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ドラゴ・モデューロの道上監督がSUPER GT最終ラウンドへの熱い思いを語る!
「神保町フリーミーティング#05~SUPER GTもてぎでの逆襲を宣言! Drago Modulo Honda Racing 道上監督・牧野選手・伊与木チーフエンジニア他トークショー」レポート
2016年11月11日 10:47
- 2016年10月31日 開催
Car Watchが主催する公開トークイベント「神保町フリーミーティング#05~SUPER GTもてぎでの逆襲を宣言! Drago Modulo Honda Racing 道上監督・牧野選手・伊与木チーフエンジニア他トークショー」が10月31日にCar Watch編集部のある神保町三井ビルディング内の会場で開催された。
Drago Modulo Honda Racing(ドラゴ・モデューロ・ホンダ・レーシング)は、「Modulo(モデューロ)」というホンダ車向けの用品を展開しているホンダアクセスがスポンサードして、SUPER GTのGT500クラスに参戦しているチーム。イベント当日はまだ発表前だったが、先日、今シーズン限りでレース活動を終了することが明らかにされ、この週末となる11月11日~13日にツインリンクもてぎ(栃木県茂木町)で開催されるSUPER GT最終戦がチームとして最後のレースになるという。
タイトルにもあるが、あらためてイベントの出席者を紹介しよう。まずはDrago Modulo Honda Racingの道上監督、そしてSUPER GT 第7戦 タイで、Car Watch読者のみなさんもご存じのとおり、衝撃のGT500デビューを飾った牧野任祐選手が登場する。もう1人のドライバーである武藤英紀選手は、マシンテストに参加するため残念ながら不参加となった。
レーシングチームのトークイベントは監督と選手のみで行なわれるケースも多いが、今回はより深いところまで語ってもらうため、いつもは裏方としてチームを支えている2人にも参加して頂いた。それがマシンのセットアップやメンテナンスの責任者である伊与木チーフエンジニアと、鈴木チームマネージャーである。そして、Moduloと言えばこの人、Modulo スマイルの水村リアさんももちろんお招きしている。
トークショーの最初に、ホンダアクセス 広報販促ブロックの石井裕氏から開会の挨拶が行なわれた。
石井氏は「Drago Modulo Honda Racingは2年目になるチームですが、ジワジワと名前が売れてきてるなと感じています。それはどんなときかというと、SUPER GTでは、来場者の方に向けてホンダのクルマを展示するブースを設けているのですが、“Moduloがあるぞ”ということで来ていただくお客さんが増えています。これを我々は“Moduloの名前が売れてきたんだな”ととらえて喜んでおります。それもこれも、チームのみなさんの頑張りによるものです。さて、今回のトークショーには監督やドライバーだけでなく、普段は表面に出てこない2人も来てくれています。これは非常に珍しいことだと思うので、2人にはぜひ面白い裏話を聞かせてほしいと思います。そしてみなさんにはこのトークショーを楽しんでいただいて、そこからチームのこと、SUPER GTのことをもっと好きになってもらい、次のもてぎでは力強い応援をぜひお願いします。チームには表彰台の高いところに登ってもらって、それをみんなで喜びたいと思っています」とコメントした。
いよいよ始まったトークショーだが、会の前半部分ではSUPER GT 第6戦の鈴鹿1000kmまでのレースを振り返っての話題となるので、武藤選手からも紹介された牧野選手の出番はもう少し後になる。
では本題だが、最初の話題はマシンについて。Drago Modulo Honda Racingを始め、ホンダ系チームが使用する「NSX CONCEPT-GT」は今シーズンで2年目を迎えているが、初年度から大きく変わった点はハイブリッドシステムを降ろしたことだった。
この新しい仕様のマシンを初めて試したのは2015年シーズンのSUPER GT最終戦が終わったあとの12月で、ハイブリッドシステムを降ろしただけの仕様でツインリンクもてぎを走らせた。このとき、チームの予想では重量のあるハイブリッドシステムを降ろせば0.8秒~1秒ほどタイムアップするだろうという予想だったという。
