHALLENGE」に携わってきた辰己氏に、レースに関わることになったきっかけや、ニュルを続ける理由などについて聞いた、ロングインタビューをお届けする。

プライベートでレースをしていて、監督をするなんて思ってもいなかった

──辰己総監督にとって、レースとはどんなものでしたか?

辰己総監督:最初は趣味っていうかプライベートでした。23歳、24歳ぐらいから2~3年くらいラリーを走ったのですが、距離も長いし、クルマは痛むし、コドラの調達は大変だし、お金はかかるしということで、徐々にやめていきました。それで、20代の後半、30歳前後くらいから、四駆のオフロードレースを走るようになって。そのころはパリダカで優勝した増岡(三菱自動車工業で広報、車両開発に携わる増岡浩氏)とかと一緒に走ってました。それから今度はダートラの全日本に出て、40歳過ぎまでやってたかな。それで、40歳ちょっとぐらいからはN1耐久をやって。だから清水和夫さんとか、桂伸一さんと一緒に走ってたんです。でもN1耐久もお金がかかるので長くはなかったですかね。

──そのころは、まさか自分が監督するなんてことは思ってなかったですよね。

辰己総監督:全然それは思ってなかったです(笑)。私にとって、もともとはモータースポーツってのは遊びなんですよ。その当時はスバルにいてもモータースポーツを仕事としてやることは基本的になかったです。だから、総監督になったのはSTIが正式に始めた2009年からなんですよね。それまではモータースポーツを仕事にするとは夢にも思ってないんです。

 私がSTIに来たのが2006年で、その当時はコンプリートカーやパーツを作ってたんですけど、2008年にWRC(世界ラリー選手権)撤退っていう話になって、“モータースポーツはもうやりません”みたいな空気が流れちゃったんです。だけど、STIはモータースポーツで成り立っていたというか、WRCをやっていたからSTIはモータースポーツの中枢っていう会社のイメージがあって。コンプリートカーを作っても、パーツを作っても、「STIがやってんだから大丈夫だ」って売れ方をするじゃないですか。でも、スバルがWRCから2008年いっぱいでWRCから撤退しますって発表しちゃったんで、STIはこれからどうやって飯を食うんだろうって。

 そのときに、何かやらなくちゃいけないっていうところから、テストでスバル時代からドイツのニュルブルクリンクっていうサーキットを使ったテストをずっとやっていたので、ニュルでレースがあるのは当然知っていましたし、ニュルでやるレースだったら俺にもできるかなって思って。そこから、ニュルをやりましょうっていうのを提案したんです。それで、2009年からSTIでニュルブルクリンクのレースに出るんですけど、そうしたら今度は「言い出しっぺなんだから、お前が監督やれ」みたいな(笑)。

 そこでモータースポーツが初めて自分の仕事になったんですね。それまではモータースポーツで飯を食おうとか、仕事に、なんてのは考えたこともなかったんだけど、なんとなくそうなってしまったっていう感じですね(笑)。

 そこから、これはやっぱりSTIにとっては大事なものなんだと。スバル・テクニカ・インターナショナルっていうくらいですから、モータースポーツで、国内だけじゃなくて、世界で戦ってるんですっていう空気を流していないとダメだろうって。それと、ニュルのレースがつながったという感じですね。

ニュルで勝ったクルマは、いいクルマの証明になる

──ニュルの参戦を「STI NBR CHALLENGE」にしようと発案をしたのも辰己総監督なんですか。

辰己総監督:提案したのはそうですね。森社長(当時)が2008年にスバルとしてモータースポーツから手を引きます的な、モータースポーツの役目は終えたみたいな発表をしたので、なんとなくモータースポーツなんかやってる場合じゃないんじゃないの、っていう空気になっちゃったんです。でも、モータースポーツもやらないSTIってどうなの、まずいでしょ、ってことで提案したら、だいぶ反対されたんだけど、やろうってことになったのが2009年。ニュルは重要性も、量産車との結びつきも強いんです。量産車の開発も、ニュルでやったことを量産車に生かすし、相互作用としてニュルのレースに出ること、出続けることは大事なんだっていうのが認識されて、今まで続いたって感じですね。

