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ホンダ社員有志が「シビック TYPE R」でスーパー耐久に参戦する理由とは?
2021年3月22日 09:54
- 2021年3月20日 開催
社会人野球部と同様にクラブ活動という位置づけの「HONDA R&D Challenge」
本田技研工業株式会社、およびその子会社で技術開発などを担当している本田技術研究所の社員有志によるレースプロジェクト「HONDA R&D Challenge」は、3月20日~21日にツインリンクもてぎで開催されたスーパー耐久開幕戦「もてぎスーパー耐久 5Hours Race」ST2クラスに参戦。予選は総合37位、クラス6位となったものの、決勝では見事クラス3位でゴールして表彰台を獲得した。
チームのドライバーを務めるシビック TYPE R開発主任 柿沼秀樹選手、木立純一選手、石垣博基選手、そしてチームのエンジニアの務めるシビック TYPE Rのシャシー開発担当 後藤有也氏に、レースプロジェクト「HONDA R&D Challenge」の詳細について聞くことができたので、ここにお届けする。
HONDA R&D Challengeが社内有志のチームとして参戦することになった経緯として、ホンダ広報部 木立純一氏、いや今回はチーム代表兼ドライバーとして参戦している木立純一選手は「元々のきっかけはシビックTYPE Rを開発していたエンジニアと、自分が担当していたニュルブルクリンクでのテストドライバー育成という2つの領域が1つになって、会社に対して業務としてやらせてほしいとお願いしたのが源流です。それが認められて2017年と2018年にJoy耐(筆者注:もてぎEnjoy耐久レース)に参加したが、2019年には会社の業務としては難しいということになった。そこで会社とも交渉して自己啓発という形で、2019年からは会社の看板は使うがプライベーターという形で参戦している。弊社の社会人野球などもそうだが、クラブ活動という位置づけで活動しており、このHONDA R&D Challengeもそうした位置づけになる」と説明する。
HONDA R&D Challengeは、会社の中でクラブ活動という位置づけで行なわれているという。このため、基本的に参戦費用などは自分達で準備し、自分達でスポンサーを集めて活動している、プライベーターになる。
ただし、公式クラブとして会社に公認されているので、会社の備品を使うことは認められており、その中には車両やメカニックなどが利用している工具などが含まれている。また、木立選手が広報部に所属するためではないと思うが、会社のプレスリリースでこの活動が紹介されており、側面援護的なことはしてもらえる、そういう活動になる。
会社の課外活動となるため業務扱いではない。そのため最も苦労したのは人集めだったという。いくら本人が好きでやっているとはいえ、金曜日の朝早くからサーキット入りし、日曜日は遅く帰ってくる……独身者であれば活動しやすい側面もあるが、家族持ちにはなかなか厳しい条件になる。
理解のある家族でない限りは、家族から何らかの意見が出るというのは容易に想像がつくだろう。木立選手によれば、やはりホンダの社員でもあるチームマネージャはメンバーの都合に合わせてローテーションしたりして、メンバー1人に負荷がかからないようさまざまなことに配慮して活動を続けているのだという。
シビック TYPE Rを開発した開発責任者柿沼秀樹氏が自らハンドルを握って参加
そうした苦労をしながらHONDA R&D Challengeを続ける意味について現行シビック TYPE R(FK8型)開発責任者である本田技研工業 四輪事業本部 ものづくりセンター 完成車開発統括部 開発車両三部 開発管理課 チーフエンジニア 柿沼秀樹氏、いや今回はドライバーを務める柿沼秀樹選手は「自動車作りというのは結局のところ人だと考えている。もちろん開発するのは技術だったり、パーツだったりするが、軸にあるのはいいクルマを作りたいという人の思いだ。弊社の商品は個性があって、ホンダらしいとほめていただくことがあるが、それを生み出していくのは開発者のマインドであり、思いだ。それを単なる会社員として普通に決められたことをやりながら歳を重ねても生まれるものではない。若いうちにいろいろな経験をして、それが化学反応を起こして“こういうクルマを作りたい”という強い動機が芽生えていく。自分もホンダに入ってすぐの1992年にNSX-Rが誕生し、その後1995年にはインテグラ TYPE Rが生まれた。そういうところから自分はこうなりたい、将来はこういうクルマを作りたいという動機が芽生えた。この先ホンダを受け継いでいく若い人達にもそういう姿を見せて、彼ら自身で考えていってほしい」と述べ、そうした「思い」を次の世代に受け継いでほしいとと説明した。