ところが、当時ドライブを担当した小暮卓史選手のコメントは「跳ねてしまって走れませんよ」というもので、タイムも1秒速いのではなく、逆に1秒遅かった。その結果を受けてシーズンオフの間にテスト走行を重ね、ようやくハイブリッドシステムを降ろした状態でのクルマのバランスを作りあげることができたという。そしてさらに、新しくなったクルマのバランスにマッチするタイヤの開発なども同時に行なっていたそうだ。
Drago Modulo Honda Racingは発足2年目で、若いスタッフで構成されているチームである。それだけに、チームの運営や調整にも苦労があったはずなので、そんな部分を鈴木チームマネージャーに聞いてみた。Drago Modulo Honda Racingというチームが立ち上がり、パッケージングが決まったのはシーズン入りが迫った時期だったという。
それだけに鈴木チームマネージャーとしては「なにがなんやら」の状態からのスタートになった。とりあえず目前にはシーズン入り前の合同テストが迫っていたので、その準備をやりながら、レースへのエントリーやそれに付随する手配などを行なっていた。さらにレーシングスーツやチームウェアの製作管理なども鈴木チーフマネージャーの仕事である。
ちなみに、ドライバーが着用するレーシングスーツは各選手の体型に合わせたフルオーダー品とのこと。そのため、スーツに入れるスポンサーロゴなどはスーツを作り始める前にメーカーに送らなければいけないが、それも間に合わないほど時間がなかったと語る。その当時、具体的になにを自分がやったのかについて「イマイチ覚えてないんです」というほど激務だったようだ。
さて、スーツの話に戻ろう。このスーツに関しては、これまでに何度も製作している道上監督いわく「オーダーの場合、1回のフィッティグで決まることはまずないんです」という。採寸していても足や手の部分が短かったりすることはよくあるようで、例えばオリバー・ターベイ選手用に仕上がってきた試作スーツでは、オシリの部分がブカブカだったという。もちろん直しに出すのだが、チームが使っていたのはイタリア製のスーツだったので、送り返しているうちにも時間が足りなくなっていくという事態だった。
そんな感じでドタバタとスタートした初年度のDrago Modulo Honda Racingだったが、1年を戦ってチームも成長。とくにこのチームのメカニックはレースメカとしての経験がない人ばかりだったので、当初は緊張の度合いが高かったが、シーズンが進むにつれて明るさが目立つようになった。そして今年は固さはすっかりなく、みんな楽しそうにやっているということだ。
ここでは水村さんからも発言があり。1年目には若いメカさん達は結果がわるいときの落ち込みが長かった印象だったが、次第になにかあっても前を向くまでの時間が早くなったとコメント。また、レース終了後も、最初は「お疲れさまでした」という程度の会話しかなかったのだが、ここも「次はもっと頑張るから、みんなでもっと高いところにいこうね」とまで言ってくれるようになったということ。そのようにポジティブな方向に成長していったことを水村さんは感じ取っていた。
そして2年目の今年に入る。チームの状態はよいのだが、ハイブリッドシステムを降ろしたマシンはまだ完調ではなかった。そのため、第1戦の岡山国際サーキットでは、道上監督も「NSXだけが後ろのほうに固まっていて違うクラスみたい、やばいな」と思ったというような結果になっていた。
その状態が第2戦も続いたあと、熊本地震の影響で第3戦がキャンセルされて臨んだスポーツランド菅生の第4戦で、Drago Modulo Honda Racingの15号車は一気に5位に食い込んだ。このことについて道上監督に質問が出ると、速くなったのは、まずテストによってマシンバランスがさらに改善されたことが1つ。そしてエンジンに関してもセッティングを変えていた。方向性はピークパワーを伸ばすことに加えて、出力の特性がドライバーの感性に合うように仕上げられたという。
続く富士スピードウェイでの第5戦。ストレートが長い富士のコースでNSX的には苦手なはずだったが、なんと予選で5位に入り、第6戦の鈴鹿1000km予選ではついにポールポジションも獲得した。
このころのチームの状態について、道上監督は「サーキット入りしてもみんながあまりバタ付かなくなった」と言う。そう思えるのは慣れもあるだろうが、マシンのセットアップが進んだ証拠でもある。つまり、ある程度ベースが決まってくると、ウイングの角度を変えたりスタビライザーのセッティングを変えたりと、少しのアジャストで対応できるようになるため、時間にも気持ちにも余裕ができる。それで落ち着きを感じる雰囲気になったということだ。
