インプレッション

スズキ「バレーノ」

「スズキのクルマをインドの人たちに押し付けるのはダメだ。インドの人たちに合ったクルマを、スズキ流で造るのが我々のやるべきことだ」

 30年以上も前にインド進出を決めた鈴木修社長(当時)は、社員たちに常々そう言っていたという。その言葉どおり、「マルチ800(アルト)」「オムニ(エブリイ)」「ジプシー(ジムニー)」といったクルマたちはインドの人たちに好意を持って受け入れられ、10年強で累計100万台生産を達成した。その後も順調にモデル数を増やし、小型車中心ながら15車種もの幅広いラインアップを持ち、インドでのスズキの乗用車シェアは、46.6%にのぼる。

 私は2010年と2012年にインド取材に出かけたが、ニューデリー近郊にあるスズキ(現地社名はマルチ・スズキ・インディア)の販売店を取材したとき、店長をはじめスタッフたちがスズキのクルマに誇りをもち、心から愛している様子を目の当たりにした。壁には鈴木修社長(当時)来訪時の写真が飾ってあり、店長が「わたしの愛車です」と言って、ピカピカの「スイフト」を大事そうに見せてくれたのが印象的だった。

 そんなインドで生産され、日本に輸入されることになったモデルが「バレーノ」だ。ちょっと前にはコンパクトクロスオーバーの「イグニス」が登場し、この先はスイフトのフルモデルチェンジも控えているというこのタイミングで、なぜバレーノを日本市場に投入するのだろうか。

バレーノ XT(セットオプション装着車)。ボディサイズは3995×1745×1470mm(全長×全幅×全高)でホイールベースは2520mm。ボディカラーは「アーバンブルーパールメタリック」
バレーノ XG。ボディサイズとホイールベースはXTと同じだが、タイヤサイズの違いによってトレッドはXGが前後1530mm、XTが前後1520mmとなる。ボディカラーは「プレミアムシルバーメタリック3」

 その大枠の理由は、日本でスズキが掲げている「2020年までに小型車10万台販売達成」という目標だ。スズキは2015年に約8万2000台の小型車を販売しており、ここから先は軽自動車からの乗り替えに加え、選択肢を広げて新規ユーザーを獲得することが達成への道筋だ。

 さらに、スイフトの走りやキャラクターにファンは多いが、家族で乗る人や多くの荷物を積みたいという人にとって、スイフトはちょっとスペースが足りないのが弱みだった。そこで、平均家族が5人(!?)というインド市場のために開発しただけあって、スイフト風味は残しつつも、広く使えるコンパクトカーであるバレーノに白羽の矢が立ったということだ。

 初めて対面した実車は、写真や画像で見るよりも数段個性的で存在感がある。「リキッドフロー」というデザインテーマのとおり、水の流れをイメージさせるラインがフロントからリアに引かれ、ルーフ形状もひと筆書きのようになめらか。フロントマスクはスイフトより優しげで、「キザシ」よりも若々しいといった印象を受けた。

フロントマスクではメッキ仕上げの加飾でフロントグリルをワイドに演出
XTはディスチャージヘッドライトを標準装備。さらにセットオプション装着車ではマルチリフレクターハロゲンフォグランプも追加される
XGはマルチリフレクターハロゲンヘッドライトを採用
ディスチャージヘッドライトの点灯パターン。ポジションランプLEDとなる
リアコンビネーションランプは全車LEDタイプだが、XT(左)は光を均一に面発光するデザインを採用する
ドアミラーのLEDサイドターンランプはXTのみに標準装備
ルーフエンドスポイラー、ポールタイプのアンテナは全車標準装備

 室内に入ってみると、インパネにも流れるような造形が見て取れるものの、最近にしては珍しいほどシンプル。女性にはときめく隙を与えないくらい硬派に感じられる。フルオートエアコンを装備する「XT」はまだ先進的な印象があるものの、マニュアルエアコンの「XG」は、ちょっと古臭さくチープな印象になってしまうのが残念だ。また、シートは大きめでゆったり座れるが、クッションにもう少しコシがほしいと感じた。

