ニュース
富士スピードウェイ「オフィシャル体験会」で感じた、有償ボランティアの熱意が支えるレース現場の現実
2026年9月17日 08:00
レースの“守り神”「オフィシャル」を知る体験会に参加した
普段、自動車メディアの1人として国内外のモータースポーツを取材しているが、長年どこかで拭いきれないもどかしさを抱えていた。現場で関係者の声を聞き、マシンを見たとしても、所詮は外からの観察にすぎないのではないか。
そんな思いから、以前にスーパー耐久(S耐)へドライバーとして参戦した。ステアリングを握ったのは、プライベーターのAuto Laboが仕立てたスズキ・スイフトスポーツだ。
生産終了したクルマながらも、現場の課題をメーカーへとフィードバックし、同じクラス(ST-4)を席巻するGR86の背中を追い続けている。個人的には次期スイスポへ期待を繋ぐ挑戦だと思っているのだが、そこで感じたのは「体験して、レースの現場がより深く理解できた」という事だった。
そして、ドライバーを経験したからこそ、もう1つどうしても気になり始めた存在があった。それが、コースサイドからレースの進行や安全を守る「オフィシャル」である。
2025年のジャパン・モビリティ・ショーで開催された日本自動車会議所主催の「公開会議」では、国内のモータースポーツおよびJAFのトップが一堂に会した。「クルマをニッポンの文化にするため」という大テーマのもと、現在の課題や今後の連携について率直な議論が交わされたが、その中で豊田章男会長らが強く警鐘を鳴らしたのが、「オフィシャル不足」と「ボランティア依存の限界」だった。
レースの成立に不可欠な“守り神”たちが高齢化し、担い手が不足しているという現実に、業界全体がどう向き合うべきか。筆者も「なるほど」と思いながら聞いていたが、外から単に眺めているだけでは、彼らが現場でどんな重圧や環境と向き合っているのか、その温度感は残念ながら分からない。
「ドライバーと同じで、実際に体験してみて見えてくるモノは、間違いなくあるはずだ」。そんな中、富士スピードウェイ(FSW)で開催されている「オフィシャル体験会」の存在を知り、参加させてもらった。
「有償ボランティア」の熱意に支えられるレースの現場
筆者が参加した日は、「富士チャンピオンレースシリーズ」「2026 KYOJO CUP」「2026 インタープロトシリーズ Powered by KeePer」「2026 TGR GR86/BRZ Cup」とレース満載の週末だった。
集まった参加者は10名、年齢は30~50代と幅広い。未経験だけど気になっていた人、ラリーなど他のカテゴリーでの経験者、ブランクがある経験者など、志望動機はさまざまだ。参加者の中には「医療従事者として普段働いているが、クルマが好きで、特別な資格がなくてもゼロから飛び込めるなら力になりたい」と目を輝かせる女性もいた。
参加者とともに足を踏み入れたのは、普段のメディアパスでも入ることが難しいバックヤードである。コントロールタワーの管制室、1/10000秒を刻む計時室、厳格な車両規定を監視する車検場、そして緊迫のピットロードやコースポスト。そこで目の当たりにしたのは、徹底したプロフェッショナリズムと、それゆえに浮き彫りになる現代的な構造課題だった。
話を聞いて最も考えさせられたのは、そのリアルな勤務形態と待遇である。多くの人は「オフィシャル=サーキットが雇っている人」と思っているかもしれないが、そのほとんどは普段は会社員や自営業、教員など本業を持つ一般の人々だ。高校野球の審判が有給休暇を取って甲子園に駆けつけるのと同じように、彼らも週末や金曜日に休みを取り、サーキットに集まっている。
彼らの立ち位置は、労働基準法上の「労働者」ではなく、あくまで「有償ボランティア」である。支払われるのは賃金ではなく、交通費やガソリン代の補填に近い「費用弁償」に留まる。必要に応じて宿泊や夕食も手配されるものの、早朝5時集合から夜遅くまで拘束される現場であっても、早朝手当や残業手当などは出ない。プロの興行でありながら、現場の最前線が個人の持ち出しと善意で成り立っているのが実情だ。
「ボランティアだからといって適当にやっている人間なんて1人もいません。トップカテゴリーではプロチームから厳しい抗議を受けることもある。だからこそ、絶対にミスのないよう全員が真剣勝負です」。