ここで道上監督から鈴鹿1000km予選時のエピソードが語られた。このチームでは武藤選手がマシンチェックを兼ねて最初に走行するのだが、この日の鈴鹿は走り始めたころは路面のグリップがあまりいい状態でなかったという。
チェック走行を終えて戻ってきた武藤選手から「このまま路面が変わっていっても少しずつアジャストすれば大丈夫だ」というコメントが出た。日ごろは走り始めから「いい」という評価は出ないものなのだが、鈴鹿に持ち込んだDrago Modulo Honda Racingの15号車は、そんな発言が出るくらいマシンがいい仕上がりになっていたのだ。
そのよさが光ったのが予選Q2のとき。実はセクター3までは暫定トップの本山哲選手のGT-Rに0.3秒ほど負けていた。ところが、130Rからシケイン、最終コーナーで構成されるセクター4で逆転して15号車はポールポジションになった。セクター4でコーナーらしいコーナーはシケインのみ。つまり、ここだけで絶好調だった本山選手のGT-Rを逆転したということはマシンの完成度が高まっている証拠と言えるだろう。
この鈴鹿1000kmではもう1つ面白いエピソードがあった。このレースに向かう前、武藤選手から鈴木マネージャーに連絡が入ったのだが、その内容は「せっかくの1000kmレースなので、みんなの力を1つにするためにチーム全員で焼肉食べに行きましょう!」というものだった。
そこで鈴木チームマネージャーが鈴鹿サーキットの宿泊地近郊の焼き肉屋を探そうとしたところ、その話を聞きつけた道上監督から、SNSで焼肉屋のリストが「このなかから好きなところを予約しておいて~」といった一文も添えられて届いたという。このことについて道上監督に問いかけられると「仕事柄、鈴鹿はよく行くので……」という返答。
そのように焼肉でチームが一致団結した翌日の予選、Q2でポールを獲得した武藤選手は無線で「焼肉パワー!」と叫んだという。その無線を受けてチームも盛り上がったそうだが、そのなかで伊与木チーフエンジニアだけは違った。焼肉パワー!という叫びに対して「ところでクルマはどう?」と冷静に返していたという。
これについては会場の来場者からも笑いが出たが、伊与木チーフエンジニアからは「焼肉を食べに行こうという一連の武藤選手の態度について、ほかの人と違った見方をしていたんですよ」という発言があった。どう見ていたかと言えば「たぶんですけど、富士のレースのときに『KEIHIN NSX CONCEPT-GT』の塚越(広大)選手と最終コーナーで接触してリタイヤになったことについて、自分の責任だと感じる気持ちが強かったんじゃないかと思うんです。それで、前回は自分の失敗でレースを落としてしまったけど、今回また頑張ろうよという意味で焼肉会を提案したんじゃないですかね。ボクはそう感じてたんですよ」とのこと。
これを聞いた会場は一瞬シーンと静まったが「だからといって返しが冷静すぎました、すみません」と付け加えられたことで、会場にはすぐに笑いが戻った。ちなみに、この焼肉会の支払いは武藤選手が行なったとのこと。
さて、その鈴鹿1000kmだが、レース自体は残念ながらリタイヤで終わった。このことについても伊与木チーフエンジニアが説明してくれたが、その話によると武藤選手が走っているときは問題なかったが、2スティント目のターベイ選手に交代したあと「センサーのアラームが点いた」と無線が入った。これを聞いた瞬間に「これは1000kmを走るのは無理だな」と確信したという。
遅かれ早かれリタイアするのは確実だったようだが、道上監督も伊与木チーフエンジニアも意見は同じで「まだ走っているのに途中でやめられるか!」ということで、行けるところまで行くという方針でレースを継続した。結果的にはリタイアとなったが、負けっぷりがいいのも勢いに乗っているチームらしいところである。
「最初は不安でしたが、やってみると意外とイケるかな?という感じでした」と牧野選手
10月8日~9日にタイで行われた第7戦からSUPER GTは後半戦に突入。レースに向けてチームはブリーラムユナイテッド・インターナショナルサーキットに移動したが、そこにはターべイ選手の姿はなかった。
Car Watchでも記事掲載しているように、ターベイ選手はフォーミュラEに専念するためシーズン途中でチームを離れることになったのだ。
これについて道上監督から「鈴鹿1000kmの前に、ターベイ選手から来年のことで話がしたいと連絡があった」と明かされた。内容はもちろん契約のことで、来年のこのチームでのシートはどうなっているというものだった。しかし、その時点では未定なことが多いということではっきりとした答えは出せなかった。そのためターべイ選手は協議の結果、チームを離脱する選択を選んだのだ。ただ、ターべイ選手がその時期に話を出したのは、フォーミュラEのシーズンに合わせるため仕方ないことでもあった。