──実際に市販車にフィードバックされた技術はどのようなものがありますか。

辰己総監督:今、STIとしてはフレキシブルシリーズっていうのをいっぱい出してるんですけど、それはほとんどニュル車にも使われているんですね。フレキシブルパーツって、どれぐらいいいのかが分かりにくいじゃないですか。だから、それをニュル車にも使ってますって言ってるわけですね。ニュル車に同じ技術を使っているだけでなく、その設計をする人が量産車のパーツも作るし、コンプリートカーも設計するし、実験します。ニュル車も同じ人が設計し、テストをします。そこは両方やっているんです。だから量産車とのつながりがものすごい強くて、技術の開発にも、人材の育成にもつながってるんです。

 市販車を売るときには、極端な話をすると1対1で競争するってないじゃないですか。いいクルマですよ、いいパーツですよ、って売るんだけど、どれぐらいいいのかは分かんないですよね。だったらそれをニュルで走って証明しようと。ニュルで走って勝てばいいことが証明できるよね、っていう考えですね。だから、2011年に初めて勝ったときに、フレキシブルパーツってのは効果があって、それを作った技術者が量産車も作ってることをお客さまに対して言えるようになった。ニュルブルクリンクで勝てるクルマを作ったエンジニアが設計して、テストしているっていうこと、いいクルマを作ってるっていうことをお客さまに話せる、証明できる。ニュルでそういう流れをとにかく作りたいっていうところですね。

──具体的にどの技術がっていうよりも、クルマ全体っていう考えなんですね。

辰己総監督:はい、そうです。もうクルマ全てです。エアロから空力含めて、サスペンションだったり、フレキシブルタワーバーだったり、そういうものですね。それとか、ボディの剛性の与え方とか、そういうのを量産車と同じことをやってます。両方同じ技術が流れてるんです。だから、ニュルで勝ったってことは、お客さまの乗ってるクルマもいいでしょっていうことが証明できるかなっていう感じですかね。

ニュルでクルマとともに人も鍛える

──ディーラーメカニックのニュル参戦も2009年から始まったことなんですか?

辰己総監督:そうですね。ただ、2009年ごろはまだきちっとディーラーメカニック派遣についてはシステマチックにできていませんでした。なので、この下に東京スバルさんがあるじゃないですか(注:STIギャラリーと同じ敷地内に東京スバル三鷹店がある)。メカニックが足りなくて、この下の東京スバルさんで「すいません、メカニックを貸してください」って頼んだんです。そうしたら「いいよー」みたいな(笑)。そのときは、2人ぐらい出してくれたんですよね。それが次の年になったら、埼玉スバルさんだったか神奈川スバルさんだったか忘れたんだけど、「なんで東京スバルだけなんだ」と。「うちのも連れてけ」っていう話になったんです(笑)。そこで、ディーラーメカニックの派遣してもらう先を限定しちゃうと、ほかのディーラーに怒られるんだと知りました。

 結局、ディーラーメカニックのモチベーション維持ってのがすごい大変で、リクルートの面でもディーラーメカニックってのは人が集まらないらしいんですよ。それがニュルに連れて行ってもらえるかもしれないってなると、ディーラーのサービスメカニックのモチベーションアップにすごい効果があるらしいんですね。

 今年行ったメカニックも、「私は入社前からニュルに来るのが夢でした。どうしてもスバルのメカニックになりたかったんです」という、30歳ぐらいの人が来てました。そういう人が出てきているんです。だから、ニュルをやるっていうのは、ディーラーメカニックにとってはステータスになるし、会社としてもサービスメカニックの向上、技術力の向上とかに役立つものだと思います。

 今年のメカニックは8人連れて行ったんですけど、応募が30人もいたんですよね。その30人の中から選考会があるんですけど、落とす人が22人もいるわけですよ。それはちょっとかわいそうなんだけど、やっぱりみんなは連れて行けないので……。もうちょっと連れて行けるといいんですけどね。

 ニュルにはスバルの技術者も当然行ってるんですけど、われわれだけが主体じゃなくて、ディーラーメカニックも含めて、スバル全体のグループの技術力の向上っていうのかな。それにも役立っています。だから、ニュルをやるってことは、ただレースで勝った負けたじゃなくて、スバルグループ全体の技術力を上げるためにも貢献しているということで、大事なイベントになりつつあるって感じですかね。

──ディーラーメカニックの方は、選考に落ちてしまってもまた翌年チャレンジできるんですか?

