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日下部保雄の「HondaJet」を岡山 岡南飛行場で見てきました

2015年5月2日 実施

 5月4日の成田国際空港で「HondaJet World Tour in Japan 2015」を終えたホンダの小型ビジネスジェット機「HondaJet」。ホンダの創業者である本田宗一郎氏の夢を実現したとも言われる航空機ビジネスへの参入第1号となる製品だ。本稿は、長く自動車業界を見ており、本誌のインプレションでもおなじみの日下部保雄氏よるHondaJet見聞記をお届けする。多忙な日下部氏のため、岡山 岡南飛行場での取材となった。


5月2日、岡山 岡南飛行場に着陸するHondaJet

MM思想が反映されたHondaJet

 真っ青な東の空に点が見えた。ゆっくりと点は形になり、やがてHondaJetがその独特のスタイルを明らかにした。日本の空を日本の飛行機が飛ぶ。何とも誇らしい。本田宗一郎の思い描いた夢の一部を共有できた気がする。

 日本ではビジネスジェットの市場は限られている。販路は当然北米が中心となり、欧州市場も伸びている。日本は国土がそれほど広くないことから、ビジネスジェットの市場は70機前後で、ほとんどないといってもよいだろう。それでも日本の大勢のファンの前で、日本の空を飛ぶことにはホンダにとっても、日本にとっても大きな意味がある。

 ツアーフライトを見に来た大勢の人達にとって、HondaJetは大きな活力を与えた。ホンダの企業イメージはもちろんだが、それよりも多くの日本人の夢が飛翔したことが大きい。本田宗一郎は優れた発想を持った技術者であると同時に、気骨と夢のある経営者だった。最初は自転車用補助エンジン、次に2輪車、そしてついには4輪車へ。移動の自由への欲求は際限なく広がり、3次元空間にまで及んだ。2次元を移動するだけでも存分に面白いのだから、3次元を機動する飛行機はきっと、さらにさらに面白いに違いない。

ホンダ エアクラフト カンパニー 取締役社長 藤野道格氏(左)と筆者

 本田宗一郎は早くから空への夢を実現するために長期計画を立てていたことに驚く。ホンダ エアクラフト カンパニー(Honda Aircraft Company)のCEO、藤野さんは1984年に本田技術研究所に入社。その後1986年から北米でホンダのオリジナル飛行機の開発に専念し、それ以来約30年にわたって北米で開発、そして会社の設立などに没頭してきた。その間にさまざまなことが社会で起きてきた。リーマンショックなどもあり、ホンダ本体に強い影響を及ぼす事象も少なからず起こったが、その時点で何も利益をもたらさない航空機製造は決して消滅することなく、本田宗一郎の夢は受け継がれてきた。強い意志を感じるだけでなく、脈々と受け継がれるHONDAイズムを感じられた。

 考えてみればF1への挑戦も同じだ。まだホンダが4輪車も生産していないころ、そして日本の家庭にクルマがまだ普及する以前、やりたいからやる。世界の頂点に挑戦する……そんな心意気が人々を引き寄せ、共感を得る。それがホンダの真骨頂だ。

 さて、2003年の初フライトを経て、今年、量産機が日本の空に飛んできた。HondaJetを初めて見たときに、ほかのビジネスジェットとは違ったボリュームを感じ、躍動するイルカを連想したが、流体力学的に追及すると似てくるのかもしれない。

 機体高のあるユニークなスタイルはキャビンの広さを思わせ、メイン燃料タンクを収納するために胴体下部中央が膨らんでいる独特な形状をしているので、前後長に対して太って見えるが、躍動感溢れる印象は少しも変らない。藤野さんがフェラガモにインスピレーションを得て想起したというノーズは独特の美しさがある。

 やがて着陸したHondaJetはほかの機体にはないホンダらしい斬新な印象だ。意外とコンパクトで、全長は12.99m、翼幅は12.12m。全長でいえば大型のセダンが2台半分、幅ではクルマ6台分ぐらいだ。かつて太平洋を我が物顔で飛翔した零戦の初期型が、全長9.06m、翼幅12.10m。翼幅はほぼ一緒、全長が2回りほど大きくて、大戦中の日本の双発軽爆撃機と同等だ。ま、比較にもならないが……。クルマと比較してサイズ感を感じてもらえれば、およその大きさが分かる。

