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トヨタGR、ル・マン24時間1-2フィニッシュ会見 小林可夢偉選手、中嶋一貴選手、村田久武WECチーム代表がトラブルと勝利の要因を語る

2021年8月27日 開催

TGR WECチーム代表 村田久武氏

TGR WECチームがル・マン24時間レース4連勝を達成

 2021年のル・マン24時間レースは、8月21日~22日に決勝レースが行なわれ、トヨタ自動車のワークスチームであるTGR WECチームが走らせる「GR010 HYBIRD」の7号車が優勝し、8号車が2位に入り、新しいLMH(ル・マン・ハイパーカー)規定の初年度を1-2フィニッシュで飾った。これにより、昨年までのLMP1規定での「TS050 HYBRID」と併せて4連勝(2018年~2021年)を達成した。

 そうしたTGR WECチームの2人の日本人ドライバー(8号車の中嶋一貴選手、7号車の小林可夢偉選手)、チーム代表の村田久武氏によるオンライン会見が8月27日に行なわれたので、その模様を紹介していきたい。

トヨタGR、ル・マン24時間レース決勝開催前の小林可夢偉選手、中嶋一貴選手、村田久武WECチーム代表オンライン会見
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1345365.html

燃料ポンプのトラブルが発生してからはほぼ毎コーナー何かしらの操作をしながら走っていた

中嶋一貴選手

──ル・マンはいろいろトラブルもあって2位フィニッシュ。コンディションも刻々と変わる難しいレースだった。

中嶋一貴選手:一番は燃料系のトラブルがあって、一時期は最後まで走れるかどうか分からないという状況でもあった。序盤から他車に当てられたりとか、いろいろなところでタイムロスしていった。レース終盤は争えるところまで戻っていたけれど、7号車、8号車ともに同じ燃料系のトラブルが発生し、8号車の方がシビアで、それの対処が難しかった。チームの方でもよい対応をしてくれて、使ったこともない方法をレース中に考えて見つけ出してくれたので、レースを最後まで走ることができた。

──燃料系のトラブルが発生して、ピットストップのタイミングが9周だったのが6周になった。燃料が吸えないというトラブル、ガス欠症状が出てしまっていたのか?

中嶋一貴選手:出る時もあれば、気配が出ただけでピットに入る、というのを繰り返していて、6~7周が走るアベレージになっていた。BOX(英語でピットインしろのこと)と言われて入っていくまでに燃料吸えてないなと思える瞬間があったりして、またその瞬間にBOX。ル・マンは1周が長いので、吸えなくて止まってしまうリスクはあったのでチームの方でもうまくコントロールしていた。

──最後のスティント、チェッカードライバーで走っている時も、最後まで走りきろうという感じで走っていたのか?

中嶋一貴選手:トップとの差はほぼ1周ぐらいあったし、そもそも状況的にトップを追いかけるというよりは、マシンを最後まで持っていくところに重きを置かないといけない状況だった。速く走るというよりも、操作に集中しないといけない状況だった。

──2台そろってゴール。可夢偉選手に親指を立てるというシーンがあった。可夢偉選手の初優勝に関しては?

中嶋一貴選手:もちろんレースを戦ってる以上は自分達も優勝を目指している。しかし、チームとしては7号車が不運を、僕らもいろいろあったけれど、それ以上に不運を被ることが多かった。7号車のみんなにとって報われたというのは嬉しいことだ。検査とかでそれを祝うことができなかったのはちょっと残念だったが。

──燃料が吸えないというトラブルはいつから始まっていたのか?

中嶋一貴選手:僕の2回目の走行の最後に始まっていたのだと思う。ちょっと早めにピットに入ったので、そういうことだと思う。あんまりその時は言われていなかったのだけど、それぐらいの時から始まっていたと考えている。

──3回目乗る前に紙のようなものを持ちながらピットウォールで説明を受けているシーンがあったが?

中嶋一貴選手:紙は事前に渡されていて、ピットウォールにいって話をするときに、手に持っていて、その話をして大丈夫だという話をしていた。

──操作しながら走るのは大変?

中嶋一貴選手:慣れてしまえば問題はなかった。普通に走るのとは多少違う操作が求められる。ラップタイムを考えれば理想的ではないのはもちろんだ。ただ、乗る前に時間はあったので、大きな問題なかった。たまに操作忘れて「おっとっと」となったりはあったけど、ほぼ毎コーナーでしないといけなかった。(操作は)両手を離すほどではない。ステアリングだけでできる操作。押すタイミングなどなどいろいろあったので、リズムを覚えるまでは難しい操作だった。

──最後3時間弱は中嶋選手がずっと乗っていたが、最初からそういう計画だったのか?

