高橋学のみんなで「ラリージャパン」を応援しよう!

第1回:10年ぶりに開催されるラリージャパンの歴史を紐解く

かつて北海道で開催されたラリージャパンの2004~2005年を振り返ってみました

 2020年、WRC(世界ラリー選手権)の日本ラウンド「ラリージャパン」が10年ぶりに復活します! と喜んだのも束の間。現在世界中でCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)が猛威を振るい、さまざまなモータースポーツが延期、もしくは中止に追い込まれています。WRCは全13戦中3戦が終了していますが、第4戦~第6戦までの3つのラリーの延期がすでに決定し、第7戦の延期も現在検討されています(※4月10日現在)。もちろん我が国も例外ではなくモータースポーツや夏に開催が予定されていた超弩級の世界大会、オリンピックまでもがすでに延期が決定しているのはご存知の通りです。

 さて、そんな最中の「ラリージャパン」。神のみぞ知る開催の有無はとりあえず棚に上げて、かつて北海道で開催されていたラリージャパンを振り返りながら予定されている11月までにラリーの事を当時を知る人にはちょっぴり懐かしんでもらい、知らない人にはちょっぴり知ってもらいたい、との想いからスタートするのがこの企画です。ニュースではありませんので筆者の主観もちょこちょこ交える事もあろうかと思いますが、そこはご了承いただければと思います。

「ラリー・ジャパン」が実現するまで

日本のラリーの歴史はとても古いのですが、世界を制する力を蓄え始めたのは80年代後半から90年代のグループAマシンあたりから。写真は1991年に日本人初のWRC優勝ドライバーとなった篠塚建次郎選手の三菱「ギャランVR-4(1992アイボリーコーストラリー優勝車)」

 話はちょっと時代を遡り時代は1980年代後半、当時のWRCを席巻していた最強のラリーカーは「ランチアデルタ」でした。そんなデルタの牙城を崩したのが三菱、トヨタ、マツダ、スバルの日本車勢。90年代にはその強さが一層際立ち、中でも勝つために年々アップデートを重ねた三菱「ランサーエボリューション」とスバル「インプレッサWRX」の2台はWRCが開催されていない我が国でもラリーイメージの強いモデルとしてとても人気がありました。そういう状況の中、WRCは雑誌やテレビで取り上げられる機会も増え、多くの人に知られるようになりました。全国各地で行われているオーナーズミーティングなど多くの自動車ファンが集まるイベントなどで見かけるラリーカーのレプリカの傾向を見ると、根強いラリー人気の源はこの時代あったようにも感じます。

トヨタ・セリカGT-FOUR(ST165型)
スバル・レガシイRS(BC型)
マツダ3234WD(BFMR型 日本名:ファミリア)
日産パルサーGTI-R
1993年に登場したインプレッサとランサーエボリューションはその後の勢力図に変化をもたらし、熟成が進んだ1995年からは圧倒的な2強時代に突入した

 世界中のラリーで好成績をおさめた我が国の自動車ですが、WRCの自国開催となるとちょっと話が違ってきます。同じ世界選手権と言っても既に日本でも定着していたF1のようにレース専用のサーキットを舞台としないラリーには多くの難しい問題があったようです。そもそも一般公道では世界最高峰のマシンが猛スピードで走り抜けるような設計がなされているわけもなく、おまけに舞台は広範囲にわたるし、道路や土地を管理する組織だって色々ですし……と、その競技の特性上、開催のハードルは非常に高く、筆者個人としてもまさかWRCが日本で開催される日が訪れるとは思ってもいませんした。多くのラリーファンも同じ想いだったかもしれません。しかしWRCは多くの人の多大な苦労によって2004年に実現したのです。舞台は北海道です。

「ラリー・ジャパン」開催が決まってからの自動車業界

PEUGEOT SPORT「RALLY JAPAN」参戦記者発表会(2004年8月)

 WRCの日本開催が決まって盛り上がったのはファンだけではありません。もちろん自動車業界もその1つです。WRCに参戦中の三菱やスバルなどの自動車メーカー、そしてプジョーやシトロエン、フォードなど海外組の日本法人を中心に、さまざまなプロモーションが行なわれました。大掛かりなラリー歓迎イベントや三菱やスバル、プジョーなどメーカーごとのイベントなどが、舞台となる北海道だけでなく首都圏でも多く催されていました。三菱は9月の開催に向け、4月には早々と来日したワークスドライバーを交えてサーキット試乗会を行ない、プジョーは7月に当時日本で発売されていたモデルを多数揃えたメディア向け試乗会をラリージャパンのコースと思われる道を選び開催するなどなど、9月の初開催に向けた動きをそこかしこに感じたものです。

