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ホンダコンプリートカー「フィット e:HEV Modulo X」開発者に聞く、日常から体感できるエアロダイナミクス“実効空力”開発秘話
- 提供:
- 株式会社ホンダアクセス
2022年3月23日 00:00
「フィット e:HEV Modulo X」は、ホンダアクセスが作り出したコンプリートカー「Modulo X」シリーズとして7番目のモデルだ。開発陣が「実効空力」と呼ぶ日常の領域から体感できるエアロダイナミクスと、これに合わせてセッティングされた足まわりによって、現行フィットに楽しくて奥深いハンドリングを与えたことはこれまでもレポートしてきたとおりである。
そして今回はこのフィット Modulo Xを作り上げた開発チームの面々から、デビュー当時には明かされなかった、さらに深い開発秘話を聞くことができた。
「フィット」が「Modulo X」という“スパイス”で辛口の走りに!? 群サイでその実力を確かめた
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/impression/1341419.html
ホンダ渾身のコンプリートカー「フィット e:HEV Modulo X」に込められた“ホンダ・スピリッツ”を感じた
https://car.watch.impress.co.jp/docs/topic/special/1347115.html
Modulo X最大の特徴は、意のままに操ることができる気持ちのいいハンドリング。その骨子となっているのは、「実効空力」と呼ばれるエアロダイナミクスだ。“空力性能”と聞くと、クルマ好きならばレーシングカー特有の強力な「ダウンフォース」を思い浮かべるかもしれない。スピードが高まるほどに車体の上面と下面で空気の流速差が生まれ、車体が地面に押しつけられる。この力によってタイヤには大きな荷重がかかり、その強力なグリップによって高いコーナリングスピードを実現する。
しかしModulo Xが目指したのは、こうした別世界での性能ではない。日常の速度域から得られる空気の流れを味方に付けることで、誰もが感じ取れるハンドリングの確かさや、運転の楽しさを表現することが最大の特徴でありキャラクターとなっている。
ということで、まずはこの実効空力を実現するために外装全般を手がけた塩貝僚さんにお話を伺った。
「実効空力」は走行実験だけでなく理論上でも効果が実証された技術
――早速ですが、フィット Modulo Xの「実効空力」において、塩貝さんがまだわれわれやユーザーのみなさんに伝えきれていないことはありますか?
塩貝氏:フィット Modulo Xの開発当時、私はマイナーチェンジした「フリード Modulo X」のバンパー設計担当でした。そしてこの開発で得られた技術の中で、最も効果が高かったものをフィットに盛り込んだのです。
それが下まわりをのぞくと見える「エアロボトムフィン」(ホイールハウス内の空気の流れをスムーズにすることで内部の圧力を低減し、旋回時の接地性を向上。ステアフィールに上質さをもたらす空力デバイス)です。フリードは2020年のオートサロンに出展したのですが、その直前のタイミングでこの技術のパテント(特許)を取得しました。つまりフィットには、走行実験だけでなく理論上もきちんと効果の実証された技術が使われています。これは今まで公には大きく伝えてこなかったことですね。
――パテントを取得した内容を具体的にお聞きすることはできますか?
塩貝氏:立証したのはCFDやcl値(CFD[Conputational Fluid Dynamics]:流体力学・流体解析。cl値:揚力係数値。空気によって車体が浮き上がろうとする力[揚力]を数値化したもの)ですね。具体的な数値をお教えすることはできないですが、本田技術研究所にある2つの風洞施設を使って、確実に効果が出ていることを証明しました。
今までもわれわれはCFDや風洞解析を行なっていたのですが、これをきちんと体系化させようと意識し出したのはマイナーモデルチェンジ後の「ステップワゴン Modulo X」あたりから。そしてフリードやフィットの世代でこれが定まりました。
――「誰もが体感できる空力性能」にも、きちんと技術の裏付けがあるということですね。そういう意味で言うと、私が特に理解が難しいと感じたのは「エアロフィン」(タイヤがかき乱したホイールアーチ周辺の乱流を整流し、旋回性能を向上させるデバイス)の空力効果です。このフィンによって空気の渦を作り、タイヤまわりにまとわりついた乱流を、ボディから遠ざけているという説明を以前受けました。これは具体的にいうと、どのようなメリットを生み出すのでしょう?