中嶋一貴選手:チーム的にはもう一度セバスチャン(セバスチャン・ブエミ選手)に戻すことを考えていたようだが、セバスチャンはもう乗りたくないというので(笑)。だいたいピットに入ると交代してからどれくらい経ったかというのが時間として出るのだが、何回かピットに入ってそれを見るとまだ1時間しか経ってなくて意外と長いなと感じた(笑)。

(最後のピットレーンを歩いて戻ってきたことを聞かれて)ストレート上に止めるのか、そのあたりがよく分からなかった。1周して戻ってきたマーシャルに誘導されていくと、マイク(マイク・コンウェイ選手)とホセ(ホセ・マリア・ロペス選手)が待っていて、どうも可夢偉君と勘違いされているのを感じて恐縮しながらごめんなさいねと(苦笑)。ピットレーンを歩いて戻ってきたが、居心地がわるかった。

──昨年まで3連勝と勝ち続けてきたル・マン、勝ち続けることに対してプレッシャーはあったか?

中嶋一貴選手:もちろん勝ち続けたいという想いはあったが、勝ち続けないといけないというプレッシャーはなかった。確率的に考えたら4回連続でうまくいくとは思っていない。このレースは、まずは24時間ミスなく走り続けることが難しい作業である。それに対するプレッシャーはあった。長いレースだというのは分かっていたし、最初はタイムロスをしたけれど、なんだかんだトップを争うところに戻ってこれた。

 自分が朝方2回目降りた頃には差を広げられつつある展開ではあったけれど、レースの流れは冷静に受け止めていた。朝から昼にかけて差がつき始めていたのと、ロスがあったようなので、今回は流れ的に厳しいなと思っていたところに燃料系のトラブルだった。

──4年ぶりに勝者ではなかったが? 今までとの違いは感じるか?

中嶋一貴選手:あまりない。今年が10回目のル・マン。勝者ではないときの方がまだまだ多い。そんなに毎回勝てるものではないというのは分かっていること。勝てたかよりも、自分達が仕事をできたかが大事なこと。ちゃんとミスなくやるべき仕事ができたなという充実感の方が大きい。何か自分が取り返しのつかないミスをして勝てなかった時の方が、気持ち的には引きずるんじゃないかなという気がする。

──WECは残り2戦、今後どのように取り組んで行くか?

中嶋一貴選手:今回のル・マンに関しては、トラブルが発生したことが今後に大きな課題となっている。モンツアで発生したのと似たようなトラブルだが、後半戦に向けてそれを解消することが大事だ。残りバーレーンで2戦あるし、チャンピオンシップのポイントも大きく離されてはいないので、もう1つの大きなタイトル(WECチャンピオン)を狙っていきたい。

 今後に向けては、新車で臨んで思ったよりよかった部分と課題が残った部分が明確になった。ホモロゲーションもあるので車両でやれることは限られているけど、やれることをやっていきたい。

──グリッケンハウスの信頼性がびっくりしたが、これからのライバルが増えてくる戦いに向けてどうなっていくか?

中嶋一貴選手:グリッケンハウスが何事もなくレースを終えたのはよい意味でびっくりした。そういうと上から目線に聞こえるかもしれないのでよくないが、周りがいいレースをすることはシリーズとしてもよかったと思う。

 来年以降、ライバルが増えて、2023年にトップカテゴリーだけで何台なのかという状況になるけど、ドライバーとしてもチームとしてもそれはウェルカム。コンペティションのレベルも1段、2段と上がっていくので、それに向けて準備をしないといけない。今回みたいなレースをしていると勝てないので、気を引き締めてよい準備をできるようにしたい。

──平川選手が9月のバルセロナテストに参加するそうだが、日本人ドライバー3人でトリオを組むなどはあるか?

中嶋一貴選手:それは夢もあるし、実現したらいいなとは思う。残念ながら決めるのは自分ではないので、ぜひそういう世論になるようにして頂ければ(笑)。自分は9月のバルセロナテストには参加しない予定だ。

──現時点で来季参戦したいカテゴリーは?