というのも、フォーミュラEは新シーズンが10月から始まるため、シーズン体制を決めるのはまさに鈴鹿1000kmあたりが日程的にギリギリのところ。そこでこの時期に相談したということだ。
そのターべイ選手に代わり、チームに合流したのが牧野任祐選手であった。タイラウンドでの活躍はみなさんご存じと思うが、現在の日本レース界において一番期待されているドライバーと言っても過言ではない選手である。ここで会場内で控えていた牧野選手がステージに上がった。
その牧野選手からは「これまでF3やF4などに参戦してきましたが、今回、日本のトップカテゴリーのレースに参戦できたことをうれしく思います」という挨拶があった。ただ、SUPER GTのデビュー自体は鈴鹿1000kmのとき。このレースではGT300クラスのマシンをドライブしていたのだが、なんとSUPER GTの参戦2戦目でGT500クラスにスイッチするという前代未聞の大抜擢となった。これについて「1000kmでデビューさせてもらって、気がついたら500に乗っていたという感じです」と発言して会場の笑いを取っていた。
ここで牧野選手を起用した道上監督に印象について質問され、道上監督は牧野選手のことは子供のころから知っていたと語られた。実は牧野選手は小さいころからカートでレースをしていたのだが、その当時から光る存在で、道上監督はカートのチームも持っているので自分のチームに入ってほしいと思っていたという。
その時点ではあいにく接点もなかったが、その後、気がつくと牧野選手はクルマのレースに転向していて、鈴鹿のレーシングスクールにも入っていた。そしてF4に参戦してシリーズ2位の成績を収めている。
牧野選手は年齢に見合わないような落ち着いた雰囲気を持つ人物で、冷静で適応性も高いのが利点。SUPER GTという大舞台、初参戦となれば緊張などで色々あると思うところだが、そういった雰囲気を感じさせることがない。
ただ、そうはいっても初めてのコースで初めて乗るGT500マシン、さらに牧野選手は左ハンドル車を運転するのも初めてだったという。そこでチームは、進行上のあらゆることをミスなくこなして、当初決められていた牧野選手の走行時間を少しも犠牲にしないよう心がけたという。そんな感じでいつも以上に気を遣って動き、2年目の進歩もあるチームはタイのレースで100%プログラムどおりに進め、牧野選手も与えられた時間を有効に使うことができたとのことだ。
そこで牧野選手は、いきなり乗ったGT500マシンでなんと予選2位のタイムをマークして見せた。これはサーキット中が驚いたことだが、そのときについて牧野選手本人は「最初はけっこう不安もあったんですけど、いざやってみると意外とイケるかな?という感じでした。まあ、結果は2位を取れましたが、アタック中はミスもあったし、1位との差が近かったので悔しい気持ちもありました」とふり返る。
この結果はチームにとっても予想以上。今回は牧野選手の走りが未知数だったので、予選Q1は武藤選手で手堅く突破。Q2で牧野選手を起用してどこまで行けるか見るというプランだったと言うが、この走りによって「今度のもてぎではどうするか分かりません。金曜日の走りを見て決めます」と道上監督に言わせた。これはもう、もてぎは予選から大注目と言えるだろう。
このように、いろいろな話題で盛り上がった今回のトークショーだったが、最後に道上監督から最終戦のもてぎを楽しみにせざるを得ない発言があった。それはなにかと言うと、そもそも牧野選手の起用はもてぎ戦を意識してのことだったということ。実はタイでの第7戦は牧野選手のための練習のようなものだったと明かされた。
その練習と言われたレースで予選、決勝とも2位を獲得。そして週末に2レースが行なわれる最終戦のもてぎは、初めて走行したタイ ブリーラムと違って牧野選手も他のカテゴリーのレースで何回も走ったことにあるコースだ。クルマに対する適応はタイラウンドを見れば一目瞭然で、もてぎではそれに加えてコースへ慣れもある。さらにDrago Modulo Honda Racing自体の調子もいいとなれば、勝つこと以外にもあっと驚くなにかが起こるかもしれない。
週末にもてぎに行く人はもちろん、TVで観戦する人も、今回は絶対に15号車、ドラゴ モデューロ NSX CONCEPT-GTの走りに注目してほしい!
協力:株式会社ホンダアクセス