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自動車部品サプライヤー「マレリ(旧カルソニックカンセイ)」の“人工呼吸器”製造工場レポート

そこには匠のモノ作り精神を持つ企業同士が生んだオープンイノベーションがあった

新型コロナウイルス対応用の新たな人工呼吸器「ELICIAE MV20」

「マレリ」と聞いて日本を代表する自動車部品の総合サプライヤーであると認識している人はまだ少ないかもしれない。しかし「カルソニックカンセイ」と聞けば、誰しもがピンとくるだろう。

 2018年10月に「カルソニックカンセイ、イタリアの自動車部品メーカー、マニエッティ・マレリと経営統合。FCA(フィアット・クライスラー・オートモービルズ)が62億ユーロで売却」というニュースが流れ、翌2019年5月に「カルソニックカンセイとマニエッティ・マレリが新ブランド・マレリに統合」とアナウンスされた。

解説と案内はマレリ株式会社 常務執行役員の石橋 誠氏
マニエッティ・マレリのマレリが残ったのではなく、まったく新しいマレリが誕生した
グループでの売上は1兆5000億円を超える(2019年度)

 マレリの常務執行役員である石橋氏は「条件的にはカルソニックカンセイ(の親会社)がマニエッティ・マレリを吸収した形ですが、最終的に社名を“マレリ”としたのは、欧州での認知度の高さや、今後のグローバル展開を見据えての判断です」と明かす。

 また、カルソニックカンセイ時代の2017年3月に、すでに日産自動車からの独立を果たしており、このマニエッティ・マレリとの経営統合により、自動車メーカー傘下に入っていない独立系としては、世界でトップ10に入る統合サプライヤーへとして飛躍した。

この統合により、自動車に関しては、シャシー、ボディ、エンジン以外、ほぼ携わっている
世界中の自動車メーカーに部品供給を行なっている
マレリの5つの技術ドメイン
さまざまなカテゴリーの部品の製造に関わる

 モータースポーツへの関りも深く、現在「F1」に関しては全チームに対してテレマティクスのシステムを供給。さらにラジエーターやインタークーラーといった部品の供給。また、KERS(カーズ=運動エネルギー回生システム)もマニエッティ・マレリがフェラーリと共同開発したシステムとなる。バイク世界大会「MOTO GP」では、エンジン制御用コンピューターはマレリ製がレギュレーションとなっている。

 日本国内では、星野一義監督率いるお馴染みのカルソニックインパルチームが現在も活躍中。なお、レースの世界では「カルソニック」のほうが親しまれ、認知度が高いと判断し、第2のブランドとして位置付けられている。

F1マシンのボディにはマレリのロゴが貼ってある
36年もの期間スポンサーを継続している
2020年シーズンのカラーリング

マレリが人工呼吸器を製造するに至った背景とは

 さて、こんなピュアな自動車部品サプライヤーであるマレリが、去る5月22日に「人工呼吸器を開発、製造するメトランの生産支援を始める」と発表した。もちろんこれは、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、医療現場で不足している現状に対して支援するためだが、果たしてこの突然の行動の裏には一体何があったのか? 今回は人工呼吸器の生産現場も含めて解説して頂いた。

経済産業省から人工呼吸器の増産支援依頼が入ったマレリの児玉工場

 事の発端は4月20日。経済産業省よりマレリに「人工呼吸器増産支援の依頼」が入ったことだと言う。日本では人工呼吸器の約95%は輸入(主にドイツ)に頼っていて、全世界的にパンデミックとなり、ドイツも人工呼吸器の輸出をストップ。このままだと間違いなく日本国内の人工呼吸器は不足すると判断し、経済産業省が動いていたのだ。

 すでに高性能な人工呼吸器を手掛けるメトランとも話を進めていて、翌21日にメトランにて、経済産業省、マレリの3者会議を実施。マレリ内でも社会貢献に取り組む方向で話し合いが行なわれていたこともあって支援を即決。経済産業省の支援依頼からわずか3日で支援を開始した。この対応の速さについてはマレリの石橋氏も「さすがに異例中の異例ですが、人の命を救えるならという想いが突き動かした」と語る。

 さて、ここで人工呼吸器を開発、製造しているメトランだが、いったいどんな会社なのだろうか?

