試乗レポート
日下部保雄の歴代ホンダ「シビック」探訪記【後編】
歴代シビックが展示される企画展「CIVIC WORLD」を見学してきた
2021年4月20日 06:00
今回の取材会ではCVCCエンジン搭載の初代シビック、最新のシビック TYPE R リミテッドエディションの試乗とともに、ツインリンクもてぎのホンダコレクションホールで開催中の歴代シビックが展示される企画展「CIVIC WORLD」の見学を行なうことができた。後編ではその歴代シビックの紹介をしつつ、筆者とシビックの関わりについても紹介していきたい。
渾身の初代シビックが誕生したのは1972年
小型車市場への参入に苦戦していたホンダが初めて成功を収めたのが「シビック」だった。F1参入や「S600」などのスポーツカーで一躍風雲児となったホンダは、精緻なメカニズムと常識を覆すようなハイパワーエンジンで世間をアッと言わせていたが、強豪ひしめく小型車ではシビック登場まで営業的なヒット作はなかった。
「カローラ」や「サニー」と言った大衆車がオーソドックスなFRの3ボックスセダンとしていたのに対し、シビックはFFで2ボックススタイルの2ドア+トランクでデビューした。他社よりも長いホイールベースと広い室内、実用性の高いエンジンを開発して渾身の1台が誕生したのは1972年のことだった。
それまでのホンダは一貫して高回転/高出力エンジンを得意としており、最初の小型車「ホンダ1300」は空冷4気筒のFFで精緻なドライサンプエンジンはまさに工芸品だったが、販売には結びつかなかった。シビックはその反省に基づき実用性と燃費を重視して作られた。独立したトランクを持ち大人4人が乗れるコンパクトカーは、若者のファッショントレンドを引っ張ることになった。
そして世界の自動車メーカーを震撼させた北米の排出ガス規制、マスキー法をクリアしたCVCCエンジンを開発し、最初にシビックに搭載されたこともシビックを歴史上エポックメイキングなクルマにした。北米ではレギュラーガソリンを使える燃費のよいコンパクトカーとして人気が広まり、世界的にもCVCCの希薄燃焼技術は高い評価を受けた。シビックはその後、全車種CVCCエンジンとなっていく。三元触媒の開発で副燃焼室を持つCVCCシステムはそれ以上普及することはなかったが、ホンダの功績は大きい。
それでもホンダとスポーツは同義語。スポーティなシビックを求める声は高く、それに応えてRSが登場したのは2年後の1974年だった。Racing SportではなくRoad Sailingとの説明だった。いろんな憶測があるが、ホンダとしては高出力エンジンを搭載していないモデルにRacingをつけるのはためらいがあったのだと思う。
しかしスポーツ魂はホンダDNA、シビックもホンダ系チームの手でラリーやレースに参戦し、特に社員チームのヤマトホンダはカローラやサニーがひしめく激戦のマイナーツーリングカーレースに参戦し、その速さは新鮮な衝撃を与えた。
1979年にサイズアップされた“スーパーシビック”(2代目)にフルモデルチェンジし、インテリア、エクステリアの質感は大幅に上がった。デザインは初代シビックを踏襲したため、新鮮味はなかったが乗り心地も向上してはるかに乗りやすくなった。このスーパーシビックからシビックのワンメイクレースが開催されて、多くのジャーナリスト、アマチュアドライバーが参戦した。ワンメイクだったために参加コストが下げられ、多くのドライバーにレースの門戸を開いたことは大きい。
ご覧のように、ホンダのモデルチェンジは2代目続いてキープコンセプトのデザインで、このころは3代目からガラリと変わるのが通例だ。
ワンダーからグランドへ
そして1983年、3代目となる“ワンダーシビック”が誕生した。ハッチバックは2ドアのみ、ホイールベースの長い4ドアセダンとワゴン系のシャトル、そしてホイールベースを切り詰めたクーペの「CR-X」の4車型をラインアップし、ホンダらしさが爆発したシビックだった。