来日したフォードのワークスドライバー、マルコ・マルティン選手、フランソワ・デュバル選手
横浜で行なわれたプジョーのイベントでの1コマ
開催地となった北海道の十勝地区のあちこちで見られた開催を告げるポスター
三菱は2003年にはすでにラリーイベントを開催していて、開催される2004年の春にはワークスドライバー、ジル・パニッツィ選手も来日していますが、皮肉にもラリージャパン直前に三菱はWRCから撤退。ランサーWRC04が日本のファンの前で走ることはありませんでした(泣)

初開催「ラリー・ジャパン2004」そして「ラリー・ジャパン2005」

世界選手権だけに開催国の文化にちなんだ演出も多いWRCのセレモニアルスタート

 そんな盛り上がりを見せる中、念願のラリー・ジャパンが2004年の9月に開催されました。戦いの舞台は北海道の十勝地区。ラリーHQ(大会本部)や競技前夜に行なわれるセレモニアルスタートというラリーではおなじみのイベントや、マシンのメンテナンスを行なうサービスパークは、このエリアの中核となる帯広市に置かれました。そして実際の競技が行なわれる周辺地域でも準備が着々と進むそんな最中にショッキングなニュースが飛び込んできます。

 それまでワークスで参戦していた三菱が、なんと日本ラウンド開催の直前にWRCの“撤退”を表明したのです。「なぜホームタウン初開催直前に?」と思ったファンも多かったと思います。なにはともあれ、これでWRCを席巻してきたメーカーの中で唯一戦い続けているのはスバルだけとなってしまうのです。三菱もトヨタもマツダももういません。そんな状況でしたが、前年の世界チャンピオン、ペター・ソルベルグ選手を擁するスバルの人気は凄まじく、残念なムードは微塵も感じさせずに日本初のWRCは盛大に幕をあけたのでした。

2005年のセレモニアルスタートの様子。会場となった帯広駅前の目抜き通りには当時の帯広市の人口の1/3に近い5万人ものファンが集まったそうです

 と、ここまで書き連ねてナンですが、実は筆者は初開催とった2004年の観戦は諸事情により断念していました。つまり、さまざまなメディアを見ながら“そう感じていた”という話です(だから写真も2004年のものはないのです。すみません)。当時「行きたかった!」と悶々としながら、いろいろなメディアから流れる情報で楽しんでいた筆者でしたが、一方で残念なニュースも耳に(目に?)入ってきてしまうのが情報社会の常。当時は初めて開催された世界大会に集まった日本メディアの取材のあり方に疑問を呈する話も数多く耳に入りました。中には取材以前に「人としてどうなの?」と思うような話もあったりしたのを記憶しています。そんな状況に、今振り返ると伝える側にもラリーを見るのが初めての人も多かったのが2004年大会だったのだと感じます。

 なにしろ当時、国内で開催し続けてきた全日本選手権をはじめとするさまざまなラリーや、WRCを筆頭とする海外ラリーの模様を我々日本人に伝え続けてくれたメディア関係者などはほんのわずかな人数しかいませんでしたから、多くの人がこの特殊な環境での取材をするのは初めてだったはずです。何もかもが初めてづくしのラリーはここまで長い時間をかけて実現にこぎつけてきた人たちの苦労をよそに、現場では予期せぬ事が次々と起こっているのを遠く離れた東京で感じたものです。今更ではありますが、初開催を実現するために関わった全ての関係者にあらためて感謝したいと思います。

2020年スウェーデンで行なわれたWRC第2戦の模様です。一見とても危険に見える取材が許されているのも長い歴史の中で培われたノウハウや信頼関係あってのものかもしれません

 そんなわけで、現地ではいろいろあったようですが、競技自体は初めての日本開催にふさわしい魅力的な展開となりました。絶大な人気を誇るスバルのペター・ソルベルグ選手とフィル・ミルズ選手のコンビは、初日から最終日まで終始日本のファンを魅了する素晴らしい走りを続け、ブルーのスバルインプレッサWRCを優勝に導きます。ちなみに公道で行なわれるラリーの場合、ドライバーと道案内役として助手席に座るコ・ドライバーの2人1人組で参戦します。つまりドライバーのペター・ソルベルグ選手とコ・ドライバーのフィル・ミルズ選手が今回の勝者です。このようなラリーならではの仕組みは追ってお話しようと思っていますので、記事ではドライバーの名前だけ表記する事も多いのですが、初めての方はまず「ラリーは2人1組で戦う」と覚えておいてください。これは他のモータースポーツには見られない大きな特徴の1つなのです。

 なにはともあれホームタウンでの初大会で、この日を待ちわびたスバリストはもとより、多くのラリーファンの盛り上がりは最高潮に達したことでしょう。

2004年、2005年、ともにスバルのペター・ソルベルグ選手は、他を圧倒する走りでファンを魅了しました。2004年は最初のステージから1度も首位を譲ることなく優勝。そして2005年は……