 実は医療機器業界の人なら知らない人はいないと言っていいほどの企業で、特に人工呼吸器に関しては、1000g未満で生まれる超未熟児にも対応できる高性能な人工呼吸器を開発するなど、人工呼吸器のパイオニア的存在。2020年1月には、日本はもとより世界中の新生児医療の発展に多大な貢献をしている功績が評価され、第3回日本医療研究開発大賞にて「経済産業省大臣賞」を受賞。2019年にも会長が黄綬褒章を受章。他にも故ダイアナ妃や、平成のころには時の天皇陛下(現在の上皇陛下)も会社を訪問されている。

メトラン沿革
メトラン製品ラインアップ
日本医療研究開発大賞の授賞式の模様

 高性能な人工呼吸器は、意識不明のような患者でも無意識のままで安定して呼吸が行なえるようになっていて、それを制御するためにモニターやスイッチが複数あり、設定も複雑になる。そのため基本的に呼吸専門医しか扱えない。しかし、新型コロナウイルスに感染した患者の場合、徐々に肺の機能が弱まり呼吸困難になっていく症状のみであれば、そこまでの高性能さは求められない。ほとんどの感染患者は約2週間で退院できるレベルで、あくまで呼吸困難な時期をサポートしてくれる性能で十分という。

 とはいえ、メトランは高性能で高額な医療機器を基本的に受注生産していて、自動車部品のように大量生産は行っていない。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックにより、世界中で人工呼吸器を必要とする患者が急増。海外からメトランに入る問い合わせも数千~1万台といった数に上り、当然のことながら、量産設備のないメトランでは対応が困難となった。そこで、日本の自動車産業が培ってきた品質の高い量産技術との融合が求められたのだ。

新たに開発された新型コロナウイルス対応人工呼吸器「ELICIAE MV20」の特長

 そこでメトランとマレリは、設計と操作を極力シンプルにすることで、呼吸専門医以外の医療スタッフでも操作が可能で、ホテルや体育館といった仮設病院でも電源さえあれば使えて、さらにコンパクトサイズにすることで製造コストも輸送コストも抑えられる。新型コロナウイルス対応用の新たな人工呼吸器「ELICIAE MV20」の開発に着手した。製造コストは高性能タイプに対して約1/10に抑えられるという。

 ところが開発を始めて3週間ほど経った5月14日、政府の方針が変更され、人工呼吸器の備蓄計画は一時保留に。通常ならこのまま開発も保留になりそうな話だが、メトランとマレリは日本国内の備蓄だけでなく、世界中で必要としている国や地域がある以上「新たな人工呼吸器を作る意義がある」と、両者のオープンイノベーションスキームとして計画を続行した。6月12日には生産準備を整え、作業習熟訓練も開始し、6月25日には量産を開始。現在マレリは月産2000~4000台の間でフレキシブルに対応できるよう生産体制を整えている。

 そして7月1日、南米ボリビアのNPO法人に向けて5台の人工呼吸器「ELICIAE MV20」が初めて出荷される。また、続いて1000台をベトナムの赤十字社へと送る予定もあるという。

新型コロナウイルス対応用の新たな人工呼吸器「ELICIAE MV20」
モードは「自分で呼吸ができない患者用」「自分で呼吸はできるけど弱い(呼吸が浅い)患者用」「自分で普通に呼吸ができる患者用(モニター状態。呼吸が弱ると動くが基本的に止まっている)」の3段階のみ。各モードを選んだら、空気を送り込む力(PIP)、空気を抜く時の力(PEEP)、呼吸数(Breth Rate)、吸気時間(Insp.Time)を調整できるようになっている

自動車部品サプライヤーが人工呼吸器を製造できた理由

 しかし普段は自動車部品を製造しているマレリが、なぜ人命を預かる人工呼吸器を製造できたのか? もちろん命を救うという人道支援の思いが根底にはあるが、気持ちだけで人工呼吸器は造れない。

 マレリはカルソニックが立ち上がった1938年から数えて2020年で創業82年を迎える。この82年かけて培ってきた「モノ作りの精神」に答えがあった。今回見学した児玉工場は1986年に作られ、当時まだエアバッグが一般的ではなかったころ、信頼度99.999%のエアバッグを実現した。他にも油圧サスペンション、エアサスペンション、ABS、電波式のキーレスエントリーなど、当時「世界初」といわれる技術がこの工場で生まれている。ちなみにスバルのアイサイトの初期型も、この児玉工場で生まれたという。