 垂直尾翼があるので全高は4.54mと高いが、脚も短く、ドアがタラップ代わりになるキャビンへのアクセスは容易なように見える。

 翼上に設置されたコンパクトなGEとの共同開発のジェットエンジンに注目が集まるが(エンジンのホンダと言われた、いかにもらしいと思わせるコンパクトでハイパワーなところが注目だ)、これもホンダのMM思想を地で行くものだ。

各部に独創設計が見られるHondaJet

 MMとはマン・マキシマム、マシン・ミニマムで、「人間の使える空間をできるだけ広く、機械はできるだけ小さく」というもので、ホンダのクルマ作りの根底を作ったフィロソフィーである。コンパクトなエンジンを翼上に配置すること自体、発想の転換を強く感じるが、これにより高速時の空気抵抗減少で、速度と燃費に大きな影響を及ぼすといわれている。そして空にいる時も感じたが、地上滑走中もそのエンジンノイズの小さなことに驚いた。きわめて静粛性の高いエンジンで、後刻、離陸のためにフルパワーをかけたレシプロ機に比べると桁違いに静かだった。

約4km/hから約788km/h、“ホンダのやりたい!”の広がり

 ちょっと話がずれるが、1980年代、1990年代、ホンダエンジンの強さは量産車ベースのレースでは際立っていた。中速回転域のトルクの太さ、高回転の伸びはコーナーの立ち上がり、ストレートの速さ、いずれをとっても力強く、私も少なからずその恩恵を受けていたが、まさにエンジンのホンダの実力を身をもって知った時だった。

 HondaJetのエンジンをボーッと眺めていたらそんなことを思い出した。もちろん共同開発のジェットエンジンの老舗、GEの実力が高いのは承知の上だが、エンジンのホンダも受け継がれていると信じたい。1万3000mまで僅か23分で上がれる上昇力は機体の優秀性もさることながら、エンジンの強さもあってこそだと思う。離陸距離も僅か4000フィート以下というのも注目したい。デモフライトでは軽荷重ということもあって、スッと離陸し、急角度で上昇していく様はほれぼれした。

 さて、話を元に戻そう。エンジンを胴体から切り離したことで、キャビンの静粛性も相当に向上したという。エンジンを胴体後部に取り付けた旅客機の騒音は抑えられているとはいえ、かなり大きく、振動も伝わりやすかった。それから解放されるとパッセンジャーの疲労も相当違うだろう。

 さらにエンジンの取り付け架を機体から離したことで、キャビンにスペースが生まれ、そこに大きなラゲッジルームと密閉式の化粧室を設けたのもホンダらしい。2000km以上の航続距離を持つHondaJetにとって、化粧室は有難い装備に違いないし、ゴルフバッグが6個積めるラゲッジルームも非常に有効に違いない。

 太い胴体にはパッセンジャーが余裕をもって4人座れ、前後スライド、左右スライドするシートもミニバンを連想させる装備だ。大きなキャビン開発の根底にあるマン・マキシマム思想そのもので、ほかのどこにも見ることのできない機体開発につながったと思う。キャビンの高さやこのクラスでは対面シートの異例のフットスペースの確保は4人のパッセンジャーが余裕をもって座れ、さらにオプションの横向きシートも使うと5人、パイロット1人なら6人のパッセンジャーを運ぶことができるのもユニークで、スペース効率に厳しい日本のクルマ作りが応用されているのでないかとも想像した。

 開発者の藤野さんはクルマの設計にはそれほど携わっていなかったと思うが、MM思想に基づいたホンダのDNAを強く感じるができる。飛行機メーカーが自動車を作ることはあっても、自動車メーカーが飛行機を作ることはなかった。やはりホンダらしい選択だ。

 ホンダはクルマとは直接関係のない歩行ロボットASIMO(アシモ)を開発した時も、“やりたいからやる”と言い放って世界にホンダをアピールした。その後開発は続き、3.11以降、災害にも活躍できる歩行ロボットを模索していると聞く。ASIMOの速度は約4km/h、そしてHondaJetの巡航速度は約788km/h、その間には2輪から4輪、多彩な汎用製品、そして航空機までモビリティの夢がある。“ホンダのやりたい!”はどこまで広がっていくのだろう。

 動力源を持つものなら常に先頭に立って新しいものを開発していく、それがホンダの宿命であり、魅力だ。地上に降りたったHondaJetを見るにつけ、その思いを強くした。

(日下部保雄)