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「スバル歴史講座」で語られたスバルのクルマづくりの原点と水平対向エンジン開発
「すべてはクルマに乗る人に楽しさと安全性を体感してもらうため」
2016年10月27日 00:00
- 2016年10月2日 開催
スバル(富士重工業)は10月2日、栃木県佐野市にあるスバル研究実験センター(SKC)で報道関係者向けイベント「スバル テックツアー 2016~際立つ『安心と愉しさ』へ~」を開催した。
この講座では、「スバル車のプラットフォーム開発の歴史」「クルマづくりの姿勢について」「水平対向エンジンの開発エピソード」の3つのプログラムが行なわれ、さらに歴代スバル車をテストコース内で試乗する「歴史車試乗」も実施された。
この講座は内容が充実していたため、内容を分割して紹介しており、第1弾としてプラットフォーム開発の歴史については「『スバル車のあるべき姿』を歴代開発担当者が語る『スバル歴史講座』」で誌面掲載しており、今回は残る「クルマづくりの姿勢について」「水平対向エンジンの開発エピソード」についてご紹介する。
クルマづくりの歴史については、富士重工業 第一技術本部 車両研究実験総括部 部長の新田亮氏が解説を担当。開発者の立場から見た歴史について語られた。
まずはスバルのクルマづくりの原点だが、これは「人を中心とした安心と愉しさのクルマづくり」という言葉で語られている。ここで人という表現があるが、これはドライバーはもちろんのこと、助手席、後席に乗るすべての人を指し、クルマに乗る人に安全性や楽しさをどのように感じてもらえるかについて取り組んでいると説明された。
スバルは中島飛行機製作所から始まった企業なので、ほかの自動車メーカーとは違い、航空機の生産技術からもの作りの歴史がスタートしているところが特徴だ。そのため、「徹底した合理性で実現する、軽量化や操縦性などいたるところでムダのない作り」や「設計に間違いが許されないという、信頼性、安全性に対する徹底が技術の根底にあること」。そして「技術の話については、社内で上下の隔たりなく意見を言える自由闊達な雰囲気」が現代でも引き継がれているという。
さて、スバル車の原点と聞いて「スバル 360」を思い浮かべる人は多いだろうが、実はその前にも、1954年に「P-1(すばる1500)」というクルマが作られてた。当時の国産メーカーは欧州や米国のクルマを手本にして、その構造の理屈が分からなくても、とりあえず模倣してクルマを作っていたという。しかし、スバルではサンプルのクルマを分解して「どうしてこの作りになっているのか?」「どういう理屈なのか?」ということを徹底的に調べ上げていた。
そこで得たノウハウによって作り上げたのがP-1で、本当にゼロの状態から試作したフルモノコックの後輪駆動車だった。これが完成したとき、当時の責任者だった百瀬晋六氏は「我々はこのP-1で自動車屋になった」と口にしたという。
ところが、そんなP-1が世に出ることはなかった。その理由は生産設備を用意できなかったためだ。P-1の生産設備にはまとまった投資額が必要だったが、ちょうど同じ時期に自動車メーカー数社から設備投資の費用を借り入れる依頼が銀行に集中していたことで、銀行に依頼を断られていたのだ。
ただ、この原因はP-1の商品力が劣っていたのではなく、規模の大きい競争相手と並んだときに「特徴がなかったため」だと語られた。つまり、当時のスバルは同業他社と比べて企業規模が小さかったため、大きな会社と同じことをやっていたのでは訴えるものが弱いということだ。
それ以来、スバルはユニークであること、独自性を発揮することなど、なにか光るものを持つということを会社の方針に組み込んで、その発想で生まれた第1号がスバル 360となった。スバル 360は軽自動車ながら後席の人にもちゃんとした居住スペースを確保できるRRレイアウトを採用。また、ドアの開閉は乗降性を高めるため、後方ヒンジの前開きにしている。さらに居住空間を確保するため、サスペンションシステムもコンパクト化し、タイヤメーカーに掛け合って10インチの新規格タイヤまで用意したクルマだ。
スバル 360のあとに登場した「スバル 1000」。こちらはP-1と同じ普通車のセダンではあるが、駆動方式はP-1で検証済みの後輪駆動ではなく前輪駆動が採用された。その理由は、当時の技術ではプロペラシャフトの振動や騒音を消すことができなかったことと、プロペラシャフトを通すことで車内スペースが狭くなることを嫌ったことなどがある。これによって前輪駆動のFFレイアウトにすることが決定され、FFににしつつフロントオーバーハングを短くするため水平対向エンジンが選ばれたのだ。
