尾張正博のホンダF1本「歓喜」の裏話
【第16話】ホンダを愛した人たち
2023年9月15日 00:00
2021年のトルコGPは、日本人にとって、特別なグランプリだった。トルコGPの決勝レースが行なわれた10月10日は、本来であれば、日本GPが行なわれるはずだったが、新型コロナの影響で日本GPは2年連続開催されず、その代わりにトルコGPが行なわれたからだ。
レース後、私はミックスゾーンへ行ってドライバーたちのコメントをとるのだが、その中で毎グランプリ、日本語で1対1で取材していたのが角田裕毅選手だった。
角田選手は2021年、F1にデビューしたばかりで、第16戦トルコGPまではあまり思うような成績を残せていなかった。そのため、レース後にミックスゾーンで行なう取材では、言葉も少なめのときが多かった。トルコGPも入賞圏内の9番手からスタートしながら14位に終わり、レース後の表情は暗かった。そんな角田選手が、ルイス・ハミルトン選手(メルセデス)とのバトルについてたずねると、鋭い目になって、こう語った。
「ホンダのファクトリーの方たちに少しでも恩返しというか、ありがとうという感謝の気持ちを伝えたくて……。ホンダとマックス(・フェルスタッペン)にチャンピオンをとってもらいたいので、できるだけハミルトンを押さえようと頑張りました」
この年、チャンピオンシップ争いはレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手とメルセデスのルイス・ハミルトン選手の一騎打ちとなっていた。予選で1位となったハミルトン選手だったが、パワーユニット交換のために11番手に降格。予選10位だった角田選手は1つ繰り上がって9番手からスタートしていた。
地力に勝る7冠王のハミルトン選手は、1周目に1つ前からスタートしていたセバスチャン・ベッテル選手(アストンマーティン)をあっさりオーバーテイクすると、すぐさま角田選手の背後に迫った。だれもが角田選手もベッテル選手同様にすぐにオーバーテイクされるだろうと思っていたが、角田選手はそこからじつに7周もの間、ハミルトン選手を押さえ続けた。
自分のレースのことだけを考えれば、勝負にならないハミルトン選手とのバトルを避けて、できるだけタイヤを労ったほうがいい。しかし、角田選手は自分のタイヤのことよりも、ハミルトン選手を押さえることを優先した。もちろん、ホンダのためだ。角田選手はレッドブル・ドライバーであると同時に、ホンダの育成システムでF1にステップアップしたドライバーだったからだ。
このレースでは角田選手だけでなく、同じくホンダのパワーユニットを走らせていたピエール・ガスリー選手(アルファタウリ)とセルジオ・ペレス選手(レッドブル)もポジションアップしようとするハミルトン選手の前に立ちはだかった。それはまるでチーム・ホンダを見ているかのような献身的な走りだった。
この日のレースを特別な思いで見ていた日本人がもう1人いる。ホンダで広報を務めていた松本総一郎さんだ。
松本さんは、本田技術研究所の栃木研究所時代に、のちにホンダF1のマネージングディレクターとなる山本雅史さんが技術広報室長を務めていたとき、同じ技術広報室で一緒に仕事をしていた仲だった。松本さんは、山本さんにとって年上というだけでなく、ホンダのモータースポーツ活動には第2期から携わってきたベテランで、広報だけでなく、元社長の川本信彦さんの秘書も経験したことのある大先輩だった。
山本さんは言う。
「川本さんの考えやホンダがF1で経験してきたことを、私は総一郎さんを通して教わりました。私にとっては師匠のような存在でした」
2016年に山本さんが本田技術研究所の技術広報室から、本田技研工業のモータースポーツ部長として、栃木から青山へ移動した翌年、山本さんが本田技研工業の広報として引っ張ったのが松本さんだった。
山本さんが悩んでいるとき、松本さんは何度か「山本さん、こうしたほうがいいんじゃないですか」とアドバイスしてくれたという。
また山本さんは「松本さんは、ホンダの基本理念である『3つの喜び』を実践してきた大先輩で、信頼できる方でした。彼は常にホンダが勝つためには何をすべか。ファンが喜ぶことは何かをピュアに考えていました。また、私が迷って立ち止まっているときに、背中を押してくれた人でもあります。松本さんがいたから、私はモータースポーツ部長をやってこれました」と語っている。
松本さんがいかにホンダを愛していたかは、定年退職する予定日を日本GPが行なわれるはずだった10月10日に設定していたことでも分かる。
松本さんには、筆者も長きにわたり、本当にお世話になった。この単行本で核となった松本宣之さん(元本田技術研究所社長)や、大津啓司さん(現・本田技術研究所社長)へのインタビューに尽力してくれたのが、広報の松本さんだった。
ホンダを定年退職した後は京都・伏見の実家に戻り、家族が営んでいる松本酒造を継ぎ、社長として活躍している。いつの日か、お礼を兼ねて、酒蔵をたずねてみたい。