中嶋一貴選手:3カテゴリー(WEC、スーパーフォーミュラ、SUPER GT)に参加したいという意向はある。しかし、それは難しいだろうというのも理解している。日本の入国時の防疫体制が、ヨーロッパのようにいきなり切り替えるのは難しいだろうと思うからだ。

優勝できたのは、トヨタ、サプライヤー、スポンサー、そして応援してくれたすべての人のおかげと感じたゴールの瞬間

小林可夢偉選手

──優勝おめでとう! やっと勝ったなという気持ち?

小林可夢偉選手:ここまでの道のりはいろいろなことがあって、心からル・マンで勝ちたいと思ってやってきた。最後の最後まで気を許せないのがル・マン。ゴールの時に心に出たのは、走れること、チャンスをもらえたことに対する感謝しかなかった。トヨタ、そのパートナー、サポートしてくれている沢山のサプライヤー、そういう人達の力を得てレースしている、それをゴールして一番感じたところだ。まずは応援してくれている、サポートくれている人に、ありがとうと言いたい、それが優勝した瞬間に出てきた感情だ。

 それまでに悔しいレースがあったこともあって、そうやって感じたのかなと思った。なかなか勝てないということで、自分達自身も、自分達は勝てないのではないか、何か起きるのではないかという気持ちがあった。そうした中でやり続けることの持ってる意味、ちゃんと自分達を信じて、仲閒を信じて、自分達が強くなるためにどうするのかとやったことが今回の結果につながった。優勝はチームにとっての優勝だが、支えてくれたトヨタ、サプライヤー、スポンサーに感謝したい。

──トラブルは8号車だけでなく、7号車にも起こった。最後のゴールまでのスティントはあまり行きたくないとTVのインタビューなどで答えていたが……

小林可夢偉選手:行く前は心の中でいやだなとは思っていたが、いろいろな人がメッセージを送ってきてくれた。豊田章男社長、佐藤プレジデント、そういう中で、行きたくないとは言うことはできない。なぜ行きたくないと思っていたかと言うと、(燃料ポンプのフィルターの問題で)特別な操作をやらないといけない、そうした不安を含めてゴールに持っていけないと、応援してくれている人に申し訳ないと思っていたからだ。チームも気を遣ってくれて、ホセにいかせてもいいといってくれていたけど自分でも志願して、最後まで走った。沢山のメッセージが力になった。本当に感謝しかない。

──ゴールした後、今年お亡くなりになったお父様のことを思い出していたか?

小林可夢偉選手:父親が僕のレースをすごく応援してくれていたから、思い出すし、感謝もしている。父親がル・マンの神様にお願いしてくれたのかなと思った部分はあった。それも含めてこのレースに勝てたというのは、父親だけでなく応援してくれたすべての人に感謝したい。そうして応援してくれたことが、今の自分につながっている。

──ゴール後4日ぐらい経ったけど、ゴールしたときの心境から変化があったか?

小林可夢偉選手:感情の変化という部分では、当日よりも2日目に、2日目よりも3日目に、ル・マン勝ったんだという実感がわいてきた。いろいろな人がこのレースを応援してくれていて、とんでもない量のメッセージがきた。改めてル・マンに勝つということが特別なんだと感じた。日に日に感謝する気持ちが増えていくし、シーズンもこれで終わった訳ではないし、これからのレース人生をどうやっていくのかを含めて、次は何を目標にチャレンジしていくのか、目標設定をやりながらやっていく。

──最後8号車とのランデブーの中で中嶋一貴選手が祝福しているシーンがあった

小林可夢偉選手:正直に言うと一貴に対してリスペクトがあった。一貴は毎年のように最後のスティントを担当している。毎年あのプレッシャーの中で走っているのは本当に凄い。勝ち負けよりも、ル・マンのあの瞬間、最後の最後のミスをしない、不安要素しかない。その不安要素の中で淡々とあの操作をずっとやるのは、何大抵の精神的な強さではない。去年やったから今年はよろしくと言いたくなる。実際にやってみて一貴の凄さがよく分かった。

(最後のスティントに向かうにあたって)プレッシャーを感じてたというよりは、新しい操作をやらないといけないことで、不安だなというのがあった。(昨年や一昨年も)自分が乗っているときに何かが起きているので、その意味で不安だった。仕事はしたいですけど、ここで壊れたらこまでのいいストーリーが全部終わってしまう。だから辞めておきますというのはダメだなと思ったので行くことにした。そして皆さんから頂いた沢山のメッセージが自分の中で覚悟を決めた。