塩貝氏:シンプルにいうと、まずハンドリング初期の応答性がよくなります。曲がり始めでバンパーが適正なトレース角に来たときに、フィンが作った渦でタイヤまわりの乱れた空気を剥離させる。すると、フィンの後ろあたりに負圧の領域ができます。その負圧で車体を少し引っ張ってあげることで、ハンドルを切ったときに自然にノーズが入っていくのです。
――なるほど! だからフィット Modulo Xは吸い付くようにターンインできるんですね。
塩貝氏:そうですね。「S660」で言うと、ほっぺた部分の張り出しがその効果を発揮しています。デザイナーによってその表現は少し変わりますが、こうした部分を狙ってわれわれはエアロバンパーを作っています。
――こうした空力デバイスの開発は、具体的にどのようにして進められていくのでしょうか?
塩貝氏:空力の開発に毎回決まった手順や順序があるわけではないのです。まず基準車とわれわれが最初にデザイン試作した車両とをみんなでじっくり乗り比べて、その印象を共有してからどこから攻めていくかを検討して開発に取りかかります。
――例えば開発前から今回盛り込んでみたい技術がいくつかあって、それを試すというイメージですか?
塩貝氏:これまでの経験からよかったものを次に盛り込むことは、先ほども言ったように行なっています。しかしデバイスありきで技術を盛り込むことはしていません。また風洞やCFD解析を行なっても、「一番大切なのは人の感性だよね」という根幹も揺るがない。みんなで乗って「このデバイスはいいよね」「効いているよね」と確認してから、最終的にこれを風洞やCFDを利用して実証していくやり方を採っています。
――例えばフィット Modulo Xで没案件はどのくらいあったのですか?
塩貝氏:ボツになったアイデアですか? たぶん100個くらいありますね(笑)。
――実際に作り上げて走行実験してみてというアイデアでですか?
塩貝:はい、実際にやって100個くらいボツにしました。開発統括の福田(正剛)さんや完成車性能担当の湯沢(峰司)さんはもともと研究系の出身で、設計の大変さは知らないので(笑)。「あれ作れ」「これ作れ」「こういうのはどうなんだ?」とアイデアを出して、いざ作っていったらすぐにボツになるとか……そういうことはたくさん経験しています!
――設計は生産性も考えて作らなくてはいけないから、大変ですよね。
塩貝氏:逆に「言われて作ったけど、これ絶対に量産できないよな……」なんて思うものが採用されることもあります(笑)。
――なるほど。また工場に怒られる! みたいな感じでしょうか?
塩貝氏:はい(笑)。それと自分以外に他のメンバーも開発をしているので、すべてを合わせると試作はかなりの数になりますね。
――Modulo Xはバンパーとかリアまわりとか、手作業で盛ったり削ったりして開発したということですが、実際の走行試験では足まわりと空力の開発をどのようにして進めて行くのですか?
福田氏:空力だけとか足まわりだけで進めるとバランスが取れなくなります。ですから、われわれは足まわりの開発段階でも空力の塩貝が一緒に確認しますし、逆も同じです。スタート地点をみんなで共有して、感性を共有しながら進めていきます。
ホンダには鷹栖という路面材料があります。突然接地が抜けるような感性が問われるコースを走って、みんなが疑問を抱く。思った通りに動かないことをなぜだろう? と考えて、土屋(圭市)さんと一緒に走りながら作り上げていきます。
――テスターの技量が揃わないと開発は難しくないですか? 例えば土屋さんには乗れても、自分には分からないといったことは起こらないのでしょうか?