全高が低くリアを切り落としたようなデザインは斬新で世界に誇れるものだったが、主戦場の北米ではまだ小さなハッチバックは馴染みがなかったという苦い経験もある。しかし、ルイ・アームストロングの「What a wonderful world」の名曲と共に広がりある素晴らしいCF映像は多くの人々の心に響いた。3ドアハッチバックは3810×1630×1340mm(全長×全幅×全高)のサイズでコンパクトでキュート。サスペンションはフロントはスペースの効率化を図るためにトーションバーを使ったストラット、リアはトーションビームだった。こちらもスペースを優先したもので、小さなボディに走る楽しさが満載されたものだった。
1984年にはロングストローク高回転を実現した名機ZC型DOHCエンジン搭載のSiモデルも加わり、ホンダのスポーツを待ち望んでいたユーザーは一気に盛り上がった。気持ちよく高回転までまわるエンジンはホンダらしいトルクの太い出力で乗りやすかった。そして軽いボディと相まって速かった。
レースではホンダも無限チームからグループAによる全日本選手権レースに積極的に参加して暴れまわり、その好成績でシビックの人気はさらに高まった。またワンメイクレースもこのSiモデルに切り替わったタイミングで全国のサーキットに広まっていった。
当方が最初にシビックとレースにかかわったのはこのワンダーシビックで、東北、関東のシビックワンメイクのシリーズ戦に参加してレースの醍醐味を知った。ドライビングではラリーの癖が抜けなくて振りまわしすぎ、他チームの監督に呆れられた。本人は全く意識してなかったが、タイム差に表れていたので歴然だ。サーキットとラリーでは走らせ方が違うのを改めて感じた。
余談だが、ホイールベースがさらに短い2+2のクーペ、CR-Xの初期型(1.5リッター)を所有していたことがある。珍しかったプラスチックフェンダーや1マイルシートと言われた小さなリアシート(ちょうどよい手荷物置き場だった)、軽快でフットワークのいいホンダらしいクーペだった。乗り心地はよくなかったが、そんなことを上まわる楽しさがあった。
そして初代シビックが質感を目指してスーパーシビックに進化したように、ワンダーシビックのコンセプトを引き継いだのが1987年にフルチェンジされた4代目シビック、通称“グランドシビック”だ。
一新されたプラットフォームでサスペンションは4輪ダブルウィッシュボーンの独立懸架となり、乗り心地は飛躍的に向上。ワンサイズ大きくなったボディで居住性も上がり、これ以降シビックは小型車のカテゴリーに入っていくことになる。
エンジンも1カム4バルブで抜きんでたパワーを誇っていたが、やはりエポックメイキングなのは「インテグラ」で初搭載された可変バルブリフト&タイミングのVTECエンジンが搭載されたことだろう。VTECは高性能エンジンの代名詞となり、ホンダのスポーツカーにはすべてVTECが搭載され、やがてこの技術は低燃費車にも展開されるようになる。
性能向上を図ったグランドシビックはワンダーシビックほどのインパクトはなかったものの、技術的には飛躍的に性能を向上させたモデルだ。
レースで使ったグランドシビックはワンダーシビックとは違って、コーナリング時のタイヤの接地形状に優れて、グリップ限界が高い上にコントロールしやすかった。担当していたエンジニアがダブルウィッシュボーンサスペンションの効果に感激していたのを思い出す。
スポーツからミラクルへ
当時のモデルチェンジはどのメーカーも4年ごとに行なっており、EF型も正確に4年でモデルチェンジされEG型に代わった。1991年に登場した“スポーツシビック”(5代目)である。
上質だがおとなしくなったグランドシビックのデザインから、ワンダーシビックが持っていたアクティブなシビックを取り戻そうとデザインも躍動的に変わり、特に遊び心を刺激するためにハッチゲートのガラスとリアゲートを上下分割してリアゲートに座れるようにしたことで、いつでも元気なシビックをアピールした。
