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トヨタ、人工知能技術の新会社「TOYOTA RESEARCH INSTITUTE, INC.」設立に関する記者発表会

豊田社長「人々の暮らしを豊かにして社会に貢献できることにチャレンジする」

2015年11月06日発表

新会社TOYOTA RESEARCH INSTITUTE, INC.の最高経営責任者(CEO)に就任したギル・プラット氏と、トヨタ自動車社長の豊田章男氏

 トヨタ自動車は11月6日、「人工知能技術」の研究・開発強化に向けた新会社設立に関する記者会見を実施。同社社長の豊田章男氏と新会社の最高経営責任者(CEO)に就任したギル・プラット氏が登壇し、今後の目標などについて話した。

 トヨタは2016年1月に、米国カリフォルニア州のシリコンバレーに新会社「TOYOTA RESEARCH INSTITUTE, INC.」(TRI)を設立。2020年に向けて今後5年間で約10億ドル(約1200億円)を投入して人工知能技術に関する先端研究や商品企画を展開する。

 記者発表会に登場した、豊田氏は「私たちがイノベーションを追求するのは“技術的に可能だから”ではなく目指すべきものがあるから。人工知能技術とビッグデータを結びつけることで、自動車以外の新しい産業を創出することも可能になります」と、人工知能や新会社への期待感を話した。

 加えて、豊田氏は「私たちは、モビリティの枠を超えて、人々の生活や社会をより豊かなものにするために、この技術を役立たせたいと考えています。人工知能のような新しい技術を取り入れることによって、今日はもちろん、明日も次の100年も、もっと安全でもっと楽しい希望に満ちた社会をつくってまいります」と述べた。

 会場では、新会社の最高経営責任者(CEO)に就任したプラット氏が35年前に自身のカローラを修理している写真が披露され、豊田社長は「この写真を見た時、本当に彼と働きたいと思いました!とてもいいヘアスタイルです、ギルさん」と、プラット氏に話を繋いだ。

豊田章男社長
プラット氏が35年前に自身のカローラを修理している写真を披露
プラット氏は、仮にトヨタが10年間に生産する約1億台の1台1台が年間1万kmを走行すると、合計で年間1兆kmの実走行データが集まること紹介。ビッグデータの活用も検討していくことを示した

 豊田氏に続いて、ステージに登壇したプラット氏は「TRIではまず、協調自動技術や人工知能、特にモビリティの分野で機械と人が協力する方法の研究に注力します」と語り、その目標は、安全、アクセシビリティ、ロボットの3分野にわたることを示した。

 プラット氏は「安全に対する目標は、ドライバーの行動を問わず、クルマが事故にあわないようにすること。アクセシビリティに対する目標は、老若男女、身体能力を問わず、全ての人が移動の自由を享受できるようにすること。ロボットに関する目標は、全ての人の暮らしを豊かにすること。特に、年齢や病状を問わず、高齢者が自宅で尊厳のある老後を過ごすことができるようにしたい」と、目標を述べた。

 また、プラット氏は、自身が人工知能の研究などに取り組むきっかけについて、小学生の時、帰宅途中に死亡事故に遭遇して現場を目撃したこと、自身の父が83歳になった時にクルマのキーを取り上げざるを得なかったことを紹介、プラット氏は「TRIでは、世界中の家族がこうした悲しい出来事を経験しなくてすむようにすべく取り組みます」と、意気込みを語った。

 さらに、プラット氏は「TRIでは、トヨタという組織の枠を広げ、他分野での応用に向けた技術開発を行い、社会に貢献したいと考えております。そして、ハードウェアで成功したトヨタが、ソフトウェア技術と融合した新たな企業に生まれ変わることで、世の中に大きく貢献できると信じています。だからこそ私はトヨタの一員となったのです」と明かした。

 プレゼンテーション後の質疑応答で、豊田氏は「トヨタグループは、かつて織機から自動車へと主生産品目の変化を経験してきたユニークなグループであることに注目していただきたい」「TRIに期待するのは、車やモビリティの枠を超えて、人々の暮らしを豊かにして社会に貢献できることにチャレンジすることで、これが私なりの“バッターボックスに立つ”ということになる」と、新会社に対する期待を述べた。

 また、自動運転に対する考えについて、豊田氏は「24時間レースで、自動運転のクルマが人間チームに勝ったら自動運転のことを進めていこうと思っていたのが、ちょっと前の私。しかし、オリンピック支援をするようになって、パラリンピックの選手から”我々ももっとかっこいいクルマに乗りたいんだ”という声を聞くようになった。ファントゥードライブを提供するうえで、自動運転の活用の仕方は私が考える以上のものがあると感じ、自動運転を強力に進めていきたいと思う中、プラット氏との出会いがあった」と、考えの変化を明かした。

(編集部:椿山和雄)