高橋学のみんなで「ラリージャパン」を応援しよう!
第2回:新井敏弘選手がスバル「インプレッサ」のWRカーで参戦した十勝のラリージャパン
2020年5月12日 08:00
2020年、WRC(世界ラリー選手権)の日本ラウンド「ラリージャパン」が10年ぶりに復活します。といっても、いまだ世界的に収束の目処が立っていないCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響により、現状ではWRCはまだ3戦しか開催されていません(※5月11日現在)。また、当初5月21日~24日に開催が予定されていて、その後延期と発表されていたポルトガルラリーの中止が決定するなど、まだまだ明るい兆しは見えていません。もちろんこれはWRCに限ったことではなく、世界中のモータースポーツが同じような状況に追い込まれています。
でも今は神のみぞ知る先の話は棚に上げ、ラリージャパンが予定されている11月までに予習を兼ねてかつて北海道で開催されていた「ラリージャパン」で盛り上がってみませんか! という訳で、今回は帯広で開催された2006~2007年を振り返ります(2004年~2005年については別記事を参照してほしい)。
新井敏弘選手がWRカーで参戦した2006年のラリージャパン
2006年のラリージャパンは、9月1日~3日に2005年と同様に北海道の十勝地区で開催されました。2004年、P.ソルベルグ/P.ミルズ組が優勝。連覇をかけて臨んだ2005年には快走を続けるものの、優勝直前でまさかのアクシデントでリタイア。と勝っても負けても話題の中心にいたのは日本のスバル(スバルワールドラリーチーム=SWRT)です。そんなスバルは、2006年にもわれわれに大きな話題を提供してくれます。世界を舞台に戦い続ける日本のドライバー新井敏弘選手が日本の地でWRC最高峰のクラスに参戦したのです。マシンはスバルが2006年シーズンを戦うために開発したインプレッサWRC2006。当時高い人気と実力を誇ったスバルワールドラリーチームの絶対的エース P.ソルベルグ選手と同じチーム、同じマシンです。
さて、2006年シーズンを戦うスバルインプレッサのベースは改良のたびに顔が変わってきたGD系WRXの中で「鷹目」とも呼ばれた最終型です。その精悍なマスクとは裏腹に、ラリージャパンまでに戦った全10戦で1度も勝っていないという状況で、日本ラウンドを迎えました。それゆえホームタウンでの今季初優勝、そして新井選手の走りに多くのファンは期待したものです。しかしながらラリーが始まると、今季の不調を象徴するようにスバルのマシンはトラブル頻発で、残念ながらシトロエンやフォードが繰り広げるトップ争いに序盤から全く加われないという残念な状況。
中でもブレーキパッドのトラブルは深刻だったようです。しかしレギュラードライバーの2人とは違う国産のパッドを使っていた新井選手だけが、この点において難を逃れたのはスバルのファンにとっては小さな光でした。また、トップカテゴリーで戦うラリーカーのパーツは小さなパーツ1つひとつまで厳しい環境で開発された一級品だと思いますが、それでもパーツ1つでこれほどの差がでてしまう状況を目の当たりにして、その重要性を再認識させられたものです。
余談ですが、ラリー中に刻々と入るスバルのトラブル情報に苦い顔をしていたのはチームスタッフやファンだけではありませんでした。メディアの中にも相当複雑な顔して、取材を続けるスタッフもいました。当時、青いスバルがラリージャパンで優勝すると雑誌がものすごく売れたそうです。グローバルな時代と言っても、現実問題としてオリンピックやほかのスポーツのワールドカップだって祖国の活躍はやっぱり盛り上がりますよね。F1においても日本での人気の牽引役はホンダだったと思いますし。この時期においてもスバルは単なる1メーカーではなく、ラリーファンの心の中ではWRCの日本代表だったのかもしれません。
結果はシトロエン クサラのセバスチャン・ローブ選手がマーカス・グロンホルム選手を僅差で制し優勝。スバルはクリス・アトキンソン選手が4位、新井敏弘選手が6位、ペター・ソルベルグ選手が7位に終わりました。新井選手の加入により6度開催されたラリージャパンの中で唯一日本人がWRカーで戦う姿を観戦できた貴重な大会ともなりました。