ホイールベースは70mm伸びて2570mmとなり、フロントのサスペンションストロークを増やしたことで荒れた路面でも乗り心地はよくなったことも大きい。VTECはさらに10PSパワーアップされ170PSになり、ついに自然吸気エンジンでも市販車でリッター100PSを超えることになった。
スポーティでアクティブなイメージはホンダらしく、市場で受け入れられ、陰りが見えていたシビックの販売を盛り返すことに成功した。4ドアセダンに「フェリオ」というサブネームが与えられたのもスポーツシビックからだ。
筆者のシビックとのレースはこのスポーツシビックまでだったが、パワーアップされたとはいえホイールベースが伸び、重量が重くなったので、グランドシビックのタイムを上まわるのに苦戦し、最初はいくらサスペンションを工夫してもタイムが伸びなかった。しかし無限の協力も受け、やっとモノになったのはレース間近のことだった。酒井法子さんの“のりピーレーシング”でS耐の前身、N1耐久レースに参戦していたころのことである。
1995年に登場した6代目のEK型はスポーツ系シビックの路線を辿った最後のシビックで、通称“ミラクルシビックと”呼ばれた。ホイールベースもさらに伸びて2620mmになり、スリークなデザインでグランドシビックを彷彿とさせた。
画期的だったのは、1997年にシビックにもTYPE Rがラインアップに加わったことだ。赤いHマークのエンブレムがホンダ魂を象徴しており、ホンダファンの心を掴んだ。出力は185PSに及び、ホンダらしい硬質な回転フィールとアッと言う間にトップエンドに到達する爽快なレスポンスは素晴らしかった。軽量ボディと精密に組まれたエンジンなど、手の届きやすい価格でホンダのハートに触れることができた。
この時代にはそろそろ2ドアハッチバックのマーケットは陰りが見え、シビックは次のステージに入ることになる。
スマートシビック、そしてシビックの主戦場は北米、中国へ
2000年にデビューした“スマートシビック”と呼ばれるEU型(7代目)ではプラットフォームも一新し、イッキにイメージチェンジを図ることになる。サスペンションもフロントはストラットになり前後ダブルウィッシュボーンは姿を消し、国内生産は5ドアとフェリオのみになった。
スポーツ志向はすっかり影を潜め、新しいハッチバック市場に開拓するべくキャビンを広く取り、シフトレバーもダッシュボードから生え、前後ウォークスルーを実現するなどミニバンの要素も取り入れた斬新なものだった。初代シビックの新しいものを開拓していく精神をこのシビックからも感じとることができた。この年、4度目のCOTY(日本カー・オブ・ザ・イヤー)を獲得していることからも革新性が評価されたことが分かる。
それでもスポーツファンにとって大切なTYPE Rは、欧州仕様の3ドアボディを使った英国から逆輸入することで期待に応えたが、拡大されたボディと2.0リッター/215PSのパフォーマンスはこれまでのTYPE Rとは別次元のスポーツハッチバックに移行していた。同時に低燃費を訴求する1モーターのハイブリットシステム搭載車が登場したのもシビックではスマートシビックからだった。
大きくなった8代目シビックは4ドアセダンのみになり、日本市場のシビックから伝統のハッチバックは姿を消した。排気量も大きくなり、ボディサイズは1700mmを超える全幅となり、ホイールベースも2700mmで、従来のシビックのポジションからは完全に上級移行し、シビックは国内では徐々に台数を減らしていくことになる。低迷する需要に日本ではこの8代目シビックで販売を一旦終了した。
9代目シビックは主戦場の北米、中国で販売され日本では姿を見ることはなかったが、ホンダ社内にもシビック復活を望む声があり、2017年に10代目シビックが販売されることになった。しかしホンダのラインアップ整理のため2020年に販売終了した。根強い人気を持つ英国生産のTYPE Rも、英国工場が閉鎖されることで2020年末をもってシビックは再び日本市場から姿を消してしまった。
いつか日本の道を新しいシビックが走る日は来るのだろうか?