試乗インプレッション

ボルボ・クラシック・ガレージがレストアした「アマゾン」(1970年式)試乗。オールド・ボルボの魅力に触れた

クラシック・ボルボを楽しめる充実のサポート体制

ボルボ車のレストアを行なうボルボ・クラシック・ガレージ

 122Sと言うよりも「アマゾン」という名前の方が親しみやすい。もともとアマゾンの名前でデビューしたのが1956年。その後、ドイツのオートバイメーカーがすでに商標登録していることが判明してP120としたが、今も本国で呼ばれていたアマゾンの通りの方がいい。

 アマゾンは大成功したモデルで、1970年の生産終了までの14年間に66万7323台が世に送り出された。14年の間にはエンジンのバリエーションも増え1.6リッター、1.8リッター、そして2.0リッターもラインアップされ、ボディもリアウィンドウが大きくなるなど、何回かのマイナーチェンジを受けている。

 日本でもヤナセが展開していた北欧自動車から販売されていた。今回試乗できたのは最終モデルで、1970年に登録されたP122Sだ。主として北米に輸出されていた2.0リッターのスポーツエンジンを積んだ2ドアモデルとなる。

 1オーナーで大切に保管されていたクルマで、最近ボルボ車のレストアを行なう東名高速道路の横浜町田インターチェンジ近くにある「VOLVO KLASSISK GARAGE(ボルボ・クラシック・ガレージ)」で仕上げられた1台だ。以前にもボルボ・クラシック・ガレージでレストアされた素晴らしいコンディションの「P1800ES」に乗せてもらった

 ボルボ・クラシック・ガレージについて補足しておくと、2016年のオートモビル・カウンシルでボルボ車のレストアを目的とし、世界で唯一のボルボ・クラッシク・ガレージとして発表され、これまで累計で200台以上のボルボが専任のメカニックによってレストアされている。

頑丈で運動性能に優れる側面を体感

 122Sは北米向けに作られたモデルで、2.0リッターの直列4気筒OHVエンジンを搭載しており、SUツインキャブでパワーアップされている。と言っても、50年前のパワーアップなので最高出力は118PS/5800rpm、最大トルクは17kgfm/3500rpmとおとなしい。

 ボディは今では見ることが少なくなった2ドアセダンで、サイズは4450×1630×1480mm(全長×全幅×全高)とコンパクト。昔のクルマは小さかったが、室内は結構広い。モノコックボディの重量は1040kgと当時の同クラスの中では重い方だが、安全を優先するボルボらしく頑丈なフレームのためだった。

 サスペンションについて、フロントは当時のスタンダードだったダブルウィシュボーンだが、リアは一般的なリーフリジットではなく、コイル+トレーリングアームのリジットになっていた。雪道での接地性を大切にするボルボらしいサスペンションだ。トランスミッションは4速MTである。

今回試乗したのはボルボ・クラシック・ガレージがレストアを行なった1970年式の122S、通称「アマゾン」。2ドア仕様のボディサイズは4450×1630×1480mm(全長×全幅×全高)。ワンオーナーもので約35万5000km走行したモデルだ

 バンパーなどのメッキパーツもきれいに仕上げられたアマゾンは、50年の歳月を感じさせない。ボルボらしいしっかりしたドアハンドルを引くとドアは緩みもなく開く。シートも革を張り替えてあり、シンプルな造形の赤いシートは美しい。さすがにクッションストロークには歳月を感じるが、きれいな仕上がりだ。

 3点式シートベルトは世界で初めてボルボが1959年のアマゾンとPV544のフロントシートに標準装備したことで知られる。これ以来、3点ベルトは安全の要となっている。最初はアンカーが分からなかったが、左右のごついアンカーが一体化してレバーで解除すると分かれば装着は簡単だった。現在のシートベルトのように、プリテンショナーが付いていないので、シートベルトを締め上げると体が動かない。当初はいろいろとクレームもあったと思うが、安全を基本に置いたボルボの姿勢は次第に高い評価を得ることになる。

赤いレザーシートが目を引くインテリア。随所に歴史を感じるものの、全体的にきれいにまとめられている

 寒い日だったがエンジンはすでに暖気が済んでいたので、チョークを引かなくてもキーを回せばすぐに掛かった。キャブレターはいきなりアクセルを開けるとストールすることがあるので、慎重にアクセルを開けたが、そんな心配をよそに粘り強い回転フィールだ。クラッチはストロークがあって踏力も重いが、ミートポイントが広くて変速しやすい。そのために坂道発進も苦にならなかった。