 第2回目となった2005年大会。この年は三菱が復活し、日本のファンの前で初めて赤い三菱と青いスバルが揃って戦う年となりました。結果はドラマティックなもので、昨年同様終始トップを快走し連覇も見えてきたペター・ソルベルグ/フィル・ミルズ組がなんとゴール一歩手前の「SS25」というステージでコース上に転がっていたたった1個の石にヒットしコースから離脱。そしてリタイアしてしまうのです。コース脇でメディアにコメントを求められると、普段は人1倍陽気なペター・ソルベルグ選手が目に涙を浮かべひと言も話すことなく去った姿は公式の映像にも残っています。もしかすると2004年に圧倒的強さを見せて優勝し歓喜していたペターより、このリタイアシーンの方が心に残っているファンの方も多いかもしれません。

2005年、ついに三菱のワークスマシン「ランサーWRC05」が日本のファンの前で走りました。ちなみに三菱はこのシーズンをもってWRCの活動を終了したので、ラリージャパンへの参戦はこの年だけとなってしまいました
スバルのエースドライバー、ペター・ソルベルグ選手がリタイアするものの、プジョーのマーカス・グロンホルム選手、シトロエンのセバスチャン・ローブ選手に続く3位にスバルのクリス・アトキンソン選手が入り表彰台に立ちました

 ちなみに、この2004年と2005年のラリージャパンは、この頃のWRCにおいてのターニングポイントになっているように感じています。2004年にはかつてトヨタセリカでWRCチャンピオンに輝き日本でも非常に有名なラリードライバー、カルロス・サインツ選手が参戦しています。サインツは翌年には引退していますので、ほぼ最後の勇姿を見届けられたとも言えそうです。また2004年に初めてWRCチャンピオンに輝いたセバスチャン・ローブ選手は、その後9年にも渡り世界王者に君臨します。そんな時代の変革期に開催されたラリージャパンは、非常に魅力的な大会であったと思います。(ちなみに写真は全て2005年)。

シトロエン「クサラWRC」、シトロエン・トタルチームから参戦していたセバスチャン・ローブ選手は、2004年のワールドチャンピオンを皮切りに9年連続でチャンピオンを獲得し続けます。つまりラリージャパンも今のところ皆勤賞です
フォード「フォーカスWRC」、コンストラクターの出入りの激しいWRCにおいて、昔も今も走り続けるフォードの存在は貴重かつ非常に大きいと思います
プジョー「307WRC」のベースはその名の通りプジョー307。オープンカーをベースとした珍しいラリーカーです
シュコダ「ファビアWRC」は日本では馴染みのないチェコの自動車メーカー、シュコダのラリーカー。現行モデルも現在WRC2というカテゴリーなどで活躍中です
2005年に登場したスズキ「スイフトスーパー1600」。JWRCというカテゴリーで活躍した日本メーカーのラリーカーで、NAエンジンの甲高い排気音はラリーのステージにおいてもとても魅力的でした
三菱「ランサーエボリューション」はさまざまなタイプが出場していました。その高い戦闘力は多くのラリーストから支持されていました
三菱ランサーエボリューションと双璧をなす人気モデルスバル「インプレッサWRX」も多数参戦しています。この頃はいろいろなカテゴリーでライバルとして比較された2台ですが、それが両車が進化を重ね続けるエネルギーだったのかもしれません
ラリーで活躍するマシンは4WDターボだけにあらず。ダイハツストーリアやブーン、ホンダシビック、スズキスイフトスポーツなど、いろいろなマシンが参戦しています

 ラリージャパンはその後2007年までを十勝で、2008年と2010年には舞台を札幌に移して開催され一旦幕を閉じることとなります。

 そして10年の時を経て今年、2020年11月にはWRCの最終戦として日本で再び開催されます。冒頭で述べたようにCOVID-19による世界の状況を考えれば決して楽観視はできませんが、自宅待機が続いている方も多いであろう今、開催を期待しつつ現在日本のトヨタが世界を相手に奮闘しているラリーという競技を知るいい機会ではあると思います。

 今回は初開催にまつわる余談のオンパレードとなってしまいましたが、次回より2006年以降の話と「ラリーって何?」「どんなルール?」など、今年のラリージャパンをより楽しめる情報を盛り込みながらお届けしたいと思います。

ラリージャパン特設サイトでは開催日までをカウントダウンしている

高橋 学

1966年 北海道生まれ。下積み時代は毎日毎日スタジオにこもり商品撮影のカメラアシスタントとして過ごすも、独立後はなぜか太陽の下で軽自動車からレーシングカーまでさまざまな自動車の撮影三昧。下町の裏路地からサーキット、はたまたジャングルまでいろいろなシーンで活躍する自動車の魅力的な姿を沢山の皆様にお届けできればうれしいです。 日本レース写真家協会(JRPA)会員