語り継がれる思い Vol.6 NSXヒストリー「TYPE R」 NSXが拓いた、究極スポーツモデルの称号
https://www.honda.co.jp/sportscar/NSX_30th/type-r/
柿沼氏の「思い」を体現した製品こそが、柿沼氏が開発責任者を務めるシビック TYPE Rになる。TYPE Rシリーズのフロントとリアには通称「赤バッジ」と呼ばれる赤いHマークのエンブレムが付けられているのはよく知られている話だ。その赤バッジについて柿沼氏は「TYPE RのRはRacingのRであり、RedのRでもある。そうした燃える気持ちをレッドとして表現している。ホンダは世界最高峰のF1に量産車を発売していないときにも赤バッジを付けて参戦した。それを貼っている4輪車はTYPE Rシリーズだけで、(ボディカラーの)チャンピオンシップホワイトは、(F1マシンである)RA272のホワイトをルーツにしている。TYPE Rとはそういう商品だ」と説明する。ホンダとしてTYPE Rは、F1をはじめとるすレーシング活動がルーツであり、その精神を受け継ぐマシンという訳だ。
若いエンジニアがレースエンジニアとして参加、「思い」は次の世代へ
柿沼氏の「思い」を受け継ぐ若い世代の“部員”もクラブ活動に参加している。それがシビック TYPE Rのシャシー開発担当となる本田技研工業 四輪事業本部 ものづくりセンター 完成車開発統括部 開発車両三部 車両運動性能開発課 アシスタントチーフエンジニア 後藤有也氏だ。
後藤氏は柿沼氏の元でシビック TYPE Rのシャシー開発を担当している。後藤氏はホンダに入社して以降、担当してきたのはFK2世代のシビック TYPE R、FK8のシビック TYPE R、そして2020年に販売された20年型のFK8でもシャシー担当として開発に参加してきた。
今回のHONDA R&D Challengeではレースエンジニアとして参画しており、車両のセットアップなどを担当している。その後藤氏に量産車の開発、レースエンジニアの違いを聞いてみると「やってることは普段やっていることの延長線上ではあるが、領域が異なっている。例えばタイヤのセットアップでは、量産車ではスリックタイヤのようなグリップのピークが高いタイヤを履くことはなかった。量産車で使う領域ではないところのセットアップをするので、エンジニアとしては非常に楽しい」と説明してくれた。
後藤氏によれば今回のスーパー耐久参戦にあたり、導入したFK8型のシビック TYPE Rは基本的に量産車のままだという。しかし、レギュレーションに合わせて車内にロールゲージを入れ、シートは6点式のシートベルトが取り付けられるシートに変更されるなど安全面で必要とされる対策は加えている。
性能面に関わる部分では、ブレーキとサスペンションのバネは変更してあるが、それ以外は量産車のシビック TYPE Rのままということだった。
スーパー耐久では性能に関わる部分であっても、事務局に申請して認められば改造できるそうだが、今回の挑戦ではあえてブレーキとバネだけにしてあるという。
「正直同じクラスのほかの車両は元々4輪駆動だったり、さまざまな改良を加えられているので、パフォーマンスではほかの車両には届かなくて悔しいが、それでもあえてそれでチャレンジするという道を選んだし、ほぼノーマルのままでどこまで通用するのか見たかった」とのことだ。
なお、メカニックはホンダ社員有志とATJ(オートテクニックジャパン)の社員有志などから構成されており、メカニックの方も自己啓発の一環として参加している。
全ホンダの開発ドライバー底上げを狙う
最後に紹介するのは今回のレースでHONDA R&D Challengeのドライバーを柿沼氏、木立氏と一緒に務めている石垣博基選手。普段は本田技術研究所 先進パワーユニット・エネルギー研究所 先進PU研究担当 兼 開発ドライバー育成担当という、ご本人曰く「普段は2030年のパワーユニットや、今後パワーユニットに入れていく技術の開発を行なっている」という業務を担当しており、兼務として開発ドライバー育成担当にも携わっている。
