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「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」に展示された名車たち(後編:コスモスポーツ/R360)
“チーム広島”で作りあげたクルマについて、マツダ社内のレストアプロジェクトメンバーに聞く
2017年4月14日 11:00
- 2017年4月8日~9日 開催
4月8日~9日にスポーツランドSUGOで開催された「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」で、メンバー14名で構成されるマツダ社内の有志によるレストアプロジェクトが仕上げた車両展示が行なわれた。
この活動は歴代名車のレストア作業を通じて、創立以来受け継がれているマツダのDNAを体験・体感することを目的としているもので、2020年のマツダ100周年をプロジェクトのゴールとしている。
活動の第1弾として2015年に「コスモスポーツ」(前期型)、2016年に「R360」のレストアを完成させている。今回のイベントにはこの2台が持ち込まれ、ピットエリアでの展示だけでなくパレードランの先導車も務めた。
今後のレストア予定も公開されていたので紹介すると、第3弾となる2017年に「ルーチェロータリークーペ」(予定)、2018年にBD型の5代目「ファミリア」(予定)、そして2019年には3輪トラックを予定している。
コスモスポーツのレストアで苦労した点
さて、それではレストアプロジェクトが手がけた車両を紹介しよう。最初は1967年式のコスモスポーツ(LA10A/前期型)だ。解説したのはレストアプロジェクトのメンバーで、マツダ ASEAN事業部 アシスタントマネージャーの山口晃氏。
当時の社名はマツダではなく東洋工業で、その東洋工業は1963年~1966年の約3年かけてロータリーエンジンの実用化のネックになっていた問題点を解消。そして1967年に2ローターロータリーエンジンを量産化。そのエンジンを搭載したのがコスモスポーツだった。
山口氏いわく、プロジェクトで手がけるクルマを選ぶ基準は、マツダの歴史を振り返ったときに「これしかない」というクルマや「こんな目玉ポイントがあった」というクルマを順番に取り上げているとのこと。
今回レストアしたコスモスポーツは、もともとマツダミュージアムに保管されていた車両なので外観はとてもキレイ。しかし、エンジンやサスペンションという構造の部分はかなりガタがきている状態だったという。そこでレストアではエンジンやサスペンションなどを中心に、キチンと走行できる状態に戻すことが行なわれた。
レストアをするにあたっては直すためのパーツが必要になるが、当然手に入らないものばかり。そこでどういう活動をしたかというと、活用できるものは活用し、ないものは当時のサプライヤーに協力を仰いだのだ。
とはいえ、クルマの部品なので製作するために設計図が必要になるのだが、ここがまず苦労した点。当時の設計図はマツダの社内やサプライヤーのところに保管されていたものもあるが、見つからないものもある。そのときは付いていた部品をバラし、そこからパーツの形状を紙に転写するカタチで図面のベースを作ったりしたということだった。
ちなみに、レストアの際に声を掛けたサプライヤーは30~40社ほどあったというが、なかには今はあまり付き合いのない会社もあったようだ。しかし、このレストアを通じてまた違った交流ができたり、当時、担当していた方が出世して偉くなっていたりと、人との交流に関してもメリットが多い活動だったという。
そんな苦労をして仕上げたコスモスポーツはセル1発でエンジンが始動し、当日は来場者が参加できるパレードランの先導車としてスポーツランドSUGOのコースを走行。不調な様子もトラブルもなくスムーズに走った。
マツダ(東洋工業)が初めて発売した乗用車、V型2気筒&AT仕様の「R360」
続いて紹介するのはマツダ(当時は東洋工業)が乗用車市場に初めて参入したR360だ。このクルマについては、レストアプロジェクトメンバーであるマツダの防府第4車両製造部 2組立課 TCPクリエイティブの岩本源彦氏が解説。ちなみに岩本氏は自身でもR360を所有しているとのこと。
エンジンは強制空冷式90度V型2気筒OHV。排気量は356cc、最高出力は16PS/5300rpm、最大トルクは2.2kgm/4000rpm。トランスミッションは4速MTのほかにトルクコンバーター補助ミッション付き(AT)もあった。サスペンションはフロントがスイングアーム・トーションラバー式独立懸架。リアがオイルダンパーだ。
R360が発売されたのは1960年で、その15年前に東洋工業のあった広島に原子爆弾が投下され、終戦を迎えた。その後、東洋工業は復興に役立つ3輪トラックなどを中心に製造し、地元の立ち直りを支えてきた。
しかし、自動車メーカーとして成長していくことや、ほかの自動車メーカーに吸収されては広島の復興に関われないといった理由から、トラックや3輪車だけでなく乗用車を製造することになったという。
そこで計画されたのがR360。製造の号令をかけたのは3代目社長の松田恒次氏だが、恒次社長には「男性はもちろん、女性、戦争で傷ついた人、身体障害者など、すべての人に乗ってもらえるクルマを作りたい」という想いがあった。また「そのためには我々が努力せねばいかん」と社員に言ったという。その気持ちを受けて当時の社員が結束して作りあげたのがR360になる。可愛らしいスタイルだが、そんな熱い気持ちで作られたクルマなのだ。
機構的な最大の特徴は「日本初の軽自動車でATを採用したところ」だ。これこそ「すべての人に乗ってもらいたい」という言葉の具現化だ。さらに価格の面でも1960年当時で32万円(AT。MTは30万円)という破格の安さで発売。ちなみに同世代の「スバル360」より安い設定となっていた。
ただ、ATは高級装備なので30万円に設定するのは厳しかったそうだが、当時、産業用のトルクコンバーターを製造していたメーカーと技術提供して専用のトルクコンバーターを製造。ギヤはローとハイの切り替えで、ここはクラッチレスの手動切り替えとなり、通常はハイに入れっぱなし。スタートは現代のATと同様にアクセルを踏めばいいだけ。スピードコントロールはコンバーターのスリップを使っていたとのこと。
このクルマは1959年4月に起案して、1960年5月に完成という短期間で製造されているのだが、これは当時の主力工場である「府中工場(F工場)」の生産力の高さがあったからということだった。ここは他メーカーも導入していなかったフルオートメーションの生産設備があったので、同一ラインに複数の車種を流すことができた。こうしたことも低価格化に結びついているという。また、クルマを作るには莫大な資金が必要になるが、これについても広島銀行の援助を受けたとのこと。広島銀行はロータリーエンジンの開発時にも大きな協力をしたとのこと。まさに“チーム広島”で作りあげたクルマだったのだ。
さて、そんな逸話を持つクルマだが、これもマツダミュージアムにあったものなので、レストアはコスモスポーツ同様にエンジンやサスペンションなどが中心になった。そして「マツダファン 東北ミーティング 2017 in SUGO」では、最終日のパレードランでロータリーからレシプロまで、すべてのマツダ車の先導車としてサーキットを走行した。