辰己総監督:チャレンジはできます。ただ、1回ニュルに行った人はもう行けないんです。それはやっぱり新しい人を連れて行きたいのと、あと、これは私の考えなんですけど、ディーラーメカニックは常に新鮮な人を連れて行った方が多分いいと思っているんです。それは、慣れちゃうからってことです。技術があったとしても、慣れるってことは意外とミスをまねくんですね。「ああ、大丈夫、これは前にもやったから」みたいな。そういうのじゃなくて、常に新鮮な気持ちで臨んでもらった方がミスは少ないだろうというのもあって。1回行った人は残念ですがもうダメです。落ちちゃった人は次また挑戦してねって。だから、今年ニュルに行った人で、今年4回目のチャレンジっていう人もいました。

これまでにニュルへ行ったディーラーメカニックは401名になるという

──年齢制限ってあるんですか?

辰己総監督:年齢制限は40歳ぐらいです。それと、もう1つハードルがあって、自動車整備士の資格には整備士2級とか1級ってありますよね。それだけじゃなくて、スバル独自の1級っていうのがあるんです。それを持っていないとダメっていうのがあるんですよ。それをまず取得するっていうのが、ディーラーメカニックの技術力の向上とともに、そこへどうしても行きたいっていう、モチベーションを高める面でも役立ってるんですね。

 ディーラーメカニックが来ると、実はSTIのメカニック……というか設計者も実験屋さんも含めて、監督も総監督もそうなんだけど、ディーラーメカニックの新鮮な目の輝きに逆に刺激を受けるんですよ。われわれなんか、慣れてだらけちゃってるところに、新鮮な目を持った人がぽって入ってきて。それで、話すことから、やることから、行動パターンを見ても、みんないきいきとやるわけですよ。それを見ていると、「なんか俺たちだらけてんな」って、逆に教えられるんですよね。だから、ディーラーメカニックに「お前優秀だから来年も来いや」って2年、3年連続でやってたら、多分その人はなめてかかるようになると思います。そうじゃなくて、もう常に今年で終わり。今年だけ、ってなるとやっぱみんなすごいですよね。真剣ですよね。

 だけどね、こう十数年やってみると、ディーラーメカニックって毎年レベルが高いんです。「こいつ失敗したな」って思うような人は基本的にいないですよね。ディーラーメカニックってこんなに優秀な人がいっぱいいるんだなってのはすごい感じますね。

 最初は選考をしていないときがあったんですよ。ディーラーからこいつを連れてってくれ、って言われて連れて行くような時代があった。それはね、やっぱりちょっと外れることがありました。選考するようになってから、みんなすごいですね。こんなにすごいレベルの高いメカニックがいたんだって。だから、誰を連れてっても新人で。新人っていうか、みんなニュル初めてなんだけど、全然大丈夫。それぐらいディーラーで鍛えられてるんだなっていう感じで、初めてでもみんなほんとにいい仕事するんですね。われわれSTIメンバーも刺激を受けますよ。

──ディーラーメカニックとして選ばれる率が高いディーラーはありますか。

辰己総監督:ちょっとありますね。でも突然、例えば初めてかどうか分からないけど、滋賀スバルとか、今まで行ったことないような県からポンって出ることもあります。

 新潟とか、東京スバルとか、千葉スバルとか、4人か5人目っていうところもあります。今年は福岡から1人行ったんですけど、福岡は初めてでした。だから突然出てくるんですね。だけど、どの人も、連れて行って失敗したなってのはないんですよね。みんなちゃんとしてて、輝いててすごいですよね。だから落とした人は本当にかわいそうだなってのはありますね。

ニュル24時間レースとSUPER GT、両方の総監督を務めたことで分かった違い

──SUPER GTの総監督もやってらっしゃいましたよね。

辰己総監督:そうなんです。2012年にBRZが初めて発売されたんですけど、それまでSUPER GTって、B4のボディをR&Dに持っていって、エンジンだけこっちから供給して走らせていたんですね。その当時はSTIとしてはあんまり関わっていなかったんです。2012年からBRZが発売されるにあたって、当時の岡田部長から「来年からBRZが出るにあたって、SUPER GTもやりたいんだけど、R&Dに丸投げしちゃっていいか」っていうメールが来たんですよ。で、それ見たときに私が「いやいや、それSTIにやらせろ」って言って、SUPER GTを持ってきちゃったんです。で、言い出しっぺなんだからお前が総監督をやれって言われて。それで、私がやったんです。また苦労するんですよ、それでね(笑)。だからニュルとSUPER GTの両方の総監督をやってたんですよ。その当時は。