スバル 1000に続いて登場した「レオーネ」からはAWD(4WD)を採用した。これは東北電力が宮城スバルに製作を依頼したことが開発のきっかけになり、生み出されたクルマは非常に高い評価を受けたという。ところが販売においては伸び悩み、スイングバックやクーペといったボディラインアップを増やしても、なかなかうまくいかない時期が続いた。ただ、開発に関してはレオーネの時代にAWDやターボの基礎研究を進めていたので、それが後年の「レガシィ」に生きていると説明された。
そのレガシィでは「人が乗って使って感じること」に基づくクルマ作りが開始され、これが「スバルらしい開発」として確立されているとのこと。このほかの内容についてはスライドの写真で紹介するが、とにかくスバルでは自社のことを「小さい会社」と表現し、小さい会社だからこそ「人が乗って使って感じること」に基づいて、熟成と革新を繰り返していくことがスバルの生きる道と語っていた。
次に登壇したのは、富士重工業 第二技術本部 エンジン設計部 兼 PU先行開発統括の小野大輔氏。小野氏からは「スバルの水平対向エンジンの歴史」が語られた。ちなみに小野氏は2001年にスバルの技術本部 エンジン設計部に中途入社したあと、すぐに4代目レガシィの3.0リッターエンジン開発、5代目レガシィの2.0リッター、2.5リッター、3.6リッターエンジン開発、「86」&「BRZ」のFA20エンジン開発、6代目レガシィ2.5リッターエンジン開発、FB型エンジン開発の取りまとめなどを手がけている。そして新型「インプレッサ」プロジェクトのメンバーでもある。
スバルの水平対向エンジンは現在のモデルが第3世代となる。初代のEAエンジンで水平対向というユニークなエンジン形式を実現し、次世代のEJエンジンではハイパワー化も達成したが、排出ガスや燃費では課題があるものだった。そういった問題点にテコ入れをしたのが第3世代のFA、FBエンジンとしている。
それぞれのエンジンの歴史解説も行なわれ、まずはEAから説明された。実はこのエンジンはオールアルミ製。当時、鉄は50円/kgだったのに対して、アルミは700円/kgと14倍だったが、「いい製品、いいクルマは必ず売れる」と言う信念のもと、アルミを採用していた。これは当時のスバルの年間売り上げ規模的にかなりの挑戦だったという。しかし、結果的にスバル 1000は3年で販売を終え、レオーネに代替わりすることになってしまった。
初代レオーネの時代はクルマにエアコンが搭載され始めてきたころだったが、EAにはコンプレッサーを取り付ける前提がなかったので、苦肉の策としてオーバーハング部分に大げさなブラケットで取り付けられるというスタイルになった。
レオーネがモデルチェンジされてもEAエンジンは継続採用されたが、この時代になるとエアコンにプラスして油圧パワステも装備されることになった。しかし、ボンネットを開けて右側のスペースはすでにエアコンのコンプレッサーで使われているので、必然的に残る左側スペースとなるが、エアクリーナーなどがジャマになるのでタンクやプーリーだけを上に付け、ポンプ本体はそこからシャフトを伸ばして後方に設置するという苦労をして設計していた。
2代目レオーネは1980年からサファリラリーに参戦している。1983年には総合5位という成績を残しているが、このラリーはとくに過酷で、85台の出走台数のうち、完走したのが22台。つまり完走率は26%という低い数字。そのなかでレオーネは、10台が参加して5台完走という成績を残し、ここでEAエンジンの信頼性の高さを証明することになった。
この2代目レオーネのEAエンジンはターボ化も行なっていたが、このころはまだOHVエンジンで高回転までは回せないため、せっかくターボ化していても自然吸気に対して10PSしかアップしていなかった。そのあとの「アルシオーネ」に積んだEAはOHC化されたものの、こちらもインタークーラーがなかったのであまり過給できない仕様。他社のターボエンジンはは1.8リッターで180PSほど出していたところ、アルシオーネでは120PSにとどまっていた。
長らく現役として使われ続けたEAエンジンだが、補機類のレイアウトに限界が出はじめ、ターボ化しても120PSしか出せないという商品力の弱さもあったため、次世代のEJエンジンが開発された。
EJエンジンはバルブ駆動機構をOHCからDOHCにしただけでなく、信頼性向上のためクランクの支持を3ベアリングから5ベアリングにしている。そのためエンジンのサイズは全体的に大きくなる作りだった。
そしてEJエンジンにもターボ仕様が設定されたが、このターボに関しては特別に高い目標が掲げられていた。それは「EJの自然吸気に対してプラス100PSにする」というもので、難易度は非常に高かったがこれをみごとに達成。初代レガシィは2.0リッターの排気量で220PS/27.5kgmを発生し、他社のスポーツモデルを一気に追い抜く性能となった。その後、10万km走行の世界速度記録を打ち立てるといった華々しい結果も残している。