──年を経るごとに悟りを開いているように見えるが……

小林可夢偉選手:今年はル・マンに入る時によろしくお願いします。帰るときにありがとうと(サーキットに挨拶をして)帰った。自分にも分からないけれど、ル・マン24時間という過酷なレースで、今年も強烈な雨が降ってきてパニック状態の時があった。そんな中で大きなクラッシュもなく、無事にこうやってレースを終えられた。雨が降ったり、そうでなかったり、など普通のサーキットに比べると危険なオールドサーキットでのレース。そこで無事にゴールさせてもらえる、自分が速いからではなく、今年もありがとうございましたと言えないと来年につながらない。

 耐久レースをこれだけやらせてもらえて、自分で思ったのは、自分を信じるということ。時にはどうしようという瞬間がでてくる、タイヤの温度が冷えて自分の思ったとおりに走れない瞬間、必ず24時間走っていると起こる。そうした時に信じるものは自分しかない。ずっと、自分ならなんとかできる、というのは自分と会話して経験させてもらって耐久レースで、デイトナも含めてできるようになったという想いはある。

──ここ数年、可夢偉選手が乗っているときに何か起きてしまう。早めにピットに戻され、燃料系統のトラブルがあった

小林可夢偉選手:8号車にそういう傾向があるというのは聞いていたので、思ったより早いなというのがサプライズだった。8号車の方がよりクリティカルな状況だったようなので、まず8で延命処置を加味して、それが使えそうだから7号車にもそれを使えそうとやってくれた。正直ピット入るタイミングで、無線では理解できていたが、そういう部分も含めてリスクを背負うことではないから、ホセ、マイクとつないでくれた。

 これだけは伝えたいという話がある。燃料系トラブルの延命処置を見つけた2人がいる。1人は血圧が上がってメディカルに運ばれて4時間ぐらい休んで戻ってきて、体調がわるい状態なのに解決策を見つけてくれて、2台ともガレージに入ることなく完走につなげることができた。

 情熱があるチームで、ワークスではあるけど人間がやってるものなので、情熱は大事だと思う。そういう人達が裏にいて、そういう人がいたことで、ゴールすることができた。

──トラブルを抱えながらの1-2。来年から規定が変わってくるしライバルが増えてくるが

小林可夢偉選手:すごく強力なライバルであると思うし、アドバンテージがあるというのは、みんなに思われてると思う。確かに経験で言えばアドバンテージはあるけど、ホロモゲーションというルール上、マシンの開発では後だしの方が有利だ。僕らのスピードを理解した上でマシンを作れるのだから、ライバルは強力だ。チームとしては、ワンチームになって戦っていくことが重要だと思っている。

──グリッケンハウスはガレージに入ることなく完走することができた。対応力を鍛えてきたところだが、ライバルに対して強みになるのでは

小林可夢偉選手:われわれはハイブリッドを積んでて、ノンハイブリッドに比べると複雑でシビアだ。そこも含めてルールは同じなのだから、その中で1番にならないといけない。ただわれわれのチームには素晴らしいエンジニアがいるのでそれが強みだ。

──ル・マンに勝つというのは小林選手の目標だったと思うが、それが達成された今次の目標はどうなるか?

小林可夢偉選手:今シーズンはまだ2戦残っているの。モンツア、ル・マンと2連勝できているので、集中力を切らすことなく、バーレーンの2連戦を勝って、7号車として2年連続タイトルを獲りたい。

 その後のチャレンジに関しては、すごく難しいが、一度勝ったら終わりだとは考えていない。これからも挑戦し続けて、ル・マンの歴史に何かを残し名前を刻んでいきたい。実はもう一度ポールポジションを獲ると、ジャッキー・イクスさんに並ぶ。また、WECではなく本来であればスーパーフォーミュラもフル参戦しているけど、コロナの影響もあってあと1戦でれるかどうかだが、来年もやりたいと思っている。

 また、5月のスーパー耐久の富士24時間レースでは水素カーを走らせて、その可能性は大いに感じている。そうした水素カーへの理解はまだまだ進んでいない状況だが、今後とも取り組んでもっと理解されるようにしていきたいと思っている。レーシングドライバーとは関係なく、自動車産業に関わっている1人として水素が発展できるようにしていきたいし、いつの日か水素カーがル・マンを走る時代になればよいと思っている。その時になんとかギリギリ乗れる年齢であれば、それに乗ってル・マンに出たいと思う。