 ニュルは2009年からですけど、4年目にSUPER GTが入るわけですね。そして、2012年から2017年まで、私が6年間やったんですよ、SUPER GTの総監督を。SUPER GTはろくな成績もなく終わっちゃうんですけど、ニュルはもっとやれってなって。それでニュルは今まで続いちゃったっていう。ニュルは2年コロナで出てないですけど、出たのは15~6回。SUPER GTは総監督を譲って、ニュルはなぜか私がずっとやってきたって感じですね。

──ニュルとSUPER GTの違いってどんなところでしたか。

辰己総監督:ニュルは自分の裁量でクルマの仕様とかを決められるけど、SUPER GTはR&Dさんにも委託しているので、向こうは向こうの責任としてやらなくちゃいけないっていうのが強いので、私の意見を言いたいんだけど、言うと混乱もまねくし、やり方が難しいと思いましたね。

 当然私もクルマに関しては長年携わっているし、クルマのことはある程度分かっているつもりなんだけど、やっぱりそこに考え方の違いがあって。向こうはレースの専門家なので、譲った方がいいんだろうなっていうのがどちらかといえば強かったでしょうか。クルマに関してはちょっとおまかせだけど、レース結果の責任はこっち、みたいな感じ。

 ニュルはどっちかっていうと、もうほとんど自分のやりたいようにやるって感じですよね。ただ、ニュル車って常識とはかけ離れたことも結構やってるんですよ。常識ではこんなことやんないなってことをやって、勝ってるんです。SUPER GTはセオリー通りやるっていうやり方なので、必ずしもうまくいかないことも当然ありますよね。だからそれをこっちから無理やり変えるってことができないところもあって。ちょっとジレンマもありましたね。

 本当にこっち(STI)が全部主導権を持ってやれば、勝てるかどうかは別にしても、また違ったことも生まれた、なんかあったんじゃないかなって気はします。けど、どうしてもあれだけのクルマを作って走らせるっていうのは、いろんな手間がかかるので、STIの手に負えないところもあるんですよね。SUPER GTは量産車と全く違うので。ニュル車はほとんど量産車ですから、こっちの手の内なんです。ニュル車は中身が分かるんですけど、GTカーは改めて作った作品ですし、それを作っているのはR&Dなので、こっちは分かんないんですよね。だから、クルマとしてちょっと違うかなと思うときがあっても、それをあんまりこっちがいじりくりまわすことができないので、だからちょっとそこは難しいですかね。

──夢としてやれるのであれば、GT3を自分の手で生み出して、出てみたかったという希望はあったのでしょうか。

辰己総監督:あったけど、金がとんでもなくかかるから(笑)。現実的ではない。

モータースポーツ活動は熱狂的なファンを生み出せる

──ニュルに参戦して1番よかったと思うことは何かありますか。

辰己総監督:やっぱりお客さんが喜んでいることじゃないですかね。実はね、先日もここ(STIギャラリー)で、取材を受けていたんですよ。そうしたら、誰か見たことあるような人がいて、あの人見たことあるな、なんだっけなと思ってたら、取材が終わったあとに俺のところに来て「神戸から来ました」って花束持ってくるんですよ。男ですよ。もちろん(笑)。実はその人、ニュルに来てた人だったんですよ。俺に声かけてもらったことがなんかうれしくて、もう1度そのごあいさつをしたかったみたいな。そういうファンの人もいたりね。

 この前は筑波でイベントがあったとき、秋田だったかな? 酒を一升持ってきてね、ラベルに“感謝”とか書いてあって(笑)。「私がスバルのファンになったのは、辰己さんがすごくいいクルマを作ってくれたからなんです。辰己さんに本当に感謝してるんです」って言うんですよ。

 だから、何のためにやってるんですかって言ったら、もうファンのためにやるしかないですよね、モータースポーツってのは。実際は、STIの中で社員の技術力アップとか、技術を開発したり、新開発のことをいろいろやったりっていうことのきっかけになればいいなとは思っているんですけど、やっぱり忘れてはいけないのは、ファンの人が喜んでくれないと何の意味もないところもあるんで。だから、世の中にあんなに喜んでくれるファンの人がいるんだ、ってちょっとそれは感動しますよね。われわれのやってることがまんざら全く役立たないわけでもなくて、こんなに喜んでもらえるのかって、びっくりすることがありますよね。「私は辰己さんがこのクルマを出していなかったら、スバルオーナーにはなっていませんでした」みたいな。熱狂的なファンが生まれるんですよね。