この「開発ドライバー育成担当」という肩書きはそれだけを聞くと、なんだろうということになると思うが、前出のチーム代表でもある木立氏によれば「ホンダでは、エンジニアは企画から量産立ち上げまですべて担当するというほかのメーカーとはやや違う制度を採用している。テストも同様で、開発ドライバーが自分でテストして解析し、問題があれば設計にフィードバックする形になっている。この開発ドライバーは社員がやっているが、そうするとそれなりに走らせることができないと、正しく評価することができない。ただ、開発ドライバーとなっている社員は全体で万を超える数となっているので、専任のドライバーが全員を教えるというのは難しい。そこで部課ごとにインストラクターを置き、その人達が自分の部課の人材を育成していくという制度を採っている。それが開発ドライバー育成担当という役職になる」とのことだ。
ホンダのエンジニアなどが開発ドライバーも兼務するため、さまざまな講習を行なう「先生」の役割を各部署で担当しているのが「開発ドライバー育成担当」になる。つまり、ホンダのエンジニアは「それなりに走れなければ務まらない」ということだ。
実際、木立氏自身も広報部に席を置き、普段は広報業務を行ないながら、ニュルブルクリンクドライビングインストラクターも兼務している。ニュルブルクリンクドライビングインストラクターとは、ニュルブルクリンクのノルドシュライフェ(北コース)で新車などのテスト走行をさせる開発ドライバーを育成する役職であり、コロナ禍になる前には、木立氏もニュルブルクリンクに何度も出張し、開発ドライバーにさまざまなことを教える業務を兼務していたという。
石垣氏は「業務としてインストラクターをやっており、趣味でサーキットに走りに行っていたが、趣味が高じてフィットレースに参戦したりしていた。この活動にも去年から参加して、今年はドライバーとして参加させてもらっている。実際こうしたアマチュア向けのレースシリーズの最高峰といえるスーパー耐久に参戦することで得られることは一杯ある。自分たちの思いとしては会社を活性化するために必要だということだ。こうした活動を次の世代の人達につなげていきたいと考えてやっている」と語り、柿沼氏と同様に「次の世代にホンダがF1に初めて参戦したとき、第2期のF1で圧勝したとき、そうした歴史をTYPE Rシリーズに封じ込めたとき」というホンダの思いを次の世代につなげていきたいということだ。
EVになろうが、自動運転機能が搭載されようが操って楽しいスポーツカーはスポーツカーであり続ける、それを鍛える場がサーキット
シビック TYPE Rの開発責任者でもある柿沼氏は、こうした活動は将来のTYPE Rやホンダのクルマ作りに確実にフィードバックされていくという。そんな柿沼氏に、カーボンニュートラルや電動化、自動運転など「100年に一度の技術革新」が、シビック TYPE Rのようなスポーツカーをどう変えていくのかを聞いてみた。
柿沼氏は「自動車の起源というのは、安全に効率よく移動するという手段だった。そこに人間では実現できないスピードで移動する物体を操る楽しさというのが出てきて、スポーツカーになった。環境対策が進んでも、それが変わってなくなることはない。確かにカーボンニュートラルを実現するために電動化という技術は確実にやってくるが、それはスポーツカーを具現化する手段が変わるというだけで、クルマという乗り物の楽しさがなくなることはない。むしろ、そうした手段が変わることによって、スポーツカーの価値はより官能的になっていく。それはわれわれにとってチャンスになると考えている」と述べ、「操っていて楽しい」というスポーツカーの本質は何も変わらないと述べた。
そうした「操っていて楽しい」スポーツカーが、シビック TYPE Rだ。柿沼氏は「TYPE Rという製品はホンダを愛していただいているお客さまの心に響く商品。最近では若い世代にも買っていただける商品になっており、ホンダが持っている歴史や思いに共鳴していただいている。そういうことはホンダの財産であり、次の世代に受け継いでいきたい」と述べ、今回の活動がシビック TYPE Rの「次の世代」を作り出すことにも役立っていくはずだと説明した。
現時点ではシビック TYPE Rの次世代がどうなるのか(開発しているのか、発売するのか、どのような仕様なのか)について公式な発表はない。しかし、そのような製品があるのであれば、今回の活動から得られた「何か」が次の新しい「思い」として紡がれていく、そういうことではないだろうか。
さて、最後に今回のレースに関して触れておきたい。743号車 Honda R&D Challenge FK8は、石垣博基選手がスタートドライバーを務めて、ゲストドライバーとして参加している山本謙悟選手につなぎ、3人目の柿沼秀樹選手へ交代して3位に浮上したところで、激しい降雨により赤旗中断となった。
結局レースはそのまま終了となり見事3位表彰台を獲得した。初戦で3位獲得はさいさきのよいスタートといえるだろう。今後も「思い」を乗せて走るHonda R&D Challengeの活動には要注目だ。