十勝地区での最後の開催となった2007年のラリージャパン
2007年10月26日~28日に開催された2007年大会は、十勝地区での最後の大会となりました。会場に足を運んだ個人的印象としては、開催初期ほどの盛り上がりは感じられずにいましたので、大都市札幌への変更はアリだと当時思っていました。一方で、このラリーの実現に向けて努力してきた方々には、せっかく地域に馴染んできたこの世界大会がこの地から去る事に対する複雑な想いもあるだろうな、とも頭をよぎったものです。
日本におけるWRCでは、世界最高峰の選手とマシンが全力疾走するスペシャルステージ(競技区間)に観戦ポイントが少なく、次のステージに向かうリエゾン(移動区間)の沿道で楽しむスタイルが比較的多いという特徴があります。その是非はともかく、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが楽しそうに観戦する姿はほかのモータースポーツでは見られないラリーらしい光景でした。「バリバリバリって大きな音でくるのはこのクルマなのよ~」ってランサーエボリューションを楽しそうに指差すおばあちゃんがたくさんいる街ってちょっといいな、なんて思ったものです。どうせ町内会の回覧板か何かに促され街の活性化のために観戦しているのだろうな、と思っていた筆者のひねくれた発想を恥じたと同時に、時間をかけて続けていくとこういう効果もあるのだなあと実感したのが帯広の大会でした(ラリー前の準備に駆り出されたことに不満たらたらのおじさんの愚痴を長々と聞かされたこともありましたが……)。
と、話はだいぶ横道に逸れましたが、これも筆者にとってラリーなんです。2020年開催予定のラリージャパンはWRC初開催の地ですが、地元の方も楽しめ、遠方から楽しみにして来たファンと楽しくコミュニケーションをとれるような和やかな環境があれば嬉しいなと思います。
肝心の競技については、2006年に続き3台体制で望んだスバルワールドチームの最高位はペター・ソルベルグ選手の16位と残念な結果で、WRカーより改造範囲が狭く戦闘力に劣る(はずの)三菱ランサーエボリューションIXやスバルインプレッサWRX STI SpecCのグループN車両の後塵を拝することとなります。優勝は2006年に新型フォードフォーカスを投入したフォードのミッコ・ヒルボネン選手、2位には2007年に登場したシトロエンC4のダニ・ソルド選手が入りました。フォード、シトロエン、ともに最新型を投入した直後から安定した速さを見せトップ争いを演じています。
さて、そんな2007年大会でしたが、新車の世界に目を向けるとこの年には三菱がランサーエボリューションがXに、スバルインプレッサがハッチバックボディのGRB型にフルモデルチェンジします。どちらもラリーと縁の深いモデルで2007年のラリージャパンではエボXは「00カー」、GRB型インプレッサは「0カー」をつとめています(「00カー」「0カー」はともに競技前にコースのチェックをするために走るクルマで、観戦者にとってはこの2台の通過が、間もなくスタートするという合図にもなります)。
なお、2020年のWRCラリースウェーデンではまだ発売前のトヨタ GRヤリスが「0カー」をつとめました。このように「0カー」はこれからラリーに参戦するマシンの先行公開的な登場の仕方もしばしばありますので、こちらも注目です。
なお、2007年9月には東京 お台場で毎年行なわれているモータースポーツイベント「モータースポーツジャパン」にて、同月に亡くなったコリン・マクレー選手の追悼展示が行なわれました。コリン・マクレー選手は1990年代、レガシイやインプレッサでスバルのWRC活動に多くの勝利と栄冠をもたらした偉大なドライバーです。当時のマシンに描かれていた「555」は今でもスバルファンに人気のあるカラーリングで、当時WRCへのエントリー名も「555 Subaru WRT」でした。日本でその走りを観戦する機会はありませんでしたが、アグレッシブな走りを見せるレガシイやインプレッサの走りはさまざまな動画サイトで今でも見ることができますし、これからも多くの人の記憶に残っていくと思います。
次回は、スバルがニューマシンを投入し、スズキがトップカテゴリーに挑戦する2008年から最後のラリージャパンとなる2010年です。