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【特別寄稿】オグたんから見たホンダF1復帰劇

 本田技研工業は2015年からF1に復帰することを5月16日に発表した。その発表会のリポートとリリース内容はCar Watchでも報じているが、今一度F1復帰までの流れ、F1参戦のメリットなどについて、本誌で「オグたん式『F1の読み方』」を連載中の小倉氏に寄稿していただいた。

ホンダ、2015年からのF1復帰記者会見リポート
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20130516_599728.html
ホンダ、2015年から「マクラーレン・ホンダ」としてF1復帰を正式発表
http://car.watch.impress.co.jp/docs/news/20130516_599684.html


ホンダの変化

 2008年12月5日にホンダはF1から撤退。その翌年に現在の伊東孝紳社長が就任した。まず伊東社長のF1に対する発言の変化をちょっと振り返ってみたい。

 2009年に社長就任後、同年9月のインディジャパンの際に私的発言で「F1は魅力的ではなくなった」と、辛辣な言葉で表していた。だが、2011年の東京モーターショーでは「F1には興味があるが、ほかに優先するものがある」となり、2年前とはかなり方向性が変わってきたことがうかがえた。さらに2013年のモータースポーツ体制発表では「今は一生懸命勉強している最中」となり、その2カ月後には今回の2015年からのF1復帰発表となった。

5月16日に行われた緊急記者会見で、ホンダがF1に2015年に復帰することが正式にアナウンスされた

 たしかにホンダがF1を撤退した直後の2008年、2009年当時のF1は自動車メーカーにとって魅力に乏しいものだった。自然吸気エンジンはがんじがらめに規制がかかり、エンジンそのものの技術開発の場にはならなくなっていた。車体技術も市販車技術にフィードバックできるものがほとんどなくなっていた。KERSにしても、当時ホンダとトヨタ自動車はその動きに乗らなかったが、それはすでにハイブリッド技術を確立したメーカーにとってF1の規定は低レベルで技術開発上のメリットが少なかったからだ。同時にF1の参戦コストはとてもかさんだ。これでは、自動車メーカーとして参戦のメリットが小さく、株主や投資家から「なぜF1に参戦するのか」という声も懸念されただろう。

 ただ、当時のFIA(国際自動車連盟)もこの問題を重く受け止めており、当初は2013年までワンメイクパワートレーン(エンジンとトランスミッション)としてコストを抑える一方、2013年から新たな環境対策車技術の「走る実験室」となる新F1規定を導入し、自動車メーカーにはそこから参戦しやすいようにと考えていた。ワンメイクパワーユニットの案は廃案となったが、2013年からのF1を環境対策技術開発の場へという方針は、いくつかの修正はされながらも2014年から実現されることになった。

 このあたりの当時のF1をとりまく様子は、2008年12月の拙緒の記事「ホンダの撤退と、F1の未来」(http://car.watch.impress.co.jp/docs/series/f1_ogutan/20081212_38268.html)にも一部記している(注:この文中にあるホンダが独自チームの設立を撤回したのが2000年とあるが、正しくは1999年である。改めてここで訂正する)。

 当時すでにFIAが環境対策技術開発の場へというコンセプトを示していたことを思い起こすと、2009年の伊東社長の発言と判断には、やや短絡的で現場・現実を無視したものにもうかがえて、心配になったことがあった。しかし、2011年の発言では、2014年からのF1の動きがより見えてきたのだろうとも考えられた。そして、その後は今年までいろいろと新F1規定の動きと経済情勢、企業の業績と経営状況などを見ながら熟慮を重ねてきたのだろうということもうかがえた。また、外国為替市場での円レートがより適正な方向に動き始めていることも、ホンダの業績と見通しに明るさを取り戻し、経営上いろいろと動きが取りやすくなったのではないかとも考えられる。

F1復帰のメリット

 ホンダが復帰を目指すF1は、2014年からエンジンを含むパワートレーンを中心に大きく変わる。1600ccの直噴V6ターボエンジン(最高回転数1万5000rpm)で、ERS(エネルギー回生システム)は、従来のKERSよりも高度なものとなる。また、燃料の総流量規制も導入され、それは1万500rpmを超えるときには100kg/h、1万500rpmを下回るときは、毎分回転数×0.009+5.5の計算に基づいた数字が1時間当たりの総燃料流量(kg/h)となる。燃料タンクの容量もスポーティングレギュレーションで規制されるとしているが、このスポーティングレギュレーションはまだ公開されていない。

 この規定の意図は、過給とガソリン直噴によるダウンサイジングエンジンの技術向上であり、効率を高めてより低燃費にすると同時に、自動車の魅力である気持ちのよい走りの原動力であるパワーも両立させようとするものである。

 燃料電池、電気自動車、水素燃料など環境対策自動車にはさまざまな技術があるが、コスト、インフラ整備、そのものの技術的課題など、広く普及させるにはまだそれぞれハードルがある。一方、ダウンサイジングエンジンは既存のインフラを利用できる上、エンジンの技術を高めれば、短期間で広く普及できる。また、エネルギー回生技術も高まれば、より環境負荷が小さい自動車が実現できる。自動車メーカーにとって、F1の新規定はやや魅力のあるものになっている。また、投資家やどの社内にもいるモータースポーツ慎重・反対派にも説得しやすくなるはずだ。

 さらにホンダにとっては技術者の伝承も有効だろう。かつてホンダはターボエンジン時代の1986年~1988年のF1でエンジンサプライヤーとして世界一となっていた。だが、あれからほぼ四半世紀が経ち、当時の技術者たちも高齢化している。今、その技術やスピリットを伝承するのは有形・無形の意義があるだろう。また、レース結果はあまり芳しくなかったとは言え、2000年代のホンダのF1技術者たちも多彩な発想を実現してきていたので、その考え方などを次に伝えていくことも、よりよいことだろう。