 ただ、やはりスペース面でのゆとりはさすが。運転席の頭上は「フィット」ほど余裕はないものの、「アクア」よりは拳1個分ほど広いし、後席の足下スペースも足が組めるほどゆったり。デザイン優先のため頭上はややタイトで座面長が短めではあるけれど、リラックスして座ることができる。前席まわりにはドリンクホルダーや大きな収納トレーがあり、後席にも小物ポケットや12Vソケット、ペットボトルまで入るドアポケットもあって、使い勝手のよさは4人家族で乗るにも十分そうだ。

本革巻ステアリングを標準装着するXTのインパネ。自発光メーター(常時照明式)は全車で採用
ステアリング右側に配置するスイッチ類。レーダーブレーキサポートII(RBSII)やESPのOFFスイッチも用意されている
XTは6速ATを採用。変速操作はパドルシフトのみで行なう
駐車ブレーキはハンドレバータイプなので、運転席の足下にはアクセルとブレーキのみを配置
標準仕様はオーディオレスのフロント2スピーカー。試乗車にはパナソニック製のカーナビが装着されていた
XTのエアコンはエアフィルター付きのフルオート
XGではウレタンステアリングを装着。全車チルト&テレスコピックステアリングとなる
XGのトランスミッションは副変速機付きのCVT。エアコンはマニュアルタイプを採用する

 そしてラゲッジは、横幅が最大1390mm、奥行きは790mmで320L(VDA法)の容量を確保。ゴルフバッグやベビーカーが横置きでき、ラゲッジボードでフロアの深さを2段階に変えられるので、効率よく積載できる。

 ただ、撮影時にカメラマンが重たいカメラバッグを載せようとして、「ヨイショ」と力を入れているのを見て、地上から開口部の高さが790mmあることに気づいた。低床設計のクルマが増えている中ではちょっと高すぎるが、これでも当初のデザインではもっと高い位置にあったのを、粘って粘ってなんとかここまで下げたのだという。バレーノの魅力的なリアデザインを実現するためには、ここが妥協点だったとのことだった。

 シートアレンジは、後席を6:4分割で前に倒すシンプルなもの。スズキお得意のダイブダウン機構や前後スライドは、キャビンとラゲッジスペースにそれぞれ十分な広さがあるので、採用する必要がないと判断したとのこと。実際に使ってみても、これはこれで誰でも簡単に操作でき、日常からレジャーまで使いこなせると感じた。

シート表皮はXT(写真左、中央)が本革、XGはファブリックを採用。全車で運転席シートリフターを備え、リアシートは6:4分割可倒となる
短めのリアハッチはヒンジが前方側にあり、狭い場所でも高さに余裕があれば扱いやすい形状。開口部下端は地面から790mmの高さにある
VDA方で320Lの大容量を誇るラゲッジスペース。さらにラゲッジボードで上下にスペースを使い分けできる
ラゲッジスペースのアレンジパターン

 運転席に座ってみると、チルト&テレスコピックを備えるステアリングや240mm前後スライドするシートなど、最適な運転ポジションをとるための装備を全車標準。視界は前方のほか後方もしっかり確保されており、XTのセットオプション装着車はカラーのマルチインフォメーションディスプレイが目の前で鮮やかな情報画面を構えていてくれる。

 パワートレーンは、XTが新開発の1.0リッター直列3気筒ターボ+6速AT。111PS/160Nmと1.6Lリッターの自然吸気エンジン並みのパワー&トルクが自慢で、2つあるグレードでこちらが上になる。そしてイグニスや「ソリオ」などと同じ、1.2リッターの直列4気筒自然吸気+CVT搭載のXGがベースグレード。こちらは91PS/118Nmを発生し、アイドリングストップ機構などの装備なしでも24.6km/LのJC08モード燃費を実現している。

XTに搭載する直列3気筒DOHC 1.0リッター直噴ターボ「K10C」型エンジンは、最高出力82kW(111PS)/5500rpm、最大トルク160Nm(16.3kgm)/1500-4000rpmを発生
XTのタイヤサイズは185/55 R16
XGに搭載する直列4気筒DOHC 1.2リッター「K12C」型エンジンは最高出力67kW(91PS)/6000rpm、最大トルク118Nm(12.0kgm)/4400rpmを発生
XGのタイヤサイズは175/65 R15
試乗会の会場には“ブースタージェットエンジン”と名付けられたK10C型エンジンのカットモデルが展示されていた

