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ヤナセ、「クルマはつくらない、クルマのある人生をつくっている」をスローガンに次の100年へ

創立100周年記念式典より

2015年5月25日開催

 ヤナセは5月25日、帝国ホテル(東京都千代田区内幸町)において取引先などを招き、創立100周年記念式典を開催した。

 ヤナセは、三井物産機械部に努めていた梁瀬長太郎氏が、ビュイックやキャデラックなどの輸入自動車と輸入鉱油類の一手販売権を譲り受けるとともに、1915年に「梁瀬商会」として創業。2015年5月25日に創立100周年を迎えた。

ヤナセ 代表取締役社長執行役員 井出健義氏

 記念式典に登壇した、ヤナセ 代表取締役社長執行役員 井出健義氏は、「大安の日に100周年を迎え、100年企業の仲間入りをした。創業者の梁瀬長太郎が三井物産のキャデラック、ビュイックを販売事業を引き継ぐ形で独立して本日の会場である日比谷の地に梁瀬商会を設立したのがちょうど100年前でした」と挨拶を切り出した。

 ヤナセ創業当時は、日本の自動車の登録台数が約1000台ほどとのことで、そのような状態でありながら、モータリゼーション社会の到来を夢見て創業し、1922年は5台だけとはいえ国産自動車ヤナセ号の生産も行った。

 第二次世界大戦終了間際の1945年5月、梁瀬次郎氏が社長に就任。日本は8月に終戦を迎えるが、梁瀬次郎氏は「戦後の復興は輸出と輸入のバランスよい成長が不可欠」と考え、1952年にメルセデス・ベンツの販売を、1953年にフォルクスワーゲンの販売を開始したとのこと。

創業者 梁瀬長太郎氏
1915年創立
第2代社長 梁瀬次郎氏

 ヤナセは、「いいものだけを世界から」のスローガンのもと、モータリゼーションの発展とともに成長。「輸入自由化や高度経済成長に後押しされた躍進期や、バブル経済の崩壊やリーマンショックに起因する低迷期を経て、その中で小売り専業に業態転換しながらも100年の歴史を刻んでまいりました」と語る。

 かつてはクルマの生産も行ったヤナセだが、現在は小売りに専念。「クルマはつくらない、クルマのある人生をつくっている」とのスローガンになり、「輸入車に乗る楽しみや喜び、満足と感動をより実感していただきたい」という。

 そのヤナセの5つの財産が、「素晴らしいお客さま」「メルセデス・ベンツ、アウディ、BMW、フォルクスワーゲン、GMの素晴らしい商品」「高い士気と現場力の社員」「知名度とブランド力」「全国に展開する販売・サービスネットワーク」と語り、「これら貴重な財産をしっかり築き守ってきたからこそ100年の歴史を刻むことができました。現在、自動車は、無公害無事故のゼロエミッションカーの開発に向けて、自動車技術のパラダイムシフトの時代に入っていますが、時代や技術がどのように移り変わろうともこれらの大切な財産をしっかり守り、お客さまに対する感謝とおもてなしの心をしっかり持ち、常に安心で快適な輸入車ライフを提供し続けることができれば、日本だけにとどまるかどうかは別として、次の100年も持続成長が可能であると確信しています」という。

 最後に、「頑丈でしなやかなヤナセ丸は5つの財産を乗せて、200年目に向けて本日出航します」と挨拶を結び、来場者にお礼を述べた。

 主賓として、ドイツ連邦共和国大使館 Dr.ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日大使、ダイムラーAG メルセデス・ベンツ・カーズ 営業/マーケティング部門担当 Mr.オラ・ケレニウス取締役が挨拶。ヤナセの社会還元事業に関する贈呈式なども行われた。

 会場となった帝国ホテルには、フォルクスワーゲンの輸入1号車や、梁瀬次郎氏の愛車であったメルセデス・ベンツ 600も展示されていた。

会場に展示されていた、フォルクスワーゲンの輸入1号車
梁瀬次郎氏の愛車であったメルセデス・ベンツ 600
創立100周年を機に、車イス100台とスマート5台を日本赤十字社に寄贈

(編集部:谷川 潔)