尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第1話】取材申請期限が過ぎていた!!
2023年6月2日 00:00
まえがき……
2022年の3月に上梓した「歓喜」は、ホンダが2021年にF1チャンピオンを獲得するまでの戦いを記した単行本である。おかげさまで、発売直後に重版となり、2023年の3月に3刷が発売された。
その直後の5月24日にホンダが、2026年以降はアストンマーティンにパワーユニットをワークス体制で供給することを発表。ホンダのF1活動はこれからも続くことになった。そのホンダが30年ぶりにドライバーズチャンピオンをレッドブルとともに獲得したあの2021年の輝きはいまも色褪せることはない。
「歓喜」ではホンダの頂点を目指した戦いに焦点を当て、それを取材・執筆してきた自分は黒子に徹して、取材の裏側は活字にはいっさいしなかった。通常、あとがきで著者は取材にまつわるエピソードを綴ったり、編集担当者へ対する謝辞を述べるものだが、「歓喜」ではそういった身内の話にいっさいスペースを割かなかったのも、少しでも多くのホンダに関する情報を掲載したかったからだった。それほど、ホンダに関する取材は膨大で、内容もまた濃密だった。
その一方で、「歓喜」を宣伝するためのトーク番組にいくつか出演した際に、多くの人たちが取材中の裏話に興味を持っていることもひしひしと伝わってきた。
確かにいま思えば、2021年という1年は私にとっても、F1取材人生で最も困難でかつ感動を味わったシーズンだったように思う。そこで、「歓喜」3刷発売を記念して、「歓喜」のメイキングストーリー的な裏話を連載できないかと編集者に相談。今回の連載に至った。
それでは皆さん、時計の針を2020年の年末まで戻していただきたい……。
全17戦を自宅でリモート取材した2020年。翌2021年シーズンはどうなる!?
世界中が新型コロナウイルス感染症と初めて向き合った2020年。F1の取材はそれまでとは大きく変わった。7月に再開幕したF1は「バブル方式」を導入。メディアはプレスルームから出て、パドックでF1チーム関係者に会うことはできず、すべてリモートでの取材が行なわれていた。つまり、サーキットへ行っても、ドライバーやチーム代表と直接、会って話をすることができなかった。
そもそも、サーキットで取材する人数を国際自動車連盟(FIA)はコントロールしていて、パーマネントパス(年間パス)を所持していても、全員がサーキットに入場することはできない状況が続いていた。私も2020年はFIAから送られてくる取材用のIDとパスワードを使用し、自宅から全17戦をリモート取材した。
年が明け、2021年になっても、私の取材計画は白紙の状態だった。通常であれば、前年に14レース以上の取材を現場で行なわなければ、翌年のパーマネントパスの資格は消失するのだが、FIAはコロナ禍でほとんどのメディアが現場での取材ができないことを考慮し、原則2020年にパーマネントパスを所持している者全員に、翌年も申請すれば継続してパーマネントパスを配布すると発表した。
そこで、とりあえず2021年1月下旬にパーマネントパスの申請を済ませ、具体的な取材計画は後で決めることにした。というのも、2021年になっても日本の新型コロナの状況が思わしくなく、1月8日に発令された2度目の緊急事態宣言がまだ解除されていなかったからだ。緊急事態宣言が発令されている状況での海外への渡航は、乗り越えなければならないハードルが多すぎる。
それが2月に入って、ようやく愛知、岐阜、大阪、京都、兵庫、福岡の6府県は、2月末での先行解除すると発表された。さらに首都圏の1都3県で継続している緊急事態宣言についても、3月には解除する方向で最終調整を進めようとしているというニュースを2月下旬に聞いて、1年ぶりに海外取材を再開することにした。
ところが、コロナ禍になって取材申請方法がこれまでと少し変わっていたことを見落としていた。コロナ前はパーマネントパスの申請を済ませ、その許可がおりれば、いつでもどこでも好きなタイミングで取材ができたが、2021年もF1はバブル方式での取材活動を継続しようとしていたため、FIAは取材者の出欠を事前に把握しておきたいため、パーマネントパスの申請者でも、取材したいグランプリへの申請を個別に行なわなければならなくなっていた。そして、その申請の締め切りが各グランプリの開幕1か月前となっていた。
筆者が現場取材を再開しようと決意した2月下旬には、すでに開幕前のプレシーズンテストと開幕戦バーレーンGPの取材申請は締め切られていたのである。
「しまった!!」と半ば諦めつつ、ダメ元でこんなメールをFIAの広報担当に送った。
Dear Madam & Sir,
Thank you for sending me the confirmation of the permanent pass.
I'm Masahiro OWARI.
However, I missed the documentation that the allocation of a permanent pass does not grant automatic access to every event.
Although applications have already closed for the pre-season test and the Bahrain Grand Prix, I would like to attend both of those events.
Would you please give me some advice.
Warm Regards
Owari
このメールを送ってから約1週間後の3月2日、FIAからこんなメールが送られてきた。
Dear Owari,
The application for the representative OWARI, MASAHIRO at Bahrain Pre Season Tests was requested.
Yours sincerely,
FIA Communications
つまり「申請を受け付けた」というのだ。さらにその1分後にこんなメールが届いた。
Dear Owari,
Further to an examination of your accreditation application for the Bahrain Pre Season Tests, your request has been approved. The FIA has therefore decided to accredit the following representative(s) of ; OWARI, MASAHIRO
You will receive a confirmation letter in due course.
Yours sincerely,
FIA Accreditation Team
なんと「申請を許可した」という内容ではないか。しかも、申請はテストだけでなく、その2週間後に行なわれるバーレーンGPも同様に許可されていた。神様、仏様、FIA様である。
だが、喜びも束の間、バーレーン・テストがスタートするのは、3月12日。その前々日には日本を発たなければ現地での取材を開始できないため、準備時間は正味8日間。それまでに査証、航空券、ホテル、レンタカーという通常の手配はもちろん、コロナ禍での渡航に必要なPCR検査の陰性証明も発行しなければならない。
3月8日にPCR検査を受け、翌日陰性証明を受け取り、10日に成田から出国。成田空港へ向かう電車もガラガラなら、空港の出発ロビーも閑散としていた。それもそのはず、日本を発着する便の多くは、まだこの時期は運航がキャンセルされたままだったからだ
運航している便の客室乗務員も皆マスクはもちろん防護服を着ていて、機内で配られるアメニティキットにはアイマスク、耳栓、歯磨きセットのほかにマスクやゴム手袋、アルコール消毒液などの衛生用品が入っていた。
こうして、2021年の取材はコロナ禍の緊張感とともに始まった。しかし、この時はその後どんな試練が待っているかも、その先に「歓喜」が待っていることも、まだ想像すらしていなかった……。