そんなベテランオフィシャルの言葉に、思わず背筋が伸びた。
質疑で「この過酷な作業に対するモチベーションはどこにあるのか?」という直球の質問をしたが、返ってきた答えは「やっぱり、レースが好きだから。一番近くでレースに関わりたいから」という純粋なモノだった。
その一方で「休日の選択肢が増えた今の時代、若い人に続けてもらうのはなかなか難しい。昔は『家庭よりもレース優先』という人もいたが、それは今の時代では通用しませんよね」という本音も……。
1/10000秒の判定と精密な役割分担
体験会では、多岐にわたるオフィシャルのセクションを巡り、その実務の緻密さを肌で知ることができた。一口にオフィシャルと言っても役割はさまざまだ。コース(ポスト員)、救急、技術、パドック、ピット&グリッド、計時、事務局と、それぞれ求められる適性や役割が異なり、細分化されている。
ピット&グリッドでは、何分何秒にグリッドを離れ、シグナルが変わる瞬間までを監視する。まさに1秒の狂いも許されないスタート進行を担っている。わずか0.1秒でも早く動けばフライングだ。ピットロードの制限速度違反(50〜60km/h)や作業エリアへの立ち入り安全管理も含め、常に緊張の連続である。
計時室では、コース上の光電管、車両に積まれた発信機(ポンダー)、そして1/10000秒単位で判定できるスリットカメラが連動し、肉眼では捉えきれない僅差の順位を判定する今回のTGR GR86/BRZ Cupの決勝では、2位と3位の差は0.0011秒という勝負を正確にジャッジしていた。
管制室では、無数のモニターを前に競技長が全ポストからの報告と映像を突き合わせ、ペナルティの有無をジャッジする。さらにその奥の審査委員会では、競技経験豊富なベテラン審査員たちが、規約に照らして公平な判断を下す。抗議があれば、時には夜遅くまで議論が続けられる。チームやドライバーに恨まれることもあるが、すべてはルールの遵守と安全、そして競技の公平性を守るための重責なのだ。
技術セクション(車検)では、レース前後に車両重量、車高、下まわり、安全装備(6点式シートベルトや耐火スーツの公認期限)のチェックが行なわれ、ミリ単位・グラム単位の違反も見逃さない。出走前の車検だけでなく、グリッド監視、ピット監視、レース後の再車検、そして正式結果が出るまで車両を隔離する車両保管まで、競技の公平性を担保するための厳格なプロセスが敷かれている。
また、常設のメディカルセンターには医師や看護師、救命士が常駐し、ヘリポートと連携して重傷者を即座に高度医療機関へ搬送する体制も整えられている。
「1番ポスト」で目撃したインフラの悲鳴
体験会のハイライトとしてコースサイドのポストで監視業務を見学させてもらった。筆者が案内されたのは、メインストレートエンド、TGRコーナー(1コーナー)の手前に位置する「1番ポスト」だ。実は筆者にとって、ここは特別な思い出がある場所だった。
自分がスイスポのドライバーとしてS耐富士24時間レースで走行中にストレートでタービンブローに見舞われ、マシンを止めた現場だった。あの時、即座に安全を確保し、自分とマシンを迅速に救い出してリペアエリアまで運んでもらった。その後、ピットに戻って懸命にエンジン・ミッション交換し、無事に24時間を完走できた。
「あぁ、自分はあの時、ここで懸命に旗を振り、駆けつけてくれた人たちに命を救われ、レースという挑戦の場を守ってもらった」と思いながらポストに足を踏み入れた。ただ、オフィシャルの目線でそのポストを見渡した瞬間、別の意味で息を呑むことになった。それは「世界屈指の国際サーキット」という華やかなイメージの裏側で、最前線のインフラが悲鳴を上げていたことだった。
富士スピードウェイは2005年の大改修でFIAグレード1を取得したが、それ以降、基本構造が約20年間ほとんどアップデートされていないポストは老朽化が著しく進んでいる。レース時の映像では比較的きれいに見えていたのだが、実際のボックスの建屋には雨漏りの跡が残り、エアコンの効きもわるい。レースを監視しフラッグを振る足場には屋根がなく、雨の日はずぶ濡れ、晴天時は直射日光をまともに浴び続ける。パッと見るだけでも「日よけタープや、濡れた荷物を置くスペースがあるだけでも環境は変わるのに」と思った。