しっかりと剛性感のあるXT、乗り慣れたコンパクトカーテイストのXG

 まずは、パドルシフトがついているXTで走ってみると、加速とリンクする野太いエンジン音に、1500rpmから最大トルクの出る力強さもあって、ちょっとスポーティな気分になる。ステアリングも重めのフィーリングで、軽快というよりはしっかりと剛性感のある乗り味だ。ただ、スイフトに近い感じはあるが、スイフトほどスポーティではなく、コーナーリングでは踏ん張り加減も穏やか。肩肘張らずに走れるところは、やはりファミリーユースにも向いているかもしれない。初期生産車でまだなじんでいないところもあるのか、ステアリングの戻りが急にグイッと強く出る場面や、減速時に微振動が続く場面があり、そこは改善を期待したい。

 次にXGで走り出してみると、こちらは発進からほどよいパワーが一定して引き出されているようなスムーズさが印象的。上り坂では出足に一瞬だけ失速感があるものの、その後はなめらかに車速が伸びていき、私たちが乗り慣れたコンパクトカーの乗り味という感じでホッとするところがある。市街地をメインに乗る人や、ビギナーさんにはこちらの方が扱いやすいかもしれない。

 このバレーノはスズキが進めているプラットフォーム改革のなかで、Bセグメント用の新プラットフォームを採用した初めてのモデル。強度が高く軽量な高張力鋼板をボディ全体の46%に使用し、剛性アップと軽量化に力を入れてきている。

 さらに、開発は日本、走り込みはドイツ、足まわりのセッティングはイギリスと、スイフトで培ったコンパクトカー作りのスズキ流を継承。新設計のサスペンションを採用し、フロントシートのフレームも新設計するという力の入れようで、それを踏まえると、正直なところもう少し「これはいい!」という満足感がほしいところだ。

レーダーブレーキサポートIIはフロントグリル内にあるスズキエンブレムの内側に設置したミリ波レーダーで車両前方の状況をチェックする

 とはいえ、2度の現地取材でインド人の真面目でクレバーな一面を見ている私としては、バレーノを生産しているマネサール工場では熟練の日本人検査員が製品チェックを行なっており、世界一厳しいと言われる日本人の要求レベルをどんどん習得して、あっという間に細部まで熟成されていくに違いないと思える。

 また、これまでスペース重視のコンパクトカー選びはフィットの独擅場だったが、バレーノはそれに迫るユーティリティのよさがある。そしてミリ波レーダーの衝突被害軽減システム「レーダーブレーキサポートII」や、約40km/h~100km/hで追従できる「アダプティブクルーズコントロール」が全車に標準装備されながら、141万4800円からという価格設定はコストパフォーマンスも高い。軽自動車に押されっぱなしの日本のコンパクトカーは、「広さ」と「コスパ」が弱点だったが、そこをクリアして先進的な安全性も備えたバレーノ。この状況に一石を投じることができるのか、これからが楽しみな1台だ。

まるも亜希子

まるも亜希子/カーライフ・ジャーナリスト。 映画声優、自動車雑誌編集者を経て、2003年に独立。雑誌、ラジオ、TV、トークショーなどメディア出演のほか、モータースポーツ参戦や安全運転インストラクターなども務める。海外モーターショー、ドライブ取材も多数。2004年、2005年にはサハラ砂漠ラリーに参戦、完走。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。女性のパワーでクルマ社会を元気にする「ピンク・ホイール・プロジェクト(PWP)」代表。ジャーナリストで結成したレーシングチーム「TOKYO NEXT SPEED」代表として、耐久レースにも参戦している。過去に乗り継いだ愛車はVWビートル、フィアット・124スパイダー、三菱自動車ギャランVR4、フォード・マスタング、ポルシェ・968など。ブログ「運転席deナマトーク!」やFacebookでもカーライフ情報を発信中。