福田氏:Modulo Xのテーマは「誰もが楽しくクルマを操る」ことなので、それはないですね。まず開発陣には、感じたことを感じたままにレポートしてもらいます。数値でポイントいくつと評価するのではなく、自分の思ったイメージの通りに感じたことを書かせます。すると逆に私でも「こういう感じ取り方していなかった。よく分かるね」ということもたくさん起こるのです。
ホイールも含めた足まわり開発のむずかしさ
――Modulo Xといえば空力性能がその中心技術になります。フィット Modulo Xの足まわりは極端に言うと「ダンパーだけの変更」と思われがちですが、スプリングやスタビライザーなどの変更は敢えて行なわなかったのでしょうか?
吉田氏:確かに足まわりで変えたところはダンパーだけかもしれないですが、それで十分Moduloの走りは再現できている、というのは強調したいところですね。
ダンパーだけと言ってもバルブを専用設計することで、路面からの入力をしなやかに吸収しつつ、ステアリングを切れば思い通りに曲がれるということを実現できたと思っています。さらに言えばオイルさえも変更しています。
――例えばこのダンパーだけを基準車に付けたらどうなるのでしょう?
吉田氏:それはわれわれも試してはいないのですが……(笑)。ダンパー自体のよい部分は普通のフィットに装着しても味わえると思います。つまりエアロがなければ成立しないダンパーではない。けれど、われわれが目指している走りはダンパーだけの装着では表現できないと思います。
――なるほど。ではエアロデバイスの進化によって、ダンパーの仕様が変更されるようなことはありましたか?
吉田氏:走行実験に際しては、いくつかの種類を用意して臨みましたが、今回は走行の途中でこれを改良したりという「行ったり来たり」はなかったですね。
私もModulo Xの開発に関わっているのですが、フィットはヴェゼルのときと比べると蓄積されているノウハウもあるので、開発はスムーズに行なうことができました。とはいえ、その仕様が苦労せずに決まったというわけではありません(笑)。
ただホイールに関しては、エアロとの兼ね合いで何度か調整したりと苦労しましたね。
――具体的にはどのような部分が難しかったのですか?
吉田氏:一番時間と労力を裂いたのは、ホイールの剛性を整えることですね。私が主に実車の走行テストを担当して、玉置さんに設計をお願いするのが基本的の流れです。色々なホイールで車両を走らせてみて、さらにそのホイールに加工を施して、剛性とか重量に対して色々トライしていくのですが、最終的にはそれを設計値に落とし込まなければいけない。目標とする設計値を、走りながら決めていくのです。
――試作ホイールを用意するのではなくて、ホイールを現場で加工したのですか!?
吉田氏:これは言っていいのかな……その場でやったんです。バラストを付けたり外したりもしますが、金属を盛ったり削ったりしました。
――すごいですね!
吉田氏:われわれも今までの開発の中で、ホイールは「縦の剛性と横の剛性比がおよそ1:1くらいがベスト」だということが分かってきたのです。ただ、その比率が分かっていても、車両によって絶対値がいくつになるかは異なっていて、それを探しながら理想の設計値に近づけていくことに苦労しました。
さらにこの数値を決めた後も、デザインとの兼ね合いを考えながら数値に落とし込む必要があります。そこは玉置さんが担当して、苦労された部分です。
――玉置さんはどのようなことを担当されているのですか?
玉置氏:私は主に吉田さんが走り込んで作り上げたホイールを、数値に落とし込んで設計値を決めます。
――ホイールの意匠ではなくて、設計(インダストリアルデザイン)をされるんですね?
玉置氏:はい。意匠デザインはまた別にデザイナーがいます。そしてデザインに影響するところは変更できない部分もある。こうした部分にまず苦労しました。
――設計優先じゃないんですね。
玉置氏:そこは、相談しながらではあります(笑)。ホイールは作るのに一番時間がかかる部品なので、今回は試走する前に、まずデザインと軽量化というテーマを設けました。デザインの作り込みと同時に、どれだけ余分な肉を取るかをデザイナーと何度も話し合い、軽さや強度的にも、そしてデザイン的にも満足いくホイールが設計上はでき上がりました。そこまではよかったのですが……。
――何か問題が発生したのですか?