 本当によかったと思うのは、ファンの人がそうやって喜んでくれてるということをあちこちで感じます。会社は金がかかることはやめろとかすぐ始まるんだけど、確かに1人2人のファンのために大金を使っているのであればやめろって話は当然分かるんだけど、喜んでくれている人がいっぱいいるなって感じはします。ニュルを始めたことで、SUPER GTとはまた違うファンも当然出てくるし、やった価値はあったかなと思います。

──これまでニュル24時間をやって、SUPER GTもやって、まだモータースポーツに関われるとしたら、次行ってみたいカテゴリーはありましたか。

辰己総監督:特にないんですけど、ただニュルって1年に1回なので、1年に1回だけクルマを走らせるのはもったいないなって気はしますよね。そうすると、スーパー耐久で走らせたら面白いなっていうのは……冗談ですけど半分ね(笑)。スーパー耐久をニュル車で走ったら速いですよ(笑)。

 ただいろいろ考えると、燃料の給油とか、タイヤメーカーがワンメイクで今はブリヂストンかな。ニュル車ではファルケンのタイヤを使っているので、スーパー耐久に行くとタイヤを買わなくちゃいけない。それだととてもじゃないけど金がかかりすぎて。だったらそこにファルケンタイヤを認めてくれない? っていう、そういう交渉も……ちょっと難しいかな(笑)。

──スバル/STIとしてのモータースポーツ活動の歴史を築いてきた中で、今後自分がいなくなってしまってからではあるけれども、期待するもの、やってほしいものってどんなことがありますか。

辰己総監督:SUPER GTはショーなんで、やっぱりやる価値がある。お客さまがいっぱい来るじゃないですか。ちょっとプロレスっぽいんでショーなんだけど、お客さまをいっぱい集められるっていう面でショーも必要なので。それが年間8戦あって。とにかくお客さまににぎわってもらって「お、スバル走ってる!」って思ってもらえる。SUPER GTだと走っているクルマを買おうとは思わないけど、それはそれで非常に役立ってる。

 あとは、量産車とのつながりという面ではニュル車はすごく深いので、これを年に1回だけどやり続けてもらって、ファンとの絆を深めていって、要するに“俺のクルマと同じようなのが走ってるわ”っていうのを続けてもらいたいなって思うんですよね。

 お金は確かにドイツなんでかかりますし、24時間レースは年に1回なので効率がわるいんですけど、でもその年に1回のことにファンとしては相当興味を持ってくれているので、1回でも価値はあるかなって。だからそれは続けてもらいたいなって思いますけどね。

──2024年で総監督は最後というお話ですが、もう戻ってくることは本当にないのでしょうか。

辰己総監督:いろいろなところで聞かれますが、それはないです(笑)。

──それはやるだけやったってことですか?

辰己総監督:やるだけやったっていうか、自分の能力の範疇でやれることはやったって感じですか。進化の余地は当然ですけどまだまだあるはずなので、それは俺がやったところで今以上のものを今年やれたかっていうとできないんですよ。あれが自分の精一杯ですからね。実はそれ、毎年なんですよ。毎年やりきってる。だからリタイアしてもやれることはやったって思える。来年もしやればもうちょっと早くできないかなって当然考えるんだけど、やり残したわけではないので、全然後悔もなにもないですね。

──最後に、今まで応援してくれたファンの方に向けて何かメッセージがあれば。

辰己総監督:そうですね。さっきもちょっとファンの話をしましたけど、本当に自分としてはそんなに大それたことをやっているつもりはないんですけど、ファンの人がこのニュルというものに、SUPER GTもそうでしたけど、すごい期待をしてくれて、ありがたかったみたいなことを自分が考える以上に言われると、そんなにすごいことだったのかなって。

 私はただ、量産車とニュル車のつながりを考えつつ、もっといいものを……もっといいものをってのは、レースじゃなくても当然考えてることなんですけど、それの繰り返しをやっていただけなんです。でも、意外とファンはそれに食いついてきたっていうのは、ちょっとびっくりしてるところが大きいですかね。ファンの人がすごい期待してくれてたのはそれは本当にありがたいことだし、これからもまだまだ発展する余地はあると思うので、ぜひ応援をよろしくお願いします。