 そして何よりも、企業内での一体感と士気の向上、販売店や顧客・ファンとの連帯感の向上にもよいことだろう。北米市場において、GMとフォードはリーマンショックなどによる業績不振にあっても、連邦議会の公聴会で経営を辛辣に攻撃されても、NASCARの活動を聖域のように継続したし、GMはシボレー創業100年を機にインディカー復帰も決めた。これはこうした士気と連帯感をより重視したからだった(インディカーはターボ過給ダウンサイジング技術追求の意義もある)。この判断は自動車販売がやや回復しつつあるアメリカで功を奏しはじめている。

 ホンダにとっても、F1復帰は社内・車外、国内・国外ともによい効果が得られるかもしれない。とくにレース結果がよりよいものになれば、高効率なダウンサイジングエンジン技術をアピールでき、自動車先進国市場だけでなく、これから自動車がより普及するであろう国での市場でも、販売を後押しするパワーにもなるだろう。

マクラーレン・ホンダへの過大な期待への不安

 レースでの好結果を得ることから考えても、トップチームの一角を占めるマクラーレンへの供給はよい選択だったと言える。ただ、過大な期待をする声には不安を感じざるを得ない。

 確かにマクラーレン・ホンダは、1988年~1992年までに多くの勝利とチャンピオンを獲得した。とくにターボエンジン最後の年となった1988年には、燃費と過給圧への厳しい規制が敷かれた中、独自の高効率燃焼技術で他を圧倒して、16戦15勝という結果も残した。こうした結果から、「マクラーレン」「ホンダ」「V6ターボ」となれば期待が高まるのもよく分かる。

 しかし、ホンダのV6ターボエンジンはF1参戦開始の1983年~1985年まではなかなか勝てなかった。むしろ、初期は「今日はレースの半分も走ったよ(予想より長持ちした)」とチームメンバーが言うほどエンジンが壊れまくった。安定して勝てるようになったのは、ボア×ストロークを大幅に見直したエンジンが投入された1985年終盤からだった。だが、当時のホンダは3シーズン苦戦してもまだ続けるという粘り強さがあり、それを許して応援する社風もあったようだ。これが1986年からの強いホンダとなった。

 一方、マクラーレンもエンジンサプライヤーが変わった時など、苦戦を続ける時期があった。

 2015年からのジョイント当初は、マクラーレン・ホンダにとって決して楽な戦いではないかもしれない。とくにライバルであるメルセデス・ベンツ、ルノー、フェラーリは、2014年からこの規定で参戦するので、1年の遅れをとることにもなる。マクラーレン・ホンダが勝てればよいが、当初からなかなか勝てない。惨敗であってもファンやホンダの経営陣にはより長い目で見る寛容さが必要だろう。技術と技術者を育んで世界の頂点を獲れるようになるには、時間がかかることはすでに実証済である。

 もちろん、目下来年からの導入に向けて開発中のスーパーフォーミュラ/SUPER GT用の2.0リッター直列4気筒ターボの開発成果も盛り込めば、より素早い開発にもつながるかもしれない。このエンジン規定は燃料の瞬間流量規制をかけるというもので、2014年からの新F1規定よりも厳しく高度な技術を求めている。今年の夏には実走テストが始まる予定のこのエンジンの開発経験とノウハウは、きっと有効になるだろう。

 半面、短気な判断をして撤退してしまうと、それまでの成果を得られないばかりでなく、他のチームの成果になったこともすでに学習したはずである。もちろん、そのときはいろいろと事情があったのだろうことも理解はできるのだが。

技術者がより自由闊達に

 1987年、1988年のレース現場での記憶や、その後のF1での活動の様子を思い出すと、当時のホンダF1チームはまさに現場・現実・現物というホンダらしいものだった。その中では本田技術研究所の技術者たちが中心となって、自由闊達に考え、行動していた。そして常に創意と工夫に満ちたV6、V10、V12エンジンと技術を投入していた。それが勝利と成功につながったと思う。とくに、ターボエンジンでは自動車用エンジンに関する学説や定説を覆すほどの世界的な技術発展も実現し、その後の乗用車やレーシングカーでのターボエンジンの普及と発展に多大な貢献をした。

 よりよいエンジンを実現して世界の頂点を極めるために、フェラーリが巻き返してくれば緊急追加予算を立ててさらなる開発を集中的にやったこともあった。だが、当時からホンダ本社の中からは研究所の技術者たちに対して冷ややかな声も聞かれた。「ウチはレース屋じゃない」と。しかし、こうした研究所スタッフたちの自由闊達な発想と研究開発が、1980年代、1990年代のホンダの魅力的な商品にも結実し、ホンダの販売台数を押し上げたとも考えられる。

 さて、今回のF1復帰はどうなるだろう。

 本田技術研究所の技術者たちが再び自由闊達かつ想像力豊かな研究開発ができるだろうか。新たなF1規定は技術者にとって挑む価値のあるよい素材となるだろう。自由闊達かつ想像力豊かな研究開発が実現できれば、ホンダは再びF1で世界の頂点を獲れるだろうし、さらに魅力的なクルマと技術で、世界の自動車市場で優位となれるだろう。

 そのためには、短気な結論は出さずに、期待を込めながら長い目で見守る必要があるだろう。

【お詫びと訂正】記事初出時、来年導入されるスーパーフォーミュラ/SUPER GT用のエンジンが1600cc直列4気筒ターボと記載しましたが、正しくは2.0リッター直列4気筒ターボでした。お詫びして訂正させていただきます。

(小倉茂徳)