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豊田章男自工会会長、「五輪で許されても、4輪・2輪はなぜですか?」と鈴鹿で語る 小林可夢偉選手・中嶋一貴選手にメダル授与のサプライズ
2021年9月19日 07:35
トヨタ自動車と川崎重工は9月18日、スーパー耐久第5戦が開催されている鈴鹿サーキットで共同記者会見を行なった。これは川崎重工が提供する褐炭由来の水素を、トヨタが開発中の水素カローラが使用することに関するもの。その中でモータースポーツに関する現状をトヨタ自動車 社長でもあり、日本自動車工業会会長でもある豊田章男氏が語った。
2021年は世界三大レースの制覇に日本の企業および日本人がすべてかかわるという歴史的な年になった。5月23日にはF1モナコGPでホンダ製パワーユニットを搭載するレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手が優勝。5月31日にはアメリカ・ホンダのHPD(Honda Performance Development)製パワーユニットを搭載するダラーラ・ホンダを駆るエリオ・カストロネベス選手が優勝した。
年内最後の世界三大レースとなるル・マン24時間では、TOYOTA GAZOO Racingの「GR010 HYBIRD」が1-2フィニッシュ。トヨタとしては4連覇、7号車のドライバーである小林可夢偉選手は初優勝、8号車のドライバーである中嶋一貴選手は2位(2018年~2020年を3連覇)と、世界三大レースの勝利すべてに日本のパワーユニットやドライバーがかかわることができた特別な年になった。
秋には国際格式のレースが多く日本で予定されていたため、日本が絡む世界レベルの戦いを見ることを楽しみにしていた人も多いはずだ。しかしながらご存じのようにコロナ禍の状況下において、F1日本GP、WRC(ラリージャパン)、WEC(世界耐久選手権)と国際格式の4輪レースはすべてキャンセルに。そして、2輪においてもMotoGPや鈴鹿8耐といった国際格式のレースはキャンセルとなった。
この水素カローラの会見は日本のモータースポーツの聖地といってもよい鈴鹿サーキットで開催されていた。日本の4輪メーカー、2輪メーカーが多くかかわることから、三大レースを日本が制覇した特別な年に、国際格式のレースを日本で開催できない現状をどう思うか、自工会会長でもある豊田章男氏に記者会見で聞いてみた。
「五輪で許されても、4輪・2輪はなぜですか?」と語る
豊田章男氏は記者の目を見て、「自工会会長としてお答えします」と、それまでの会見と違うトーンで答え、次に決め台詞を語った。
「五輪で許されても、4輪、2輪は許されない」と。
そして、言葉を続ける。
「われわれ4輪、2輪系から思うと、不公平感を感じる。五輪も支援させていただきましたし、アスリート支援をしております。ただ、モータースポーツもアスリートだと思います。そして、五輪・パラリンピックもみんな、彼らは、彼女らはアスリートだと思います」。
「同じアスリートに対して、どうして入国に対しての許可が違うのとか、どうして開催の判断が違うのとか。モータースポーツに関しては外国人選手がなかなか入国できないなどもありましたので、一言で言うと『五輪で許されても、4輪・2輪はなぜですか?』というのを、見出しにしてください」。
豊田会長の真意を一言で語るのは非常に難しいが、自工会会見や今回別の記者の質問に対して「真面目に働いている国民や企業が報われない、そしてバカを見る。それが日本の現状であり、そんな国には絶対してほしくない」「真面目に働いている国民が今日よりも明日はよくなるんだ、そう思える国にしたい」と語っており、働いた人が報われる、そのためにもフェアであってほしいという気持ちを強く感じることができる。ちなみに、「見出しにしてください」と、記者の目を見て語っていただいたため、見出しにした次第だ。
世界3大レースで日本車が優勝した年…
— トヨタ自動車株式会社 (@TOYOTA_PR)September 18, 2021
なのにF1•WRC•MotoGP•鈴鹿8耐が日本ではできない…
この状況をどう感じているか?