玉置氏:はい。試走の段階ではまだホイールがないので、設計した内容に一番近いホイールを使いました。これをベースに吉田さんがさまざまな変更を加えていったのですが、それが最悪で!
――具体的には何が問題だったのですか?
玉置氏:ホイールはただ軽いだけだと剛性が落ちてしまうということが分かりました。そこからは剛性の作り込みに専念しました。最終試走までに3つのパターンを用意したのですが、数値的な目標を福田さんに相談して、データを作っていきました。
先ほど吉田さんもおっしゃっていた通り、われわれにはホイール剛性のノウハウがあります。先輩にも「ここをこういじれば、こうなるよ」というアドバイスはいただくのですが、それが実車にすんなり当てはまるわけではないのです。具体的に言うと、フィットはキャリパーとホイールの間が狭い。ホイールの裏面とキャリパーが近いので、剛性を上げたくても肉厚にできないんです。
だから今までに挑戦したことがないところ、具体的にはインナーリムで剛性を上げていきました。
――でもそうしたホイールの設計って普通はホイールメーカーがやるのではないのですか?
玉置氏:ホイールメーカーさんには強度の保証をしていただいていて、剛性の相談はしないです。そして最終的には3つのホイールに絞り込んで、その中からどれにするかを走らせて決定します。
――3つも金型を作ってしまうのですか!?
玉置氏:金型は1つで、鋳造したあとのマシニング加工で3パターンを用意するのです。
――その結果はどうだったんですか?
玉置氏:「おー、いーじゃーん!」みたいな(笑)。
――苦労した甲斐があった! という感じですね(笑)。
福田氏:「タイヤを生かすも殺すもホイール次第」という話が昔からあります。タイヤって敏感ですから、タイヤに優しく、最後までその力を出してあげるようなクルマの作り方をしてあげなくてはいけない。
どこでどういう風になるかは走る前から予想はつきます。彼らは最初市販の軽いホイールを持ってきたのですが、いざ走ってみると思うようにいかない。でもそこで、自分で考えることが大切なのです。そういう時間をもたなければ、今後2人が実験者として判断するときにもっと迷ってしまうことになるんです。教えない、自分でやっていく。この作り方こそがModulo Xのやり方であり、若い人たちを育てる上でもやらなければならないことだと私は思っています。
――それでは最後に、みなさんがこれからの開発で挑戦していきたいことを教えて頂けますか?
塩貝氏:今後EV(電気自動車)化が進んでいく中で、誰もがそのCd値を下げることを主眼に置いてくるとは思うのですが、そのパターンだけに陥らず「他にできることはないのか?」と常に考えています。
具体的に言うと操安性(ハンドリング)を向上させるための空力ですが、「よいホイールとは何か?」を考えて突き詰めていきたいです。
吉田氏:まさにその通りです!(笑)。あとは挑戦とは違うかもしれないですが、足まわりもノウハウは定まっていても車種ごとの合わせ込みは絶対に必要なので、そのデータを蓄積していくことですね。
玉置氏:今回は実現できなかったのですが、新たな要素を入れたホイールを試作したのですが、それがとてもよくて。いつかカタチにしたいと思っています。
Modulo Xといえば、上質な走りが身上のコンプリートカーだ。しかしその作り込みはおどろくほど地道で、数え切れないほどのトライ&エラーが隠されていた。
Modulo Xシリーズ開発統括である福田氏は、こうしたプロセスこそがModulo Xそのものであり、次世代を育てることだと知っていた。もっといえば、「それこそが私が教えられてきたホンダのクルマ作りなんですよ」と教えてくれた。
フィット e:HEV Modulo Xには、こうしたホンダスピリッツがギュっと凝縮されているのである。
Photo:和田清志