 そしてシフトレバーはこれでもかというぐらい長い。トランスミッションから直接シフトレバーが生えるダイレクトタイプだ。ストロークも大きいがカチリと正確に入る。4速のギヤ比も適当に散らばっており、実用車らしく使いやすい。

 当時118PSあったエンジンは粛々と回って低速トルクもある。考えてみれば、122Sは実用車だったので拍子抜けするほどの普通の運転ができた。スミス製の丸型タコメーターがダッシュボードの上に配置されているが、エンジン回転を気にするほど神経質ではない。ダッシュボード内のメーターはスピードメーターも含めてすべてアナログの横バー。当時このタイプが多かったのを思い出した。現代のクルマと違ってとてもシンプルだ。

直列4気筒2.0リッターOHV「B20B」型エンジンの最高出力は118PS/5800rpm、最大トルクは17kgfm/3500rpm

 横Hスポークを持つステアリングホイールは細くて大径だ。それでもハンドルは重い。パワーアシストが一般的になる前の話だ。パーキングレベルでのロック・トゥ・ロックは重労働である。また、ステアリングのアソビが大きく、常に修正をする必要があったのも時代を感じさせる。次のレストアの作業リストに入っていてもいい。

 動力性能だが、市街地での柔軟性に加えて高速のクルージングもエンジンの軽い振動を感じながらユッタリ流すのは気持ちよい。タイヤはミシュランの165SR15。パターンは懐かしいXZXだ。周波数が少し高いパターンノイズも当時のミシュランらしい。余談だが、アマゾンの開発当初はバイアスタイヤだったのではないかと思うが、ラジアルのおかげで直進性安定性はかなりよくなったのではないかと思う。

 2600mmのホイールベースを持つ乗り心地は、細かいピッチングもなく市街地から高速道路までおっとりしたもので好ましい。ダンパーなどは交換されているので、ふわふわした不愉快さは少しもない。

 往時のハンドリングを試してみるチャンスはなかったが、当時もアクロポリスやモンテカルロなどのタフなラリーで活躍しており、頑丈なだけではなく運動性能もよかったようで、その片鱗は短い試乗でも安定性と素直な動きでそれと感じることができた。

 ブレーキ踏力は比較的大きく、ストロークも長いために制動する際は余裕をもった方がいい。今のクルマのようにカチンと効くようなフィーリングではなく、クラッチやハンドルのようにこの当時のスタンダードでゆったりとしたものだった。

 試乗を通じてオールド・ボルボの楽しさをいろいろな場面で感じることができたが、50年前のクルマが普通に走ることができるのはボルボの頑丈な車体とメカニズムもさることながら、古いクルマのパーツ供給がシッカリしているからだ。今でもディーラーを通じてオールド・ボルボのパーツを安価に手に入れることができ、もちろん正規ディーラーでの整備も可能だ。もし必要ならサードパーティのパーツも豊富に揃っているという。また、ボルボ・クラシック・ガレージのサポートを受けることもできるので、オーナーは安心して今のクルマとは違うクラッシク・ボルボを楽しめる。

 ボルボは昔から愛着を持ってハンドルを握っているオーナーが多く、その傾向は近年のボルボでも変わらない。古いクルマが見直されている昨今、ボルボのパーツ供給システムやボルボ・クラシック・ガレージの存在は大きい。

アマゾンと同時に貸し出された「S90 CLASSIC」(1998年式)。こちらは直列6気筒DOHC 3.0リッター「B6304」型エンジンを搭載し、最高出力200PS/6000rpm、最大トルク27.2kgfm/4300rpmを発生。ボディサイズは4870×1755×1435mm(全長×全幅×全高)

日下部保雄

1949年12月28日生 東京都出身
■モータージャーナリスト/AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員/16~17年日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
 大学時代からモータースポーツの魅力にとりつかれ、参戦。その経験を活かし、大学卒業後、モータージャーナリズムの世界に入り、専門誌をはじめ雑誌等に新型車の試乗レポートやコラムを寄稿。自動車ジャーナリストとして30年以上のキャリアを積む。モータースポーツ歴は全日本ラリー選手権を中心に活動、1979年・マレーシアで日本人として初の海外ラリー優勝を飾るなど輝かしい成績を誇る。ジャーナリストとしては、新型車や自動車部品の評価、時事問題の提起など、活動は多義にわたり、TVのモーターランド2、自動車専門誌、一般紙、Webなどで活動。

Photo:堤晋一