レガシィに搭載されたEJエンジンは大きな功績を残し、ハイパワーを実現していたのでスポーツワゴンというカテゴリーも確立させた。ところが、一方で燃費がわるい、排出ガス性能がよくないというネガな部分も持っていた。ここは開発陣としてEJエンジンの限界を感じていたところだという。
そこで、走りがいいことは大事だけど、環境性能とのバランスも必要ということから、その要件を満たせるFBエンジンが開発されることになった。このFBエンジンはボクサーエンジンの特徴である高回転までストレスなく吹け上がる特性はそのままに、効率を高めることで環境性能を引き上げ、そして低中速トルクも引き上げて扱いやすい特性にしようというコンセプトだった。
それを実現するため行なったのが基本燃焼性能の見直しで、とくにEJエンジンがショートストローク型だったのでこれをロングストローク化し、ボア(シリンダー径)を落とすことで燃焼室もコンパクト化した。さらにEGRクーラーを追加し、吸入効率を上げて燃焼効率を高めるためのTGV(Tumble Generation Valve)も導入。バルブタイミング制御にも燃焼効率を高められるデュアルAVCSを採用するなど、エンジン本体の構造見直しに加えて新しいデバイスを組み込むことで目標を達成するエンジンになった。
また、小野氏がFBエンジンに続いて開発したのがBRZなどに搭載されたFAエンジンだ。こちらは出力を出すためにストレートポートを採用。これによって起こるガス流動の低下を補うため燃料のポート噴射も取り入れた。
FAエンジンは単にFRスポーツカー用というだけでなく、「かつてないほどまでにエンジンを低くせよ」と言う命題が課せられていた。そのためスバルの開発陣は最初から「コンパクト・低重心」を徹底的に意識していた。
とはいえ、開発当初にトヨタ自動車の担当者から“足まわりの作りとボンネットの位置はこうなるので、エンジンはここのスペースに収めてくれ”というコンセプトを聞いたときはかなり驚いたという。しかし、難題を出されただけに「どうだ!」言える結果を見せたいと社内が一致団結して開発を進め、FBエンジンに対しても84mmほどエンジンを低くすることを実現した。
この数値をどうやって作り上げたのかといえば、エンジンに取り付けられるパーツ同士の間隔をとにかく必要最小限としたことが大きな理由。例えば、一般論で仕様で「間隔は10mm取ること」と決められていれば「10.1mmでいいか」となるところを、FAエンジンでは「10.00001mm」といった感じで、非常に細かく設計しているという。また、クリアランスにこだわった試作エンジンをさらに見直し、空間が削れそうなところは作り自体も変更。そういった細かな積み重ねによって驚異的といえる全高の低さが実現されたのだ。
ちなみに、FAエンジンでパーツ間の最小間隔は2mmとのこと。これは取り付けるパーツの寸法に公差があっても「絶対に当たらない」と確約する設定だけに、量産エンジンでこの数値というのはただ驚きである。そうして完成したFAエンジンは、トヨタの技術者からも賞賛を受けたという。
最後に新型インプレッサのエンジンだが、テーマは「クラスを超えた感動質感」というもので、やはりクルマは乗って楽しいことが大切で、その感覚を得るために重要なのがエンジン。アクセルペダルを踏めばすぐに反応し、軽やかに吹け上がっていくということがエンジンにできる演出なので、エンジン内部の主運動系の慣性力低減、各種フリクションの低減などを行なった。その結果、吹け上がり時間は従来エンジンと比べて約半分ぐらいの時間でレブリミットまで吹け上がるレベルと表現された。
次に取り組んだのがエンジン音と加速の一体感を出すこと。気持ちよく加速したときに音も連続的に変わっていけば感性的にはよいのだが、ここで聞こえる音に連続性がなく、音が大きくなったり小さくなったり、それほど加速していないのに音だけ大きくなるといった聞こえ方だと、加速感で得られた気持ちよさにマイナスの影響を与えることになる。
そこで新型インプレッサでは音の聞こえ方も研究し、エンジン各部の剛性アップや吸音材追加、固定点追加などを行なって聞かせたくない音が出ない構造にしている。そのうえで「聴かせたい音を聴かせる味つけをしている」とのこと。音が必要ない低回転では車内は静かだが、アクセルを開けていくと「こういう音の出方は合っているね」という聞こえ方。これはぜひ、ディーラーに足を運んで試乗などで味わってもらいたい部分だ。そして燃費性能を高めていることも新型インプレッサの大きな魅力とのこと。
今どきのクルマはエンジンが持つ特徴や特別な魅力が薄れてきているように感じるが、水平対向エンジンは常に「エンジンのファンがいる」という意味を実感できるプログラムだった。このあと、SKC内のテストコースで歴史上のモデルから最新車両まで実際に乗って体感できる試乗時間まで用意されていたが、1人で取材に赴いた筆者は、撮影の都合から試乗は行なっていない。そのため、試乗車については走行シーンの写真でご紹介する。