まるも亜希子の「寄り道日和」

ふなっしートレインにつられて出かけた先で

新京成電鉄の開業75周年と、ふなっしーの地上降臨10周年を記念して運行開始された「ふなっしートレイン」。車掌さんの制服姿のふなっしーが大きく車体に描かれており、ホームに滑り込んでくると甥っ子たちはテンションMAXに! ふなっしーの弟「ふなごろう」や、飼い猫「ふにゃっしー」の姿もあってかわいかったです。ただ、中に入ってしまうと車内にふなっしーの姿はないので、子供はすぐに飽きちゃいます(笑)

 70代以上の方であれば「船橋ヘルスセンター」、60代以上の方なら「船橋サーキット」、そして40代以上の方は「ららぽーとスキードーム ザウス」で船橋という地名に耳なじみがあるのではないでしょうか。

 そんな船橋は私の出身地なのですが、今では上記施設はすべて無くなってしまい、「船橋といえば!」と誇れるものがなくて寂しい限りだったんです。そこへ、2012年に彗星の如く現れ、あっという間に全国的なスターとなったのが、船橋の梨をPRするために地上に降臨したという(設定の)、梨の妖精「ふなっしー」。船橋市非公認ご当地キャラというのが話題になりましたが、正直なところ地元人の私でさえ、ふなっしーの存在によって「へー、船橋って梨を作ってたんだ」と知ったくらい(笑)。当時まだ船橋に住んでいて、これまた今は閉館してしまった船橋西武デパートの前に人だかりができてるなぁと思ってのぞいてみたところ、ふなっしーがよくわからない歌をシャウトしていたのが最初の出会いでした。

 それからは、仕事などで「どちらのご出身ですか?」と聞かれると、胸を張って「ふなっしーで有名な千葉県船橋市です」と答えることができ、相手の方がふなっしーのファンだったりすると初対面でも話が弾み、ひそかに「ありがとう、ふなっしー」と感謝していたのです。

 先日、そんなふなっしーの地上降臨10周年を記念した「ふなっしートレイン」が新京成電鉄で運行開始されたと聞き、これはぜひ乗っておかなければと、電車大好きの甥っ子を連れて行ってきました。ふなっしートレインの運行は新京成松戸駅から京成千葉線の千葉中央駅までで、京成船橋駅は通過しないので、そこで私たちは、京成船橋駅から京成線に乗り、京成津田沼駅まで行って新京成線に乗り換えることに。

 学生の時以来かと思われるほど久しぶりに京成船橋駅から電車に乗ると、その車窓にはちょうど、かつて船橋サーキットがあったあたりの景色が流れていきました。もちろん今は、なんの面影も見つけられないのですが、心に浮かんだのは古い本で読んだ、丸いメガネの優しい顔をした伝説のレーサー、浮谷東次郎さん。鈴鹿サーキットに次いで、日本で2番目となる1965年にオープンした船橋サーキットは、関東では初の本格サーキットとして、日本のモータースポーツ史に残る名場面を生み出しています。

 その筆頭として語り継がれているのが、浮谷東次郎さんが生沢徹さんとのデットヒートで劇的な逆転劇を見せた、1965年のCCC(全日本自動車クラブ)レースでしょう。その時に浮谷東次郎さんが乗っていたマシンが、ヨタハチことトヨタ・スポーツ800。生沢さんが駆るホンダ・S600との名勝負としても歴史に残っていますね。浮谷さんはこのレースで一躍、その名をとどろかせて将来を期待されるレーサーの仲間入りをしたのですが……。わずか1カ月後、鈴鹿サーキットで練習中に、コースに侵入した人を避けようとしてクラッシュし、帰らぬ人となってしまうのです。

 実は、私は2009年に取材のため、浮谷東次郎さんのお姉さまである浮谷朝江さんにお会いし、さまざまなお話を伺ってとても感銘を受けました。その時に印象的だったのは、東次郎さんの本当の夢は、「誰でも学べる大学を作ること」だったということです。そして今、浮谷邸があった場所には東次郎さんのお母さまとお姉さまによって建てられた「OMFザ・チャペル・オブ・アドレーション」という教会があり、誰でも礼拝することができます。以前は東次郎さんの遺品や、鈴鹿サーキットで乗っていたマシンも展示されていたそうです。

 東次郎さんのルーツをたどってみたいという人は、ぜひ京成船橋駅から京成高砂駅方面の電車に乗り、市川真間駅で降りてみてください。国道14号沿いに東次郎さんゆかりの教会が見えてくると思います。

 そんなわけではからずも、ふなっしートレインにつられて出かけた先で、伝説のレーサーとサーキットの思い出に触れることとなりました。ふなっしートレインは2022年12月末ごろまで運行される予定だそうです。

1965年7月、船橋サーキットのレースで浮谷東次郎さんが駆り、デビューレースで初勝利となったのがこのトヨタ・スポーツ800。愛知県にあるトヨタ博物館に、ピカピカの個体が展示されていました。790ccの2気筒エンジンを搭載し、45PS/67Nmと決してパワフルとはいえないものの、車両重量が580kgと超軽量で操作性に優れていたと言われています。丸目のヘッドライトや、タルガトップのデザインは今見ても趣があってすてきですね
まるも亜希子

まるも亜希子/カーライフ・ジャーナリスト。 映画声優、自動車雑誌編集者を経て、2003年に独立。雑誌、ラジオ、TV、トークショーなどメディア出演のほか、エコ&安全運転インストラクターなども務める。海外モーターショー、ドライブ取材も多数。2004年、2005年にはサハラ砂漠ラリーに参戦、完走。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。2006年より日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ジャーナリストで結成したレーシングチーム「TOKYO NEXT SPEED」代表として、耐久レースにも参戦。また、女性視点でクルマを楽しみ、クルマ社会を元気にする「クルマ業界女子部」を吉田由美さんと共同主宰。現在YouTube「クルマ業界女子部チャンネル」でさまざまなカーライフ情報を発信中。過去に乗り継いだ愛車はVWビートル、フィアット・124スパイダー、三菱自動車ギャランVR4、フォード・マスタング、ポルシェ・968、ホンダ・CR-Z、メルセデス・ベンツVクラスなど。現在は新型のスバル・レヴォーグとユーノス・ロードスター、ニッサン・スカイラインクーペ。