さらにマシンから身を守る防護柱が、皮肉にもコースを見渡す死角を作ってしまい、体を前のめりに乗り出さなければ安全確認ができないという構造的ジレンマも……。
何よりおどろかされたのは、デジタル化の遅れだ。観客席には大型ビジョンやスマートフォンアプリがある現代において、現場のポストに状況を伝えるモニターはなく、わずか2年前にようやくタブレット端末が配備されたばかりだという。それまでは場内放送の音声だけを頼りに、「いまどこで何が起きているのか」を手探りで把握していたそうだ。
加えて、今でも手書きの紙の報告書をタブレットのカメラで撮影して本部に送るなど、過渡期ならではの非効率や、コンクリート壁やコース形状によって通信電波が遮られ、最も安全を担保すべき現場で情報通信が不安定になる場面も見受けられた。
さらに24時間レースでは、仮眠場所すら満足にない。ピットビルの上に用意された部屋は薄暗い畳敷きで、多くのオフィシャルは自分のクルマに戻って仮眠を取っているそうだ。汗だくなのにシャワー室は使えず、支給されたウェットシートで体を拭いて現場へ戻る日々だったそうだ。
豪華なクリスタルルームや真新しいキャンプ施設が次々と整備される一方で、命を張ってレースを守る最前線には十分な設備投資が届いていない。これは現場に足を運ばなければ決して分からない現実だった。
ただ、現場のオフィシャルたちが不満ばかりを漏らしているわけではない。20代のオフィシャルは「観客席よりも一番近い場所でレースが見られるから」、「自分のジャッジがレースを正しく動かしている誇りがあるから」と目を輝かせて語ってくれた。さらに「最近ではレースファンの方から『オフィシャルさん』と声を掛けられることも。モリゾウさんがわれわれのことを気にして声を上げてくれて以降、認知度は確実に上がっていますね。実は富士24時間のときに差し入れをいただきましたが、みんな喜んでいましたよ」とも。
最初の5回を新人期間として先輩から学び、JAFライセンスを取得しながらステップアップしていく仕組みも整えられており、現場には世代を超えた深い“レース愛”と“絆”が確実に息づいている。
だからこそ、その純粋な熱意に業界全体が甘え続けてはダメである。安全を守る人間自身の安全や労働環境が担保されず、わずかな費用弁償だけで過酷な任務を強いる構造を放置したまま、「若者が入ってこない」「高齢化が進んでいる」と嘆くのは筋違いである。
カイゼンの第一歩となった体験会
体験会を終えたあと、筆者を含めた参加したメディアが投げかけた率直な疑問や指摘を受けて、富士スピードウェイ側では早速セクションの枠を超えた話し合いが持たれたという。
「われわれにとっては長年“当然”だと思って過ごしていた環境に対して、外からの新たな目線でご指摘をいただいたことで、多くの“気づき”がありました。メディアに本音を拾い上げてもらえたことで、体験会で本当に伝えるべきことや、これからのオフィシャル運営をどう改善していくか、関係セクションの委員長たちと改めて検討を始めました」。
このサーキット側からの言葉に「体験会に参加してよかった」と素直に思った。当たり前だと諦められてきた現場の過酷さに光を当て、議論のテーブルに乗せること。それ自体が、長年停滞していた課題を動かす第一歩になる後押しができたのではないかと信じている。
サーキットもビジネスである以上、「すぐに対処します!!」というのは難しいが、足下の小さなインフラ改善から、オフィシャルの待遇見直し、さらにはプロフェッショナルとしての資格・評価制度の確立など、できることからのカイゼンの手を止めない姿勢が何よりも重要だ。
モータースポーツを真の「産業(インダストリー)」にするとは、観客動員数を増やすことや未来に向けた技術を磨くことだけではない。かつて1番ポストで自分を助けてくれた、あのオレンジ色のスーツを着た名もなきヒーローたちが、誇りと相応の対価、そして快適で安全な環境を持って立ち続けられる世界を作ること。サーキット側が現場のリアルな声に耳を傾け、自ら変革へ動き出した今こそ、モータースポーツ界全体がこの歩みを止めてはならない。