トヨタ、ル・マン24時間レースを4連覇 小林可夢偉選手がル・マン初優勝し、豊田章男社長が「やっと“忘れ物”を取ってこれましたね」と祝福コメント

https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1345418.html

燃料タンクを交換していたら1-2フィニッシュはなかった。チームエンジニア総出で対応策を考えたことが勝利につながった

TGR WECチーム代表 村田久武氏

──今年のレースもいろいろな出来事があったが総括を

村田久武代表:スタートの接触やLMP2カーとの接触などは、自分達の昔のマシンの作り方であれば、中破、大破でピットに戻らないといけないことになっていたと思う。後半6時間のフィルターの詰まりで修理していれば、1-2フィニッシュどころか、1つ間違えると表彰台にも乗れなかった。参戦し始めた頃の自分達なら弱いチームだったので今回のような結果は残せなかった。参戦する課題をきちっとレース中にこなす、対処するチームだけが優勝できるのだなと思った。今回10回目の参戦、10回課題を与えられてそれを、愚直に解決してきたから1-2フィニッシュできたと思っている。

──燃料フィルターのトラブルについて

村田久武代表:まだ車両を解体できないので分からない。昨日マシンがファクトリーに帰ってきたのを見届けてから日本に帰ってきたので。状況としては、燃料ポンプは動いているので、燃料ポンプの入り口であるフィルターが詰まっているのだと推測している。

──その対策というのは具体的にどういうことだったのか?

村田久武代表:現時点では正確なレポートが上がってきている訳ではないが、燃料ポンプのオン、オフ、さまざまなコーナーでの症状確認などいろいろやった。しかし事象がどんどん酷くなっていったので、酷くなっていっている状況に合わせて新たな手を追加していった。

──燃料フィルターのトラブルということだが、モンツアで発生したトラブルと同じトラブルか?

村田久武代表:マシンを開けていないので断言はできないが、恐らくそうだ。燃料タンクと燃料ポンプは同じもので、タンクの中にポンプが複数入っている。片方に燃料がよってしまうので、コレクタータンクに一度吸い上げて、そこで吸うのだが、すべて同じでそのポンプの吸い口に付いているフィルターが詰まっていると思う。

──例年と比べて苦労したところはどこか?

村田久武代表:マシンが重くなってダウンフォースが減り、ハイブリッドも変わったため、アジャストに苦労していた。長くタイヤを使っていく方がピットイン時にタイヤ交換の回数を減らせる。それを例年と同じところまでもっていけた。

──レース中に解決策を見い出すことができたというのはどのエンジニアの領域なのか?

村田久武代表:どの領域かと言えば、最終的には自分の責任の領域だ。車体設計なので、シャシーはTGRが設計している。解決方法を考えるにあたり、TGRの方でシミュレーターをやってみたのかと言えば、そこまで時間的な余裕がなくて、燃圧はモニターしているので、兆候は大分前から掴んでいた。

 最初に8号車が酷くなっていった。それはチームの中でも把握していたが、燃料タンクを設計している人は来ていない。そこで電気系、TGRの電気系モニター設計者とか、制御設計者とか、車両のチーフデザイナーとか、パワートレーンのエンジニアとかがそこにいて、「これは多分フィルターの詰まりだろうから、燃料ポンプはずっと動いているので、(燃料ポンプを)止めてみたらどうか?」と言うエンジニアがいた。しかし、エンジンはずっと回っているから、燃料を止める訳にもいかず、ブレーキング中だけが止められる。そうした現象を捉えて、アイデアを出して、構造を理解している人間が試してみようという案を考えていった。

 アイデアが決まった段階で、8号車をドライブしていたセブ(セバスチャン・ブエミ選手)にああいったことを試してくれとお願いをした。そこまでにドライバーに現象を伝えていたし、20分ぐらい後続車にギャップがあったが、ピットインして交換すると30分かかると……。そうすると優勝は難しいので、この方法でやってみようということになった。それで暫定案がまとまったので、その時点でもっともこのトラブルへの対処に習練していたのだがセブだったので、もう1スティント行ってもらっていろいろ試した。