鈴鹿で行われた記者会見で、
そんな質問があり
社長の豊田は答えました。
「五輪で許されても4輪2輪は許されない…」
全文は映像でpic.twitter.com/oYMz0kzFLR
世界の最前線で、水素自動車の可能性を伝える小林可夢偉選手
この会見にはル・マン24時間レースの2021年ウィナーである小林可夢偉選手も参加していた。世界ではこの状況下にもかかわらず三大レースが開催されたことでウィナーが生まれ、五輪やパラリンピックではメダリストが生まれた。
小林可夢偉選手は水素カローラが世に出るきっかけを作ったドライバーで、2020年の冬に豊田章男氏とともに試作車両である水素エンジン搭載車に乗った。豊田章男氏が「びびっ」と来て、さらに水素エンジン試作車に乗った小林可夢偉選手が可能性を感じてレース参戦を進言したことが、半年後の富士24時間参戦につながった。
水素カローラと深い縁を持つ小林可夢偉選手は、「ル・マンも初優勝させていただいて、たくさんいろいろなメッセージをいただいて、本当にありがとうございました。日ごろ海外でレースをしているんですけども、こうやって日本に帰ってきたときは、この水素車って、この先の未来っていうのに僕はすごく興味があります。僕自身35歳になって、これからの未来を作るには、正しい選択、正しいことをしたいなと思っています。この水素に自分はできるだけ協力しようと思っています」と、水素カローラに強く未来を感じているという。
「僕は海外のレースに行くことが多いのですが、すごいなと思うのは日本でやっている水素車によるレースを、外国人のメディア含め(レース)関係者、そしてFIA(国際自動車連盟)。こうした世界の自動車関連にかかわる人たちが、非常にこの水素に興味を持って僕のところに話を聞きにきてくれています。それは僕が富士24時間で水素に乗った経緯があると思います。世界でも非常に注目されてきています。ヨーロッパではBEVが先行しているようにも思うのですが、その中でも理解をしようという人がいて、『水素っていいよね』という雰囲気もあります。世界的に見たら、おそらく今この場が水素の最先端にいるのではないかなと思うのですが、できるだけこういう最先端の情報をできるだけうまく分かりやすく伝えて、日本だけでなく世界に水素の社会と現状を常に発信し続けることができたら、個人的にはうれしいなと思います。これが水素社会に1本つながるのかなと思います」とあいさつした。
世界のモータースポーツの最前線で戦う小林可夢偉選手だけに、海外でメディアにインタビューされる機会は多い。カーボンニュートラルに向かう必要があるのは海外も同じで、そこでも水素エンジン搭載車は注目されていると実感を持って語ってくれた。
この後、豊田自工会会長から小林可夢偉選手、そして実は会見を見ていた中嶋一貴選手へ、サプライズのプレゼントが贈られた。
小林可夢偉選手、中嶋一貴選手にサプライズのメダル授与
小林可夢偉選手のあいさつ後、マイクを持った豊田章男氏は驚きの発言を口にする。「今日はですね。(2021年は)2位、それまで3連覇した中嶋一貴さんもいらっしゃっています。ぜひとも、2人(小林可夢偉選手と中嶋一貴選手)と一緒に、(ル・マン24時間優勝)トロフィーと一緒に写真撮影してください。そして、今年はオリンピック・パラリンピックイヤーでした。トヨタ自動車のことになりますが、トヨタはグローバルアスリートが全世界で233名、オリンピック・パラリンピックに出場しました。その中で、オリンピックでは46種目中40種目、パラリンピックでは23種目中20種目くらい、非常に多くの種目に私どもグローバルアスリートは参加することができました」。
「そんな中で、先ほど私はモータースポーツもアスリートですよねと言いました。ほぼ同時期に開催されましたル・マン24時間レースで1位、2位を獲った選手に、グローバルトヨタアスリートとしてメダルをあげない意味はないなと。ということでですね、特別に今回1位の可夢偉選手、2位の中嶋選手に金メダル、銀メダルを授与させていただきたいと思うのです」と、サプライズでのメダル授与式が始まった。
この金メダル・銀メダルはトヨタの試作工程の匠の技によるもので、表面にル・マン24時間レースが行なわれるサルト・サーキット、裏面には「Morizo」のサインが刻まれている。
メダル授与式は、小林可夢偉選手、中嶋一貴選手にとって完全にサプライズだったようで、会見を後方で見ていた中嶋選手はチームシャツを慌てて探して着替えていたほどだ。
豊田章男氏はトヨタ自動車社長として、会見の流れから言えば日本の自動車業界を代表する自工会会長として、そして一人のクルマ好きであるモリゾウ選手として、小林可夢偉選手、中嶋一貴選手にメダルを手渡していた。
なお、このメダルは優勝した7号車、2位に入った8号車のほかのドライバーの分も用意されている。また、小林可夢偉選手に渡すときには「これはオリンピックイヤーの特別なものです。毎年はもらえません。連覇はしてください」と、なかなかな要求をしていた。しかしながら東京オリンピックが1年ずれてしまったため、2022年は冬季オリンピックイヤーとなる。「それはどうするのかな?」と思いつつ、この驚きの展開を追いかけるのに精一杯だった。
記者の質問から、この怒濤の展開になだれ込んでいったのだが、豊田章男氏がよく語っている言葉に「モータースポーツにかかわる人たちの姿を見せていく」というのがある。小林可夢偉選手はル・マン史上最速のラップレコードを持つル・マン24時間ウィナーとして、中嶋一貴選手はル・マン24時間3連覇の偉大なル・マンウィナーとして、豊田氏は大勢の記者やメディアの前で、日本の自動車業界を代表してたたえたかったのかなと思う。「モータースポーツもアスリート」、それを強く象徴するメダル授与式だった。