ニュース
バーンファインドの「タイプC/5HP」も展示。シトロエン100周年記念イベント「シトロエン センテナリー ギャザリング」
ヒストリックカー約30台が銀座をパレード
2019年9月26日 10:30
- 2019年9月17日~23日 開催
シトロエン(プジョー・シトロエン・ジャポン)はシトロエン設立100周年を記念し、9月17日~23日に「シトロエン センテナリー ギャザリング」と題し、アークヒルズ アーク・カラヤン広場(東京都港区)を中心にイベントを開催した。
シトロエン100年の歴史
1919年6月4日、シトロエン「タイプA/10CV」がフランスはパリ郊外のジャヴェル河岸にある工場を後にした。これがシトロエンの第1号車だ。
シトロエンの名は、創業者であり経営者でもあるアンドレ・シトロエンに由来する。例えばベントレーはW.O.ベントレー、ブガッティはエットーレ・ブガッティの名を取ったことと同じだが、彼らと大きく違うのは、アンドレ・シトロエンは技術者ではなく優れた経営者だったことだ。
1878年、オランダ人の宝石職人の父とユダヤ系ポーランド人の母との間に生まれたアンドレは、1898年にエコール・ポリテクニーク(国立理工科大学)において技術的な基礎、つまりはテクノロジーそのものではなく、その成り立ちや考え方を習得し卒業。ここでアンドレは、テクノロジーに基づく経営を学んだのだ。
あるとき母の故郷であるポーランドのロッツという街にある工房に赴く。そこには通常のストレートカットの歯車ではなく、V字型に加工された歯車が置いてあった。エコール・ポリテクニークで学んだ素地を生かし、アンドレは伝達効率ばかりでなく、静粛性が確保できるなどさまざまなメリットを見抜く。そこでその特許権を買い取り、アンドレはこの歯車工場を立ち上げたのだ。これが今に続くシトロエンのエンブレム「ダブルシェブロン」の始まりなのだ。
バーンファインドやロータリーモデルなど歴代14台のヒストリックカーを展示
さて、今回のイベントではさすがにタイプAは展示されなかったものの、バーンファインドされた1923年製(あるいは1925年という説もある)の「タイプC/5HP」が展示された。
この車両は、戦後すぐにフランス人宣教師が布教活動の移動手段として日本に持ち込んだもの。その宣教師が北海道に渡ることになり、日本人に譲渡。その後、不動状態となってしまったところを、次のオーナーが1989年~1990年ごろに独自でレストアして自走できるようにした。しかし、オーナーの逝去により再び不動車となり15年ほど放置されたが、この度プジョー・シトロエン・ジャポンがそのオーナーの奥さまから譲り受けた。
当時、5HPの資料はほとんどなく、レストアの参考としたのは過去、日本の自動車雑誌に掲載された同型モデルの記事と、複数のモノクロ写真だけだったという。そのため、厳密にはオリジナルとは言いがたい箇所、例えばフェンダーの形状、インストルメントパネルの素材などが挙げられるが、これこそがこのクルマが日本で生きてきた証であり、歴史でもあることから、同社ではこのままの状態で、今後走れることができるように修理に着手する予定だ。
そのほかにも、アークヒルズ アーク・カラヤン広場には「トラクシオン・アヴァン」をはじめとした歴代モデルをオーナーから借用し14台展示。その中には非常に希少な「GSビロトール」の姿もあり、このクルマを目にしたエンスージアストにとって、貴重なひと時となったことだろう。
搭載されるエンジンは2ローターのロータリーエンジンだ。497.5㏄×2の995ccの排気量を持つこのロータリーユニットは、107HP/6500rpm、14kgfm/3000rpmの最大出力とトルクを発生した。向上した出力に対応するためにブレーキまわりも強化。同時にタイヤも145SR15から165HR14にサイズアップ。メーターまわりはなぜかボビン式からイギリス仕様と同じような円形のメーターに変更されているのが、通常のGSとの大きな違いだ。実際の市販化に向けて開発されたが、信頼性に乏しくテストを含めて市場に出た847台のほとんどをメーカーが回収しスクラップにされた。しかし、わずかに生き残ったクルマがあり、その1台が今回展示されたものである。
会場には歴代の展示車両以外にも、シトロエンオリジナルのグッズショップや代官山 蔦屋書店からシトロエンに関するさまざまな本が販売され、多くのファンが手に取り、購入していったようだ。また、最新のシトロエン各モデルも展示され、週末は最新モデルの試乗会も開催された。
最終日の23日は代官山 蔦屋書店で開催されているモーニングクルーズのシトロエンスペシャルバージョンも行なわれ、カラヤン広場に展示されたクルマをはじめ、多くのヒストリックカーが集合。そのうちの30台弱がカラヤン広場までのパレードに参加し、ゴール後はその参加車両がカラヤン広場に展示され、その光景はまさにパリのパサージュの中にいるようであった。
ユーザーと触れ合える機会をより多く
プジョー・シトロエン・ジャポン 広報室 PRマネジャーの森亨氏は今回のイベントについて、「シトロエン100周年記念ということで開催しました。これまではなかなかこういったイベントをやることができなかったのですが、シトロエンから感謝の気持ちを込めて企画したものです」とコメント。また、趣旨についても「日本においても100周年をシトロエンファンの人たちと一緒にお祝いできるイベントをやりたいと思ったのがきっかけ。日本市場においてシトロエンの販売は好調で、新しくシトロエンユーザーになった方々が多くいらっしゃいます。そういった方々にシトロエンのヘリテージをよく知ってもらいたいのです。同時にこれまで古くからシトロエンファンでいてくれた人たちにも楽しんでもらいたいという思いです」と言う。
そして、実際に開催して「思った以上にこれまでのシトロエンファンの方々にも好意的に捉えてもらえたのがとても嬉しかったですね。もう1つ、シトロエンをあまり知らない方々に、この場で古いシトロエンから現行車までに出会ってもらって、相当興味を持ってもらえたような雰囲気がありました。これはブランドとしても重要なことです。歴史を書いた本やグッズ類も販売しましたが、これらも好評でしたので、本当に多くの人々に関心を持ってもらえたようです」とのことだった。この成功を機に、「今後としてはここまでの規模はなかなかできませんが、フレンチブルーミーティングなどを含めて、小さくてもいろいろなイベントを開催できたらと考えています」と積極的にオーナーをはじめファンの方たちと触れ合う機会を設けていきたい様子であった。