 レースをしながらのトライだったので、口伝でしか伝えられず、ドライバーとは短いドライバー交代の時間でしか会話ができないので、実際に車両に乗り込む前にピットとドライバーのやりとりなどを聞いてもらいながらその操作を覚えてもらった。その後、7号車に関しても症状が悪化していく状況だったので、7号車にも口伝で伝えていった、それが実態だ。

 格好よく何かというよりも、なんとか切り抜けようという中で手探りで何かを探っていった。段々とできるようになっていったが、ゴールするまで6時間あったので、症状は悪化していった。そうした中でなんとか状況に対処しようということでやっていった。

 今回7号車が優勝するためには、8号車がその対処方法を編み出さなかったらできなかった。セブが希望を灯さなければ、7号車も優勝はできなかっただろう。レース終わった瞬間に、ピットにいって、最後ゴールを見守るのだが、最後の10分ぐらいはピットウォールにただ立ってる気持ちにはなれなかった。実際、セブもロペス(ホセ・マリア・ロペス選手、7号車)もヘルメットを被った状態で、ハンズデバイスをつけてピット裏で待機していた。自分もそこに行っていたが、ロペスは初優勝なので、足とか手とかがわなわなと震えていた。その気持ちはよく分かるので、自然と肩を組んでいた。

 その時の並びはとても象徴的だった。優勝できるドライバーがいて、優勝できないドライバーは離れて見ているというのが普通だ。しかしマイク(マイク・コンウェイ選手)が来て、ブレンドン(ブレンドン・ハートレー選手)が来てマイクをハグしていて。その2人が自分の右にいて、左にはホセ、セブみたいな7号車と8号車のクルーが一体になってゴールを帰ってくるマシンを待っていた。非常に幸せな瞬間だった。今年の勝利はみんなで勝ち取ったという気持ちが、チーム、メカニックを含めてあふれ出ていた。

──中嶋一貴選手が小林可夢偉選手を称え、小林可夢偉選手も勝って喜びを爆発させるというよりも、みんなへの感謝と中嶋一貴選手へのリスペクトを口にしていた。2人についてはどうか?

村田久武代表:チームが初優勝したときは、チームの中は喜びが爆発していた。号泣したりもあったが、2勝目、3勝目という過程でいろいろな経験をした。5分前のリタイアとか、スローパンクチャーで優勝できない経験もしてきた。優勝できたときも、できなかった時も、7号車も8号車もどっちも経験している。

 ドライバーは駅伝の最後のたすきを受け取る役目を果たさなければならない。レース中にリペアしたけれど、壊れたマシンを必死で直す光景も、たすきを受け取るまでに見ている。チーム全体も、自分もレースしているけど、チーム全体を俯瞰しながらチームの喜びのためにレースをしている。小林可夢偉選手が大人になったとか、中嶋一貴選手の7号車を称えるとか、そういう想いが強ければ強いほどじわっとなるのではないか。

 ゴール前のドライバーの光景も、ゴール後の健闘を称え合う行為も自然と出てきており、演じている部分は1ミリもない。それがル・マンの精神だし、耐久レースの精神だ。そういう時間が長ければ長いほどチームとしての一体感が出てくるのだと思う。

──燃料ポンプのトラブルはモンツアと同じような事象だったのか? 今までの勝利とは中身も違う濃い勝利だったと思うが、今回の勝利で得た強さ、今後これからさらに強くなるためにやっていくことは何か?

村田久武代表:現象で言うと、燃圧がばらつき始めるというのが起きた現象なので、モンツアと全く同じだ。モンツアで分かったのはアルミがアルコールにとけて、フィルターが析出物を拾ってしまった。前回はその部品を変えて臨んだが、今回も燃圧が落ちた。前回と同じ析出物があるとすれば、アルコールにやられている可能性がある。それは(マシンを)開けてみないと分からない。

 今年のレースを簡単にいうと「こうするとレースで完走できる」という答えはない中で、レース中に問題を解かないといけない。部品交換を選ぶとレースを失ってしまう。レース前のトレーニング、部品の交換はやっていたが、どうしたらいいか分からない現象の答えを解く訓練はやっていなかった。最悪の状態が脳裏をよぎったが、誰一人ピットインさせようとはしていなかった。優勝するためには何をすればいいか、燃料タンク担当者はそこにいない、空力の担当者だろうが、誰だろうがという形でエンジニアが集まって解決策をずっと考えた。それを見て、われわれのチームも強くなったのだと思った。もちろん、双六で言えば上がることができたので、こういう言い方をできるのだが。