 ここ最近は、電気パワートレイン、電気自動車のインバーターの製造が主力となっている。また児玉工場は「電子マザー工場」と位置付けられ、品質(実装不良ゼロ)、技術(技術育成)、現場(人材育成)といったミッションを掲げ、ここで熟練度を高めた人材を、世界中の工場へ送り込むことで、すべての工場での品質向上を目指している。

はんだ付けと機械・電気保全技能の取得レベル。どちらも1級は1名だった。※名前の部分はぼかし加工をしてあります
ノミよりも小さいチップ抵抗、チップコンデンサ
自分の手にきちんと技術を持った人材が、機械のセッティングを行なうほうがよいと考えている

 またマレリは、製造現場における困りごとを、自分達のアイデアで解決する改善活動の「からくり改善」も積極的に取り組んでいる。この取り組みは、オートメーション化により作業効率を上げる改善活動だが、高額なロボットを導入して解決するのではなく、自分たちでアイデアを絞り出し、技術力を生かし低予算での解決を目指す。実際に数百万円するロボットで可能となる改善を、わずか数万円で改善した事例もある。

 従業員はこのからくり改善を取り組むことで、日々自分の仕事の課題点と解決方法を考える癖がつけられている。

からくり改善の取り組み事例。受賞歴も多数
からくり改善の過去の作品
技術員によるからくりの解説
愛らしい名前にすることで愛着も湧く

 人工呼吸器の製造は、このようなスタッフ全員の仕事に対する意識、徹底した管理とサポート体制、82年間培ってきた匠の技術力に加え、今回は人道的支援というやりがいもプラスされ実現したといっても過言ではない。

人工呼吸器の製造現場を見学

2階にある組み立て工程の前半パート

 人工呼吸器の製造プロジェクトは突然始まったため、まずは作業場所の確保から始まったという。1階は工場の一部を区切りスペースを確保。周りの自動車部品はオートメーション化されているのに対し、ここは基本的にすべて手作業。とはいえ、はんだ付けを行なう基盤やチップ、配線は、自動車部品と同じような極小サイズなので、ここでもはんだ付けの技術を習得した匠の技が生きている。

ここは患者の呼気を検出するセンターとハーネスの組み立て
この極細の配線の先端を基盤にはんだ付けする
組み立て作業。必要な治具は自分たちで作成
X線による検査を実施
はんだの量、異物混入などを確認
最後に袋に入れて完成となる

 また2階には、もともとスタッフが定期的に品質改善に向けての打ち合わせを行なうための「ものづくり道場」だったスペースを改造。資材置き場、組み立て工程順に作業場を設置。最後に動作チェックの棚と続く。動作確認は決められた設定で1時間動かし続け、不具合が発生しないかチェックしている。この日は1台15分くらいでの組み立て作業速度だったが、最大で5分ぐらいまで詰められるという。

入口ドアの上には「ものづくり道場」だったときの看板が残されている
組み立て工程の後半パート
最終チェック用の棚

 この人工呼吸器の製造プロジェクトはまだ始まったばかり。未だに新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るい、パンデミックを起こしている国や地域も多数あり、今後需要が伸びることは間違いないだろう。大量生産する設備を持っていなかったメトランと、おりしも新型コロナウイルスの影響により、自動車製造工場がのきなみ稼働停止に追い込まれる中、人工呼吸器の製造という異業種の製造に携われる高い技術力を持っていたマレリ。結果として、どちらの会社にとってもWIN-WINとなる素晴らしいプロジェクトとなっている。

 人工呼吸器とは別にマレリでは、社内のデザイナーがデザインし、エンジニアがCAE解析で使いやすさや洗いやすさを考慮して立体化させた「NEKO no TE」を開発。このNEKO no TEは、電車のつり革、エレベーターのボタン、ドアノブ、ATMのタッチパネル操作など、直接触れなければならないシーンで活躍する商品。価格は800円(税別)。このNEKO no TEの製造を外部に委託し、自社だけでなく協力会社も巻き込んだイノベーションを起こしている。

可愛くて便利なNEKO no TE
カラーは「BLUE」「WHITE」「Light BLUE」「YELLOW」の4色
工場内に設置してあるアルコール除菌液のボトルは、上部のポンプを手で押すことで濃厚接触を引き起こすことから、ここにも「からくり改善」の精神が発揮され、下にあるペダルを踏むと自動でポンプを押してくれる装置を社内で作成したという